美山たそがれメール

山村の四季情報や暮らしを発信します。

たそがれ世代のおばちゃんのブログです。

桜咲いたのに寒い

2019年03月31日 | 日記
京都市内は7割ほど桜が咲いたと午後に京都市内からやって来た
知人は話していた。でも来る途中佐々里峠付近は雪が舞っていたそうだ。
事故見舞いと言って果物などを持ってきてくれた。鞍馬峠の通行止めも
昨日で終わり明日から正常に運転される。一日2往復のバスだけれど
通行止めとなると気分が重くなる。従妹からもラインで家の庭の枝垂れ
桜の写真を送ってきた。満開に近い咲き方だ。家の2本の枝垂れ桜は
まだまだ先だろう。10月桜が咲き始めた。10月桜が咲いてソメイヨシノ
八重桜。枝垂れ桜が順番だ。峠の桜は4月中旬以降になる。これから
暫く桜を見ることが多くなる。

今日で3月も終わりだ。明日から4月。年金暮らしの高齢者の暮らしでは
そんなに変化もない。ただ暖かくなり畑仕事ができるようになるのが
嬉しいかなあ?まず耕運機で畑を耕してもらいじゃが芋を植える。
後は葉物野菜など植えようか。夏野菜は苗で6月の連休後に植える。

選挙に思う

2019年03月30日 | 日記
昨日から京都府議会選挙が始まった。あちこちで始まっている。
私は25年前のことを思い出した。47歳の時町議会選挙に出た。
理由は簡単で無投票が数年続いてた。そして町の政策決定の
場に女性がいないことがおかしいと思ったからだ。
説明会に一人で出かけ一人で決めた。夫は単身赴任で和歌山に
行っていた。次男も大学生になって、私は一人暮らしで時間も
あったからだ。地域の人たちからは「女が選挙に出るなんて」
と」非難もされたが若い子がついてくれて出馬したが、だれかが
人数制限したのか無投票当選になった。私はがっかりした。
ただ4年間私なりに一生けん命努力したが何も変わらなかった。
地方の田舎の議会は封建的で、最後はいつも「しゃんしゃん」と
終わった。一期4年間の議員生活は私の今の生き方に何の
影響も与えていない。あの4年間は何だったのだろうか?

そして30年以上たっても女性議員の数はほとんど増えず
高齢化社会で介護、医療など女性が係わる政策決定に女性の意見は反映されない。
いつの日か女性も男性も輝ける社会が来ればいいのにと、選挙の度に思う。

平成の終焉

2019年03月29日 | 日記
毎日新元号の話題で持ち切りだ。4月1日に発表とか。

昭和は60年間も続いた。先の30年間は戦争で後の30年は
戦後で混乱の時代でもあった。私は昭和23年生まれ。昭和の時代も
生きてきた。父が亡くなったのが昭和64年だった。父は昭和元年
生まれで昭和64年で亡くなった昭和の人だった。父は戦争を経験
していたので、いつも私たちに「戦争はあかん。人が人を殺す。そんな
時代はもういらん」と話した。その言葉だけが私に響く。

平成の時代は戦争こそなかったが自然災害に打ちのめされた時代であった。
阪神、淡路震災。東日本大震災。それに集中豪雨による人的被害の
大きかったこと。私たちはなすすべもなく呆然とした。

私的には色んなことも多々あったが、二人の子供たちが結婚して子供を
つくり新しい家庭を作ってくれたことが一番うれしい出来事だった。
親としての責任を果たせて安堵した。
新しい時代は高齢者になった私たちがどうして老いを生きていくかだ。
残された人生も短い。そろそろ死に支度の準備を考える時だ。

寒一日。孫のセーターを編む。

2019年03月28日 | 日記
なんとさ寒い一日。またストーブと炬燵の生活に戻る。
気温差で風邪気味の私。食欲も気力もなしの一日に
なりました。一日中孫のセーターを編んだりほどいたり
していました。あとは袖を編まなければなりません。

