小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

安倍総理=黒田日銀総裁ラインの金融政策で「脱デフレ」は本当に成功しつつあるのか②(最終回)

2014-05-12 05:43:29 | Weblog
 このブログの後編を10日に投稿する予定だったが、安倍総理の欧州訪問からの帰国により、集団的自衛権行使容認問題が風雲急を告げだしたので、急きょ割り込み投稿した。
 私のブログはいつも早朝に投稿しているが、未明に起きてパソコンに向かっているわけではない。すでに前日までに基本的な部分は書き上げており、当日の朝に新しいニュースが飛び込んでいないかチェックし、ニュースが入っていたら急遽書き加えたり、関係のある個所を書き直したりして投稿する。だから午前6時過ぎには投稿できていた。
 が、私にとっても、安倍総理の帰国直後にもかかわらずのエネルギッシュな動きは想定外だった。また10日の朝日新聞朝刊が情報源を明記して、安保法制懇が13日にも提出する予定の報告書の全容をスクープしたため、急きょその問題に取り組む必要を感じたので差し替えることにした。差し替えると言っても、もともと用意していたものは何もなかったので、書き出しの1行目から書き始めることになった。また、相当複雑な問題ということもあって、簡単に済ませるわけにはいかず、文字数も通常の2倍に相当する約9000字に達し、投稿したのも10日の午後6時過ぎになってしまった。
 そういうわけで、安倍総理=黒田日銀総裁ラインによる「デフレ脱却」のための金融政策の実効性の検証作業の続きは今日に延ばすことにした。この検証作業のブログは3回くらい続くだろうと思っていたが、ゴールデンウィーク中にまとめておいた政府の有識者会議による労働基準法改正の意味を分析したブログ3回分を書き終えており、そのブログ記事も投稿待機中という状態なので、今回のテーマのブログは今日で終わりにする。

