美山たそがれメール

山村の四季情報や暮らしを発信します。

たそがれ世代のおばちゃんのブログです。

バラ、夏椿咲き始めました。

2016年05月31日 | 日記
良く晴れて気持ちの良い一日だった。夫が配達に行ってくれた。10時から畑に行く。昨日の雨で夏野菜の苗は活着したようだ。雑草もよく伸びた。野菜を植えてある2畝の草を抜く。30分hp度で疲れてきた。暑いのでやめた。畑の隅に植えているバラが次から次へと咲いていく。特に白いバラは元気できれいだ。加工場の前のアイスバーグもよく咲いてきた。それらを切って花瓶に生けた。バラはガラスの花瓶がよくあう。黄色いバラは蕾を虫が食んでいた。夏椿も蕾が白くなってきた。たしか天神さんで20センチほどに苗を買ってきたと思う。それが20年経って幹は太く大きく成長した。花が咲くと見事である。京都の妙心寺の塔中の東林院では「夏椿を愛でる会」をされる。一度見に行ったことがある。我が家でもできそうだ。でも花が咲くとすぐに散るので期間は短い。蕾が開くまでの期間が楽しみでもある。

今日は小浜の移動販売車の日だったが、地区の老人会の総会に出かけた人が多く、3人だけが買い物をした。

紋ちゃんはよく寝ます。昼間もごろり、夜になると居間に来てごろりと寝ています。歳をとったなあと実感します。でもまだ元気です。知らない人に吠えたり烏を追いかけたりしています。

今日は一日雨

2016年05月30日 | 日記
昨夜から雨になり一日中降っていた。今日は弁当作りは休み。編み物をして過ごした。紋次郎も出たり入ったりしていた。まだ梅雨にはならないが梅雨近しと言う天気になってきている。体調もあまりよくない。去年のブログを見ると同じような内容になっている。明日から晴天が続くそうだ。晴天続きの間に布団干しや部屋に風を入れよう。友人から譲り受けた水屋も入れなければならない。我が家に置いているのより質がいいので入れ替えしたいいが、陶器類やお皿など出さなければならないので、なかなかやる気がしない。古い水屋との入れ替えもしなければならないので、よけい手がでない。我が家には友人から譲り受けた家具が多い。京都の旧家で昔ながらの手つくりの家具も多かった。家をリホームにするときこれらの家具は邪魔になるらしい。古道具屋さんに売れば二束三文で売る気にならないという。我が家においておけば、言った時にも見られるからと友は言う。幸い我が家は広いので置くところはある。


バラ作りは難しい

2016年05月29日 | 日記
私が好きな花は蘭とカサブランカとバラである。それでカサブランカもバラも家の畑で作っている。特にバラは薬をかけないと咲かない花である。でも私は薬が嫌いなので薬なしで育てている。特に蕾が膨らもうとしたときに虫が蕾をかじる。そして葉は青虫や夜盗虫がぼろぼろにかじる。そんな状態を見ているとつい薬をかけたくなる。ただバラの木が大きく育っていると虫などの被害にあっても枯れることはない。今年は成績がよい。赤いバラも白いバラも咲いてくれた。毎日なんどバラの木の元に足を運ぶだろう?家中に切り花にして飾る。花やで買ったバラより日持ちもよく丈夫である。本数をもっと増やしたいが世話が大変なので増やさない。世話のかからない蔓バラはいいが。蔓のアイスバーグは私の大好きな白いばらである。ただ木はしなやかで枝も細いので強風にあたるとしなだれてくる。6月はあちこちのバラ園が見ごろになる。秋バラより6月のバラがきれいである。

数十年前に植えたさくらんぼの木にめずらしく小さな20粒のさくらんぼが実をつけた。北杜市に住む次男が送ってくれる本場のさくらんぼとは比べ物にならないが、実がなるだけでうれしい。

