今日でこの長期の連載ブログを終えたい。読者の方たちの「目からうろこが落ちる」話でシメるつもりだ。
個別的自衛権すら行使できないのに、集団的自衛権の行使容認どころではないだろう――という指摘を論理的に行う。「お前らアホと違うか」という怒りをぶつける。
日本が抱えている領土問題は、これまでのブログでも述べてきたように、相互に「領土問題は存在しない」と取り合わないケースも含めて三つある。
その三つとは、竹島(韓国名「独島」)、尖閣諸島、北方領土、である。私は日本人だから、いちおうすべて日本に領有権があると考えている。が、「盗人にも三分の理あり」ではないが、領有権についてもそれぞれの国の言い分がある(客観的に考えても、言い分に合理性がまったくゼロのケースもある)。
まず竹島からいうと、確かに過去、韓国が実効支配していた時期はあったようだ。今はウィキペディアから削除されているが、以前調べたときは囚人の「島流し」(幽閉地)の島として韓国が利用していた歴史的事実があったようだ。
また、尖閣諸島については明清の時代に中国は事実上の属国だった琉球との往来に尖閣諸島を目印にしていたことも古文書によって確認されている。
この二つのケースと北方領土のケースは別の要素があるので、一緒に考えるわけにはいかない。
まず、権利の確定と喪失を、どの時点を基準にすべきかを、純粋に論理的に考えてみたい。
竹島については、過去囚人の幽閉地として韓国が利用していたことが歴史的事実であったとしても、その後、韓国は自らの意志で利用をやめている。つまり実効支配を相当過去に放棄している。
日本は江戸時代に、漁師が休憩地あるいは避難地として竹島(当時の呼称は「松島」)を利用していた。竹島の利用は日本の方が後と思われる。
1894年になって、朝鮮で内乱が生じた。その内乱に乗じて日本が朝鮮に出兵し、当時はまだ朝鮮の宗主国だった中国(清政府)と激突、日清戦争が勃発した。すでに明治維新以降に産業や軍事力の近代化を急速に進めていた日本は日清戦争に勝利し、清から遼東半島・台湾・澎湖列島を獲得した(その後、日本の急速な台頭を懸念した露・仏・独の三国干渉によって遼東半島は返還している)。韓国は「日清戦争のどさくさに紛れて日本が独島を不当に奪った」と主張しているが、竹島は遼東半島や台湾には付属していず、台湾の西南約50㎞に位置する澎湖列島にも竹島は含まれていない。
日本が竹島を日本領土として正式に閣議決定し、島根県の付属島にしたのは日清戦争から10年も経た1905年であり、無人島と確認したうえで領有権を確立している。こうした経緯から考えても、竹島に対する韓国の領有権の主張の
口実は「こじつけ」にもならないと考えるのが合理的である。
しかし韓国は1953年、マッカーサー・ラインの廃止に伴って李承晩ラインを国際的承認を得ず勝手に設定、竹島を武力行使によって占領し、以降武装警察官が多数常駐して実効支配を続けている。日本は国際司法裁判所で領有権についての裁定を韓国に要求しているが、国内における裁判と異なり、国際司法裁判は当事国双方が裁判で解決することに同意しなければ、裁判を行うことができないことになっている。そして韓国は国際司法裁判所で争うことに同意しない。もし同意すれば、韓国に不利な裁定が下ることがわかっているからだ。
こうした場合、国連安保理が国連憲章41条による非軍事的措置を行使するか、42条の軍事的措置を行使して紛争を解決しなければならないことになっているが、まずアメリカが拒否権を行使することがわかりきっているから、日本も安保理に訴えていない。国連安保理が41条の行使も42条の行使も行わない場合、国連加盟国は国連憲章51条によって個別的自衛権の行使、つまりこのケースの場合は自衛隊の実力行使による竹島奪還を認めている。
なのに、なぜ日本は実力行使に出ないのか。私は4月23日午後3時30分に○○省○○局に電話して聞いた。電話に出てくれたのは集団的自衛権問題担当の幹部官僚である。私は「なぜ日本は実力行使ができる権利があるのに、国連憲章が認めている個別的自衛権を行使しようとしないのか」と聞いた。
「そういう声があることは承知していますが、日本は平和的に解決するための努力をしていますので」
「竹島が韓国に武力占領されてから60年になる。いったいあと何年平和的解決の努力を続けるのか。100年か、200年か。香港やマカオの租借権ですら99年が限界だった」
「……」
「そりゃ、答えられないよね。日本が個別的自衛権を行使して実力で竹島を奪還しようとしたら、アメリカが待ったをかけるからな。どうして本当のことを言わないのか」
「……」
「では竹島問題はいい。どうせ○○省が取り返す手段について勝手に決められるわけではないから。が、個別的自衛権すら行使できないのに、なぜ集団的自衛権は行使できると政府は考えているのか」
「……」
このあと○○省○○局の本音を私は引き出すことに成功した。なぜメディアは政治家の発言ばかり追いかけて、肝心の行政機関の○○省が集団的自衛権問題について省内でどういう議論を交わしているのかに関心を持たないのか。メディアの無能さの証左である。
「竹島問題から離れる。政府の集団的自衛権についての従来の見解は『自国が攻撃されていなくても、密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃さ
