美山たそがれメール

山村の四季情報や暮らしを発信します。

たそがれ世代のおばちゃんのブログです。

春風に誘われて

2018年02月28日 | 日記
連日14度前後の日が続き、暖かくて気持ちが良い。今日も午前中は太陽が出て気温も上がり
いい天気だったが、午後から風が出てきた。今晩から雨になるらしい。春の嵐と気象予報士は言っているが。私は久しぶりに美容院に行った。
冬は寒いのであまり髪を切らなかったのだが今回は少し切り整えてもらった。シャンプーもしてもらい顔も剃ってもらった。髪も短くなり、少し心も弾んできた。紋次郎が癌になってから、髪どころではなかった。紋次郎がいないとなんとなく時間をもてあます。
帰りに友人の家に寄る。彼女は寝たきりの大きなラブザローズを2年間介護している。寝たきりだが元気だった。紋次郎は彼女を通して我が家に来ていたので紋次郎の最後を報告する。「紋ちゃん、20年近く生きたんやからよろこんでいるって。もう寿命だから。もう私たちは犬を飼えないね。こっちの方が先になるかもしれんから」紋次郎の話題でもりあがった。


ポテトサラダにゆで卵、ミニトマト、林檎をたくさん入れました。

早春の香り

2018年02月27日 | 日記
今日も暖かい。10時過ぎから昨日洗濯した座布団カバーに糊つけをする。かっては糊を水で溶いて少し大変だったが、今は液体キーピングで簡単にできる。夕方まで乾いた。

今晩は香港から一人の男性の泊り。すき焼きと天ぷらにした。紋次郎のお墓参りの帰り道蕗の薹を見つけた。天ぷら用に小さな椎茸も摘んだ。この二品で春の香りを楽しめる。お客さんはたべてくれた。ほろ苦い香りが蕗の薹にはあるのに。拙い私の英語が通じているか心配なのだが、彼は「よくわかる」と言ってくれた。香港は昨年の9月に行っているので、共通の話題で話ができる。それに母屋と自分の家を行ったり来たりで5000歩ほど歩けた。明日の朝の朝食は7時半で8時半に家を出て茅葺きの里に行くそうだ。明日の午前中は晴れで総寒くないので茅葺き集落散策にはいいとおもう

春の様な天気ですが?

2018年02月26日 | 日記
ここ数日気温が上がり春のような天気です。外に出ると風は冷たいのですが。昼前に新聞を配達してくれた郵便局のおじさんが「今日は洗濯日和だよ」と声をかけてくれました。紋次郎が寝ていた炬燵カバーも座布団カバーも洗濯しました。風とお日様のおかげで夕方には乾きそうです。紋次郎の色が家の中や周囲から少しずつ消えていきます。今日もお墓参りに行ってきました。「紋ちゃん、本当に春まで生きられなかったね」「お母さん、僕は充分生きたよ。癌だったから仕方ないよ。最後はお母さんにきちんと別れができなくてごめんね」

郵送で来た2日間の新聞を読む。オリンピックの記事が多い。午後散歩に行く。歩かないと歩けなくなる危機感をこのごろ持つ。紋次郎も最後は歩けなくなった。福寿草の蕾を見つけた。クリスマスローズも蕾をつけていた。一気に春がきそうだがそうはいかないだろう。春は行きつ戻りつして来るものだから、まだ寒い日もあるだろう。でも今日のように天気の良い日は気分までよくなる。

のんびりとした日曜日

2018年02月25日 | 日記
朝は8時に起きる。オリンピックも今日が最終日で報道もおちついてきた。いつも通りの日曜日の朝の報道番組を見る。10時からは私の大好きなBS日テレの「小さな村 イタリア」の番組を見る。1時間番組なのに飽きない。毎週見ている。こんな番組を作ってほしいと思う。
過疎とも限界集落とも一言もナレーションでも言わない。イタリアの小さな田舎町で黙々と生きている人たちのドキュメンタリーになっている。記録として残せる。日本の番組では異色性とか華やかさを作りたがる傾向にあるように思えて仕方がない。私は報道番組とスポーツ中継ぐらいしかみない。この種の番組が増えればいいのだが、視聴率第一主義ではできないだろう
午後外の散歩。畑の雪はほとんど溶けた。

