美山たそがれメール

山村の四季情報や暮らしを発信します。

たそがれ世代のおばちゃんのブログです。

やっと日常生活が

2017年10月31日 | 日記
21号台風の被害で右往左往していたが、1週間経ちやっと日常生活がもどってきた。道は全面通行止めだがなんとか通してもらっている。仮設の道路もつけることに決まり片側通行ぐらいにはなりそうだ。あとは携帯が繋がればいいのだが、まだつながらない。小浜の移動販売車もいつも通り来てくれた。村のお年よりメンバーも揃った。彼らは元気である。この地で生まれこの地だけで生活してきているので、彼らだけのやり方で何もかもやってしまおうとする。
私は時々彼らのやり方に対応できないことがある。わがままで自分よがりで他人の事を考えていないのだ。80歳を超えてここで生活できるのは、私たちの世代が頑張っているのに。私は時々彼らを叱る。でも通用しない。ストレスが溜まるなあ?

昨日の雨のあと、急に気温が下がりカメムシもどこかに行った。山々も一気に紅葉して本格的な秋本番になった。朝夕の気温差も高く体調がついていけない。ストーブを点けたり消したり大変だ。今週いっぱいは雨が降らないそうなので、秋日和が続くだろう?

明日は京都市内の友人の家の柿とりに行く。台風で落ちていないか心配だ。

「日の名残り」を読む

2017年10月30日 | 日記
今年のノーベル文学賞受賞者カズオ、イシグロ氏の「日の名残り」を読んだ。受賞が決まった日にアマゾンで注文したが「現在在庫なし」で半月ほど待った。ハヤカワ文庫で初版は2001年5月発行であった。今回は30刷りで10月18日発行であった。早川書房が急遽増刷したようだ。まず文庫本なので字が小さい。最近買ったハズキルーペを使ったが遅々として進まなかった。内容は貴族に仕えた執事の回想録形式で書かれていた。NHKで放映されたダウンタウン、ア―ビーに似ていた。第一次世界大戦から第二次世界大戦までの間が書かれていた。領主が亡くなり新しい所有者がアメリカ人になりこれから執事としてどう生きて行けるのかと悩みながらイギリスの田舎町を旅しながら、かっての暮らしを回想する。私たち日本人にはあまり理解できないが、日本人が英語で英国を描き多くのイギリス人やヨロッパの人たちから好評をえて、今回のノーベル文学賞になったのだ。私は3日間ほどで読めたが、よくわからなかった。超疲れました。

カサブランカを50球といちご苗を10株植えました。ぼちぼち畑の秋仕舞にかかります。



なんとか?

2017年10月29日 | 日記
台風の襲来を危惧していたが、今回はなんとかなんとか通り過ぎてくれたようだ。雨の中夫は先週の台風で倒れた神社の杉の木の始末に朝から行った。昼過ぎに帰ってきた。私は家の中で台風の通過をひたすら祈る。雨も風もそんなにひどくなかった。私は編み物と読書を繰り返しながら時間を過ごした。昨日も夕方停電したので11時前からお風呂を沸かしごはんを炊いた。本当に停電すると大変である。夕方になって風も雨もやんできた。なんとかなった。何度も宿泊依頼の電話がかかるが道路が寸断されているので断る。家の被害が何もないので変な気分になるが。来る途中で事故になれば大変だから。

わが家のポトフ。昨日ハム屋さんの友人に手つくりの高級ウインナーソーセージをもらったのでポトフを作った。材料はほぼ地元産の野菜を使う。ブロッコリー、キャベツ、カリフラワーは私が作った。じゃが芋とタマネギは近所からもらった。にんにくと人参だけ買った。ストーブでことこと煮る。塩味だけだが美味しかった。洋風の料理が苦手な夫はあまり食べない。野菜を食べたと実感した。

今週末も台風か?

