美山たそがれメール

山村の四季情報や暮らしを発信します。

たそがれ世代のおばちゃんのブログです。

佐々里峠の紅葉

2015年10月31日 | 日記
昨日から泊のアメリカ人の若い夫婦を広河原まで送って行った。彼らは奈良から来ていたが京都市内の地図をよく知っていて京都バスで出町柳まで行くと言う。10時45分のバスに間に合うように佐々里峠を車で走った。佐々里地内はまだ紅葉が始まったばかりなのに高低差900メートルの頂上付近はもう落ち葉が散り敷いていた。私の地区でも朝の気温は4度ですぐにストーブに火を点けた。日中も日差しはあるが寒い。今晩は家族連れ3組が泊まられる。夕食は自炊になっているので少し気が楽だ。昨日の泊りの女の子は夕食後の後片付けを全部やってくれた。朝食のあと片付けもしてあった・我が家の宿泊客はみんな後片付けをされる。私は本当に助かっている。B&Bをはじめて早1年、そんなに宣伝もしないのに、こんな遠い不便で何もないところまで来てくださる。感謝の一言です。あと一か月頑張ります。12月に入ると観光客も減るし寒くなるので仕事になりません。11月は美山の里が一番華やぐときです。

移動販売車が頼り

2015年10月30日 | 日記
私の住んでいる村は12戸余りの過疎の山村である。買い物に行く困難地域でもある。週に2回小浜からやってくる移動販売車が高齢者にとっては命の綱でもある。私と隣のNさんは車を運転するのでそう困らないが。火曜日と金曜日みんなが喫茶店に集まり待つ。値段は高いがそれは承知の上である。幸い海産物は新鮮でおいしい。お肉も肉屋さんから仕入れているので安心して買える。年金生活の高齢者は買う金額も同じぐらいである。私はその時に彼らが何を買うか時々注意する。同じものばかり買う人もいるし、甘いものばかり買う人もいる。私は肉も魚も食べないとという。野菜は畑で作っているもので十分だ。移動販売車のお兄ちゃんも心得ていて一人分のお惣菜もよく積んでくるようになった。魚も切り身にして小さなパック詰めになってきた。年を取ると料理を作るのも嫌になるらしい。

私も生協や京都市内に出かけた時にも、スーパーなどで買ってくるが魚だけは買わない。

写真は裏山の竜胆です。もう最後の花です。

忙しかった一日

2015年10月29日 | 日記
夫が配達に行ってくれたので一日のんびりしようと思っていたのに、そうもいかなかった。分別ごみ瓶の回収日で8時半にもって行った。10時過ぎから母屋を開け放す。母屋は山根に建っているので今の季節お日様が出てくるのは10時過ぎで日の暮れは3時になる。まるで半日村である。母屋と自宅を行ったり来たりしているうちにお昼になった。ラーメンを食べてテレビを見ているうちに生協が来た。それから畑に行って菊芋を掘る。畑にいると時間の経つのが早い。草を引いて春の畑の準備をしようとか来年は何を植えようかと考える。大根もキャベツ類も2日前の少量の雨でみちがえるように大きくなってきた。隣の家のおじさんの畑の野菜は見事に成長している。肥料を多く入れキャベツ類には消毒をしたそうだ。それに比べ我が家の畑はその半分の出来である。農薬は使わない化学肥料は使わない有機栽培なのでじつに成長がゆっくりしている。でもこの時期になると、なんとか大きくなる。となり家のおじさんは私の畑を見て「よう追いついてきたなあ。お前の野菜は強いなあ」と呆れている。私は成長の遅い野菜を気長に眺め彼らを信じている。甘くて安全の野菜が一番だ。見てくれではない本物の野菜つくりを目指して。

私の携帯2泊3日の旅  My keitai came back to me

2015年10月28日 | 日記
知人に送った宅配荷物の中に紛れ込んだ私の携帯は今日の午後、ゆうパックで帰ってきた。2箔3日の携帯一人旅だった。月曜日に宅配を送った時、その中に携帯を入れて取り出すのを忘れてしまったのだ。家に帰り車の中やカバンの中を探したが見つからなかった。財布はちゃんと出していたのだ。これは荷物の中だと思い山梨に住む次男に電話した。次男のお嫁さんの家におくっていたので。彼女に実家に電話してと頼んだ、昨夜「お母さん、携帯送ってもらったよ」と電話がかかった。3日間携帯のない生活は静かだった。常にあまり利用してないつもりが、やはり手元にないと不便だった。3時半に届いた携帯はすぐに充電した。そして彼女のお母さんにもお詫びの電話を入れた。この頃」、よくどじるなあ?

