日銀・黒田総裁が大型連休の合間の5月1日、「脱デフレ宣言」とも言える物価見通しを発表した。前年比2%の物価上昇率という目標を、2015年度にほぼ達成できるとの見通しを述べた。
が、本当にそうだろうか。
黒田総裁が安倍総理とのタッグマッチでデフレ脱却に取り組みだしたのは、アベノミクスの「三本の矢」と称される財政出動・金融緩和・成長戦略を金融面で支えることが狙いだった。とくに日銀の金融政策に、安倍総理は大きな期待を寄せた。
日本経済は「失われた20年」と言われるデフレ不況に苦しみ続けた。
デフレの原因はいろいろある。が、安倍総理は「円高」一本にデフレの原因を絞った。そのため日銀に金融緩和と為替相場への「円売り介入」を求め、黒田総裁はその要請にこたえてきた。
日銀は本来政府から独立して独自の景気判断で金融政策を決める権限を与えられている。黒田総裁も、さすがに「安倍総理の言いなりになって金融政策を決める」などと発言したことはない。が、「金融緩和・為替介入→円安誘導→2%の物価上昇率実現→デフレ脱却」という金融政策のシナリオ設定はアベノミクスに完全に沿ったものだった。
確かに安倍=黒田ラインによる強い「円安誘導」方針は一時的に効果を発揮した。ヘッジファンドが一斉に「ドル買い円売り」に動いたからだ。ヘッジファンドとは富裕層や機関投資家から資金を集めてハイリスク・ハイリターンの運用を行う投資組織を言う。
本来為替相場は貿易による実需で動くとすれば。そう極端に変動することはない。超インフレに悩む新興国などは(新興国のすべてがそうだと言っているのではない)、毎日のように自国の貨幣価値が下落するが、そうした国の通貨はヘッジファンドにとってこれほど確実でおいしい通貨はないということになる。もっとも新興国の通貨の多くは米ドルに対する固定相場制を採用しており、新興国の通貨が暴落すれば自動的に米ドルが売られて安くなる。
一時日本が高度経済背長を続けていた時代には、日本政府は日本円も貿易決済の通貨にしようと試みたことがあるが失敗に終わっている。日本円が米ドルと並んで為替の指標の一つになるということは、現在原則として国際間の取引は米ドルを自国の通貨にしていない国との取引も円で決済することを意味しており、為替を自由化している国にとってはきわめて不都合な結果になりかねないからである。GDPでアメリカに次ぐ世界第2位に昇り詰めた日本政府の驕りでもあった。
当時は円高が急速に進み出した時代でもあった。1985年9月、ニューヨークのプラザホテルに日米英仏独の先進5か国の財務担当大臣・中央銀行総裁が集
まり(日本からは竹下蔵相と澄田日銀総裁が出席)、一つの合意事項を決定した
(最初のG5)。この年、アメリカは71年ぶりに純債務国に転落するのだが、疲弊しきった国際競争力を回復させるため、各国中央銀行(日本は日銀)が為替相場に協調介入して、ドル高是正に取り組むことにしたのである。
このプラザ合意を契機に、怒涛のように円高が進みだす。各国中央銀行がドル安誘導のため、GDP世界2位に躍り出た日本の通貨・円を狙い撃ちにするような円買いに出動したかるである。その結果、プラザ合意後の2年間で円相場は1ドル=240円から1ドル=120円に跳ね上がった。その為替危機を日本は何とか乗り切った。輸出産業は国内での販売価格を据え置いたまま、輸出製品については為替相場を反映させずにダンピング輸出によって為替障壁を乗り越えたからである。円の相場は倍になったのに、アメリカでの販売価格は自動車でせいぜい15~20%、電気製品に至ってはプラザ合意以前より安くなった物さえあった。アメリカにほとんど競争相手がいなかった高級カメラや時計でさえ、値上げ率は3割がいいところだった。まだ日本の輸出産業界が生産拠点の海外移転を始める前だったのにである。
その結果、妙な現象が生じだした。自動車も電気製品もカメラや時計も、日本で買うよりアメリカで買った方が安いという“逆内外価格差”が生じたのだ。マスコミの一部が「おかしいぞ」と問題にし始めたのはヨドバシカメラがアメリカから「逆輸入」(いったんアメリカに輸出した製品を、アメリカで買って日本に輸入する行為)したカメラやフイルムを廉価販売し始めたからであった。そのころ私は大手カメラメーカーのトップを追及したことがある。
――日本製のカメラが、東京のディスカウント・ショップ(※当時は「量販店」という業態の名称はなかった)で買うよりニューヨークで買った方が安いということはどういうことなのか。ダンピング輸出ではないのか。
カメラメーカーのトップはこう反論した。