今回の平昌オリンピックでも変な時間に競技時間が設定されていた。放映権料を持つアメリカのテレビ会社の意向が働いいていたらしい。あんな寒い地域なのに夜の10時過ぎから競技を始めたり、朝の10時からフイギュアの中継をしていた。その地域にあった時間設定をした方が、選手のためにはいいのにとも思った。

紋次郎のお墓

2018年02月24日 | 日記
数日の晴天と気温の上昇でやっと雪が熔けてきた。紋次郎のお墓までも行きやすくなった。やっと墓標らしきものを立てて墓らしくなってきた。紋次郎の亡くなった2月12日は冷え込んで雪もあり穴を掘るのが大変だった。浅いと山の獣たちが掘り出すので夫は重機で1メートルほど掘ってくれた、土ををかけてくれたが雪が熔けると少し下がってきた。4月にはもう少し整地をしなければと思っている。枝垂れ桜の下に埋めた。きっと綺麗な桜が咲くだろう。横には梅が2本栗が1本ある。そこに夫が栽培している椎茸の榾木も立ててある。
「紋ちゃん、寂しくないだろう。お母さんは何度もここに来るからね」と私の独り言。私は紋次郎がいなくなって寂しくてたまらない。朝起きても寝るときでも「紋ちゃん、紋ちゃん」と言う。墓に向かっても呼んでいる。空を舞う烏たちが笑っているかもしれない。

数十年ぶりの寒波でスチームコンベクションが故障した。水を送っている配管が凍ったのかと思っていたがホシザキの人が来て「中の水を貯める容器の破損みたいです」と言われ部品を取り寄せてもらい修繕してもらった。今年の寒波は異常でここは雪が降らないで気温が異常に低下した。マイナス16度に日は町内のあちこちで水道管の破裂、凍結が出て水道課から水の自粛が出された。わが家も温水器が凍結したが夫が修繕した。洗濯機は3日間使えなかった。

お雛様

2018年02月23日 | 日記
本来なら2月の中旬にはお雛様を飾るのに、紋次郎と妹の死が重なりだす気もしないでいたが、やはり1年に一度は飾らなくてはと思い男雛と女雛だけ飾ることにした。我が家のお雛さんは本来7段飾りである。私が小さい時買ってもらえなくて孫ができた時友人から譲り受けた。京都に住む双子の孫たちも小さい時は帰ってきたが小学校に入ると帰って来なくなり、マンション用の小さなお雛様を買って送った。それで満足しているらしい。
民宿をやり始めてからは2月でも海外からのお客さんが来るので飾っていた。来週香港からお客さんがやってくる。急遽飾ることした。雛あられ、手つくりの菱餅も供えた。今日は小浜の移動販売車のお兄ちゃんから、桃の花束を買った。簡単だがお雛様飾りができた。ほっとした。でも3月3日は妹の49日の法要があり、紋次郎が亡くなってまだ一か月も経っていない。身近な人や愛犬が死んでも日常生活は続く。月日が悲しみを癒すとも言われるが、私にとって愛犬紋次郎の死は応えている。ペットロスの様な状態である。

