燐光群新作『バートルビーズ』の稽古、開始。
というか、一部の稽古を、非戦を選ぶ演劇人の会のリーディング公演が終わった翌日から行った。指導者を必要とするある特別な稽古なのだが、内容はまだ教えられない。悪しからず。
この新作は「~ハーマン・メルヴィル『バートルビー』より~」と付いているように、アメリカの国民作家ハーマン・メルヴィルの『白鯨』と並ぶもう一つの代表作、『バートルビー』(Bartleby 1853)をもとにしている。もとにしているといっても、原作ということになるのかどうかはわからない。これもまだ教えられない。申し訳ない。
燐光群は、「アメリカの第二の聖書」とも称される「国民文学」であるハーマン・メルヴィルの長編小説『白鯨』を2001年に上演した。
アメリカの現代演劇のリーダーというべき劇団〈SITI〉のリアン・イングルスルードを演出として招き、同カンパニーの相澤暁子も出演した。
たいへん手応えのあるメルヴィルとの出会いだった。
『白鯨』と『バートルビー』は、ぜんぜん違う小説のようだが、多くの共通点があるといえなくもない。
昨年夏、オーストラリアの首都キャンベラ・ストリートシアターで『カウラの班長会議』を上演したとき、同劇場の小劇場の方で『バートルビー』を劇化したものを上演しており、『白鯨』の要素を入れていたが、それが功を奏しているとはまったく思われなかった。共通点はあっても、『バートルビー』をそんなやり方で解明しようとしても無駄なことだ。
私と『バートルビー』の出会いは三十五年以上になる。いつか私の脳内世界から出てくるときが到来することは予想していた。それが、今、現実になった。
『バートルビー』には、思いの外多くの隠れファンがいる。
実際に隠れているわけではないが、「隠れファン」と言いたくなるような何かがある。
そういえば岡田利規くんも『バートルビー』ファンである。ごめん。ばらした。
『バートルビー』は、一般的には、「19世紀半ばのウォール街、法律事務所に代書人として雇われた青年バートルビーが、やがて一切の仕事を温和な口調で拒否しながら事務所に居座り続けようとする、寓話的な中編小説」とされている。「バートルビー的人間」は、社会の中で違和感を抱えつつ生存する人間たちの総称となっており、文学の域を越えて「不条理な状況に於いて棲息を余儀なくされる近代の人間のありようを象徴するもの」ということでもある。
ストーリー的なものがないと説明に困ると言われるから、一応そのようにこの劇の広報物には記載している。
ついでにいえば、「その内容の不条理性からカフカを先駆けた作品とも言われ、ブランショ、デリダ、ドゥルーズなどの現代思想家たちにもインスピレーションを与えてきた」、そうだ。
そして現在も多くの研究家により「バートルビー的人間」についての考察は続けられている。それはまちがいない。
本年6月の「国際メルヴィル会議」では、そのプロトタイプというべき断片が、メイン・イベントの四つの基調講演の一つとして、坂手洋二自身による朗読劇の形で紹介された。「3.11後」を日本から体現する表現の誕生として、海外の研究者からも注目を集めた、ようだ。その手応えはあった。
本作『バートルビーズ』は、劇団広報の記載ではさらに、
このバートルビーの物語をより広い視点から見直し、「複数形の物語」=「バートルビーズ」現代人の象徴として普遍的に捉え直し、人間がいかに二十一世紀以降の新たな時代に棲息できるかについて問いかけます……、
ということになっている。
『バートルビー』の中でもっとも有名な、「I would prefer not to.」という何度か登場するせりふは、多くの場合、「できれば私、そうしないほうがいいのですが」と訳されるが、今回は、「できれば私たち、そうしないほうがいいのですが」ということになるのだろうか?
