小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

日米のきしみの本当の理由は何か――単眼思考では分からない⑥

2014-05-07 05:40:17 | Weblog
 あらかじめお断りしておくが、今日(6日)と明日投稿する連載ブログの6回目と7回目(最終回)はゴールデンウィークの前半にすでに書き終えていたものである。当初私はゴールデンウィーク中はブログ投稿を休止するつもりだった。が、ゴールデンウィーク中にもさまざまな集団的自衛権を巡る動きが活発化し、メディアも「憶測」(合理的ではなく、かつ根拠を明示しない推測を「憶測」という)を流し続けたので、やむを得ず随時、臨時的にブログを書いてきた。その結果、今日と明日のブログの根拠としたメディアの情報は、今となっては多少古くなってしまった感は否めないが、それはそれとして私の主張を裏付ける動きが反映されている確たる証拠にもなると思うので、一切手を加えずそのまま投稿することにした。そのことをお含みの上お読みいただきたい。

 案の定、私がゴールデンウィークに入る前日の4月25日に投稿したブログ『日米のきしみの本当の理由は何か――単眼思考では分からない⑤』で書いた懸念が早くもアメリカで表面化したことが日本経済新聞の4月25日付朝刊記事で明らかになった。私は25日のブログで、オバマ大統領が「尖閣諸島は日米安保条約第5条の適用範囲に入る」と明言したことに一定の評価はしたうえで、「が、日本にとってものすごく有利な言質をオバマ大統領から取り付けたと考えていたとしたら、お人好しもいいところである」と書いた。そのあと、こう続けた。
「この条項(※安保条約第5条)を読んで、日本が第三国から攻撃された場合、アメリカが日本を防衛する義務が自動的に生じることを明記したものと、素直に解釈できるだろうか。(中略)オバマ大統領はヘーゲル国防長官の発言をオーソライズしたに過ぎないと考えざるを得ない。あまり有頂天になっていると、とんでもないことになりかねない」と。
 このオバマ大統領の発言が、当然アメリカで問題化した。米CNNテレビのホワイトハウス担当記者の質問に答え、オバマ大統領は「日米安保条約は私が生まれる前に結ばれた。私が越えてはならない一線を引いたわけではない。これはこれまでの政権の解釈だ」と述べた。さらにオバマ大統領は「安倍首相にも申し上げたが、事態をエスカレートさせるのではなく、日本と中国は信頼醸成措置をとるべきだ」と付け加えた。日本経済新聞はオバマ政権の過去のケースについてこう解説している。

 2010年に北朝鮮が韓国の延坪島を砲撃したときオバマ氏は集団的自衛権を行使して反撃せず、韓国に自制を促した経緯がある。オバマ氏の尖閣安保適用発言と、共同文書への明記が米国の軍事行動に直接結び付くわけではない。
 環太平洋経済協定(TPP)で果実を得るためには言葉だけで「貸し」を作ることができたら、お安いご用――。(中略)オバマ氏の発言は中国への対応を「弱
腰」と批判する米国内の保守派向けとの見方もある。一皮むけば、微妙な日米
関係と、危うい尖閣問題が改善されていない現状が浮かび上がる。