畑の鷹の爪全部取った。今年は50本しか植えてなかったので楽だった。そして、キャベツを初収穫。農薬を使用しないので虫が食むがそれもしかたないな。これから寒くなれば虫もつかなくなる。

認知症勉強会

2015年10月27日 | 日記
今日は高齢者対象の認知症勉強会をした。11名の参加者はほぼ80代以上になってしまった。70代2人、60代は私一人。社協を通してA福祉会から二人が来られた。認知症とは何かから始まり認知症の人と共に生きていく地域社会の必要性を話してくださったが、私が本当に知りたいのは認知症にならないのにはどうしたらいいのかと言う事だった。もらった資料を参考にして自分で考えていかなければならないと思った。過疎の山村で認知症の人と共に生きるのは難しいのではとも思った。10時半から12時まで勉強会。その後昼食会になった。今回は私がばらずしを作り、錦糸卵と盛り付けはおばちゃんたちにまかした。きれいなお寿司になった。よくしゃべりよく食べて1時に散会にした。

夫は朝早くから視察に出かけて紋次郎と留守番。夜になって風は止み雨が降ってきたが強くはない。

Where is my けいたい
昨日から私の形態はどこかに行った。可能性は昨日知人に送った宅配小包に入れた可能性が高い。もとに戻ってくるだろうか?

雪虫見つけた。

2015年10月26日 | 日記
今日の朝は冷え込んだ。起きてからストーブを点けた。日中も18度で少し肌寒く感じる。配達から帰り冬支度をする。居間の炬燵に冬布団とカバーをかける。これで炬燵の設定は終了。明日から炬燵に入るとうたた寝をするだろう?

夕方外を歩いていると、雪虫が一匹飛んでいた。この虫は雪の使者とも言われていて田舎では冬の準備に入る。畑に行くとコスモス、百日草などが終わりの時をむかえていた。春用の花苗を植えなければならない。ネギ、キャベツ、ブロッコリーが大きくなってきた。今年の秋は雨が少ないので秋野菜の成長が遅れているようだ。虫食いのキャベツもあるが、こう寒くなれば虫たちももう来ないだろう。

明日高齢者を集めてサロンをする。認知症の勉強会と昼食会。講師は南丹市の社協で頼んだ。昼食は私が丹後すしを作る。鯖の水煮缶を作る。これから準備に入る。上手くできるかなあ?

強風吹き荒れる一日

2015年10月25日 | 日記
昨夜、夜半過ぎから強風と雨が降ってきた。久しぶりの雨で野菜たちには恵みの雨になったが、風だけは嫌いだ。雨はすぐに病んだが風は一日中吹き荒れた。外にも出られす従妹とこたつの中で話し込んでいた。昼食は隣村の「ちしゃの木庵」にでかけた。車道は杉の落ち葉でうずまっていた。テレビでは木枯らし一号と強い冬型の気圧配置と言っていた。北海道では雪が降っていた。秋から冬に代わる変わり目らしい。なんとなく秋が短くなるような気がする。

今晩は大根の煮物を作った。煮物用の大きな大根を道の駅で見つけて買ってきた。鶏肉をだしにして大根、ちくわ、こんにゃくと煮た。おでんのようだがおでんより薄味の大根の煮物だ

私の食べられるものも少しずつ減っていく。餅の雑煮が食べられなくなった。根菜の煮物、とうふ、卵などの限られてきた。いつまで喉から食べられるのだろうか?私の喉はやっかいだ。内臓はどこも悪くないので食欲もあるし食べたい気持ちも強いのだが、のどを通らないのだ。体重も減っていく。67歳まで好きなように生きてきたから人生に悔いはないが、まだ死にたくないなあ。

お昼のお客さん

2015年10月24日 | 日記
今日は長男の知り合いの人たちが12時過ぎに来られることになっていた。弁当とサンドイッチをぽ配達してもらい9時過ぎから準備にかかった。12時過ぎに6人がこられた。お昼のメニューは地鶏のすき焼きと八寸、甘鯛(ぐじ)と若狭カレイの焼いたんと裏山で取り立てのシイタケも焼く。3時前まで飲んで騒いで帰られた。それから後片付けをして4時にすべて終わり。実家にシュークリームや煮物を持っていく。弟夫婦も茅の里でカフエをしている。夕食の準備が大変だろうと思って。途中で従妹実家に寄ると母が来ていたのでことづける。それで引き返し帰ってきた。夜は従妹と夫と三人ですき焼きをした。