「私どもとしては、アメリカには競争相手がいないから、円高をそのまま反映させてもいいのだが、そうするとアメリカの消費者の購買限度力を超えてしまう。3割の値上げというのはギリギリなのです。ダンピング輸出を問うなら、自動車や電機でしょう。カメラ業界の責任を問うのはお門違いというものです」
為替レートの決定要因にはいくつかの要素があり、複雑に絡み合っているが、その要素の一つに「購買力平価」という指標がある。たとえば1ドル=100円の為替相場としたら、日本で1000円で売られている商品はアメリカでは10ドルだったら合理的な販売価格ということになる。が、日本で1000円の商品がアメリカでは5ドルで販売されていて、しかもその商品が日本製だったとしたら、それは“ダンピング輸出”によると断定せざるを得ない。当然、アメリカ産業界、とくに自動車産業はさらに苦境に追い込まれ、デトロイトで日本車に火をつけたり、ひっくり返してハンマーで叩き壊したりといった、最近は中韓ですら見られないようなジャパンバッシングの嵐が吹きまくった。
そうしたさなかにNHKは歴史的番組を作る。プラザ合意から半年あまりのちの86年4月26日(土)、27日(日)28日(月)の3日連続で計5時間25分に及ぶ『世界の中の日本――アメリカからの警告』と題する番組である。各回のタイトルは「アメリカは何に怒っているのか」「日本のここが問題だ」「国際国家への日本のシナリオ」である。この番組を企画したのが報道局長というラインの仕事から解放されてキャスターとして現場に戻っていた磯村尚徳氏である。氏は1991年、都知事選出馬のためNHKを退職した。
磯村氏がこの番組を企画したのは、日本でも話題になったセオドア・ホワイト氏がニューヨーク・タイムズに掲載した『日本からの危機』という、日曜版のカバー記事を読んだことがきっかけだったという。ホワイト氏はケネディ大統領の誕生までのプロセスを克明に追った『大統領への道』でピューリッツァー賞を受賞した大物ジャーナリストである。氏はこう書いた。
「第二次世界大戦後40年を経た今日、日本はアメリカの産業を解体させつつ、再び市場で最も果敢な貿易攻勢を行っている。彼らがただの抜け目のない人種にすぎないのか。それともアメリカ人より賢くなるべきことをついに学んだのかは、今後10年以内に立証されるであろう。そのときになって初めて、第二次世界大戦の究極の勝者が誰であったのかを、アメリカ人は知るであろう…」
このホワイト論文を読んだ磯村氏は、軽井沢の別荘で夏休みを過ごしていたときだったという。彼はそのときのショックをこう語った。
「私はこのホワイト論文を読むうち、日本の進出に対するアメリカの苛立ちがとうとうここまで来たか、という思いに襲われた。ゴルフに行けば、レストランでソニーの盛田会長をはじめ財界人たちが、ホワイトまでこういうことを言いだすようでは大変なことになると危機感を口にしていた。それまでは選挙での票目当てに日本批判をする議員たちもいたが、米東部のエスタブリッシュメントの良識を代表するようなホワイトまでが、このようなあからさまな反日感情むき出しの記事を書いたことにショックを受けたのが、番組制作の基本的視点になったことは間違いない」
私はアメリカでのジャパンバッシングがメディアを賑わし始めたころ、松下電器産業(現パナソニック)の谷井昭雄社長(当時)にインタビュー(対談に近い)をしたことがある(記事は『宝石』88年10月号に掲載)。当時アメリカから「日本はダンピング輸出をしている」と日本の輸出メーカーへの批判が続出、告訴まで相次いでいた。日本サイドは「ダンピングではない。合理化努力によってコストを引き下げることに成功した結果だ」と反論していた。私が谷井氏にインタビューしたのはそういう時期だった。さわりの部分だけ引用しておこう。
――それにしても、アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなったら、その分アメリカでの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どのみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけはないんですから。
それなのに、”合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも、日本国内では値下げしていないんですから、アメリカがダンピング輸出だと怒るのは当り前です。
特に自動車業界と家電業界、自動車ならトヨタとか日産、電機なら松下とか日立といった大メーカーの経営者はその点を自覚すべきだと思うんですが。