朝9時過ぎ、夫の知り合いが尋ねて来られた。
現在京都大学の研究林になっている中山というところに
古い神社がありました。今もあると思います。ただその神社が
どこから来たのか知りたいと滋賀県側の古老は言われるのです。
大昔なら人も入らない深い山奥です。私の推量では多分木地氏
の人が住み祠をたてたのではと思っています。この大きな森林は
滋賀県側と京都府側に跨っています。その森林をめぐり両者で諍いも
あったかもしれません。よくわかりませんね。昔のことは。

家の集落でもお寺の古文書を大切にしていて、専門家にみてもらったら
なんの歴史的価値もありませんでした。今は有名な若冲も葛飾北斎ですら
その当時は絵など売れなくて宿泊代代わりに描いたたと言われています。


京の桜開花

2019年03月27日 | 日記
やっと京都の桜が開花した。これから京都市内は桜色に染まり
1年で1番の華やぎの時を迎える。私たちはどうして桜の開花に
一喜一憂するのだろうか?確かに厳しい冬を乗り越えて春の
暖かさを感じる時に咲くからだろうか?そして一斉に咲き
あっという間に散ってしまう。散り際の潔さにも惹かれるの
だろうか?桜咲く、桜散る、桜吹雪と桜の明言は多い。

でも山間地のこの地ではソメイ吉野は育ちにくい。豪雪の
時は見事に枝が折れるし虫がついて天草病ににもかかる。
ここは枝垂れ桜や八重桜の方が適しているように思う。
この地に50年住んで、何百本もの桜を植えてきた。今では
10種類ほどの桜が根付いている。
暮れの10月桜が咲きソメイヨシノ、河津桜、枝垂れ桜と
続く。村の人たちはソメイヨシノの下で花見をするのが
好きだ。お弁当を食べて喋るだけなのだが、毎年春の
花見は欠かせない。今年は4月の2週目ごろにする予定だ。

京都の桜開花せず

2019年03月27日 | 日記
きょうは一日中晴天で暖かだった。夜になっても暖かでストーブを点けなかった。
隣村のSさんがバイクに乗ってお見舞いにきてくれた。2時間ほどいて帰った。
午後は移動販売車の日で下のカフエに集合。1時過ぎから4時頃まで喋っていた。
「誰それが亡くなったとか。入院したとかの」の話が中心になる。
リハビリに通っているおばちゃんが情報源だ。週に2回こんな状態だ。

京都の桜の開花宣言は今日もなかった。あちこちで咲いているのに近畿地方が
遅れている。やはり満開は4月初旬になりそうだ。ソメイヨシノが桜の代表に
なっているが、桜は種類も多い。我が家の十月桜と2年前に川辺に植えた河津桜
が咲き始めた。河津桜は色が濃いので見ごたえがある。でも昨年の台風で数本
倒れてしまった。佐々里峠に植えた桜も生育が芳しくない。成木になる前に
鹿が幹を食んだり引っ張ったりして数十本枯れた。その点枝垂れ桜は強い。
30年前に植えた枝垂れ桜は大きくなった。私たちが死んでもこの枝垂れ桜は
残るだろう?

生還を読む

2019年03月25日 | 日記
午前中は編み物などする。お昼にエンドウ豆ご飯を炊く。初物で美味しかった。
編物に疲れて、読みかけの生還を読み終えた。いろんな闘病記はあるが、これは
珍しく脳梗塞の発症からリハビリ、それに続く骨折。84歳の高齢者が必死に闘う
記録でもある。何もきずかないうちに倒れて救急車の中で気がつく。足が動かない
言葉がでないと完全に脳梗塞の症状だ。救急病院での処置で一命はとりとめるが
後遺症による治療が始まる。そんなときはリハビリテーション病院に移される
らしい。そこで数か月リハビリをしてよくなると退院だが、その前に家の改築
などが必要になるらしい。二階はだめで一階にトイレは作らなければならないとか。
家に帰っても普通の生活には戻れなくて。そこで骨折、また再入院。この様子では
脳梗塞で命を助けてもらっても、その後の生活には不便や生きる気力すらなくなるようだ。
著者は作家であるので客観的に自分自身を見つめているが、私にはできないなあ。

私が31歳で癌になったときもいろいろ不自由が出てきたが若さと行きたいという
気力もあった。もう70歳無理だなあ。脳梗塞にならない予防を心がけよう。

雪の朝

2019年03月24日 | 日記
6時過ぎに起きた。あたり一面雪化粧で真っ白で寒い。
泊り客の朝食の準備とサンドイッチ作りをする。加工場に
暖房する。母屋に行くと雪に驚いていられた。朝食後ゆっくり
されて10時半過ぎに帰られた。雪は午前中に止みあっというまに溶けた。
春の淡雪か?