 日本のメディアの思考レベルを象徴するような記事だ。別に日本経済新聞だけを批判しているわけではない。日本経済新聞はオバマ大統領の尖閣発言に対する米国内の受け止め方をフェアに紹介しただけ他のメディアに比べればかなり良心的な方だ。米国内の反応をまったく紹介しないメディアがほとんどだからだ。
 改めて言っておくが、私は首脳会談の内容を新聞朝刊が報道した25日の早朝に投稿したブログで、このブログの冒頭で転記したように危惧を明らかにしている。しかも、その日のブログの投稿時間を見ていただければわかるが、そのブログを投稿した後外出している。どの新聞の論説・解説も見ていない。また私が米国の政治家との特殊な情報ルートを持っているわけでもない。ごくごく素直に安保条約第5条を読めば、尖閣諸島に限らず日本が攻撃された場合、アメリカが自動的に日本を軍事的に支援する義務など書かれたものではないことが子どもでも分かるはずだ、何度も繰り返して書いてきたように、アメリカが日本を軍事的に支援するケースは、安保条約の規定にもかかわらず、支援することがアメリカにとって国益になるか、少なくとも国益を害さない場合に限られる。
 日本人の情緒性は、美学としては私も世界に誇るべき精神的規範の一つと考えているが、政治や経済の世界では美学は通用しない。政治や経済の世界を支配しているのはパワー・ポリティクスと計算だけである。その冷厳な事実を素直に認めることから始めないと、いつまでたっても子供のような素直な論理性が身に付かない。子供は、大人が考えている以上に本能的に論理的思考方法を身に付けている。「なぜ、なぜ」と親や教師に疑問を連発するのは論理的に考えようとする脳力を持っているからだ。その能力を素直に育てていくのが、これからの日本を支えてくれる次々世代に対する私たち世代の義務だと私は思っている。が、そういう教育こそが重視されるべきだということを文科省の官僚たちは分かっていない。どうせ社会人になったら忘れてしまってもまったく困らない、くだらない知識(とまで決めつけると言いすぎではあるが)を詰め込むことが学力を向上させる教育だと思い込んでいる。生涯「疑問を持ち続けることができる能力」を育てることこそが、1万の知識に勝る教育効果を生む。
 
 そのことはともかく、竹島・尖閣諸島問題以上にアメリカの国益に振り回されてきたのは北方領土である。この問題は竹島や尖閣諸島問題以上に複雑であり、アメリカを頼りにすることはまったく期待できない。
 いま安倍総理は米オバマ大統領と露プーチン大統領の顔を両にらみしながら
外交のかじ取りをせざるを得ない状態に立ち入っている。日本の国益にとってどういうスタンスをとるべきかの厳しい選択を迫られている。
 日本にとってアメリカは最大の友好国であり、安全保障面でも唯一頼りにできる国だ。実際に有事の際に、どこまでアメリカに頼ることができるかは別にしてもだ。
 一方原発事故の後遺症がまだまだ続くと考えなければならない日本にとっては、ロシアとの友好関係はいろいろな面で好転させる必要に迫られている。シベリアや樺太の資源開発に日本が協力してエネルギー資源の供給先の多様化を図ることは、日本産業界の課題の解決に直結するだけでなく、日本が誇る高度先端技術を売り込むチャンスでもある。実際、ロシアもシベリアや樺太の資源を開発するだけでは意味がない。掘削した資源を商品化するには輸送インフラの整備が不可欠になるし、日本の新幹線技術や土建技術は欠かせない。地中に眠っていたシェールガスの掘削技術はアメリカに先行されたが、本来なら日本が開発していなければならない技術だった。
 私は若いころ何度か米サンフランシスコに遊びも含めて行ったことがあるが、だれも日本人が不思議に思わないのが私には不思議だったが、国土が小さくて平地も少ない日本ならいざ知らず(日本でも、あんな立地に大都市を作ったりしたことはない)、いくらでもだだっ広い平野が広がっているアメリカで、どうしてあんな山を開発して大都市を建設したのか、行くたびに疑問に思っていた。確かにサンフランシスコ湾を見下ろす風光明美な場所ではあるが、サンフランシスコは観光地として開発された都市ではない。
 現にアメリカ人はナイアガラを一望できる場所に大都市を建設したりしていないし、サンフランシスコを除けばアメリカを代表するような大都市はほとんど平坦地に建設されている。
 アメリカ人の発想のユニークさはラスベガス建設にも現れている。あんな砂漠のど真ん中に世界有数の観光施設をつくるといった発想は日本人にはまず生まれない。映画の中心地のハリウッドもそうだ。確かにハリウッドを囲む高級商業施設・住宅街は平たんな土地に建設されているが、ハリウッド自体はサンフランシスコほどではないが、やはり山を削って作った。
 他人と同じことをしていれば間違いを起こさずに済むと考えがちな日本人と、他人がしていることはやらないことをアイデンティティーと考えるアメリカ人との精神的規範の差異が根っこにあるのかもしれない。
 それはともかく、日本にとっていま大きな国益として取り組むべきチャンスが巡ってきていた。日本の技術や資本を必要とするロシアのプーチン大統領が、日本の援助の見返りに北方領土問題の解決に前向きなポーズを示しだしたから
だ。安倍総理がこのチャンスを見逃さなかったのはさすが、と言っておこう。
 安倍総理の集団的自衛権行使を何が何でも容認させようというなりふり構わない政治スタンスに対しては厳しい批判をしてきた私だが、日本の歴代総理の中で彼ほど日本経済の復活のために努力を惜しまなかった総理はいないという点では日本人の一人として深く感謝している。とにかく「日本産業界の営業部長」と呼んでもいいくらいに、安倍総理は海外を飛び回って日本の技術の売り込みにしゃかりきになってくれている。
 消費税増税が景気回復の足を引っ張らないように、経済界に賃上げを要請するようなことまでした。連合を支持母体とする民主党政権すらしなかったようなことまでして、日本経済の足取りを確かなものにしようという姿勢には涙ぐましささえ私は感じている。
 そういう意味ではウクライナ紛争の勃発は安倍総理の想定外の事件であった。否応なくアメリカとロシアの板挟みに置かれてしまったからである。その苦境をどうやって乗り越えるか、安倍総理の真骨頂が問われる事態に直面することになったのだ。朝日新聞の記者の目には、安倍総理が揺らいでいると見えたのは、そのためでもある。