夜中の訪問者

2018年02月22日 | 日記
確定申告の書類を封書に入れてほっとしていた。夜12時前、外の大きな音に驚く。「バタン、バタン。ドン。ドン」私は懐中電灯を持って外に出た。空には満点の星が輝き冷え込んできた。畑の柵が倒されていた。鹿の仕業である。食べ物がなくなった鹿は畑に残されているキャベツや白菜を狙ってきたのだ。この間の30センチに雪の時、その雪を足場に畑に飛び込んでキャベツ白菜を食べた。まだ残っていると思っての来訪だったのか?紋次郎が亡くなり犬の匂いもなくなったので、安心しているのだろう。私はタキイで買った高い苺の苗を食べ荒られると困るので、夫に緊急処置を頼んだ。本格的に防護柵を作るのは雪が熔けて春になってからだ。20年間、鹿や猿、熊、猪など追い払ってくれていた紋次郎の存在は大きかった。一日に一回は村の中を巡回していた。村のおばあさんたちから「紋次郎、賢いなあ」と褒められていた。獣たちは犬の匂いを嫌うらしい。今年の春からの畑仕事は山の動物たちとの闘いから始まりそうだ。

今日も晴れ。蕗の薹を見つけました。

確定申告

2018年02月21日 | 日記
確定申告の時が来た。3月5にまで出さなければならない。小さな自営業者で儲けもほとんどないが、毎年確定申告はする。税金を払うのは国民の義務であるからしかたがないが、ぞの税金の使い道がきにかかる。毎年同じことを思う。確定申告の書類を作るのは簡単になった。パソコンの画面に国税庁の確定申告作成ページを開ければ、指示通りに書き入れて行けば間違いなく計算までしてくれる。以前は備品などの原価償却計算に手間取った。
下準備に1日ぐらいはかかるが、あとは数時間でできる。今回プリンターの調子が良くなくて手書きでしなければと思っていたが、今日はプリンターが動いてくれた。もうできる。刷り上がった用紙を封筒に入れて郵送しよう。

今日は一日中、細かい雪が音もなく静かに降っています。午後はオリンピックのフィギュア女子のショートを見る。ロシアの選手が上手かった。宮原、坂本の2選手も4位、5位につけている。フリーでメダルに届くだろうか?

日脚伸ぶ

2018年02月20日 | 日記
今日は本当にいい天気で洗濯物が一日で乾いた。日の出も1時間ほど早くなり日の入りも遅くなった。節分を境に春に向かっていることを実感する。

なんだかペットロス症状が出てきた。お客さんのある時は紋次郎のことを想うことがない。でも朝起きた時、紋次郎がそばにいないのと紋次郎の匂いがなくなり、紋次郎のいないことを再確認する。今日は紋次郎がいつも座っていた座布団のカバーも洗濯した。夕方紋次郎の墓に行く。この下に紋次郎が眠っているのだ。「紋ちゃん、出ておいで。ワンと言ってよ。」何も答えはない。「紋ちゃん、鹿が来たら追い払ってね。椎茸も出てきているから猿の番もしてよね」紋次郎のお墓のそばの梅の木の蕾も膨らんできた。そのうち咲くだろう。夕食の時も変がないなあ。紋次郎がいないと。夫と2人の暮らしは息が詰まる。紋次郎がワンクッションになっていたのだ。犬はもう飼えないから、やぎでも飼おうか?今夜も紋次郎を想うと眠れないなあ。紋ちゃん、寂しいよ。今日で紋次郎が亡くなって1週間。 .
 

紋ちゃん寂しいよ。

2018年02月19日 | 日記
紋次郎が亡くなって1週間がたちました。紋次郎の姿が見えなくて、本当に寂しいです。最後は歩けなくて居間に寝そべっていました。私は炬燵に入りながら紋次郎を眺めていました。
紋次郎がいるだけでよかったのです。私の独り言を黙って聞いてくれました。20年前に来た時は外に出て遊び回っていました。家の中より外にいる方が多くて鹿や猿を追い回してくれました。先日畑に行くと網の張ってある畑なのにどこからか鹿が入りキャベツと白菜が食べられていました。紋次郎がいなくなり犬の匂いも消えて、安心して徘徊しているのでしょう。私は外に出ると紋次郎の墓に向かって声をかけます。「紋ちゃん、おはよう。寒くない?痛みはなくなった?」土の中は温かく痛みも消えていることでしょう。日ごとに寂しさが募ります。

今朝はは修学旅行で民泊をしていた子供たちの出発時間が7時45分と早く朝食は7時にしました。私は5時半に起きて味噌汁と松花堂に詰め込みました。4人の生徒は7時半に準備をして待っていました。布団も綺麗にたたんでありました。その後、シーツなどの洗濯もしました。2日続きのお客さんで疲れました。

山ぼうしに野鳥の餌箱をかけました。来るでしょうか?