先日生の鱈を半身買った。てんぷらなどに使ったが残っていたので
唐揚げにした。そして甘酢餡に浸けた。玉ねぎのスライスを
のせて。それが案外美味しかった。鱈の身はぽろぽろしている。
それに生の鱈は思ったほど癖もない。まだ骨のところが残っているので
豆腐と野菜を入れて小鍋仕立てにしようと思っている。捨てる部分が
ほとんどなかった。でも今年の冬はよく生鱈を食べた。でも冬ももう
終わりなので今回が最後かもしれない。

日曜日の夜は時々「ぽつんと一軒家」を見る。今日は山奥に焼酎の醸造所
があった。その工場の社長は19年前に山奥に産廃所ができると聞いて
山ごと買いそこに醸造所を建てられたのだ。川を守るために山の整備を
してきれいな山林が作られていた。すごいなあと思った。我が家も
山の奥の一軒家に違いないがそんなに不便なところでもない。日本
列島いたるところにぽつんと一軒家がある。そしてそこで生活されている
人もいる。消滅した集落も時々見受けられるが。

寒い、寒い一日

2019年03月23日 | 日記
朝6時に起きて弁当、サンドイッチを作る。外に出られない。
京都からのお客さん。鞍馬街道声越えができなくて貴船を超えて
来られたが道が狭くて、明日は162か丹波縦貫道で帰ってもらおう。
ストーブも2台焚いてまるで冬に逆戻りだ。鶏肉の水炊きでよかった。
すぐに温められる。子供たち2人は小学生だがおとなしい。
後片付けまでしてくださった。いいお客さんだ。

夜になり気温が下がりまた寒くなって来た。明朝は霜になるかもしれない。
桜が咲いた関東も気温が急に下がり花見どころではなさそうだ。
京都は来週に咲くらしいが本当かなあ。寒いと花もちがいいと言われて
いるが雨が降るとあっという間に散ることもある。人間の思うようには
ならない。我が家の周辺は梅が満開だ。

今日は寒い

2019年03月23日 | 日記
関東地方は桜が開花して20度以上なのにここは冬のように寒い。
私はもんもんとした気分で一日を過ごしている。自責の念にかられ
何度もため息をつく。覆水盆に返らずなのに。

今日は移動販売車の日だ。集まった村のおばさんたちに昨日の
法事のお供え菓子をもらってもらった。
私の大好きな阿闍梨餅も一人では食べられない。明日のお客さんにもたべてもらおう。
昼過ぎから出て行った夫は夜の9時過ぎに帰って来た。
夕食はすませてきたという。私は夕食を食べるのを忘れた。
夜は孫のカーデイガンを編む。今回本通りの模様編みで編んでいるがいつも
同じところで間違う。尚美さんにまたほどいてもらった。
3度目になると、なんとか間違えなく編めた。12時過ぎに後ろ見ごろが
出来上がった。週末は編み物は休む。

明日の夜はアメリカ人家族の宿泊だ。寒くならないといいのだが。
この分ではそう暖かくならないだろう?春の天気は

父の33回忌

2019年03月22日 | 日記
朝9時に家を出て実家に向かう。途中で親戚の人も乗せて行く。
父の兄弟関係4人、子供である私たちが夫も含めて7名だった。
お寺でも法要、墓参りの後座敷で会食。足も弱くなり老齢の母は
炬燵で寝ころんでいた。妹、弟、私たちはいつも賑やかになるが
今回は母のこれからのことがあり静かだ。いずれ足腰が立たなくなり
霜の世話が必要になれば老人ホームに入れなければならないだろう。
週3回のデイサービスで今のところはいけそうだが、ショートステイ
を嫌がるので、弟夫婦はどこにも行けないと言う。私たちは同居している
弟夫婦に一任してきた。母は93歳である。長生きするのも大変だと思った。
60歳で亡くなった父は遺影で微笑んでいた。母は今日の人疲れで明日は
デイサービスに行きたくないと言うのではと心配だ。