 北方四島(歯舞群島・国後島・色丹島・択捉島)は、国際法上日本の領土であることは疑いを容れない。日本は徳川幕府時代に千島列島を実効支配していた。ロシア人もしばしば千島列島に姿を現し、原住民のアイヌ人と交易したり摩擦を起こしたりしていた。そういう意味では千島列島すべてを視野に入れると日露の混合支配時代と言えなくもない。だからこの時代までさかのぼって領有権を争ってもあまり意味がない。
 やはり北方領土問題は、先の大戦の結果としてロシアに「戦果」として領有権が移ったのかどうかが、国際法上どう判断されるべきかを視点に考えるしかないと思う。
 なお、日本はしばしば「日ソ中立条約を一方的に破棄したのは国際法上違反行為」としているが、確かに指摘が間違っているわけではないが、ソ連の出方は日本政府も織り込み済みであった。年表で先の大戦を検証しておく。

1940年9月27日  日独伊三国同盟をベルリンで締結。
1941年4月13日  日ソ中立条約をモスクワで調印。
    6月22日  独ソ戦争始まる。日本は千島列島への陸海空軍の配備強化。
    12月8日  日本海軍、真珠湾を奇襲、米英に宣戦布告。
1942年11月    独ソのスターリングラード攻防戦が始まる。
1942年1月     ドイツ軍、「冬将軍」により投降。
1945年4月1日   米軍、沖縄本島上陸。
    2月4日~11日  米英ソ三国首脳によるヤルタ会談。
    4月5日   ソ連、日ソ中立条約延長を拒否。
    4月16日  ソ連軍、ベルリン総攻撃を開始。
    4月30日  ヒトラー自殺。5月2日にベルリン陥落。
    7月17日  ポツダム会議(トルーマン・チャーチル・スターリン)。
    8月6日   B29、広島に原爆投下。
    8月8日   ソ連、対日宣戦布告。
    8月9日   B29、長崎に原爆投下。
    8月11日  ソ連、南樺太に侵攻。
    8月14日  日本、ポツダム宣言受諾を米・英・中・ソに通告。
    8月15日  日本、玉音放送で戦争終結を国民に通告。
    8月25日  ソ連、南樺太を占領。
    8月28日~9月1日  ソ連、択捉・国後・色丹島を占領。
 日本では、日本に無条件降伏を求めたポツダム宣言の方が有名だが、実は北方領土の帰趨を米・英・ソ三国で決めたヤルタ会談の方が北方領土問題を考えるうえでは重要である。というのは、当時重病だったアメリカのルーズベルト大統領が、病のせいで焦ったのか(実際ルーズベルトは2か月後には死亡した)、共産主義国家のソ連・スターリンに対して南樺太・千島列島・満州における権益などの代償を提示してスターリンに対日参戦を要請している。
 スターリンはポツダム宣言の作成に加わり(宣言そのものはトルーマン・チャーチル・蒋介石の連名で日本に突き付けられた)、ソ連が対日宣戦布告をした際にはスターリンもポツダム宣言を追認している。終戦後に、敗戦した日本の旧領土の処理を国際会議で決まられたのならやむを得ない部分もあるが、ポツダム宣言の受諾をソ連にも通告して戦争が終結したのちにもルーズベルトが与えたエサを口実に北方領土を占領した行為は、明らかに戦火を交えて奪った「戦果」ではない。「盗人、猛々しい」とはそういう行為のことだ。
 ただ、日本政府もサンフランシスコ講和条約の締結において、千島列島におけるすべての権利、権原(ママ)および請求権を放棄してしまった。ここでいう千島列島には南千島である択捉島と国後島も含まれ、北海道の付属島である歯舞群島と色丹島は含まれないというのが当時の日本政府の公式見解だった。日本政府はこの公式見解をベースに二島返還を条件にソ連と平和条約締結交渉を始めた。ソ連もそれならと応じ、いったん二島返還で平和条約締結がまとまりかけたこともある。