谷井 いまおっしゃったなかで、もちろん同感なところもあります。ただ、国によって価格差があるという点ですが、一時的には確かにあります。しかし、これは異常な為替の結果だと思うんですよ。日本でつくっている製品が、船で運んだ国で安く、むしろ日本では高いじゃないかと、(日本の消費者は合理化によるコストダウンの)恩恵を受けてないじゃないかと。一部、現象的にはそういうことは否定しませんけどね。急速な為替のしからしめた結果というのは、非常に大きいと思うんですね。
もちろんそのままで許されるわけじゃありませんし、また決して我々は専売公社ではありませんから、自ら決めた価格が堂々と通るわけじゃない。いわゆる価格というのは、決してメーカー単独で決められるものじゃなく、リーゾナブルな、社会から受け入れられる相場というものがあるわけですからね。先ほど小林さんがおっしゃったことも事実。そういうものと企業努力とをどのように合わせていくかというのが…。だけど、そういうアンバランスが一部出たということの、いちばん最大の原因というのは、急速な為替の変化であるわけです。
そういうことからいくと、ある面では、円は決して高くない、ということは、それほど日本の各輸出メーカーが大きな利益を上げているでしょうかと、一部のメーカーさんはともかくとしてね。全体に、たとえば経営の中身と、今日、回復したとはいうものの、G5以前と比べて、日本の企業が非常に高い水準の利益を上げているということではないと思うんですね。
そういう面から行きますと、メーカー独断というか、横暴では決してないというふうに私は思っています。
――また、円高が仕組まれた目的はアメリカ産業界の回復にあったわけで、少なくとも日本もそれに協力すると約束したわけですから…。
谷井 僕がさっき申し上げたのは、一番目のお話(日本の消費者に対する加害者の点)で、三番目のアメリカ産業界の競争力を高める点については、「それはあなた方の間違いだったんですよと批判するだけでは、この問題は済まない」とおっしゃる。これはまったく同感です。
もうそういうことを言う時期は過ぎたし、そういうことを言えば言うほど、むしろ溝は深まると思うんですね。私は、たとえそうではあっても、日本側としてはそれを言うべきじゃないと思います。やはり過去の歴史でも、日本が非常に苦しいときに大いに援助してもらったこともあるわけだし、また自由諸国の中の一国としての役割もあるわけですから、決して日本のエゴ、企業のエゴだけではこれからはやっていけないと思っています。
残念ながら今日は予定があって、ここまでで止める。続きは明日書く。
が、本当にそうだろうか。
黒田総裁が安倍総理とのタッグマッチでデフレ脱却に取り組みだしたのは、アベノミクスの「三本の矢」と称される財政出動・金融緩和・成長戦略を金融面で支えることが狙いだった。とくに日銀の金融政策に、安倍総理は大きな期待を寄せた。
日本経済は「失われた20年」と言われるデフレ不況に苦しみ続けた。
デフレの原因はいろいろある。が、安倍総理は「円高」一本にデフレの原因を絞った。そのため日銀に金融緩和と為替相場への「円売り介入」を求め、黒田総裁はその要請にこたえてきた。
日銀は本来政府から独立して独自の景気判断で金融政策を決める権限を与えられている。黒田総裁も、さすがに「安倍総理の言いなりになって金融政策を決める」などと発言したことはない。が、「金融緩和・為替介入→円安誘導→2%の物価上昇率実現→デフレ脱却」という金融政策のシナリオ設定はアベノミクスに完全に沿ったものだった。
確かに安倍=黒田ラインによる強い「円安誘導」方針は一時的に効果を発揮した。ヘッジファンドが一斉に「ドル買い円売り」に動いたからだ。ヘッジファンドとは富裕層や機関投資家から資金を集めてハイリスク・ハイリターンの運用を行う投資組織を言う。
本来為替相場は貿易による実需で動くとすれば。そう極端に変動することはない。超インフレに悩む新興国などは(新興国のすべてがそうだと言っているのではない)、毎日のように自国の貨幣価値が下落するが、そうした国の通貨はヘッジファンドにとってこれほど確実でおいしい通貨はないということになる。もっとも新興国の通貨の多くは米ドルに対する固定相場制を採用しており、新興国の通貨が暴落すれば自動的に米ドルが売られて安くなる。
一時日本が高度経済背長を続けていた時代には、日本政府は日本円も貿易決済の通貨にしようと試みたことがあるが失敗に終わっている。日本円が米ドルと並んで為替の指標の一つになるということは、現在原則として国際間の取引は米ドルを自国の通貨にしていない国との取引も円で決済することを意味しており、為替を自由化している国にとってはきわめて不都合な結果になりかねないからである。GDPでアメリカに次ぐ世界第2位に昇り詰めた日本政府の驕りでもあった。