 前回のブログでは、G5(85年)で決まったドル安誘導により、その年には1ドル=240円だった為替相場が、わずか2年で1ドル=120円に急上昇したころに、松下電器産業(現パナソニック)の谷井社長(当時)と行ったインタビューの内容を最後に紹介して終えた。
 抜粋した部分だけでも、トヨタと並ぶ日本の二大輸出メーカーの松下の谷井社長を相手に、私は「吊るし上げ」に近いようなインタビューをした。このインタビューについて「対談に近い」と注釈をつけたのは、実際に発言文字数も谷井氏とほぼ同じくらいだったと思うからだ。
 メディアの記者は、企業が何か問題を起こした時には、それがあたかも「権利」であるかのように一斉に吊るし上げ取材をするが、何も問題を起こしていない大企業トップに「お灸」をすえるようなことができたメディアやジャーナリストはあっただろうか。
 この時期私が抱いていた問題意識は、日本企業のお行儀の悪さだった。当時
はまだ「産業空洞化」は生じていなかったが、円高が続き、日本企業がダンピング輸出を続ければ、外圧はますます強まり、時間の問題で生産現場の海外移転(つまり産業空洞化)は避けられなくなると思っていた。
 だから大輸出企業が「自分さえよければ、だれがこまろうと知ったことではない」といった姿勢に「お灸」を据える必要があると思ったのだ。よく、こんなインタビュー記事を、広告収入がメインの雑誌が掲載してくれたものだと、今さらながら自分の無鉄砲さに私自身呆れている。
 実は『宝石』の編集長に依頼していたのは「急速に進む円高対策の問題について、トヨタか松下のトップにインタビューしたい」ということだけだった。インタビューは松下の東京本社役員応接室で行われ、録音テープ起こしのフリーライターと松下の広報室長が同席した。
 この抜粋記事から抜けてしまっていたが、谷井社長の最後の発言が何を指しているのか、たぶん読者は面食らったと思う。私も推敲したとき気付いたが、外出時間が迫っており、明日(その時は10日に投稿するつもりだった)補足しようと思い、そのまま投稿した。その補足をここでしておく。
 このインタビューで私が輸出大企業の「自分さえよければ」といった経営姿勢(輸出メーカーが円高の被害者ではなく加害者になっていること)を問題にしようとした3点についてだった。念のため、当時のメディアや経済評論家たちはこぞって日本の輸出大企業を「円高の被害者」扱いしていた。
①円が倍になったのに、アメリカでの販売価格は自動車や電機メーカーは値上げ率を10~20%以下に抑えていた。アメリカの「ダンピング輸出だ」という反発に対し、日本メーカーは「合理化努力によってコストダウンを図った結果だ」と居直った。コストが下がって輸出価格を実質引き下げることができたのなら、なぜ日本の消費者は高いままの価格で商品を買わされているのか、という輸出巨大メーカーの経営姿勢に対する追求である。つまり日本の消費者の犠牲の上に輸出戦略を立てているというのが「日本の消費者に対する加害者の罪」であるとして谷井氏を追及したのである。
②円高になれば、日本の消費者に付けを回すことができない中小零細業界は窮地に追い込まれる。「自分さえよければ」と「中小零細業界を経営難に陥れた加害者としての罪」が二つ目である。私の頭にあったのは新潟県燕市に点在する金属洋食器メーカーなどの輸出零細業界のことだった。この指摘に対しては谷井氏は答えなかった。
③G5でアメリカが頭を下げて日本やドイツなどに頼んだのは、為替相場に協調介入してドル安誘導してほしいということだった。アベノミクスと同じで、当時のアメリカ政府はドル高がアメリカ企業の競争力を弱めているという判断が背景にあった。そのためドルを安くしてアメリカ企業の競争力を回復させてほ
しいと頼んだのである。アメリカ政府が頭を下げて同盟国にアメリカ企業の競
争力回復を頼んだのは空前絶後の出来事だった。そのアメリカ政府の依頼に各国政府は応じることにした。日本も円高ドル安の協調介入を約束した。それを台無しにして為替相場を輸出価格に転嫁せず、「アメリカ企業の競争力回復を阻害した加害者としての罪」が三つ目だった。
 あの時期、これほど厳しい姿勢で日本を代表する企業のトップにインタビューを挑んだジャーナリストが、日本に私以外に一人でもいただろうか。なお日本のジャーナリストは、政府にはつねに厳しいが企業にはつねに甘い(政府にも甘い新聞もあるが)。企業や経営者が社会的問題を起こした場合には、さすがに批判するが、G5後の輸出大メーカーの経営姿勢に対して批判の目を向けたのは私一人である。
 谷井氏とのインタビューは予定の時間になったため、それ以上追及できなかったが、なぜそういう悪質な経営戦略をとったのかは、私には想像がついていた。そのことだけ述べておく。
 メーカーの販売戦略、とくに価格政策は生産コストと重要な相関関係にある。生産コストは言うまでもなく、生産量と反比例の関係にある。わかりやすく言えば、大量生産すれば生産量の増大とともに商品1個当たりの生産コストは安くなる。しかもその反比例関係は単純直線ではなく双曲線的なカーブになる。輸出価格を円高の為替相場を反映させて上げたら、輸出量が減少して生産量も減り、商品1個当たりの生産コストは双曲線カーブを描いて上昇する。そうなるとさらに輸出価格を上げなければ採算が取れなくなる。輸出価格を生産コストの増加に合わせて上げれば、さらに輸出量が減る。そのとめどのないスパイラルが始まるのだ。この関係を数理的に分析した経済学者はまだいない。この分析に成功すれば、おそらくノーベル経済学賞を受賞できるだろう。
 一方、円高になれば輸入する原材料や部品の価格は下落する。もし生産量を維持でき、国内の販売価格を据え置けば、輸出で赤字を出しても国内販売で十分補える。当時は大企業も生産拠点の海外移転をほとんど行っていなかったから、とにかく生産量を減らさないことが最大の経営戦略になった。
 そのため為替相場に関係なく大メーカーは輸出量を維持できる、海外での販売政策をとることにした。「自分さえよければ」のエゴ丸出し経営方針が大手をふるってまかり通っていたのである。わずか2年で円が倍になっても輸出大企業がつぶれるどころか、生産量をさらに拡大して利益を追求できたのは、そういうからくりがあったからだ。
 G5が開かれたのは1985年。当時の為替相場は1ドル=240円だった。その2年後には1ドル=120円になった。今2014年。1ドル=120円になった1987年から27年もたったのに、その間、円は20円しか上がっていない。もちろんその間には企業の海外進出もあったし、バブル崩壊やリーマンショックもあった。が、そうした企業経営にとっての悪材料は日本だけでなくアメリカも同じ
だった。アメリカのダウ平均はいま史上最高根を更新しているが、日本は日経平均最高値の4万円近い高値からいまだに1万4~5000円前後をうろうろしている。それは企業の責任であり、金融政策で救済すべき性質のものではない。
 安倍総理は農業分野でも「強い農業を作る」と言っている。「強い農業を作る」最善の方法は農業保護をやめることだ。農業保護をやめれば、農家は必死に生き残りのための努力をする。現に、国の減反政策に従わず保護を打ち切られた秋田県大潟村の農家は生き残りをかけて大規模化を推進、現在に至るまで耕作放棄地を一切出さず、米の自主販路も開拓して「強い農業」を成功させている。
 製造業分野でも、二度にわたる石油ショックを自助努力によって日本企業は乗り切った。エネルギー資源や化学製品の原材料の大半を輸入に頼っていた日本企業は「省エネ・省力」「軽薄短小」を合言葉に脱石油の技術革新に総力を挙げて取り組み、世界に冠たる技術大国になった。政府が石油の輸入に補助金を出して、製造業の競争力を維持しようとしたわけではない。まして金融政策によって輸出企業を「保護」するという政策は、農業政策と同じだ。
 農家に対する保護の付けが農産物の消費者に回されているが、政府は小規模農家を保護しながら消費者への配慮はまったくない。同様に、金融政策によって輸出企業を保護した結果、消費税増税前でも物価は上昇している。その物価上昇が「デフレ脱却」というのか。私は呆れかえって、ものが言えない。