れたと見なして実力を行使する権利』というものだったね」
「はい」
「そんな権利が国際法上認められているかどうかは別にしても、いま政府は従
来の集団的自衛権についての見解を変えていますね」
「そうです」
私はびっくりした。まさか○○省○○局の幹部官僚がいとも簡単に私の主張を肯定するとは思ってもいなかったからだ。言っておくが、共産党政策局の担当者すら私の主張を否定し「もっと勉強しなさい」といきなり電話を切られたくらいで、メディアも安倍総理がこそこそと集団的自衛権についての定義を変更までしながら、行使容認を憲法解釈変更で可能にしようとしていることを政府の行政機関、しかも直接関係する○○省○○局の幹部官僚があっさり認めてしまうとは、私にとってはまったくの想定外だった。
「これほど重要なことを政府は国民に説明していませんね」
間髪を入れず、○○省○○局の官僚はこう答えた。
「その通りです」
「分かりました。それで結構です」
これ以上私はこの問題について○○省の幹部官僚を質問攻めにするのはやめることにした。おそらく国連憲章51条で規定している「自衛権」についても、私の解釈を肯定するだろうことが分かったし、もしそういうやり取りにまで発展したらその方が政府から弾圧を受けることになることは当然考慮しなければならない。メディアが○○省を取材して○○省の集団的自衛権についての認識をスクープしても、政府は当事者に手を出すことはできないだろうが、私にはその官僚を守る手段がない。私が情報源を秘匿するのは初めてだが、今回は重大なリアクションが予想されるので情報源を秘匿させていただく。
私はこの方とのやり取りで感じたことは個人的見解ではなく、省内でさんざん議論をして出した公式見解だと思っている。そう判断したのは、竹島問題では私の質問に沈黙したのに、集団的自衛権問題については「個人的な見解」とも限定せず、しかも一瞬の間も置かず、間髪を入れずあっさり肯定したからだ。こうした場合、省内での相当程度の地位にある官僚の共通認識になっていると考えるのが合理的である。
集団的自衛権問題について最後にまとめておきたい。今回は、あまりにも長
期にわたる連載ブログだったので、何が問題なのかを改めて整理しておきたい
と思う。
まず国連憲章51条が、なぜ作られたのかを振り返ってみたい。
この条項が作られたのには、当然それなりの理由がある。国連憲章は、まず大原則として加盟国が国際紛争を武力によって解決することを禁じている。もし紛争が生じたときは平和的な解決をすることを加盟国に求めている。が、加盟国が、他国から武力による侵害を受けないという保証はない。
実際、かつて「永世中立」を宣言して、国際会議で承認されても軍事侵略され、占領までされたケースが過去にあった。「永世中立」は、歴史的にもかなり古くから国際法に存在していた。国際法で承認される「永世中立」は複数の国の同意が必要とされ、同意した国は永世中立国の防衛義務が生じるというのが国際法の基本的原則である。その代わり永世中立を宣言した国は自衛のため以外に武力の行使は認められないという原則もある。
しかし、ロンドン条約(1839年)によって永世中立が承認されたベルギーとルクセンブルグは第1次世界大戦時にドイツ帝国の侵攻を受け、ベルギーは国土の大半を占領されながら「草の根」抵抗によってかろうじて独立を維持できたが、非武装だったルクセンブルグは全土が占領された。さらに両国は1940年にもナチス・ドイツに侵攻され両国とも占領された。こうした苦い経験からベルギーは戦後に中立政策を放棄、ルクセンブルグもNATOに加盟して事実上中立政策を放棄した。結局「永世中立」を宣言して他国の侵害を受けなかったのはスイスだけで、スイスが他国による侵害を免れ得たのは国民皆武装体制で自国の防衛を国民全員に義務付けてきたからである。
つまり「永世中立」を宣言し、国際的な承認を受けても、承認した国が永世中立国の防衛義務を果たさなかった歴史的経験に基づいて、国連憲章は国際紛争を武力による解決を禁じながら、当事国間や国連の機関(国際司法裁判所など)での話し合いによる平和的解決ができなかった場合も想定し、国連の安全保障理事国に国際紛争解決のためのあらゆる権能を与えることにした。
それが憲章41条の「非軍事的措置」と42条の「軍事的措置」である。41条では外交関係の遮断や経済封鎖、スポーツも含むあらゆる国際的イベントからの締め出しといった「村八分制裁」に至るまで、あらゆる権能を国連安保理が持っている。それでも紛争を解決できなかった場合、やむを得ず「軍事的制裁」によって紛争を解決するためのあらゆる権能を国連安保理に与えたのが42条である。極端な話、原爆を投下することも国連安保理はできることになっている。ただし、この条項は「国連軍」を想定している。が、1945年6月26日にサンフランシスコ会議で51か国(国連の原加盟国)が署名して国連憲章が発効して以降、「国連軍」と言えるのは第二次世界大戦における対枢軸国(日独伊)の「連合国軍」のみである。
ついでのことに、国連(国際連合)は国連憲章に基いて第二次世界大戦が終
了した後の1945年10月24日に設立されたが、国連憲章は戦時中に作られた