当時は円高が急速に進み出した時代でもあった。1985年9月、ニューヨークのプラザホテルに日米英仏独の先進5か国の財務担当大臣・中央銀行総裁が集
まり(日本からは竹下蔵相と澄田日銀総裁が出席)、一つの合意事項を決定した
(最初のG5)。この年、アメリカは71年ぶりに純債務国に転落するのだが、疲弊しきった国際競争力を回復させるため、各国中央銀行(日本は日銀)が為替相場に協調介入して、ドル高是正に取り組むことにしたのである。
このプラザ合意を契機に、怒涛のように円高が進みだす。各国中央銀行がドル安誘導のため、GDP世界2位に躍り出た日本の通貨・円を狙い撃ちにするような円買いに出動したかるである。その結果、プラザ合意後の2年間で円相場は1ドル=240円から1ドル=120円に跳ね上がった。その為替危機を日本は何とか乗り切った。輸出産業は国内での販売価格を据え置いたまま、輸出製品については為替相場を反映させずにダンピング輸出によって為替障壁を乗り越えたからである。円の相場は倍になったのに、アメリカでの販売価格は自動車でせいぜい15~20%、電気製品に至ってはプラザ合意以前より安くなった物さえあった。アメリカにほとんど競争相手がいなかった高級カメラや時計でさえ、値上げ率は3割がいいところだった。まだ日本の輸出産業界が生産拠点の海外移転を始める前だったのにである。
その結果、妙な現象が生じだした。自動車も電気製品もカメラや時計も、日本で買うよりアメリカで買った方が安いという“逆内外価格差”が生じたのだ。マスコミの一部が「おかしいぞ」と問題にし始めたのはヨドバシカメラがアメリカから「逆輸入」(いったんアメリカに輸出した製品を、アメリカで買って日本に輸入する行為)したカメラやフイルムを廉価販売し始めたからであった。そのころ私は大手カメラメーカーのトップを追及したことがある。
――日本製のカメラが、東京のディスカウント・ショップ(※当時は「量販店」という業態の名称はなかった)で買うよりニューヨークで買った方が安いということはどういうことなのか。ダンピング輸出ではないのか。
カメラメーカーのトップはこう反論した。
「私どもとしては、アメリカには競争相手がいないから、円高をそのまま反映させてもいいのだが、そうするとアメリカの消費者の購買限度力を超えてしまう。3割の値上げというのはギリギリなのです。ダンピング輸出を問うなら、自動車や電機でしょう。カメラ業界の責任を問うのはお門違いというものです」
為替レートの決定要因にはいくつかの要素があり、複雑に絡み合っているが、その要素の一つに「購買力平価」という指標がある。たとえば1ドル=100円の為替相場としたら、日本で1000円で売られている商品はアメリカでは10ドルだったら合理的な販売価格ということになる。が、日本で1000円の商品がアメリカでは5ドルで販売されていて、しかもその商品が日本製だったとしたら、それは“ダンピング輸出”によると断定せざるを得ない。当然、アメリカ産業界、とくに自動車産業はさらに苦境に追い込まれ、デトロイトで日本車に火をつけたり、ひっくり返してハンマーで叩き壊したりといった、最近は中韓ですら見られないようなジャパンバッシングの嵐が吹きまくった。
そうしたさなかにNHKは歴史的番組を作る。プラザ合意から半年あまりのちの86年4月26日(土)、27日(日)28日(月)の3日連続で計5時間25分に及ぶ『世界の中の日本――アメリカからの警告』と題する番組である。各回のタイトルは「アメリカは何に怒っているのか」「日本のここが問題だ」「国際国家への日本のシナリオ」である。この番組を企画したのが報道局長というラインの仕事から解放されてキャスターとして現場に戻っていた磯村尚徳氏である。氏は1991年、都知事選出馬のためNHKを退職した。
磯村氏がこの番組を企画したのは、日本でも話題になったセオドア・ホワイト氏がニューヨーク・タイムズに掲載した『日本からの危機』という、日曜版のカバー記事を読んだことがきっかけだったという。ホワイト氏はケネディ大統領の誕生までのプロセスを克明に追った『大統領への道』でピューリッツァー賞を受賞した大物ジャーナリストである。氏はこう書いた。
「第二次世界大戦後40年を経た今日、日本はアメリカの産業を解体させつつ、再び市場で最も果敢な貿易攻勢を行っている。彼らがただの抜け目のない人種にすぎないのか。それともアメリカ人より賢くなるべきことをついに学んだのかは、今後10年以内に立証されるであろう。そのときになって初めて、第二次世界大戦の究極の勝者が誰であったのかを、アメリカ人は知るであろう…」
このホワイト論文を読んだ磯村氏は、軽井沢の別荘で夏休みを過ごしていたときだったという。彼はそのときのショックをこう語った。