変な天気です。

2016年05月28日 | 日記
今日は夫が配達に行ってくれなくて1週間ぶりに配達に行きました。道路わきにこあじさいが咲き蔓あじさいも杉の木に絡まって白い花を咲かせていました。梅雨です。あじさいは梅雨の花なのです。店で路地イチゴを買い占めて帰ってきました。朝顔の苗や夏野菜の苗ももらってきたので植えました。土を掘っても表面しか濡れていませんでした。9パックのイチゴを村の人たちに配り夕方佐々里峠を越えて広河原まで持っていきました。もうすぐこのイチゴも終わりになります。変な天気で風邪気味の人が増えています。私も夏風邪みたいで鼻をぐしゅぐしゅしています。

芍薬満開

2016年05月27日 | 日記
数日前に夏野菜の根付きが悪く雨を期待していたのに、朝起きてみると表面が濡れただけ状態だった。次の雨に期待しよう。夫が友人の家に水やをもらいに行ったので留守。私は鷹の爪を植えた畑のくさぬき。風があっつたのでぶよは来ない。でも私の限界は1時間。昨日植えた50本のサツマイモの苗は青々していた。どれだけとれるだろうか?

午後は小浜の移動販売車の日で下の喫茶店に行く。今日はセータのえりぐりがわからないので、尚美さんに教えてもらう。たった6段の編み方がわからないのだから、自分に苛立つ。帰るまでに首回りもできた。おばさんたちは今日も噂話で盛り上がっていた。

集落の空き地に植えている芍薬が満開になった。我が家と下の喫茶店は芍薬を生けた。まだ咲いていたいた芍薬は花束にして道の駅で売る。

友より破竹届く

2016年05月26日 | 日記
昨夜友人から破竹をとって湯がいたから明日取りに来てと電話があった。朝配達の時に夫に寄って来てと頼んだ。私は今から家まで夫が行くからと伝えた。こんだけ厚くなるとタケノコ類は足が早い。クーラーボックスに保冷剤を入れて持って行ってもらった。半時間後友人から電話が入り「よく気がついたよね。クーラーボックスを持ってきてもらって正解だよね。筍と違いえぐみが少ないから穂先だけでも、そのまま食べて」と言った。昼食に穂先だけ食べたがおいしかった。夕食にあげとスナップ豌豆と破竹の煮物を作った。いつもはおかずを食べない夫がよく食べてくれた。明日はちらしずしにしようとおもっている。5月下旬から6月にかけて出るすずたけ、破竹は初夏の味でもある。

数日来の疲れと急激な気温の上昇に私の体はついにダウンした。夏風邪か熱中症かわからないが。午後は寝てしまった。編み物もする気なしでただひたすら水分補給をしている。紋次郎が時々不思議そうに私の顔を覗き込む。

香港のお客さん帰る

2016年05月25日 | 日記
5日間お客さんが続きへとへとになりました。香港んぽ24歳の女性は空港のカウンターで発券業務をしているらしい。3度目の日本で50000円ほどの予算で来ているようだ。10時前まで寝て山に散歩にでかけ2時20分の京都バスで出町柳駅まで帰りました。夕食は友人と祇園の天周でするとのことでした。2泊泊まってくれました。送り届け家に帰ると下のおばさんがいたので二人で紅茶タイムになりました。降るようで降らない雨に困っています。5時までいて帰りました。私は畑に行き水をやろうと思っていましたが案外枯れることもなく根付いているようで安心しました。私の畑は化学肥料を使わないので根付くまではほとんど成長しません。隣屋の畑の野菜たちは大きく成長しています。じっとがまんをしています。梅雨の雨で私の野菜は大きく成長することでしょう?明日は少しは雨は降るようです。夜は茄子カレーにしました。

このところお盆の予約が入ってきます。お盆とゴールデンウイークは日本人のお客さんになります。外国からも毎日予約メールが届きます。英文の返信メールに手こずっています。

午前中晴れ、午後は下り坂

2016年05月24日 | 日記
朝5時過ぎに起きて高校生たちの弁当など作る。8時半出発のため8時前にはおきてほしいのに8時過ぎに起きてきた。大急ぎで朝食を食べて一目散に準備をしてやっと8時は過ぎに車に乗せた。香港の女の子も一緒にでかけた。晴れている間にシーツ、枕すきやきをカバーなど洗濯した。昼過ぎから急に天気が変わってきた。急いでシーツなどしまう。明日から雨になるよそうだ。