ため53条と107条に枢軸国を対象とした、いわゆる「敵国条項」がいまだに残っており、憲章上では日独伊3国は国連に加盟できないはずである。また国連の原語(英語)はEnemy Clausesであり、正しい翻訳は「連合国」(対枢軸国の国家連合)で、「国際連合」という日本語は意図的な誤訳という学説もある。
いずれにせよ、国際紛争を当事国が平和的に解決できなかった場合、国連安保理が非軍事的または軍事的措置に関するあらゆる権能を付託されているが、実際にはその権能を安保理が行使したことはない。それはこれまで何度も述べてきたように、国連安保理15か国のうち第二次世界大戦の連合国(米英ソ中)に仏を加えた5か国が常任理事国として拒否権を持ち、いかなる国際紛争の解決手段に関する決議も、いずれかの常任理事国が拒否権を行使してきたからである。
日本が竹島の奪還を安保理に要請しても、絶対に常任理事国の一か国が拒否権を発動することがわかりきっているからだ。言うまでもなく、拒否権を行使する国は日本の「同盟国」アメリカである。日本にとってアメリカが「同盟国」ならば、韓国にとってもアメリカは「同盟国」であり、その逆もまた真なりである。そういう日米、米韓、日韓の関係について安倍総理は分かっていないのか、私には不思議で仕方がない。そもそもオバマ大統領が自ら乗り出して冷え切った日韓関係の修復を図ろうとしたことが、どういうことを意味するか、メディアも理解していない。
アメリカでは歴代、国務長官が外交の表舞台に立つ。異例はキッシンジャーだった。ニクソン大統領に信頼を受けて大統領補佐官に就き、国務長官を尻目に、日本の頭越しに中国との歴史的和解の道筋をつけ、さらに中国との関係改善を外交カードに、北ベトナムを交渉の場に引きずり出し、ベトナム戦争終結への道筋も付けた。その功績でキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞する。
国務長官のメンツをつぶしてまでオバマ大統領が日韓関係の修復に直接乗り出したのは、海洋進出の脅威を強めつつある中国に対する防波堤として日米韓の連携が崩れかねないことに重大な危機感を抱いたからだ。しかも憲法の制約に阻まれていざというとき頼りにならない日本と、頼りにできる韓国と、いまどちらを重要視すべきかはアメリカの国益を左右しかねない重要な問題である。大統領自らが足を運んだのも、安倍総理がアメリカにとって頼りになる国への志向を強めようとしているからにほかならない。
少なくとも韓国は、米艦隊が南シナ海方面で航行中に万一他国から攻撃されたら、直ちに米艦隊の支援体制に入る。それは集団的自衛権の行使ではないが、同盟国の義務として軍事行動に出る。日本は韓国と同様な態勢に入れない。そうしたのはアメリカだ。言うなら日本が「同盟国」が攻撃されても知らんぷりをしろとしたのはアメリカなのだから、そういう結果になったとしてもアメリカの自己責任のはずだ。
オバマ大統領はそのことが分かっていても、アメリカ国民はそう理解してくれない。アメリカ人にとって日本と韓国のどっちが万一の場合「同盟国」としてアメリカと軍事行動を共にしてくれるかを見ている。だから、たとえオバマ大統領が竹島は日本の領土だという認識を持っていたとしても、韓国に「竹島を日本に返せ。返さないと日米安保条約に基づいて日本が軍事行動に出て、集団的自衛権を行使してアメリカに軍事的協力を要請されたら、自衛隊と共同で竹島の不法占拠を阻止する」とは絶対に言えない。もしオバマ大統領がそういうスタンスを打ち出した途端、オバマ政権は崩壊する。はっきり言って、アメリカにとっては日本より韓国の方が重要な「同盟国」なのだ。
そういう視点で「尖閣諸島は安保条約5条の適用範囲だ」というオバマ大統
領のリップ・サービスの意味を考えると、その発言は日本に向けた顔ではなく、中国に向けた顔、つまり中国に海洋進出に対する牽制球程度の意味しか持っていないことが、もうそろそろ分かってもいいころだと思う。
では、日本はどうすればいいのか。
まだ私が1月22日から3日連続で投稿したブログ『安倍総理の憲法改正への意欲は買うが「平和憲法」が幻想でしかないことを明らかにしないと無理だ』を読んでいない方は、是非読んでいただきたい。きっと目からうろこが落ちる。私は「憲法論議」の最高峰を成す主張だと自負している。私の憲法論を論理的に否定できる人は、たとえ共産党員にもいないはずだ。
以上で、長期にわたった今回の連載ブログを終える。最後に昨日のブログで書いた子供の論理的思考力について書き加えておきたいことがある。野球の話である。野球がわからない人は多少野球を知っている人に聞いてほしい。
野球では3バントが失敗すると三振というルールがある。まだ野球のことをよく分からない子どもは、このルールを知ると、たとえば親に「なぜバントを3回失敗すると三振なの? 空振りしたわけでもないのに」と疑問をぶつけるかもしれない。これが論理的思考力の出発点である。その思考力に磨きをかけられるかどうかでその子の将来が決まると言っても過言ではない。
「そういうルールになっているから」と親が答えたら、その子の将来を台無しにしてしまう。答えは分からなくてもいい。私も分からない。ひょっとするとネット検索で、どういう経緯でそういうルールが作られたのかが分かるかもしれないが、私には興味がないから調べたいとも思わないが、なんとなくの想像だが、野球の黎明期にバント・ファウルで相手投手を疲労させるという戦術が流行した時期があったのではないかという気がする。アメリカはフェアである
