小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

いま安倍総理が「国際の平和と安全」のために日本から発信すべきことを、根本から問い直そう。

2014-05-14 05:39:04 | Weblog
 中国の海洋進出の動きが激しくなってきた。ウクライナ問題で、中国が最も警戒しているアメリカとロシアが釘付けになっているのを、「これ幸い」と言わんばかりの動きだ。
 中国の海洋進出は、習近平体制が発足して急速に動きを速めだした。そのことの意味も考えておかなければならない。中国では、天安門事件以来とも言える民主化運動が各地でくすぶりだした。習近平氏が中国の国家主席、中央軍事委員会主席の地位に就いたのは13年、その前年には中国共産党の総書記についており、中国の最高権力者だ。
 独裁国家においては最高権力者の交代時には、必ず新勢力と旧勢力の、水面下での激しい攻防戦が行われる。最高権力者に就いた人物はその権力を堅固なものにするため、人事も側近で固めようとする。利権を奪われることになる旧勢力側は、当然利権の維持のために新しい権力機構の中に基盤を築こうと画策するが、新しい最高権力者は自分の意のままになる人事を断行したい。
 中国の場合は、そうした新勢力と旧勢力の軋轢が表面化して、共産党独裁政権の存立基盤が危うくなるのを恐れて、権力の移行を時間をかけてじっくり行おうとしているので、あまり新勢力と旧勢力の対立が表面化することはないが、それは過去の経験に学んだことにもよる。「過去の経験」とは毛沢東が背後で糸を引いた「文化大革命」で中国内部が大混乱に陥り、その収束のために多大の犠牲を払ったことへの教訓を指す。
 以来独裁者の長期政権を防ぐための、それなりの担保を中国政府は作り上げることで、何とか政権内部の混乱を防止してきた。が、政権内部の権力闘争を未然に防止するための担保を構築することは、国民を政府の完全なコントロール下に置くことを必ずしも意味してはいない。現に民主化を求めた「天安門事件」は、独裁政権といえど国民を完全にコントロール下に置くことがいかに困難かを象徴する事件でもあった。
 そういう側面から北朝鮮における「恐怖政治」は、金正恩総書記の権力基盤がまだまだ脆弱であることを逆説的に証明しているとも言える。もし金総書記の権力基盤が固まれば、粛清人事は収束に向かうはずだからだ。
 そういう面から中国の急ピッチな海洋進出の動きをみると、1党独裁のひずみが最高権力者の交代によって吹き出しつつあることが、背景にあるという見方もできよう。国内では民主化を求める水面下の動きが、天安門事件のときにはまだなかったインターネット社会の広がりによって、かえってマグマのように地下深くで進行しつつあり、いつそのマグマが爆発するかわからない状況にあると考えられる。また新疆ウイグル民族やチベット民族の悲願ともいえる独立・主権国家建設への胎動が、過激派のテロ行為としてちょろちょろ火を噴きだした。新疆ウイグルやチベットも一応自治区とされているが、自治政府は中
国共産党の支配下にあり、中国が共産党政権になるはるか前から中国の侵略を
受けて占領下におかれている。
 私はブログで何度も書いてきたが、あらゆる国の歴史認識の基準は「勝てば官軍、負ければ賊軍」に置かれており、「敗軍の将は兵を語ることは許されない」ことになっている。いつまでそういうアンフェアな歴史認識を続けるのか。私は相当に権威のある歴史学者が、そうした歴史認識の在り方に問題提起をするまでは、パワー・ポリティクスの時代に終止符を打つことができないと思っている。が、敗戦国日本から、そういう発信をすれば海外、特に中韓から「日本は過去の軍国主義を肯定しようとしている」「再び軍国主義への道を歩むための理論武装だ」といった批判が沸騰することも間違いない。
 私は先の大戦を肯定するものではないが、当時の日本の対外政策のすべてが誤りだったとするメディアの歴史認識は、自分たちが先の戦争に加担したことだけを「誤りだった」としおらしく「反省」しているかのような「検証作業」を何度も行っているが、それはメディアを「軍部による被害者」と位置付けて責任転嫁を図ろうとする目的以外の何物でもないことを繰り返し述べてきた。もうそろそろそういった思考法が、論理的に破たんしていることに気が付いてもよさそうなものだが…。