 が、それでは日本国内がおさまらなかった。日本がサンフランシスコ条約で千島列島の領有権を放棄したことを知らされていなかった国民は、北方四島は日ソ不可侵条約を破棄して戦争終結後に「火事場泥棒」のようにソ連に占領されたという歴史的事実の一部だけを根拠に四島一括返還論が台頭したのである。その結果、日本政府は従来の公式見解を翻して、択捉・国後もサンフランシスコ条約で放棄した千島列島には含まれないと主張を変え、北方領土問題の解決も平和条約の締結も暗礁に乗り上げてしまったのである。
 いま中韓との歴史認識のギャップで日本政府は対応に苦慮している。日本政府のこうした行き当たりばったりの言動も、歴史認識のギャップを生み出していることを国民は知る必要がある。そうでなければ国民が安心して日本のかじ取りを政府に預けられない。
 私は、私のブログの読者は相当程度論理的思考力が高い人たちと思っている。そうでなければ、知識や特殊なルートで入手した情報を根拠にせず、あるいは常識や既成概念に一切とらわれず、しかも政治思想は右でも左でも、また保守でも革新でもない私のブログが、これだけ多くの読者に支えられていることの説明ができない。
 私は、土休日を除いてブログは基本的に毎日書くというお約束を新年のご挨拶の時にした。自転車事故で左手がまったく使えず2週間ほど休止したときはあったが、その期間を除けば私のブログの読者はランキングで5ケタになったことはない。gooブログの閲覧者は200万人超の状態で毎日安定しているが、ブログ投稿を休む土休日でも、休日にまとめて読んでくださる方も多いようで、705位という三桁にランクされたのは偶然だったと思うが、けがが治りブログを再開して以降、4ケタのランキングに入らなかった日はない。「継続は力なり」というが、本当にそのことを実感している。
 また当初はマスコミ関係の読者が大半だったと思うが、集団的自衛権問題や憲法問題をテーマにしだして以降、政治家の読者も増えているようだ。実際、集団的自衛権について、私が従来の政府の公式見解である「自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある国が攻撃を受けた場合、日本が攻撃されたと見なして実力を行使する権利」という定義は、国連憲章を精査したうえで私が「集団的自衛権も個別的自衛権も自国を防衛するための手段として国連が認めた加盟国が等しく持っている固有の権利のことだ」と主張し始めて以来、政府はなし崩し的に従来の政府公式見解を事実上変え始めた。「限定容認」論がそれで、「限定容認」論は従来の政府公式見解と完全に矛盾しており、公式見解を撤回しなければ「限定容認」論は論理的に整合性を維持できないことが、少しずつメディアも政治家もわかりだしたようだ。まだ何とかつじつま合わせで乗り切ろうともがいてはいるが、無駄な努力だ。
 今回の連載ブログは異常な長さになった。正直、書きだしたときはこれほど長期の連載ブログになるとは私自身思っていなかった。長くてもオバマ大統領が来日した23日には終えたいと思っていたが、論理的説得力を持つブログを書くことを最重要視した結果、こんなに長くなってしまった。
 でも明日でこのテーマでのブログは最終回にしたいと思っている(ちょっと自信がないが…)。明日は「目からうろこが落ちる」話を書くつもりだ。少しは期待して貰っていいと思っている。(続く)