10時過ぎから夕立になった。なんとなく疲れた週末になりました。

秋のお惣菜2種

2015年10月23日 | 日記
今日は予約のお客さんがあると思い込み朝からばたばたしていたのに、お客さんは来なかった。私の聞き間違えだったようだ。友人からの予約だったので明日確認の電話をしよう。夫は「認知症違うか」と冷ややかに言った。メールでのやりとり、電話での予約など時々混乱することもある。明日は昼食に6名の予約も入っている。これは今日確認の電話が入った。

そのために秋のお惣菜2種作った。一品はずいきのごま酢和え手つくり柴漬け。

       ずいきのごま酢あえ

材料  赤ずいき 酢 砂糖 ごま
作り方 赤ずいきを細かくきざみフライパンでいためる。しんなりしたら水分をしぼる
    酢と砂糖をずいきの中に入れる。その中にいりごまをいれる。

赤ずいきは10月から11月に食べられる京都のおばんざいでもある。

     柴漬け 
材料  塩つけきゅうり 塩漬けなす 茗荷
作り方 塩漬けきゅうり、なすを茗荷と紫蘇でつける。塩の分量が難しい


美山しぐれか?

2015年10月22日 | 日記
京都や大阪は晴れているのに、今日は一日中曇りで時々小雨が降っていて肌寒い。しぐれの季節が来たのかと思うが少し早いようなきもするが?やっと紅葉が始まった時なのに。本当に今年の天気はおかしい。
例年なら10月は紅葉しないのに。畑の野菜は確実に冬野菜が大きくなってきた。大根はもう大根おろしができる。キャベツももう少しで収穫できそうだ。

今日最後のイチジクを収穫した。5年前にタキイで購入して植えた。このイチジク苗はデザート用のイチジクで小粒であまり熟しない。少し表面が柔らかになれば収穫してワインで煮る。大きな鍋にイチジクを並べ砂糖を振り込みワインで煮る。半時間ほど煮て灰汁をとり、レモン汁を入れる。弱火で煮詰める。イチジクはつぶれないで丸のまま残る。多く煮たときは冷凍しておく。シャーベットでも食べられる。

67歳からの起業

2015年10月21日 | 日記
私は昨年67歳で新しい仕事を始めた。67歳で農家民宿B&B段を開業したのだ。1年たってお客さんも増えて順調な滑り出しだ。B&Bの朝食だけのスタイルにしたのだが、ここは過疎の山村近くに夕食をとるところもコンビニも店もない。ほとんどのお客さんは夕食付になってきた。夜と朝と同じおかずを出せないので、結局10種類ほどのおかずを作らなければならない。充実した朝食を提供するのをモットーにしていたのだが、私の理想どうりにいかない。10年間道の駅「ふらっと美山」で弁当を販売してきたので料理はあまり苦にならないが。

私にとって一番大変なのは布団干しとシーツの洗濯、シーツかけだ。お客さんが帰られたらすぐにシーツと枕カバーをはずし洗濯をする。それから天気が良ければ布団干し。夕方に取り込みシーツかけ。私の不得手分野だが精一杯している。定員8名の小さな宿だが結構大変なことがわかった。67歳の身体も時々悲鳴をあげる。でも過疎のこの村までお越しいただけるお客さんに感謝している。お客さんが喜んでくださると私はうれしくなる。このことが老後の私の生きがいにもなる。

今年の紅葉は早くてきれいです。

2015年10月20日 | 日記
今年の紅葉は2週間ほど早く始まりました。朝夕の気温差で一気に進み色もきれいだと思います。道の駅に行く時、私は川向の山を毎日眺めていますが日ごとに紅葉が進んでいくように感じます。我が家の向かいの山も裏山も秋もようになってきました。どんぐりが落ちて雑木の紅葉がすすんできました。私は何度も裏山に登り秋を確認します。竜胆は水霜にあたったらしく、紫色が薄くなっています。秋のきりんそうはは元気です。畑のコスモスも色あせてきました。