「私はこのホワイト論文を読むうち、日本の進出に対するアメリカの苛立ちがとうとうここまで来たか、という思いに襲われた。ゴルフに行けば、レストランでソニーの盛田会長をはじめ財界人たちが、ホワイトまでこういうことを言いだすようでは大変なことになると危機感を口にしていた。それまでは選挙での票目当てに日本批判をする議員たちもいたが、米東部のエスタブリッシュメントの良識を代表するようなホワイトまでが、このようなあからさまな反日感情むき出しの記事を書いたことにショックを受けたのが、番組制作の基本的視点になったことは間違いない」
私はアメリカでのジャパンバッシングがメディアを賑わし始めたころ、松下電器産業(現パナソニック)の谷井昭雄社長(当時)にインタビュー(対談に近い)をしたことがある(記事は『宝石』88年10月号に掲載)。当時アメリカから「日本はダンピング輸出をしている」と日本の輸出メーカーへの批判が続出、告訴まで相次いでいた。日本サイドは「ダンピングではない。合理化努力によってコストを引き下げることに成功した結果だ」と反論していた。私が谷井氏にインタビューしたのはそういう時期だった。さわりの部分だけ引用しておこう。
――それにしても、アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなったら、その分アメリカでの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どのみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけはないんですから。
それなのに、”合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも、日本国内では値下げしていないんですから、アメリカがダンピング輸出だと怒るのは当り前です。
特に自動車業界と家電業界、自動車ならトヨタとか日産、電機なら松下とか日立といった大メーカーの経営者はその点を自覚すべきだと思うんですが。
谷井 いまおっしゃったなかで、もちろん同感なところもあります。ただ、国によって価格差があるという点ですが、一時的には確かにあります。しかし、これは異常な為替の結果だと思うんですよ。日本でつくっている製品が、船で運んだ国で安く、むしろ日本では高いじゃないかと、(日本の消費者は合理化によるコストダウンの)恩恵を受けてないじゃないかと。一部、現象的にはそういうことは否定しませんけどね。急速な為替のしからしめた結果というのは、非常に大きいと思うんですね。
もちろんそのままで許されるわけじゃありませんし、また決して我々は専売公社ではありませんから、自ら決めた価格が堂々と通るわけじゃない。いわゆる価格というのは、決してメーカー単独で決められるものじゃなく、リーゾナブルな、社会から受け入れられる相場というものがあるわけですからね。先ほど小林さんがおっしゃったことも事実。そういうものと企業努力とをどのように合わせていくかというのが…。だけど、そういうアンバランスが一部出たということの、いちばん最大の原因というのは、急速な為替の変化であるわけです。
そういうことからいくと、ある面では、円は決して高くない、ということは、それほど日本の各輸出メーカーが大きな利益を上げているでしょうかと、一部のメーカーさんはともかくとしてね。全体に、たとえば経営の中身と、今日、回復したとはいうものの、G5以前と比べて、日本の企業が非常に高い水準の利益を上げているということではないと思うんですね。
そういう面から行きますと、メーカー独断というか、横暴では決してないというふうに私は思っています。
――また、円高が仕組まれた目的はアメリカ産業界の回復にあったわけで、少なくとも日本もそれに協力すると約束したわけですから…。
谷井 僕がさっき申し上げたのは、一番目のお話(日本の消費者に対する加害者の点)で、三番目のアメリカ産業界の競争力を高める点については、「それはあなた方の間違いだったんですよと批判するだけでは、この問題は済まない」とおっしゃる。これはまったく同感です。
もうそういうことを言う時期は過ぎたし、そういうことを言えば言うほど、むしろ溝は深まると思うんですね。私は、たとえそうではあっても、日本側としてはそれを言うべきじゃないと思います。やはり過去の歴史でも、日本が非常に苦しいときに大いに援助してもらったこともあるわけだし、また自由諸国の中の一国としての役割もあるわけですから、決して日本のエゴ、企業のエゴだけではこれからはやっていけないと思っています。
残念ながら今日は予定があって、ここまでで止める。続きは明日書く。