はい。
「Bartleby」が「Bartlebies」と複数形になっているのは、どういうことか。
そう尋ねられたときには、今のところ、
「映画の『エイリアン(Alien)』の続編は日本では『エイリアン2』というタイトルで公開されたけど、原題は『エイリアンズ(Aliens)』と、複数形になっていただろ」
などと言って、人々を煙に巻いている今日この頃である。
「Bartleby」を複数形にしたときに「Bartlebys」とただ「s」を付けるのでなく「Bartlebies」と表記することにしたのは、日本メルヴィル研究の第一人者・巽孝之教授とも相談した上でのことである。
おそらく舞台装置も、「世界演劇史上初の試み」が登場する。
以下、公演情報です。
………………………………
『バートルビーズ』
~ハーマン・メルヴィル『バートルビー』より~
作・演出○坂手洋二
アメリカの国民作家ハーマン・メルヴィルの『白鯨』と並ぶもう一つの代表作、『バートルビー』(Bartleby 1853)の、新展開。
できれば私たち、そうしないほうがいいのですが。
逃避か、拒否か、怠惰か、絶望か。彼の選択には、いかなる言葉もあてはまらない。
永遠の謎を湛えた人物像が、混沌の現代日本のどこかに佇み、あなたが気づくのを待っている。
8月24日(月)~9月9日(水)
平日19:00/日曜日14:00
但し26日(水)・9月5日(土)・8日(火)14:00の部あり
29日(土)・9月9日(水)14:00の部のみ
9月2日(水)休演
会場 = 下北沢ザ・スズナリ
一般前売3,300円 ペア前売6,000円 当日3,600円
U-25(25歳以下)/ 大学・専門学生 2,500円
高校生以下1,500円
※学生、U-25は、前日までに電話またはメールでご予約の上、
当日受付にて要証明書提示。
円城寺あや
都築香弥子
中山マリ
鴨川てんし
川中健次郎
猪熊恒和
大西孝洋
杉山英之
武山尚史
樋尾麻衣子
松岡洋子
田中結佳
宗像祥子
長谷川千紗
秋定史枝
川崎理沙
宇原智茂
根兵さやか
齋藤宏晃
照明○竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響○島猛(ステージオフィス)
舞台監督○久寿田義晴
美術○じょん万次郎
音楽○太田惠資
擬闘○佐藤正行
衣裳○ぴんくぱんだー・卯月
衣裳協力○小林巨和
舞台協力○森下紀彦
演出助手○山田真実
文芸助手○清水弥生・久保志乃ぶ
美術助手○福田陽子
イラスト○三田晴代
宣伝意匠○高崎勝也
協力○浅井企画 オフィス・ミヤモト
制作○近藤順子 鈴木菜子
Company Staff○古元道広 桐畑理佳 鈴木陽介 西川大輔 宮島千栄 橋本浩明 内海常葉 秋葉ヨリエ
★ゲストと坂手洋二によるアフタートークも開催されます
8月25日(火)19:00の部 池澤夏樹(詩人・評論家・作家)
8月26日(水)19:00の部 巽孝之(慶應義塾大学文学部教授、日本アメリカ文学会第15代会長)・Samuel Malissa(イエール大学東アジア学科大学院博士課程)
9月7日(月)19:00の部 大和田俊之(慶應義塾大学教授)
※本公演の前売券をお持ちの方、ご予約の方はご入場頂けます。
前売開始は、本日、7月19日(日)11:00 から。
ご来場お待ちしています。
http://rinkogun.com/Bartlebies.html
というか、一部の稽古を、非戦を選ぶ演劇人の会のリーディング公演が終わった翌日から行った。指導者を必要とするある特別な稽古なのだが、内容はまだ教えられない。悪しからず。
この新作は「~ハーマン・メルヴィル『バートルビー』より~」と付いているように、アメリカの国民作家ハーマン・メルヴィルの『白鯨』と並ぶもう一つの代表作、『バートルビー』(Bartleby 1853)をもとにしている。もとにしているといっても、原作ということになるのかどうかはわからない。これもまだ教えられない。申し訳ない。
燐光群は、「アメリカの第二の聖書」とも称される「国民文学」であるハーマン・メルヴィルの長編小説『白鯨』を2001年に上演した。
アメリカの現代演劇のリーダーというべき劇団〈SITI〉のリアン・イングルスルードを演出として招き、同カンパニーの相澤暁子も出演した。
たいへん手応えのあるメルヴィルとの出会いだった。
『白鯨』と『バートルビー』は、ぜんぜん違う小説のようだが、多くの共通点があるといえなくもない。
昨年夏、オーストラリアの首都キャンベラ・ストリートシアターで『カウラの班長会議』を上演したとき、同劇場の小劇場の方で『バートルビー』を劇化したものを上演しており、『白鯨』の要素を入れていたが、それが功を奏しているとはまったく思われなかった。共通点はあっても、『バートルビー』をそんなやり方で解明しようとしても無駄なことだ。
私と『バートルビー』の出会いは三十五年以上になる。いつか私の脳内世界から出てくるときが到来することは予想していた。それが、今、現実になった。
『バートルビー』には、思いの外多くの隠れファンがいる。
実際に隠れているわけではないが、「隠れファン」と言いたくなるような何かがある。
そういえば岡田利規くんも『バートルビー』ファンである。ごめん。ばらした。
『バートルビー』は、一般的には、「19世紀半ばのウォール街、法律事務所に代書人として雇われた青年バートルビーが、やがて一切の仕事を温和な口調で拒否しながら事務所に居座り続けようとする、寓話的な中編小説」とされている。「バートルビー的人間」は、社会の中で違和感を抱えつつ生存する人間たちの総称となっており、文学の域を越えて「不条理な状況に於いて棲息を余儀なくされる近代の人間のありようを象徴するもの」ということでもある。
ストーリー的なものがないと説明に困ると言われるから、一応そのようにこの劇の広報物には記載している。
ついでにいえば、「その内容の不条理性からカフカを先駆けた作品とも言われ、ブランショ、デリダ、ドゥルーズなどの現代思想家たちにもインスピレーションを与えてきた」、そうだ。
そして現在も多くの研究家により「バートルビー的人間」についての考察は続けられている。それはまちがいない。
本年6月の「国際メルヴィル会議」では、そのプロトタイプというべき断片が、メイン・イベントの四つの基調講演の一つとして、坂手洋二自身による朗読劇の形で紹介された。「3.11後」を日本から体現する表現の誕生として、海外の研究者からも注目を集めた、ようだ。その手応えはあった。
本作『バートルビーズ』は、劇団広報の記載ではさらに、
このバートルビーの物語をより広い視点から見直し、「複数形の物語」=「バートルビーズ」現代人の象徴として普遍的に捉え直し、人間がいかに二十一世紀以降の新たな時代に棲息できるかについて問いかけます……、
ということになっている。
『バートルビー』の中でもっとも有名な、「I would prefer not to.」という何度か登場するせりふは、多くの場合、「できれば私、そうしないほうがいいのですが」と訳されるが、今回は、「できれば私たち、そうしないほうがいいのですが」ということになるのだろうか?