畑の野菜は二度まきの地這えキュウリが今日で収穫終わりです。唐辛子類も終わりです。葉を摘んで焚くつもりです。畑の野菜は秋野菜に変わりました。大根、キャベツが大きくなって、ねぎもよく伸びてきました。ネギは霜が当たれば、ぬるみも出て美味しくなります。もうしばらく待ちます。夏野菜の畑始末をして翌春ようにイチゴや玉ねぎの苗を植える準備が必要になってきました。畑仕事は大変ですが、できるだけ自分で食べる野菜は作りたいと思っています。畑の野菜作りは一年で結果が出ますので面白いです。

秋日和

2015年10月19日 | 日記
次男家族が10時過ぎに帰った。それから布団と毛布を干す。シーツ、枕カバーなどを洗濯する。それでお昼になった。紋次郎もやってきた。彼も連日のお客さんでストレスが溜まっているらしい。午後も忙しかった。イチジクを摘んでシイタケもたくさん取った。柿ももいできた。柿は渋柿なので、さわす。
今日は一日中秋日和。気持ちのいい一日でもある。紋次郎は放し飼いになれて、あちこち動き回っている。私も母屋と自宅を行ったり来たり、畑にも裏山にも登った。でも日の入りは早く5時過ぎからくらくなってきた。向かいの山も色づいて秋本番になってきた。

次男の嫁の香さんがブログに写真を入れる方法を教えてくれた。ワイハイの使い方も教えてくれた。後ろに書いてある番号も書き出してくれた。彼女はパソコンに堪能だ。14Kの大型テレビの機能も教えてくれた。私たちは見るだけしかしない。少し動かすだけで壊れると思う。夫は買うのが好きだがほとんどほかの機能を使うことはしない。彼はパソコンも使わないしスマートフオンの使わない。だのにいろいろ指図する。

舅の三回忌の法要終わる

2015年10月18日 | 日記
今日は舅の三回忌の法要を家でした。山梨に住む次男一家も3年ぶりに帰ってきた。午後からの法要のため午前中にお料理を作った。お昼過ぎからみんな集まってきてくれた。夫の兄弟2人と妹夫婦、先に亡くなっている姑の兄弟4人と近所に住むおい夫婦、それに私の弟など総勢15人の参加。1時半から始まって2時半に法要は終わり、それから5時ぐらいまで会食。これでしばらく法事から年が開く。86歳で姑が亡くなり91歳で舅が亡くなった。二人とは30年間一緒に住んだことになる。幸い二人とも長患いも認知症もなくあっけなく生涯を終えた。なんともわけのわからない山間僻地で封建主義の村であったが私は30年の年月の間に、順応したのかわがままを通してきたのかわからないが、自分らしい生き方をしてきた。姑とは何度も諍いもあったが、今は懐かしく当時のことが思い出させる。そのことを教訓に私は子供たち夫婦に、あまり干渉しない。舅の身内はもうほとんどいない。姑の兄弟は一人かけ二人欠けている。次回の姑の13回忌、舅の7回忌にはどれだけの人が集まるかわからない。私だって70歳を超える。歳をとると一期一会が大事になる。

山梨に住む次男夫婦が長野で買ってきたプルーンです。

今日は大忙し。

2015年10月17日 | 日記
2日間宿泊されていたお客さんが8時半過ぎに帰られた。関東の大学生と福井の男性の7名。帰り際母屋の入り口で写真を撮って車で帰られた。私はそこから大忙しの一日が始まった。式布団のシーツと枕カバーを全部取り外し洗濯機の中に入れる。3組の式布団とかけ布団を干す。今晩次男が帰ってきて泊るので干した。雨も降らず時折風が吹いていい天気になった。3時過ぎからシーツなど取り込む。布団類は夫が入れてくれて大助かりだ。明日の法事にむけて座敷や床の間、仏壇の掃除も夫がしてくれた。私は仏壇の花生けに白と黄色の菊と小菊と竜胆を入れた。これで一応準備はできた。明日の午前中、廊下の雑巾がけをする。

次男が7時過ぎに帰ってきた。2歳の次男はわんぱく坊主になっていた。好き放題に走り周りなんでも食べていた。私の様な年齢になると、もう孫の面倒も見られないと思った。9時過ぎに母屋に帰ったのでほっとした。5歳ぐらいまで目放しできないだろう?

明日は午後から舅の3回忌。これでしばらく法事から離れられる。