美山たそがれメール

山村の四季情報や暮らしを発信します。

たそがれ世代のおばちゃんのブログです。

今日は 12月31日

2013年12月31日 | 日記
お餅が届きお正月用の生菓子も届いた。注文していたおせちも届いた。午前中正月用の花を活けて
居間と台所の掃除を済ませた。近所の蕎麦屋さんから手打ちそばも届いた。昆布巻きはできた。明日の雑煮用の大根や蕪もしたゆでした。今晩はぶりの刺身と海老と蟹を食べる。子供たちがいたころはすき焼きや焼肉をしたが老夫婦二人になってからは魚がメインになる。おせちも以前はたくさん作って配っていたが今ではそんなこともしない。今日も一日晴天で気持ちがよかった。雪はあまり融けていない。独り暮らしの近所のおばさんにみかんと年越しそばを持って行く。85歳で古い家に一人暮らし。そんな姿を見ているとわびしくなる。限界集落の年越しはいろんな問題を抱えたまま、今年も1年過ぎた。雪が集落を覆っていていいところに見えるが現実はそんなものではない。年金だけで食べなければならない老夫婦や独り暮らしの人たちには厳しい。

ただこの集落の人たちは生まれてからずっとこの地域だけで生きてきた人たちだから、お互いに助け合うことができる。都会の孤独に比べてまだ少し救いがる。

マイナス8度 この冬最低気温

2013年12月30日 | 日記
今朝の冷え込みはひどかった。朝の気温マイナス8度はこの冬一番の冷え込みになった。路面はがちはち。日が当たるのを待っていたが10時を過ぎてからだった。11時に家を出た。蔭の道は凍っていた。智ちゃんの家に寄ると、坂道に止めている車が動かないという。湯をかけて氷を溶かすが氷の厚さが10センチほどあってなかなかとれない。氷を叩き割ったり1時間かけてやっと上の道にあがった。これから下に降ろしてはダメよと言っておいた。冬場はここは4Wdないと駄目だ。

夜は昨日長男が持ってきた鰤でぶりしゃぶにした。
10時過ぎから冷え込んできた。明日も冷え込みそうだ。

青空の晴天

2013年12月29日 | 日記
今日は一日晴れていた。空は青く澄んで雪の白さとのコントラストがきれい。でも寒い。雪があるのとないのでは寒さが違う。同じ温度なのに不思議だなあ?田んぼも畑も雪の中に埋もれた。気温が低いので融けない。宅急便のお兄ちゃんは坂道を歩いて登ってきた。「初めてなので、車を置いてきました」と言っていた。初めての人はびっくりするだろう。
昆布巻きを煮始める。鮎が冷凍庫にあったので鮎巻きも作った。上手く炊けるだろうか?

紋次郎は家を出たり入ったりしている。
               

積雪30センチ  除雪初出動

2013年12月28日 | 日記
4時夫の除雪車が出ていった。30センチぐらいの積雪。私は9時に配達に行く。片側は除雪してあるがよく積もったものだ。今日はどこまで行っても雪だった。ふらっと美山前は15センチぐらい。配達の後挨拶をして友人のMさんの家に行った。カステラの支払い。よもや話をしながらうどんを作ってもらった。家に帰っても雪の中。室内でも寒い。昨日の停電で睡眠不足。夫は5時に夕食を早々と済ませ離れの二階に帰って行った。私も早くに寝ようと思っている。明日は凍てそうだ。雪の上が凍てるとよく滑る。日中の気温も低いからもう雪は融けない。

雪が積もった  停電

2013年12月28日 | 日記
朝から雪が降り午後はひどくなった。夕方小浜の移動販売車が来た。「走れなかったよ。雪が重くて滑ったよ」今年最後の日に大変だったようだ。正月商品がたくさん摘んであった。いつもよりたくさん買った。来年は10ごろに来ると言って帰った。夫は除雪車を広場から走らせて家に持って帰った。明日の朝から除雪が始まるだろう。9時前に停電になった。たぶん雪の重みで電線が切れたのだろう。しばらく待ってもつかない。蝋燭を点けて懐中電灯を点けた。もう寝ることしかできない。湯たんぽに湯を入れて反射式ストーブを点けて暖を確保。そのまま寝た。午前2時半に電気が点いた。それからパソコンを使っている。電気が停電すると本当に不便だ。でも慣れたもの蝋燭などは準備しているが、大きな蝋燭はなかなか手に入らない。携帯も停電時に便利な器機になる。
年末寒波になった。これで根雪になる。