 政府の金融政策はともかく、日銀・黒田総裁の「デフレ脱却」宣言は本当に信じていいのだろうか。そもそも物価指数の基準にしている現在の588品目(2010年に選定)が本当に一般市民の生活実態に対応して選定されているのだろうか。また物価指数の計算方法についても疑問が残る。つまり、それぞれの品目についての平均物価を計算し、588品目の平均物価上昇または下落率を計算する。問題はそのあとだ。そうして出した588品目の物価の平均上・下率をすべて足して、それを588で割るというやり方をしているのではないかという疑問が残る。この単純平均率の計算では市民の生活実態を必ずしも反映したものとは言えない。
 株価についてはかつて「ダウ平均」という指数があった。今でもアメリカではダウ平均という株価指数が重要視されている。日本でダウ平均という場合、東証1部上場の銘柄から業種ごとに代表的な銘柄を一つずつ選び、その銘柄(「特定銘柄」)の平均株価で株式市場の動向の指標としていた。 
 この計算方式では偏りすぎるという指摘は前々からあったが、コンピュータの普及によって「日経平均」と「TOPIX(東証株価指数)」の二つが使われるようになった。「日経平均」の方は、株価の平均を計算するための銘柄数を大幅に増やして225銘柄にし、その終値の単純合計である。一方「TOPIX」は東証一部上場銘柄すべての時価総額を、1968年4月1日の時価総額を100として指数化したもの。どちらも一長一短だが、日経平均の方が分かりやすいということでメディアも投資家も日経平均を重視しているようだ。日経平均がダウ方式をやめて約1700の東証1部上場銘柄すべての加重平均にすれば、株式市場の実動向をより正確に表せると思うのだが、なぜそうしないのだろうか。今のIT技術ならパソコンでも簡単に計算できるはずだが。
 同様に、物価指数を計算するための対象品目は5年ごとに洗い直しをしているようだが(物価統計局の話)、果たして現在の588品目が適正かどうか(物価統計局は「適正」といっているが)、メディアはチェックすべきだ。
 朝日新聞は今日(12日)の社説で東京都区部の4月の消費者物価指数について述べた。社説というより「時々刻々」のような解説記事だ。社説で取り上げるようなテーマが見つからなかったということか。
 今日もこれから出かけなければならないので朝日新聞の社説については「可でもなし、不可でもなし」といった評価にとどめておく。ただ物価統計局が発表する物価指数が本当に一般市民の生活実態に即したものかどうかのチェックもせずに、したり顔の主張はそろそろ卒業したいものだ。「値上げ幅が増税幅を上回ると『便乗値上げだ』と騒ぎ、下回れば得をした気分になる。それを大げさに伝える私たちメディアの責任も小さくないが」(社説より)との「反省」を今後にぜひ生かしてもらいたい。