紅葉まんじゅう

2018年02月18日 | 日記
今日の昼過ぎ、広島の呉市の中学生がやってきた。農家民泊で一泊泊まりだ。まず昼食にカレーライスとサラダを食べさせた。午後は農家体験で何かさせたかったが昨日の積雪で畑に行くことができない。どうしようかと心配したが4名の男子生徒はそりに乗っていた。雪玉を作り雪合戦もしだした。雪が珍しいようだ。3時まで外で遊びコーヒータイム。手つくりのプリンとミルクコーヒーで一服。冷えた足を炬燵に入れていたがそのまま寝てしまった。夕食は6時にした。天ぷらを目の前で揚げた。雪の中からフキノトウを取って来た。ほろ苦い味なのに美味しいと食べてくれた。すき焼きもよく食べた。明日は8時半に集合なので7字には朝食を出さなけければならない。早めに寝よう。今日は午前中は雪が降ったり止んだりしていたが午後は晴れてくれた。このごろ年に数回、国内の中学生や台湾の高校生たちもやってくる。明日は京都観光で最終日はUSJが定番コースになっている。

お土産にもらった紅葉まんじゅう。広島からきました。

春遠からじ

2018年02月17日 | 日記
昨日の天気とは一転して今日は一日中雪が舞う。夕方までに15センチほど積もった。今晩の泊りのお客さんは雪に慣れている人なので心配しなくていい。先週の家族連れのお客さんはAudieで家の坂道を上ることができなかった。春はまだまだ遠いなあ。

オリンピックで羽生選手が金メダルを取った。テレビの前で祈るような気持ちで見ていた。11月に足の骨折で試合に出れるのかと思われていたのに、完璧な演技ができた。「すごいなあ」の一言しかない。若い選手が次々と出てくる中で2連覇を取るのは至難の技だったに違いない。また「ありがとう」とも言いたい。夜はジャンプの決勝もある。寒い中で頑張ル選手たちにエールを送る。私たちは炬燵に入りテレビを見ているのだから。

友人が整形外科に入院した。手術後気になっていてメールをした。なんとか元気な様で安心した。来週から始まるリハビリが大変だと思うが、あまり頑張りすぎないでやってほしい。私が骨折の手術後、リハビリで失敗した経験がある。早くなおらないとと急ぎすぎて途中で転んでもう一度手術をしたのだ。

別れの時

2018年02月16日 | 日記
妹が亡くなり紋次郎が死んで、私の身近な人がいなくなっていく。妹は7年間も寝たきりで意識が戻らないままいってしまった。紋次郎も3カ月介護をしたし、高齢犬になっていたので
亡くなることは予想できた。でも寂しいです。20年間も一緒にいたのですから。

先日府立医大病院の神経内科の受診をした。3カ月に一度の定期検診だ。軽い脳梗塞のような症状が出て内科から神経内科に回された。60歳の時だった。MRI,CT,頸動脈エコーなどして病名がわかった。頸動脈狭窄症と診断された。その時から3カ月に一度診察に通うことになった。10年間大きな脳梗塞もおきず今に至っている。担当の先生はいつもやさしく穏やかに私を診てくださった。次回の診察予約をするとき先生から
「僕も定年で外来診察は4月からしなくなります。僕の親しくしている先生を紹介します」と言われた。大学病院ではよくあることだ。
「先生、病名と共に、この患者は我がままで頑固で大変ですと一言付け加えください」と念を押した。私はこの大学病院に35年間通院しているが、いつもいい先生とのめぐり逢いで病と闘ってこれた。
「わかりました。ちゃんと書いておきます。あなたもよく頑張りました。これからも長生きしてくださいね」
「10年間お世話になりました。ありがとうございました」
私は丁寧に挨拶をして診察室を出た。また、一つの別れがあった。

草餅と花見団子 春よ来い!早く来い!