12時過ぎイチロー選手の引退会見があったが、途中でコマーシャルが入り
ぶち切れになった。明日のワイドショーのほうが詳しくわかるのでは。

ドライブレ―コーダーで決着

2019年03月20日 | 日記
今日の午後保険会社から連絡がありました。ドライブレ―コーダーの映像から
私がセンターラインを割り相手の車にぶつかり押されてバックしているとの
ことでした。それで100パーセントの割合が私に課せられました。。私は納得して
明日から相手方の保険屋さんと示談の交渉を進めて下さいと言いました。交通
違反をしたのですから行政処分もついてくるでしょう。それもしかたがないです。
私はけがもしてなくて元気です。今日やっとご飯を食べることができました。
車はしばらく乗りません。ただここは交通僻地で不便ですが辛抱します。
私も事故のことがトラウマ状態で出て来て睡眠不足です。

相手の若い男の子はどうなったか心配です。保険屋さんの話では2,3日の
打撲しか言われません。私はもう71歳ですので運転しても4年です。
彼は若いから事故のことがトラウマにならないか案じられます。
僅かい1分ぐらいで事故が起きることがわかりました。

憂鬱な日が続きます。

2019年03月20日 | 日記
接触事故後、もう3日も経ちました。保険会社で対応はしてもらって
いるのですが気分は憂鬱です。特に食事を受け付けずとれません。
ため息を何度つくでしょう。あのときもう5分遅く通っていたらとか
日曜日に車に乗らない方がよかったのではと。でもあとのまつりです
事故は起こったのですから。どのような形で示談が成立するのか
だけが案じられます。

今日も昨日もわりといい天気です。21日は春の嵐らしいです。
お彼岸の花を夫が買ってきました。
明日は21日の父の33回忌に行くための準備をします。
60歳で亡くなっています。今の時代からみれば早死にですね。
母は93歳になりました。父より30年以上長生きしています。
高齢で足も不自由になりましたが、元気にしています。
母は父の33回忌をしなければと数年前から言っていました。
親戚、子供たちが集まりますので、母も喜ぶでしょう。


保険会社との対応

2019年03月19日 | 日記
今日は朝から保険会社に電話する.事故の経過や色んなことを聞かれる・
まず最初に夫はレッカー車を頼み修理工場に運んでもらった。相手の
事情がよくわからないのが不安。保険会社がすべてやると言ってくれたが
どうなることやら。救急搬送で病院に行っているので過失傷害になるかも
しれない。警察に事情徴収されるかもしれない。面倒になるなあ。でも起こして
しまったことだから仕方がないと何度も自分に言い聞かせる。本当に事故は
一瞬に起こる。まともに正面衝突していれば命を失うだろう。不幸中の幸い
と人は言ってくれるが、私には納得いかない。早く解決することを望む。

昨日からまともに食事が取れていない。やっとジュースと苺を昼食に食べた。
夜も熟睡できなくて困っている。

佐々里峠で接触事故を起こしました。

2019年03月18日 | 日記
2時過ぎに家を出て佐々里峠を走っているとき接触事故を起こしました。
坂道の上から下って来る車にぶつかったのです。幸い大きなけがもなく
両方の車の右側が破損したのです。30代の男性二人がのっていました。
峠の付近は携帯が繋がらず警察官が来るまでで1時間近くかかりました。
時折雪が舞い寒くて困りました。救急車にもきてもらい二人は救急搬送に
なりました。事故係の車と警察官も二人来て現場検証をしましした。
一応5時過ぎに終わりました。明日保険会社に電話して後のことは
保険会社にお任せしようと思っています。私も少し打撲はありますが
それほど大したことはありません。そんなにスピードも出ていないのに衝突
すると車は簡単に壊れるものだと思いました。私の車はもう8年以上乗って
いるので廃車にしようと思います。私の保険で相手方の希望通りにしてもらう
つもりです。30代の若者なので車のことが心配そうですぐにJAFに電話して
持って帰られました。私の車もエンジンはどうもないので夫が事故現場から
持って帰ってきました。疲れました。明日からが大変です。