紋ちゃんの昼寝

2013年12月26日 | 日記

朝は晴れて冷え込んでいたのに1時過ぎから雨になった。私はストーブで小豆を煮ている。紋ちゃんは出たり入ったりしていたが、雨が降り出すと居間に来て炬燵に入り昼寝を始めました。おとなしいです。生協が来て荷物を取りました。お正月を控え忙しそうです。我が家は子供たち家族は冬は帰って来ないのでいつもながらの夫婦二人のお正月になります、
今年の3月に義父が亡くなったので母屋もからっぽです。灯のつかない母屋の茅葺は夜には寂しく思えます。義父はこの家が気にいっていて、死ぬ直前まで一人暮らしをしていました。ときどき仏壇の花を替えに行くのですが広い台所、座敷など人の気配のない家は寒々しています。夫はガレージの上の部屋で寝ています。私は私たちが建てた一軒家に一人で住んでいます。紋次郎が2軒の家の間を往来しています。紋ちゃんがいなくなったら私たち夫婦の関係も変わるかもしれません。15歳の高齢犬紋ちゃんに頑張って長生きしてほしいものです。

すぐき大好きです。

2013年12月25日 | 日記
昨日三条の帰りに寄った「フレンドフーズ」ですぐきを買ってきました。京都特産の漬物です。醗酵しているので酸味があります。今から50年前上賀茂で下宿していたとき、この時期になると引き売りのおばさんが持ってきてくれました。今も高いのですが当時も高かったです。でも一度食べて好きになると、何があっても冬には食べないとだめなのです。本当に美味しいのは上賀茂の農家の人が漬けたものが美味しいのですが、なかなか手に入りません。毎年上賀茂の友人から年末に届くのですが昨日は美味しく見えてつい買ってしまいました。今晩切って食べたのですがわりと美味しかったです。根っこも美味しいのですが、私は葉の刻んだのが好きです。ご飯に混ぜて食べます。京都市内には漬物の専門店がたくさんあります。私は冬の漬物ではすぐきと千枚漬けと柴漬けが好きです。

天気は晴れたり曇ったりでこの時期としては暖かです

三条賑わい市最終回

2013年12月24日 | 日記
                  私のプリンアラモード

今日で今年の賑わい市は最終回。クリスマスイブとあって隣のリプトンではケーキの街頭販売、もいっぽうのファーストキッチンではチキンの街頭販売。人でも今日は多かった。野菜類と加工品はよく売れた。たくさん持って行った大根と白菜が残った。来年度は6月ぐらいからになる。半年はここに来ることはない。賑わい市も今年で5年を経過した。多くのお客さんが新鮮野菜を求めて買いに来てくれるようになった。馴染みになったお客さんにもお礼を言う。世話役の商店街のNさんからクリスマスプレゼントもらう。いつも買う隣の洋品店でもセーターなど買った。三島亭は混んでいた。お正月用のお肉を仕入れて来た。京都市内はクリスマスモードでいっぱいだったが、こちらに戻ると静かでクリスマスの雰囲気は感じられない。予約していたクリスマスケーキを持って帰る。夫と二人で食べるには大きい。子供たちがいた時が懐かしい。
6時半に帰ってきた。繋がれていた紋次郎は怒っていた。上等のハムを2枚やると落ち着いた。

くねくねと長い坂道が続いていた栗尾峠がトンネルなった。特に冬場は路面が凍結して怖かった。長いトンネルになったが走りやすく便利になった。京都市内まで3つのトンネルが続く。高雄は狭いままで広くはならない。

みかん畑から直送

2013年12月23日 | 日記
昨日夫が和歌山県の有田までみかんを買いに行った。夫は10数年前単身赴任で和歌山県の旧清水町に行っていた。いつも帰ってくるときにみかんや花や野菜など買ってきてくれた。そのときに知り合いになったみかん農家の家に年末になると行く。私も以前は行っていたがこのごろは行かない。私は葉付きのみかんを頼んだ。私たちが行くみかん山は決まっていた。海に向かって日の当たるみかん山だった。みかん山の周囲ではもう水仙が咲いていた。今年は年末に賀状欠礼の喪中葉書が届いていた。79歳のおじさんが亡くなっていた。
夫は雪の朝6時過ぎに家を出て夜の8時前に帰ってきた。葉付きのみかんは忘れずに持って帰ってくれた。4月に亡くなっていたおいじさんのご仏壇にも参ってきたと言っていた。「いいおじさんだったねと」話た。1個味見したが美味しかった。売られているみかんは倉庫などで貯蔵されたものが多い。摘みたてのみかんはまずない。みかんの葉の緑とみかんの香りが漂う。

雪は降らないが雪に囲まれているので寒い。でもい久しぶりにお日様が顔を出した。今日から少しずつ日が伸びていk

ばあばのななこ

2013年12月22日 | 日記
               
私の母84歳で元気だ。母の自慢は手作りのお手玉を作ることだ。作ったお手玉は「ななこ」として売っている。観光客の人に人気があって売れるらしい。私が「頂戴」と言ってもなかなかくれない。私は海外に行くとき手土産として持って行く。母のお手玉の中身は小豆と足袋のこはでが入っている。こはぜでいい音がする。母のこだわりは着物地にある。一番は絣の生地がよいそうだ。会うたびに絣の着物がないかと聞く。畑仕事のできない冬場は朝早くから起きて作っているらしい。
裁断した生地が積んである。もう84歳なのにまだ作るつもりらしい。私に「生地を買って来て」と頼むからだ。私も作りたい気持ちはあるが裁縫仕事が苦手な私にはできそうもない。ときどきもらってきて溜めておこう。私も80歳を過ぎて仕事ができなくなったときに手慰めに作ることはできるかもしれない。私が65歳の高齢者になってきているのに母の感覚では子供でしかない。認知症などの症状はみられないが、耳が遠くなり頑固さは強くなっている。老いていくのはこんな風になっていくのかと、母を見て思うこのごろだ。夫の両親は二人とも病院ですぐに亡くなったので介護もしなかった。母はこれから介護が必要になるかもしれない。お手玉ができなくなった時がサインかもしれない。