二本の桜(紋次郎桜と江津ちゃん桜›)

2018年02月15日 | 日記
3日前に亡くなった愛犬紋次郎を枝垂れ桜の木の下に埋めた。この桜は私がこの村に住む決意をした年に植えた。今年で樹齢35年になる。最初の10年間は土地に馴染みにくく余り成長しなかったが、10年前から見事な花を咲かせるようになった。美山の中でも寒く雪の多い土地などで春になると枝が折れることもあったが、今では丈も3メートルぐらいになり折れることもなくなった。私は4月中旬桜の咲くときは独り木の下で眺めていた。そのときついてきていたのが紋次郎である。11月中旬癌宣告されたときから亡くなったらこの木の下に埋めようと決めていた。2月13日明け方に亡くなり夫は重機で穴を掘り紋次郎を埋めてくれた。昨日は知人が駆けつけてくれて花束を手向けてくださった。わが家から見えるところだから紋次郎も安心しているだっろう。この枝垂れ桜は紋次郎桜にしよう。

もう一本は佐々里峠の頂上の一角に植えてある十月桜だ。京都市と美山町を結ぶ唯一の道路として40年前に開通した。その時に京都市側の集落の人たちが植樹した1本がこの十月桜だ。だれにきずかれることももなく咲く。でもこの桜は私にとっては命の桜でもある。40年前癌になり手術、コバルト照射を受け再発の不安を抱えながら、一月に一度京都市内の病院に通院した。そのときにこの桜が私を励まし支えてくれたのだ。11月ぐらいから咲く。雪の中。寒風の下もで凛と咲いていた。冬の間は通行止めになる峠、開通して一番先に桜を見に行く。
桜は小さな花をつけていた・「また会えたよね。来年も咲いてね」と私は問いかける。寒風や雪で幹まで裂けることもある。この桜は十月下旬と3月下旬にも咲くから二度桜とも言われている。

そうだ。私は二本の桜に見守られて、残された人生たくましく凛と生きていくと決意した

知人から手向けられた花束。遺影の前に飾りました。。

今日は快晴

2018年02月14日 | 日記
なんと、今日は10時過ぎから太陽が出て雲一つない快晴になった。路面の雪も溶けてきた。
やっぱり2月も中旬になると天気は一変する。

私は昨夜11時過ぎから朝の6時まで途中で起きることもなく熟睡した。何日ぶりだろう?多分紋次郎のがん発病以来だから3カ月になる。最後の1週間は夜中に2回は起こされて抱っこして外まで連れて行きおしっこをさせた。紋次郎は本当に家の中では粗相をしなかった。最後の日には外に連れて行ってもしなかった。食事もしなくなり1週間水だけであったかだろう。今紋次郎のお墓に行き「紋ちゃん、どうしているの?楽になったでしょう」と言ってきた。友人たちがブログで紋ちゃんはいつもうろうろしていたから、まだその辺にいるわよとも書いてきてくれた。私も覚悟して3カ月介護してきたのであまり悲しくない。でも、いつも私の呟きを聞いてくれた紋次郎がいない、誰に呟けばいいものか。夫は「カラスとでも話したら」と言った。この頃毎朝野鳥が庭の木々集まってくる「そうだ野鳥の餌箱をつるしてやろう。彼らは集まってくる。彼らと一緒につぶやくことにしよう」アマゾンですぐに餌箱を注文した。