ことを世界で一番重視する国だ(ただし、この価値観は国内だけのもの。海外
に対してはこの価値観は適用していない)。この想像は間違っているかもしれないが、私の知識の範囲で論理的に考えたら、そういう理由もありうると思う。これが、最後まで読んでくださった方への私からのささやかなプレゼントだ。
ここまでは4月末に書いた文章である。ところが、昨日(6日)事態が急変した。急変したことを伝えたのはNHKのニュース7である。来週にも出される安保法制懇の報告書の内容が分かったというのである。ニュース7によれば、報告書は集団的自衛権についてはまったく触れず、「グレーゾーン」とされるケースについて個別の自衛権行使についてのみ書かれているという。具体的には日本の領海内に他国の潜水艦が侵入した場合や日本の漁船が他国から攻撃された場合、水上警察や海上保安庁では対応できない。どういうケースなら海上自衛隊が実力を行使できるのか、といった個別的自衛権の行使の許容範囲についての報告のようだ。この報道にNHKはかなりの時間を割いた。
そもそも安保法制懇は、「自国(※もちろん日本のこと)が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある国(※もちろんアメリカのこと)が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する権利」という従来の政府答弁に基づく集団的自衛権の行使を、「憲法解釈(※もちろん9条のこと)を変更して容認できるような屁理屈を考え出させる」ために安倍総理が設けた私的懇談会だ。
安保法制懇の報告書の内容についてはメディアが情報源を秘匿して(情報源を明らかにできない理由の説明がない「スクープ」は、そもそも怪しいのだが)様々に報道してきた。ニュースとしての信頼性が最も高いのはNHKなので、急きょNHKの「スクープ」をこの連載ブログの最後に付け加えようと思い、スカパーでプロ野球を見た後「NHKオンライン」でニュース検索をした。が、そのニュースが消えている。なぜか。考えられるケースは二つしかない。
一つは誤報であったことが判明した場合。が、誤報であるケースは考えにくい。誤報だったら、NHKに電話したとき説明してくれている。NHKの責任者は、一切説明を拒んだ。
実は私は安保法制懇は、結局報告書を出さずにうやむやなまま解散に至ると考えていた。その理由は、これまでのブログで、従来の政府答弁自体が国連憲章51条の誤解に基づいて作成されたことを私は明らかにしてきた。その指摘に屈服した安保法制懇と安倍総理は従来の政府答弁を変更して、限定容認を可能
にする「憲法解釈の屁理屈を考え出す」ことを安保法制懇に要請する方針に変
えた。が、そのもくろみも私がことごとく粉砕してきた。従来の政府答弁を変更しようとどうしようと、現行憲法下で集団的防衛体制に日本が参加することは絶対に不可能である。
私自身は、国民の総意の下で、現在の日本が国際社会で占めている地位にふさわしい国際の平和と安全に責任を果たせるような憲法を制定すべきだと考えている(従来の「改憲論」とは違う)。が、占領下で、主権のない状態において制定された現行憲法は、主権を回復した時点で法的に無効になっていなければならず。そのまま存続した状態を放置してきた自民党政府が国民に説明責任を果たさず、憲法解釈の変更によって「集団的自衛権」なるものの行使を可能にしようというのは、1億2000万の国民を愚弄した行為と断定して差し支えない。
さすがに安保法制懇は、私の指摘によって安倍総理の意図に応えることは不可能と考えた――そこまでは私の読み筋だった。が、集団的自衛権についてまったく触れず、個別的自衛権行使の許容範囲のケースにテーマをすり替えるといったことまでは、まったく想定していなかった。そういうケースを想定することは常識的に不可能だ。だからNHKのスクープは誤報ではない、と私は思う。
ではNHKオンラインから消えた理由として考えられる二つ目は何か。NHKに何らかの筋から圧力がかかったと考えるのがジャーナリズムの常識である。圧力がかかったということが、この報道が誤報ではなかったことを意味する。それもジャーナリズムの常識である。
そう考えると、安保法制懇は、来週、報告書をおそらく出さない。というより出せない。報告書がNHKの報道どおりだったら、その報道がNHKオンラインから消えた理由が問題化するのは必至だからだ。NHKの報道局の責任者のクビは間違いなく飛ぶ。問題発言を指摘されてきた籾井会長の責任も免れない。
そもそもNHKは数度にわたるNHKの安保法制懇の位置付けについて問題があるとNHKに直接伝えてきた。NHKが一貫して「政府の有識者会議」とオーソライズしてきたからだ。この日のニュースでは、字幕スーパーからは「政府の」というオーソライズした冠は消えた。が、アナウンサーは2度にわたり「政府の」という冠を付けた(つけなかった時もあった)。報道局自体が混乱しているようだ。権力闘争の反映かもしれない。が、私はスキャンダルには興味ない。なお野球放送とこのブログのためニュースウォッチ9は見ていないが、おそらく安保法制懇の報告書についての報道はしなかったはずだ。