はい。
「Bartleby」が「Bartlebies」と複数形になっているのは、どういうことか。
そう尋ねられたときには、今のところ、
「映画の『エイリアン(Alien)』の続編は日本では『エイリアン2』というタイトルで公開されたけど、原題は『エイリアンズ(Aliens)』と、複数形になっていただろ」
などと言って、人々を煙に巻いている今日この頃である。
「Bartleby」を複数形にしたときに「Bartlebys」とただ「s」を付けるのでなく「Bartlebies」と表記することにしたのは、日本メルヴィル研究の第一人者・巽孝之教授とも相談した上でのことである。
おそらく舞台装置も、「世界演劇史上初の試み」が登場する。
以下、公演情報です。
………………………………
『バートルビーズ』
~ハーマン・メルヴィル『バートルビー』より~
作・演出○坂手洋二
アメリカの国民作家ハーマン・メルヴィルの『白鯨』と並ぶもう一つの代表作、『バートルビー』(Bartleby 1853)の、新展開。
できれば私たち、そうしないほうがいいのですが。
逃避か、拒否か、怠惰か、絶望か。彼の選択には、いかなる言葉もあてはまらない。
永遠の謎を湛えた人物像が、混沌の現代日本のどこかに佇み、あなたが気づくのを待っている。
8月24日(月)~9月9日(水)
平日19:00/日曜日14:00
但し26日(水)・9月5日(土)・8日(火)14:00の部あり
29日(土)・9月9日(水)14:00の部のみ
9月2日(水)休演
会場 = 下北沢ザ・スズナリ
一般前売3,300円 ペア前売6,000円 当日3,600円
U-25(25歳以下)/ 大学・専門学生 2,500円
高校生以下1,500円
※学生、U-25は、前日までに電話またはメールでご予約の上、
当日受付にて要証明書提示。
円城寺あや
都築香弥子
中山マリ
鴨川てんし
川中健次郎
猪熊恒和
大西孝洋
杉山英之
武山尚史
樋尾麻衣子
松岡洋子
田中結佳
宗像祥子
長谷川千紗
秋定史枝
川崎理沙
宇原智茂
根兵さやか
齋藤宏晃
照明○竹林功(龍前正夫舞台照明研究所)
音響○島猛(ステージオフィス)
舞台監督○久寿田義晴
美術○じょん万次郎
音楽○太田惠資
擬闘○佐藤正行
衣裳○ぴんくぱんだー・卯月
衣裳協力○小林巨和
舞台協力○森下紀彦
演出助手○山田真実
文芸助手○清水弥生・久保志乃ぶ
美術助手○福田陽子
イラスト○三田晴代
宣伝意匠○高崎勝也
協力○浅井企画 オフィス・ミヤモト
制作○近藤順子 鈴木菜子
Company Staff○古元道広 桐畑理佳 鈴木陽介 西川大輔 宮島千栄 橋本浩明 内海常葉 秋葉ヨリエ
★ゲストと坂手洋二によるアフタートークも開催されます
8月25日(火)19:00の部 池澤夏樹(詩人・評論家・作家)
8月26日(水)19:00の部 巽孝之(慶應義塾大学文学部教授、日本アメリカ文学会第15代会長)・Samuel Malissa(イエール大学東アジア学科大学院博士課程)
9月7日(月)19:00の部 大和田俊之(慶應義塾大学教授)
※本公演の前売券をお持ちの方、ご予約の方はご入場頂けます。
前売開始は、本日、7月19日(日)11:00 から。
ご来場お待ちしています。
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