 それはともかく、南シナ海で中国とベトナムが一触即発の状態になっている。中東や東欧での国際紛争を「対岸の火事」視していた日本も、火種が南シナ海に飛び火するとなると傍観視してはさすがにいられない。
 いま世界各国にとって、地上だけではなく海底に眠る資源(エネルギー資源や希土類・レアメタルなどのハイテク資源)の確保は、国益を左右する国際紛争の最大の火種となっている。中国の海洋進出の狙いも、これらの資源開発の権利獲得のためであって、他国を軍事的に侵攻しようというわけではない。そういう意味では今日のパワー・ポリティクスは、過去の帝国主義の時代のような植民地獲得競争ではなく、資源を確保するための領海、領域の主張の激突であることを理解しておく必要がある。
 日本は過去「八紘一宇」と称した「平和主義」思想を理論的バックボーンとして「大東亜共栄圏」という、今日の欧州連合(EU)のような一大軍事・経済圏構想を抱いていた。この構想のもとに、日本はヨーロッパ列強に植民地支配されていた北東アジア諸国を次々に「開放」し、日本の支配下に入れていった。が、日本はそうした支配下の国々から、ヨーロッパ列強のように収奪を目的とした勢力圏の拡大ではなかった。
 現にヨーロッパ列強の植民地支配の根幹には、植民地の国民を無学文盲状態に置いておくことを旨としたものがあった。なまじ植民地支配下の国民が学問
を身に付け、「民主主義」の政治システムを知ることは独立運動に火を付けかね
ないと思っていたからである。それに対して日本政府は完全に支配下において
いた朝鮮や台湾においては、国内と同様の高等教育制度を充実させ、国内の7帝国大学と同等の資格を持つ京城帝大(現ソウル大学校)や台北帝大(現台湾大学)を作り、日本と同等の教育によって植民地の人たちの教育水準を高めていこうとしていた。結果的には、現地人の教育水準がまだそのレベルに達していなかったため、この二つの海外帝大に学ぶ学生は日本人学生が多かったようだが、もちろん入学試験において日本人受験者を特に優遇するようなことはなかったようだ。日本を除いて、北東アジアにおいて韓国と台湾の教育レベルが極めて高いのは、そうした当時の日本の植民地政策がもたらした結果であることは疑う余地がない。日本が中途半端で敗戦に追い込まれたためタイやビルマ(現ミャンマー)、フィリピン、マレーシア、ベトナムなどでの教育改革を行えなかったことが、これらの国々が近代化の波から大きく取り残される結果を招いたことも事実である。
 私は「村山談話」を否定するものではないが、日本はいつまでひたすら土下座外交を続けなければならないのか、日本からそういう主張を直接発することがかえって中韓などの反発を招くと考えるなら、たとえばアメリカのフェアな歴史学者を日本に招き、日本にとって都合が悪い情報も含めて当時の日本の植民地政策に関するすべての資料を提供し、完全にフェアで中立的立場で先の対戦における日本のありのままを書いてもらったらどうか。そのためにかかる資金を日本政府が直接出すとまずいので、たとえば「日本財団」などが、「カネは出すけど口は出さない」という約束の上で資金提供する方法もある。
 私が安倍総理の基本的考えにはある程度理解を示しながら、現行の憲法や法律の下で、その大元を変えずに解釈変更や小手先の手直しで強引に政策化しようという姿勢に対しては絶対容認できないという姿勢でブログを書いているのも、そうした私の基本的スタンスによる。
 いま安倍内閣が最優先すべきことは、世界の軍事大国のパワー・ポリティクスへの急傾斜に警鐘を鳴らし、アメリカに対しても「世界の平和と安全を守る方法はパワー・ポリティクスではない。すべての貧しい国々に教育支援を行い、その国の国民が自助努力によって世界での発言力を大きくできるような支援を行うべきだ」と、声を大にして主張することではないだろうか。

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