2017年10月28日 | 日記
朝から雨。本当に久しぶりに道の駅ふらっとに配達に行く。サンドイッチやプリンなど作る。下宿人のA さんに運転してもらう。崩落現場を確認する。本当にこのままでは二次災害に繋がる。早急の対策が必要だ。店で喋りお寿司屋さんでお寿司を買ってトンボ返り。しとしとと一日中降っていた。4時過ぎ電気が消えた。また暗闇の日が続くかとぞっとする。夫に自家発電してもらい夕食を食べる。8時過ぎにやっと点いた。お客さんには安全が保障できないのでキャンセルしてもらった。夫は一日中神社に倒壊した木の始末。明日は佐々里区の神社の倒木処理にかかる。後始末が大変である。なんとか穏やかな台風の通過を祈る。

電気が点かないと何もできないことを痛感した。まず気分が落ち込む。炊飯器、冷蔵庫、電子レンジ、すべて電気である。掃除機、洗濯機、もう私たちの生活で電気が点くのが当たり前になっているのだ。この機会に生活を見直さなければと思った。

秋日和

2017年10月27日 | 日記
昨夜から電気がついて水道も来て、やっと普通の生活が戻ってきた感じ。ただ道路は一応開通したものの、危険がついてまわる。新しい道を作るのか崩落した道路を復旧するのか結論はでていない。自分で気をつけるしか方法がないのか?でも今日は一日秋日和。4日間のあの慌ただしさが夢のようだ。山々は紅葉が始まり山里で一番いい季節なのに人が来られない現実は厳しい。予約のお客さんにもメールしてキャンセルしてもらった。小浜の移動販売車も遠回りをして3時過ぎに来てくれた。

昨日からカメムシが異常発生している。急に気温が上昇したからだ。明日からまた下り坂。雨が降るらしい。被害が出ないことを祈る。

止まった時間

2017年10月26日 | 日記
10月22日の夜、選挙速報を見ていたらテレビの画面が消えた。そして停電になった。その夜11時半から強風が吹き荒れて4時まで続いた。私は暗闇の中で納まるのをじっと耐えた。家は揺れるし雨は吹き込むしガラス窓は音を立てる。7時に起きて驚いた。我が家の周辺はそんなに被害はなかった。しかし、村の中は散々な光景になっていた。家の屋根が飛んで雨漏りがして一晩絶えた家族、神社の杉の大木がなぎ倒されて柿の木も倒れていた。民家に杉かかぶさってもいた。しばらく呆然としていた。

まず屋根の飛んだ家に住む病人二人をどうするかでひと悶着。ヘルパ―さんおの一声でドクターへを要請して病院に移送することになった。23日の午後村の空き地にヘリが来て移送完了。次は我が家に宿泊しているオーストラリアの観光2人をどうして京都市内まで送るかになった。一応2泊で来ているので明日の午前中まで今しばらく時間はあった。役所からの連絡で佐々里に通じる道は山崩れで通行止めになっつた。現場まで車を走らせる。山ごと崩壊。杉の大木が道路を横断していて人一人通れない。電気、電話、パソコンなどすべて遮断されていた。水はなんとか確保できる。谷水も川の水もある。その日は真っ暗闇の中で夕食。お客さん時は自家発電で電気を漬けてお鍋をする。

24日家の電話が通じないので昔の黒電話を借りて府立医大病院へ神経内科キャンセルの電話を今日と友人に依頼した。それから朝食の準備をしてたべてもらう。二人のオーストラリア女性は不満も言わず待ってくれている。私は一か八か広河原に通じる道を開けてほしいと夫に頼む。夫が家の重機で入り口の土砂を取り除けてくれた。二人の男の人が先発隊で歩いて杉の倒木など切ってくれた。夫がクラクションを鳴らし帰ってきた。「通れる。気をつけて走れ」
私は2人の女の子を車に乗せて下宿人のAさんに車を運転してもらった。峠の登り路までは杉の葉が敷き詰めて走りにくかった。なんとか峠の頂上に着いた。京都市側は荒れていなかった。峠の下に住む友人に状況を聞く。なんとか京都市内までは走れそうだ。約2時間かかり宝が池の北山始発駅にたどり着いた。Im]sorryと何度も謝る。彼らは台風だから気にしないでといい、宿泊料金をきちんと払い帰って行った。近くのスーパーで出来合いのお寿司とコロッケを買いトンボ帰り。5時に着いた。その日も電機はつかず。