べた雪の一日

2013年12月21日 | 日記
朝起きたら雪だった。水分が多いべた雪。配達は夫に頼んだ。シャーベット状になった坂道の路面が怖いから。編み物をしたり新聞を読んで一日を過ごす。でも長く感じる。日差しがないので外も明るくなく寒い。紋次郎は出たり入ったりしている。午後は夫が焚いた薪ストーブの前で寝そべっているようで私の家には帰って来ない。明日は冬至なのでかぼちゃと小豆を煮る。小豆だけストーブの上で煮る。畑の大根も取りに行く。この上に雪が積もると大根が凍ててしまう。キャベツや白菜は少々の雪では悪くならない。キャベツは雪中キャベツと言って雪の中で成長させることもある。私はいつも雪の中に置いて積雪多量になって鹿が網を倒して畑に入り雪を掘って食べられてしまう。今年はキャベツの上に網を置いて置こうと思ているが。鹿か私かどちらが勝つかみものだ。
佐々里峠も通行止めになって京都市への近道は3月15日まで閉ざされた。雪との戦いが始まる。


      what is this?


これは昨日上島さんからもらったバニラビーンズです。プリンの味がアップします。お楽しみに。

冬の京都行は疲れます

2013年12月20日 | 日記
朝9時に家を出て弟の嫁さんを私の軽に乗せて京見峠を越えて友人の家に行く。ここで車を駐車させて友人に送ってもらって川端三条に行く。そこから辰巳神社まで歩く。いつもなら観光客でごった返す通りも12月の下旬はひっそりしていた。知人のフレンチレストラン「ル。サルモン。ドール」に行く。ランチが始まった。京都で合流した従妹と親類だけの忘年会。料理は野菜と魚が主であった。どの料理も美味しかった。月曜日にふらっと美山から送った食材がたくさん使われていた。菊芋のスープ、温野菜のサラダ、卵を使った料理など。12時から3時前までいた。帰りにバゲットとバニラをもらってきた。今日が最終日の宝くじを四条で買った。タクシーで友人の家に帰りスーパーで買い物をして家路に着いた。3時半にでて5時前に美山に戻ってきたがもう暗くなっていた。冬の京都行はせわしい。栗尾峠はあしたから京北トンネルに変わる。この峠を通るのも今日が最終日である。

冬の薔薇

2013年12月19日 | 日記
今日も一日中冷たい雨が降っている。仕事を休み一日中家の中。夫は出て行ったまま夜になっても帰って来ない。紋次郎は炬燵に入ったり出たり外にでてもすぐに帰ってくる。私はテレビを見てその合間に孫のセーターを編み始める。根を詰めると肩が凝るので休み休み。今日は50段編む。
明日は弟の嫁さんを連れて京都行き。辰巳神社近くの知人のフレンチレストランでランチをする。天気予報では明日は荒れるといっているが本当かしら?それから最終日の年末ジャンボ宝くじも買ってくる。私が運転して行かなければならないので今日は早めに寝る。

               
家の軒下の花壇に薔薇が咲いていた。寒さの中で咲く薔薇は凛としている。

冷たい雨

2013年12月18日 | 日記
今日は一日中雪ではなく冷たい雨が降っていた。関東では雪とか報じっている。6時半に起きて予約の弁当18食を作った。とらしずし、牛肉の煮物、なます、小豆とさつまいもの煮物、ホウレンソウのお浸し。9時半までかかってできた。少し残ったので村の独居の人にも持って行った。配達から帰って来ても冷たい雨が降り続いている。明日も仕事は休む。12月に入りお客さんも少なくなってあまり売れない。ばたばたしてもしかたがない。冬眠の準備に入る。

孫のセーター編みはじめ

2013年12月17日 | 日記
今日も曇りで比較的に暖かだった。紋次郎は6時半過ぎから家出。配達途中、2つ先の村で発見。府道を一生懸命走っていた。15歳の老犬なのによく走るものだ。20キロ近くの距離を走っている。でも彼は帰り道は走らない。私が来るのをひたすらに待つのだ。ピックアップして車に乗せる。午後は炬燵の中で寝ていた。夜になってもおとなしく寝ている。そうとう疲れたのだろう?

孫のセーターを編み始める。着てくれるかどうかはわからないが、冬の手仕事になる。