個別的自衛権すら行使できないのに、集団的自衛権の行使容認どころではないだろう――という指摘を論理的に行う。「お前らアホと違うか」という怒りをぶつける。
日本が抱えている領土問題は、これまでのブログでも述べてきたように、相互に「領土問題は存在しない」と取り合わないケースも含めて三つある。
その三つとは、竹島(韓国名「独島」)、尖閣諸島、北方領土、である。私は日本人だから、いちおうすべて日本に領有権があると考えている。が、「盗人にも三分の理あり」ではないが、領有権についてもそれぞれの国の言い分がある(客観的に考えても、言い分に合理性がまったくゼロのケースもある)。
まず竹島からいうと、確かに過去、韓国が実効支配していた時期はあったようだ。今はウィキペディアから削除されているが、以前調べたときは囚人の「島流し」(幽閉地)の島として韓国が利用していた歴史的事実があったようだ。
また、尖閣諸島については明清の時代に中国は事実上の属国だった琉球との往来に尖閣諸島を目印にしていたことも古文書によって確認されている。
この二つのケースと北方領土のケースは別の要素があるので、一緒に考えるわけにはいかない。
まず、権利の確定と喪失を、どの時点を基準にすべきかを、純粋に論理的に考えてみたい。
竹島については、過去囚人の幽閉地として韓国が利用していたことが歴史的事実であったとしても、その後、韓国は自らの意志で利用をやめている。つまり実効支配を相当過去に放棄している。
日本は江戸時代に、漁師が休憩地あるいは避難地として竹島(当時の呼称は「松島」)を利用していた。竹島の利用は日本の方が後と思われる。
1894年になって、朝鮮で内乱が生じた。その内乱に乗じて日本が朝鮮に出兵し、当時はまだ朝鮮の宗主国だった中国(清政府)と激突、日清戦争が勃発した。すでに明治維新以降に産業や軍事力の近代化を急速に進めていた日本は日清戦争に勝利し、清から遼東半島・台湾・澎湖列島を獲得した(その後、日本の急速な台頭を懸念した露・仏・独の三国干渉によって遼東半島は返還している)。韓国は「日清戦争のどさくさに紛れて日本が独島を不当に奪った」と主張しているが、竹島は遼東半島や台湾には付属していず、台湾の西南約50㎞に位置する澎湖列島にも竹島は含まれていない。
日本が竹島を日本領土として正式に閣議決定し、島根県の付属島にしたのは日清戦争から10年も経た1905年であり、無人島と確認したうえで領有権を確立している。こうした経緯から考えても、竹島に対する韓国の領有権の主張の
口実は「こじつけ」にもならないと考えるのが合理的である。
しかし韓国は1953年、マッカーサー・ラインの廃止に伴って李承晩ラインを国際的承認を得ず勝手に設定、竹島を武力行使によって占領し、以降武装警察官が多数常駐して実効支配を続けている。日本は国際司法裁判所で領有権についての裁定を韓国に要求しているが、国内における裁判と異なり、国際司法裁判は当事国双方が裁判で解決することに同意しなければ、裁判を行うことができないことになっている。そして韓国は国際司法裁判所で争うことに同意しない。もし同意すれば、韓国に不利な裁定が下ることがわかっているからだ。
こうした場合、国連安保理が国連憲章41条による非軍事的措置を行使するか、42条の軍事的措置を行使して紛争を解決しなければならないことになっているが、まずアメリカが拒否権を行使することがわかりきっているから、日本も安保理に訴えていない。国連安保理が41条の行使も42条の行使も行わない場合、国連加盟国は国連憲章51条によって個別的自衛権の行使、つまりこのケースの場合は自衛隊の実力行使による竹島奪還を認めている。
なのに、なぜ日本は実力行使に出ないのか。私は4月23日午後3時30分に○○省○○局に電話して聞いた。電話に出てくれたのは集団的自衛権問題担当の幹部官僚である。私は「なぜ日本は実力行使ができる権利があるのに、国連憲章が認めている個別的自衛権を行使しようとしないのか」と聞いた。
「そういう声があることは承知していますが、日本は平和的に解決するための努力をしていますので」
「竹島が韓国に武力占領されてから60年になる。いったいあと何年平和的解決の努力を続けるのか。100年か、200年か。香港やマカオの租借権ですら99年が限界だった」
「……」
「そりゃ、答えられないよね。日本が個別的自衛権を行使して実力で竹島を奪還しようとしたら、アメリカが待ったをかけるからな。どうして本当のことを言わないのか」
「……」
「では竹島問題はいい。どうせ○○省が取り返す手段について勝手に決められるわけではないから。が、個別的自衛権すら行使できないのに、なぜ集団的自衛権は行使できると政府は考えているのか」
「……」
このあと○○省○○局の本音を私は引き出すことに成功した。なぜメディアは政治家の発言ばかり追いかけて、肝心の行政機関の○○省が集団的自衛権問題について省内でどういう議論を交わしているのかに関心を持たないのか。メディアの無能さの証左である。
「竹島問題から離れる。政府の集団的自衛権についての従来の見解は『自国が攻撃されていなくても、密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃さ
れたと見なして実力を行使する権利』というものだったね」
「はい」
「そんな権利が国際法上認められているかどうかは別にしても、いま政府は従
来の集団的自衛権についての見解を変えていますね」
「そうです」
私はびっくりした。まさか○○省○○局の幹部官僚がいとも簡単に私の主張を肯定するとは思ってもいなかったからだ。言っておくが、共産党政策局の担当者すら私の主張を否定し「もっと勉強しなさい」といきなり電話を切られたくらいで、メディアも安倍総理がこそこそと集団的自衛権についての定義を変更までしながら、行使容認を憲法解釈変更で可能にしようとしていることを政府の行政機関、しかも直接関係する○○省○○局の幹部官僚があっさり認めてしまうとは、私にとってはまったくの想定外だった。
「これほど重要なことを政府は国民に説明していませんね」
間髪を入れず、○○省○○局の官僚はこう答えた。
「その通りです」
「分かりました。それで結構です」
これ以上私はこの問題について○○省の幹部官僚を質問攻めにするのはやめることにした。おそらく国連憲章51条で規定している「自衛権」についても、私の解釈を肯定するだろうことが分かったし、もしそういうやり取りにまで発展したらその方が政府から弾圧を受けることになることは当然考慮しなければならない。メディアが○○省を取材して○○省の集団的自衛権についての認識をスクープしても、政府は当事者に手を出すことはできないだろうが、私にはその官僚を守る手段がない。私が情報源を秘匿するのは初めてだが、今回は重大なリアクションが予想されるので情報源を秘匿させていただく。
私はこの方とのやり取りで感じたことは個人的見解ではなく、省内でさんざん議論をして出した公式見解だと思っている。そう判断したのは、竹島問題では私の質問に沈黙したのに、集団的自衛権問題については「個人的な見解」とも限定せず、しかも一瞬の間も置かず、間髪を入れずあっさり肯定したからだ。こうした場合、省内での相当程度の地位にある官僚の共通認識になっていると考えるのが合理的である。
集団的自衛権問題について最後にまとめておきたい。今回は、あまりにも長
期にわたる連載ブログだったので、何が問題なのかを改めて整理しておきたい
と思う。
まず国連憲章51条が、なぜ作られたのかを振り返ってみたい。
この条項が作られたのには、当然それなりの理由がある。国連憲章は、まず大原則として加盟国が国際紛争を武力によって解決することを禁じている。もし紛争が生じたときは平和的な解決をすることを加盟国に求めている。が、加盟国が、他国から武力による侵害を受けないという保証はない。
実際、かつて「永世中立」を宣言して、国際会議で承認されても軍事侵略され、占領までされたケースが過去にあった。「永世中立」は、歴史的にもかなり古くから国際法に存在していた。国際法で承認される「永世中立」は複数の国の同意が必要とされ、同意した国は永世中立国の防衛義務が生じるというのが国際法の基本的原則である。その代わり永世中立を宣言した国は自衛のため以外に武力の行使は認められないという原則もある。
しかし、ロンドン条約(1839年)によって永世中立が承認されたベルギーとルクセンブルグは第1次世界大戦時にドイツ帝国の侵攻を受け、ベルギーは国土の大半を占領されながら「草の根」抵抗によってかろうじて独立を維持できたが、非武装だったルクセンブルグは全土が占領された。さらに両国は1940年にもナチス・ドイツに侵攻され両国とも占領された。こうした苦い経験からベルギーは戦後に中立政策を放棄、ルクセンブルグもNATOに加盟して事実上中立政策を放棄した。結局「永世中立」を宣言して他国の侵害を受けなかったのはスイスだけで、スイスが他国による侵害を免れ得たのは国民皆武装体制で自国の防衛を国民全員に義務付けてきたからである。
つまり「永世中立」を宣言し、国際的な承認を受けても、承認した国が永世中立国の防衛義務を果たさなかった歴史的経験に基づいて、国連憲章は国際紛争を武力による解決を禁じながら、当事国間や国連の機関(国際司法裁判所など)での話し合いによる平和的解決ができなかった場合も想定し、国連の安全保障理事国に国際紛争解決のためのあらゆる権能を与えることにした。
それが憲章41条の「非軍事的措置」と42条の「軍事的措置」である。41条では外交関係の遮断や経済封鎖、スポーツも含むあらゆる国際的イベントからの締め出しといった「村八分制裁」に至るまで、あらゆる権能を国連安保理が持っている。それでも紛争を解決できなかった場合、やむを得ず「軍事的制裁」によって紛争を解決するためのあらゆる権能を国連安保理に与えたのが42条である。極端な話、原爆を投下することも国連安保理はできることになっている。ただし、この条項は「国連軍」を想定している。が、1945年6月26日にサンフランシスコ会議で51か国(国連の原加盟国)が署名して国連憲章が発効して以降、「国連軍」と言えるのは第二次世界大戦における対枢軸国(日独伊)の「連合国軍」のみである。
ついでのことに、国連(国際連合)は国連憲章に基いて第二次世界大戦が終
了した後の1945年10月24日に設立されたが、国連憲章は戦時中に作られた