25日になりやっと道路の工事などが始まった。夕方片側だけ通れるようになった。その日もインフラは遮断されたまま。届くのは水と緊急食料、灯油、完全地など。

26日村内の電線点検工事が始まる。夕方5時、やっつと電気がついて電話が通じパソコンが動いた。

わが家は被害もなく自家発電装置もありそんなに不便ではないのに情報が入らない苛立ちとストレスで私はくたくたに疲れてしまった。隣家82歳叔父さんはこんなこと初めてやと言っていました。私も初めての経験です。ただ人的被害が出ていないのが幸いでした。

衆議院選挙に思う

2017年10月21日 | 日記
明日は選挙の投票日。2週間余りの選挙期間中に選挙カーは2台ぐらい来たかなあ。ここは過疎の限界集落。選挙人も20数名である。でも投票率は100パーセントに近い。ほとんどの村の住民は投票所に足を運ぶ。私はそんなにこの選挙に期待はしていないが。与党大勝利の選挙は望まない。ある程度拮抗していて国会で議論がまともに戦わされる場になってほしいだけだ。高齢者、待機児童、消費税値上げ、憲法改正など、すべて私たちの生活に影響を与える。与党多数、多数決の意見だけが尊重されてはだめだと思う。これからの若者世代が安心して暮らせる日本を作ってほしいのだ。私たち団塊世代はただがむしゃらに生きてきた。年金は僅かで、年金だけで生活を楽しむ余裕もない。でも私たち世代は、まだまだ頑張れる。

新しく政治家になられる方に、日本の行く末を託す。明日はそんな日になる。季節外れの10月の台風はどんな風を運んでくれるだろうか?70歳の老婆のささやかな願いは叶うだろうか?

写真は今が旬の新丹波黒豆です。

超疲れました。

2017年10月20日 | 日記
明日お寺で報恩講のお参りがあります。今年は寺当番に当たっているのでお花を生けなければなりません。朝8時夫が芯になる杉を切ってくれました。昨日友人に買ってもらったお花と家の吾亦紅とレモングラスをもってお寺に行きました。6対花入れに差していくのです。まず花を種類別にして並べました。白菊と黄菊3本ずつ、真ん中に入れるカサブランカ、添えの小菊2種類手前にスターチス、横にレモングラスと吾亦紅も入れました。2人で30分ほどかかりました。大きな仏壇に並べてもらいました。なんとか形になりました。お花も余ることもなく全部使い切りました。

家に帰り一服していたら電話がありました。近所に住む一人暮らしの90歳のおばあさんが河原に落ちているとのこと、夫と2人で駆けつけました。警察と消防の方が見えて揚げてくれましたが亡くなっていました。9時過ぎから3時ごろまでてんやわんやの一日となりました。
人間の命のはかなさを実感しました。今日は疲れたので、もう寝ます。


ワインレッドのジュースです

2017年10月19日 | 日記
雨が降ったり止んだりの一日でした。昼前に80代のおばさんたちがいらっしゃいました。
私が議員をしていた時に、いろんな所で会い、農産加工品開発についてよく議論しました。彼女たちも加工場を立ち上げ栃餅作りに精を出され、フラット美山やお祭りなどで売りに出されていました。ここ数年ふらっとに出ることもなく「どうされたか」と思っていました。私も70歳を目前で彼女たちもほとんど80代になられて、縮小されて、今では注文とイベント用にしか作らないと言われていました。随分年数が経ったと実感しました。よもや話をして帰られました。午後は生協がきました。