 これで今回のブログは終えるが、昨日ウクライナ東部2州で住民投票が行われた。YESかNOの二者択一の住民投票だったが、NHKの報道によればYESの内容が明確でないようだ。NHKオンラインから「ニュース」の項目が消え、「トップページ」にアナウンサーの放送以上に詳細な情報が提供されている。30分という『ニュース7』の時間枠内では放送しきれない情報もオンラインのトップページには盛り込まれており、非常にいい改革だ。多分10日か11日に行われた改革だと思うが、せっかくいい改革なのに肝心の視聴者にサービスの充実を伝えなかったら意味が半減してしまう。それはともかく、これは『ニュース7』で放送されたことだが、住民投票についてオンラインではこう説明している。

 投票は、親ロシア派が樹立を宣言した「人民共和国」に関し、「自立することを支持するかどうか」賛否を問うもので、ウクライナからの独立を意味するものかどうかあいまいな内容となっています。投票を終えた女性の一人は「独立を目指して賛成票を投じた」と話す一方、別の男性は「ウクライナにとどまり、自由を手に入れるため投票した」と話していました。(中略)
 しかし、ウクライナ暫定政権や欧米は「住民投票は法的根拠がない」として、その結果を認めないとしており、双方の対立が一段と先鋭化し、混乱の拡大や新たな衝突が懸念されています。(中略)
 住民投票について、アメリカ国務省のサキ報道官は10日、声明を発表し「武装した分離主義者が計画している住民投票は、ウクライナの法律に違反し、さらなる混乱と亀裂をもたらすだけだ」と非難しました。そのうえで「もし投票が実施されれば、国際法に違反し、ウクライナの領土保全を損なうことになる」として、アメリカとして住民投票の結果は認めないという考えを改めて強調しました。

 ウクライナの情勢は混乱の度を極めつつあるようだが、「民主主義とは何か」が問われているとも言える。クリミア自治共和国が住民投票を実施し、「ウクライナから分離独立し、ロシアに編入したい」という住民の総意を受けて、ロシアのプーチン大統領も編入を認めた。欧米諸国は、その状況を容認していない。安倍内閣も、オバマ大統領の圧力に屈して「力による変更は認められない」と、欧米と同一歩調をとることにした。
 が、私が10日に投稿したブログ『緊急告発――なぜ安倍総理は集団的自衛権行使容認の閣議決定を急ぎだしたのか』で書いたように、いま世界は再びパワー・ポリティクスの時代に入りつつある。
 クリミア政府が、ウクライナからの分離独立・ロシアへの編入を住民投票で決めたということは、私に言わせればきわめて民主的方法による決定であり、他国が「自分たちにとって都合が悪いから認めない」と主張することは、それこそ「力による介入」に見える。
 民主主義とは何か。欧米の「力による内政干渉」と、「国益」の判断によってアメリカのあとをへっぴり腰でノロノロついていくことにした日本政府――果たして「民主主義国家」を標榜する資格があるのだろうか。この年になって、嫌な世界を再び見せつけられるとは…。
 


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