ため53条と107条に枢軸国を対象とした、いわゆる「敵国条項」がいまだに残っており、憲章上では日独伊3国は国連に加盟できないはずである。また国連の原語(英語)はEnemy Clausesであり、正しい翻訳は「連合国」(対枢軸国の国家連合)で、「国際連合」という日本語は意図的な誤訳という学説もある。
いずれにせよ、国際紛争を当事国が平和的に解決できなかった場合、国連安保理が非軍事的または軍事的措置に関するあらゆる権能を付託されているが、実際にはその権能を安保理が行使したことはない。それはこれまで何度も述べてきたように、国連安保理15か国のうち第二次世界大戦の連合国(米英ソ中)に仏を加えた5か国が常任理事国として拒否権を持ち、いかなる国際紛争の解決手段に関する決議も、いずれかの常任理事国が拒否権を行使してきたからである。
日本が竹島の奪還を安保理に要請しても、絶対に常任理事国の一か国が拒否権を発動することがわかりきっているからだ。言うまでもなく、拒否権を行使する国は日本の「同盟国」アメリカである。日本にとってアメリカが「同盟国」ならば、韓国にとってもアメリカは「同盟国」であり、その逆もまた真なりである。そういう日米、米韓、日韓の関係について安倍総理は分かっていないのか、私には不思議で仕方がない。そもそもオバマ大統領が自ら乗り出して冷え切った日韓関係の修復を図ろうとしたことが、どういうことを意味するか、メディアも理解していない。
アメリカでは歴代、国務長官が外交の表舞台に立つ。異例はキッシンジャーだった。ニクソン大統領に信頼を受けて大統領補佐官に就き、国務長官を尻目に、日本の頭越しに中国との歴史的和解の道筋をつけ、さらに中国との関係改善を外交カードに、北ベトナムを交渉の場に引きずり出し、ベトナム戦争終結への道筋も付けた。その功績でキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞する。
国務長官のメンツをつぶしてまでオバマ大統領が日韓関係の修復に直接乗り出したのは、海洋進出の脅威を強めつつある中国に対する防波堤として日米韓の連携が崩れかねないことに重大な危機感を抱いたからだ。しかも憲法の制約に阻まれていざというとき頼りにならない日本と、頼りにできる韓国と、いまどちらを重要視すべきかはアメリカの国益を左右しかねない重要な問題である。大統領自らが足を運んだのも、安倍総理がアメリカにとって頼りになる国への志向を強めようとしているからにほかならない。
少なくとも韓国は、米艦隊が南シナ海方面で航行中に万一他国から攻撃されたら、直ちに米艦隊の支援体制に入る。それは集団的自衛権の行使ではないが、同盟国の義務として軍事行動に出る。日本は韓国と同様な態勢に入れない。そうしたのはアメリカだ。言うなら日本が「同盟国」が攻撃されても知らんぷりをしろとしたのはアメリカなのだから、そういう結果になったとしてもアメリカの自己責任のはずだ。
オバマ大統領はそのことが分かっていても、アメリカ国民はそう理解してくれない。アメリカ人にとって日本と韓国のどっちが万一の場合「同盟国」としてアメリカと軍事行動を共にしてくれるかを見ている。だから、たとえオバマ大統領が竹島は日本の領土だという認識を持っていたとしても、韓国に「竹島を日本に返せ。返さないと日米安保条約に基づいて日本が軍事行動に出て、集団的自衛権を行使してアメリカに軍事的協力を要請されたら、自衛隊と共同で竹島の不法占拠を阻止する」とは絶対に言えない。もしオバマ大統領がそういうスタンスを打ち出した途端、オバマ政権は崩壊する。はっきり言って、アメリカにとっては日本より韓国の方が重要な「同盟国」なのだ。
そういう視点で「尖閣諸島は安保条約5条の適用範囲だ」というオバマ大統
領のリップ・サービスの意味を考えると、その発言は日本に向けた顔ではなく、中国に向けた顔、つまり中国に海洋進出に対する牽制球程度の意味しか持っていないことが、もうそろそろ分かってもいいころだと思う。
では、日本はどうすればいいのか。
まだ私が1月22日から3日連続で投稿したブログ『安倍総理の憲法改正への意欲は買うが「平和憲法」が幻想でしかないことを明らかにしないと無理だ』を読んでいない方は、是非読んでいただきたい。きっと目からうろこが落ちる。私は「憲法論議」の最高峰を成す主張だと自負している。私の憲法論を論理的に否定できる人は、たとえ共産党員にもいないはずだ。
以上で、長期にわたった今回の連載ブログを終える。最後に昨日のブログで書いた子供の論理的思考力について書き加えておきたいことがある。野球の話である。野球がわからない人は多少野球を知っている人に聞いてほしい。
野球では3バントが失敗すると三振というルールがある。まだ野球のことをよく分からない子どもは、このルールを知ると、たとえば親に「なぜバントを3回失敗すると三振なの? 空振りしたわけでもないのに」と疑問をぶつけるかもしれない。これが論理的思考力の出発点である。その思考力に磨きをかけられるかどうかでその子の将来が決まると言っても過言ではない。
「そういうルールになっているから」と親が答えたら、その子の将来を台無しにしてしまう。答えは分からなくてもいい。私も分からない。ひょっとするとネット検索で、どういう経緯でそういうルールが作られたのかが分かるかもしれないが、私には興味がないから調べたいとも思わないが、なんとなくの想像だが、野球の黎明期にバント・ファウルで相手投手を疲労させるという戦術が流行した時期があったのではないかという気がする。アメリカはフェアである