私は朝からぶどうのジュースを煮ました。知り合いのブドウ園から最後のぶどうを買いました。一粒づつ離し砂糖をふりかけ一晩おいていました。半時間ほど煮詰め濾しました。すごく濃い濃縮液になりましたが500ccぐらいにまりました。色は本当のぶどう色です。すこし氷を入れて薄めて飲みます。品種はベリーAですがキャンベルの方が美味しいです。

なんとか持ちました。

2017年10月18日 | 日記
曇り空ながらもなんとか夜まで雨が降りませんでした。午前中は時折青空も見えて晴れていたので座布団を1枚干しました。23日に報恩講の行事の一環として兼務住職が各家にお経をあげに来られるのです。私はそのために布団を干したのです。明日夫はお寺に生ける花を受け取りに京北町まで取りに行きます。私の京都の友人が本願寺系の住職をしているのでお花を頼んだのです。彼女は西本願寺、私の集落は東本願寺になります。でもお経もお花の生け方も似似通っていいます。家が寺当番の時は彼女に依頼します。金曜日にでもお寺の花活けをしようと思っています。座敷を片付け団子を作り、ご仏壇の花を生けて、何かと忙しくなります。

午後は一時間畑仕事をしました。トマトと胡瓜の藪を撤去しました。キュウリは早くに終わったのですが、トマトは最近までなってくれました。急に気温が下がり黒くなってきたので取ることにしました。代わりにキャベツやブロッコリー、カリフラワーなどが大きくなってきました。彼らは寒さが好きなのです。

写真は実柿です。こちらではだいしろとも言います。私が自然に柔らかくして食べますが焼酎でさわして食べます。

久しぶりの青空

2017年10月17日 | 日記
昼前から本当に久しぶりに青空が見えた。夕方まで晴れていた。寒かったのでストーブを点けた。午前中は編み物をする。栗ももう今日で終わりだ。午後は移動販売車の日で買い物。その後松茸山に登ったがもう終わりだった。落ち葉が積み重なりもう松茸の出る環境ではなかった。しようがない、自然の物は人間の手でどうしようもできないのだ。私は最後の1本を大事に抜いてお礼を言って山を降りた。紋次郎は車に中で待機だ。来年の松茸取りのころにはもう紋次郎もいなくなっているだろう。「紋ちゃん、最後の山になるかもしれないから、よく見ときなさい」と言ったが、紋次郎には通用しないだろう。15年以上紋次郎と共に登った山でもある。一カ月半楽しんだ栗拾い。松茸取り終了。

明日から畑仕事に専念したい。夏野菜の後始末と荒れ果てた土地を耕して花畑にしたいと思っている。特に藤袴と吾亦紅を作りたいのだ。この2種類の秋の花を絶えさせたくない。山野草も消えていっている。園芸品種はたくさん作られていくが、山野草などはあまり出てこない。
山里に住んでいる私にとって、それらの花の開花で季節の移ろいを知るのだ。

雨にうんざりの一日

2017年10月16日 | 日記
今日も一日雨が降り続いた。2日続きの雨にうんざりだ。それに寒い。母屋にも炬燵を出した。私も炬燵に入りテレビを見ながら編み物をする。まるで冬である。テレビでは東京の最高気温が12度前後で12月中旬のさむさだとか。北海道の気温とおなじである。ここも18度ぐらいで寒い。朝夕栗を拾いに行ったが。もう終わりである。大きな栗がほとんど落ちてしまった。9月の5日に拾い始めて今日は10月16日。長い間楽しませてもらった。おまけにたくさん落ちてくれたので、道の駅で売ることもできた。10年前に植えた1本の木がなってくれた。以前からある自生していた栗の木も何年ぶりかでなった。秋の終わりにぽろたんを捕植しようと思っている。榾木の椎茸もぽろぽろ出てきている。今晩の夕食にオイル焼きにした。自然の恵みはありがたい。夏野菜のキュウリもトマトも今日で終わり。急激な気温差で一気に葉が枯れてきた。引き抜いて畑の始末に入ろう。