午後は小浜の移動販売車の日で下の喫茶店に行く。また一人90歳のおばあさんが床に伏せった。一人二人と元気な人が減っていく。残りの人たちで雑談などして4時前まで店にいた。6時過ぎにやっと香港の女の子が帰ってきた。今日は一人のお客さんなのですき焼きを一緒に食べた。彼女は明日の午後京都市に向かう。祇園の料理屋さんで刺身、鮨を食べるそうだ。5日間の旅を充分堪能するらしい。私は午後広河原まで送って行く。土曜日から火曜日までお客さんが続いた。

連日台湾からのおきゃくさん

2016年05月23日 | 日記
朝7時過ぎに台湾の家族連れが帰られた。大急ぎでシーツをはがし枕カバーとともに洗濯する。布団も干した。夫が迎えに行き台湾からの修学旅行の高校生と茅葺の里バス停留所で待つ一人を連れてきた。高校生は何か手伝いをしたいと言うのでプリンつくりを手伝ってもらった。夕食は豚肉の鍋とてんぷらを作った。てんぷらはほとんど揚げてくれた。彼女たちはよく食べてくれた。香港から来た若い女性は早くに関空について、ここまでが遠すぎて疲れたようで夕食時間にも起きて来なかった。10時に母屋に行くと香港の女性も起きていた。彼女たちは共通の中国があるので、会話も弾んでいた。良かった。二組入れると、少し心配になる。一泊だけで帰る台湾の修学旅行生と2泊する香港の女性。連日の宿泊で戸惑う私だ。台湾からのお土産がたくさん来た。

そんなわけで今日は朝から母屋と自宅を行ったり来たり。紋次郎も同じように行ったり来たりしている。夫も送り迎えで行ったり来たり。

暑いですね。

2016年05月22日 | 日記
朝5時から起きて弁当、サンドイッチなど作りました。従妹がきていたので私の実家にも立ち寄ってきました。日中は暑かったので編み物をしました。従妹は3時過ぎに帰りました。台湾のお客さんは4時前に帰ってきました。明日の朝7時過ぎには出たいので精算をと言われしました。今日は夕食は自炊で朝食は取らないようです。こんなお客さんは初めてです。でも私は楽でした。明日は午後から台湾の高校生が4名泊まります。シーツの洗濯、布団干しと忙しくなりそうです。それで今夜は早めに寝ます。家の裏山に谷空木が咲いていました。もうすぐ梅雨が来そうです。こあじさいや山あじさいも蕾が膨らんできました。

水無月

2016年05月21日 | 日記
従妹に頼んで和菓子屋さんから水無月を買ってきてもらった。京都の菓子屋さんではいつも一足早く、季節のお菓子が並ぶ。水無月は6月30日に食べるお菓子なのだが、今では子供の日が終わるころから水無月がでてくる。水無月は蒸し菓子である。あっさりしていて表面に並んでいる」小豆が美味しい。京都の出町のふたばではエンドウ豆の水無月が並ぶ。でもこの店は今では行列のできる店になっていて、なかなか買えない。一足早く水無月を食べた。

台湾から家族連れ7名のお客さんが来た。レンタカーできたのだが、夕食の食事がきれいに平らげているのには驚いた。地鶏のすき焼きで野菜2皿、焼き豆腐、糸こんにゃくなど全部食べてあった。お皿を洗う時に残飯がなかった。明日の朝食はいらないとのことだった。明日の晩ももう一泊泊まる予定だ。いろんなお客さんがやってくる。メールだけのやりとりなので、来るまでよくわからないこともある。中学生の女の子が英語で話してくれて助かった。中国語はさっぱりわからない。

5月なのに暑いです。

2016年05月20日 | 日記
まだ5月だというのになんと暑い。今日配達の帰りに実家の北村に苺を持って行った。放水日で駐車場に車は入って来るし、実家への上り路は観光客が歩いている。弟の喫茶店はスタンバイの状態だった。苺を渡して畑の母に一声かけて一目散に帰ってきた。北村を過ぎると閑散としていた。
今日は移動販売車の日で下の喫茶店に村人集合。暑いのでみんなアイスコーヒーになった。相撲中継が見たいと言って4時過ぎに帰って行った。
私はタキイから届いた夏野菜の苗を植えた。それから草刈りをした。新しい釜を買ったの試してみたかった。顔をぶよに噛まれた。もう出てきたのだ。私は虫に弱い。