ことを世界で一番重視する国だ(ただし、この価値観は国内だけのもの。海外
に対してはこの価値観は適用していない)。この想像は間違っているかもしれないが、私の知識の範囲で論理的に考えたら、そういう理由もありうると思う。これが、最後まで読んでくださった方への私からのささやかなプレゼントだ。
ここまでは4月末に書いた文章である。ところが、昨日(6日)事態が急変した。急変したことを伝えたのはNHKのニュース7である。来週にも出される安保法制懇の報告書の内容が分かったというのである。ニュース7によれば、報告書は集団的自衛権についてはまったく触れず、「グレーゾーン」とされるケースについて個別の自衛権行使についてのみ書かれているという。具体的には日本の領海内に他国の潜水艦が侵入した場合や日本の漁船が他国から攻撃された場合、水上警察や海上保安庁では対応できない。どういうケースなら海上自衛隊が実力を行使できるのか、といった個別的自衛権の行使の許容範囲についての報告のようだ。この報道にNHKはかなりの時間を割いた。
そもそも安保法制懇は、「自国(※もちろん日本のこと)が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある国(※もちろんアメリカのこと)が攻撃された場合、自国が攻撃されたと見なして実力を行使する権利」という従来の政府答弁に基づく集団的自衛権の行使を、「憲法解釈(※もちろん9条のこと)を変更して容認できるような屁理屈を考え出させる」ために安倍総理が設けた私的懇談会だ。
安保法制懇の報告書の内容についてはメディアが情報源を秘匿して(情報源を明らかにできない理由の説明がない「スクープ」は、そもそも怪しいのだが)様々に報道してきた。ニュースとしての信頼性が最も高いのはNHKなので、急きょNHKの「スクープ」をこの連載ブログの最後に付け加えようと思い、スカパーでプロ野球を見た後「NHKオンライン」でニュース検索をした。が、そのニュースが消えている。なぜか。考えられるケースは二つしかない。
一つは誤報であったことが判明した場合。が、誤報であるケースは考えにくい。誤報だったら、NHKに電話したとき説明してくれている。NHKの責任者は、一切説明を拒んだ。
実は私は安保法制懇は、結局報告書を出さずにうやむやなまま解散に至ると考えていた。その理由は、これまでのブログで、従来の政府答弁自体が国連憲章51条の誤解に基づいて作成されたことを私は明らかにしてきた。その指摘に屈服した安保法制懇と安倍総理は従来の政府答弁を変更して、限定容認を可能
にする「憲法解釈の屁理屈を考え出す」ことを安保法制懇に要請する方針に変
えた。が、そのもくろみも私がことごとく粉砕してきた。従来の政府答弁を変更しようとどうしようと、現行憲法下で集団的防衛体制に日本が参加することは絶対に不可能である。
私自身は、国民の総意の下で、現在の日本が国際社会で占めている地位にふさわしい国際の平和と安全に責任を果たせるような憲法を制定すべきだと考えている(従来の「改憲論」とは違う)。が、占領下で、主権のない状態において制定された現行憲法は、主権を回復した時点で法的に無効になっていなければならず。そのまま存続した状態を放置してきた自民党政府が国民に説明責任を果たさず、憲法解釈の変更によって「集団的自衛権」なるものの行使を可能にしようというのは、1億2000万の国民を愚弄した行為と断定して差し支えない。
さすがに安保法制懇は、私の指摘によって安倍総理の意図に応えることは不可能と考えた――そこまでは私の読み筋だった。が、集団的自衛権についてまったく触れず、個別的自衛権行使の許容範囲のケースにテーマをすり替えるといったことまでは、まったく想定していなかった。そういうケースを想定することは常識的に不可能だ。だからNHKのスクープは誤報ではない、と私は思う。
ではNHKオンラインから消えた理由として考えられる二つ目は何か。NHKに何らかの筋から圧力がかかったと考えるのがジャーナリズムの常識である。圧力がかかったということが、この報道が誤報ではなかったことを意味する。それもジャーナリズムの常識である。
そう考えると、安保法制懇は、来週、報告書をおそらく出さない。というより出せない。報告書がNHKの報道どおりだったら、その報道がNHKオンラインから消えた理由が問題化するのは必至だからだ。NHKの報道局の責任者のクビは間違いなく飛ぶ。問題発言を指摘されてきた籾井会長の責任も免れない。
そもそもNHKは数度にわたるNHKの安保法制懇の位置付けについて問題があるとNHKに直接伝えてきた。NHKが一貫して「政府の有識者会議」とオーソライズしてきたからだ。この日のニュースでは、字幕スーパーからは「政府の」というオーソライズした冠は消えた。が、アナウンサーは2度にわたり「政府の」という冠を付けた(つけなかった時もあった)。報道局自体が混乱しているようだ。権力闘争の反映かもしれない。が、私はスキャンダルには興味ない。なお野球放送とこのブログのためニュースウォッチ9は見ていないが、おそらく安保法制懇の報告書についての報道はしなかったはずだ。