紋ちゃん、食欲が出てきたようで少し元気になりました。

雨の

2017年10月15日 | 日記
雨をの日曜日になりました。佐々里区の秋の例祭日です。神主さんの都合で9時からのお参りになりました。私は前日から作った鯖すしを一人2切れずつパックに詰め15人分作りました。大栗をお供えにしました。山の恵みに感謝して。9時半過ぎから公民館で会食ぬなりました。近所の料理旅館からオードブルの詰め合わせを取りました。15名ほどの参加です。女の人の席のオードブルはすぐになくなっていきます。男性の人はビールや酒を飲むのであまり減りません。それに朝の時間の会食なので変でした。12時間に散会になり残った料理は分け合ってお持ちかりをしてもらいました。

家に帰り隣村の友人の家にお寿司など持って行きました。今日は雨の影響で佐々里峠も人も車のゆききもほとんどありません。それに寒くなってきました。2時間ほどいて帰ってきました。

紋次郎の調子がよくありません。食欲はなく少し食べるだけで吐きます。水だけ飲んでいます。猟師のおじさんに尋ねると、「もう、そんなに長くないなあ。老衰やと思う。好きなようにしたり」と言われました。紋ちゃんの最後を看取るときかもしれません。今も寝ています。

雨は降らず

2017年10月14日 | 日記
天気予報では雨が降ると言い、1週間ほど続くともいっていたのに曇り空ながら夕方まで降らなかった。夕方になると青空も見えて晴れて来た。いったい、どうなっているの?朝から栗のいがを拾い集めて燃やしてもすしをらった。あちこちに散乱しているいがを一か所にまとめた。夫は火を燃やすのが上手なので任せる。我が家は丘の上の一軒家なので隣家に気をつかわなくてすむ。連日の雨で湿気ているのでたきびをするのにはいい。風が吹くとこわい。2時間ほどで2か所の栗の木の下できれいに燃えて白い灰だけが残った。申し少ししてから灰と鶏糞を栗の周囲に撒こうと思っている。

明日は村の秋祭り。神社に参り会食をするだけだ。山の収穫物の栗を供えようと思っている。松茸ごはんする予定だったが松茸がなくて、急遽鯖すしに変更。昨日移送販売車のお兄ちゃんから塩さばと鯵を買った。午前中に三枚おろしにして酢に浸した。4時過ぎに新米を炊き6時ぐらいから鯖すしを作る。しばらく作っていないのでたいそうである。

紋ちゃんの調子がよくない。おとなしく何度も転倒している。

気まぐれ朝顔

2017年10月13日 | 日記
今頃朝顔が咲いています。少し大きく伸びたなと思ったころ、編みこしに朝顔の葉と茎を食べるのです。車を網の前に置いておくと、しばらく来なくなりました。10月に入り急に蕾が高い所でつくようになり鹿も届かなくなったようで、花が咲くようになったのです。鹿は草食動物で花が好きな様でバラ、茶の花、朝顔など食べます。今まで食べなかった水仙の花も食べるようになりました。網で囲ったところに植えないとだめです。田んぼにも入るので稲刈りが済むまで囲まれていました。今日夫が網を外したので田んぼで鹿の運動会がはじまるでしょう。特にわが家は丘の上の一軒家なのでいろんな野生動物がやってきます。自動センサー付きのライトがつけてあるのですが、夜中に何度も点灯しています。多分鹿か狐か狸がうろついているのでしょう。もう20歳の紋次郎は彼らの動きに反応しません。朝まで爆睡しています。

昨日あたりから、紋次郎の動きが変です。おとなしすぎてねてばかりいます。最後はどうして死ぬのでしょうか?