暑さに弱い紋次郎は涼しい場所を探して移動している。寝そべっているのだ。歳を取っているので応えているように見えるが?昼からの買い物にもついて来なかった。あまりおとなしくしていると、どうもないかと気にかかる。18歳なので十分生きているが、最後を案じる。

栃の花と朴の花満開の峠道

2016年05月19日 | 日記
夕方隣町の友人の家に苺を配達に行く。我が家から峠一つ越えるとそこは京都市左京区になる。でも京都市内の左京区とは比べものにならない過疎の山村だ。でも京都市内から京都バスが走ってくるので便利ではある。峠道は朴の花と栃の花が満開だ。両方とも白に近いクリーム色だ。養蜂家のHさんが昨日来た。栃の花の蜜を採取するためだ。まだ満開になっていない。ちょうど間にあってよかった。今年の花はよく咲いている。このまま天候が1週間も続いてくれれば栃の実もつくだろう。佐々里峠は栃の木がまだ群生している。大木から若木までたくさんある。9月が楽しみだと思いながら走った。友人の喫茶店で養蜂家のnさんにも出会った。蜂蜜を頼んだ。82歳にもなっているのに毎年ここまで巣箱を運んで栃蜜を採取されている。私はNさんの蜂蜜をプリンやチーズケーキに使っている。蜂蜜は山の神さまからの贈り物のように思える。栃の花の写真はとれなかった。いところに咲いているのでとれないのだ。

家の庭で咲き始めた芍薬です。鹿は芍薬とクリスマスローズは食べません。

暑さでダウン

2016年05月18日 | 日記
配達は夫が行ってくれた。近所のおじさんが先週に亡くなっている。10時過ぎからお参りに行く。残された息子と奥さんはこれから大変だが、一生懸命生きてほしい。88歳での死だからまあ大往生だと思う。村から一人ずつ消えていく。

隣村のSちゃんがバイクで昼前にやってきた。昼食はすき焼きにした。1時半までいて帰った。
それから自分の部屋の障子張りをした。外でしようと思っていたが、風が強くて家の中ですることにした。障子をたてて水道水をかけて濡らし障子紙紙をはがす。それを家のなかの入れて雑巾で桟を拭く。障子紙張り替えようの糊を桟に塗り障子紙を張る。上手くいけば一回で済むがそうもいかない。何度も張り替える。それを大きな障子を4枚小さな障子を2枚張ることにしたが、最後の一枚だけが糊が足らなかった。5時までかかり疲れた。きれいに仕上がって部屋が明るくなった。あと一枚は明日にでもやろう。何となく疲れた。午後の暑さにもこたえたようだ

晴れたけれど寒かった。

2016年05月17日 | 日記
明け方までの雨は止み晴れたが風は冷たくて寒かった。栃の花が咲いたのに養蜂家のHさんがまだ来ない。昨日電話で来るとのことだった。午前中巣箱の置いてある場所に行ったがまだ来ていなかった。我が家の裏山の栃の木は花が咲いてもう花びらが舞っている。でも気温は15度前後なのでまだ蜂は飛ばないのだろうか?紋次郎と河原で遊んで帰ってきた。でも寒かった。

午後は移動販売車の日で下の喫茶店に村の人たちも集まる。今月一人亡くなった。84歳の男性だ。今晩また88歳の女性が亡くなった。今年もう2人も亡くなったことになる。80代の人が多いので、1年ごとに人数が減っていく。過疎の限界集落の未来は暗い。その中で今生きている人たちができるだけ、この地で生きられるようにしたいと思う。認知症、寝たきりの人をつくらないために何ができるのだろうかと、時々考える。そんな私ももう68歳で高齢者に入る。先日私の89歳の母がおかしなことを言った。「私もう68歳になったよ」「なんで、そんな年になるのや」と
母の頭の中では私がいつまでも子供のように思っているのだ。

庭に咲いた鉄線の花です。私は紫の鉄線が好きです。