A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記187 「翔けめぐる創意」

2008-05-12 23:53:34 | 書物
タイトル:与謝蕪村-翔けめぐる創意(おもい)-
監修:辻惟雄(MIHO MUSEUM館長)
   河野元昭(東京大学名誉教授)
   小林忠(学習院大学教授)
   早川聞太(国際日本文化研究センター教授)
   奥平俊六(大阪大学教授)
   藤田真一(関西大学教授)
   狩野博幸(同志社大学教授)
   佐藤康宏(東京大学教授)
   安永拓世(和歌山県立博物館学芸員)
編集・発行:MIHO MUSEUM
発行日:2008年3月15日
金額:2900円
内容:
2008年3月15日(土)-6月8日(日)にかけてMIHO MUSEUMで開催される春季特別展「与謝蕪村-翔けめぐる創意-」の写真解説付き総カタログ。


「翔けめぐるマルティ芸術家の創意-蕪村展案内」辻惟雄(MIHO MUSEUM館長)
関連年表
図版
 第一章 芭蕉へのまなざし
 第二章 故郷への道行
 第三章 放浪の雲水
 第四章 新たな出発
 第五章 蕪村をめぐる人々
 第六章 翔けめぐる創意
 第一節 唐土と日本
 第二節 俳画と俳書
 第三節 晩年の輝き 謝寅時代の作品
「蕪村二都物語」藤田真一
「蕪村が謝寅になるまで」佐藤康宏
「雅俗雙手の声」早川聞太
「蕪村をつつむ十八世紀京都文化」狩野博幸
「蕪村画に見る素材への感応」安永拓世
作品解説
落款・印章
主要参考文献

購入日:2008年5月3日
購入店:MIHO MUSEUM ミュージアムショップ
購入理由:
この展覧会のチラシを見つけたときから、見たいとは思っていた。だが、滋賀県の山奥まで出かける気力はその時はなかった。だが、連休を利用し京都に出かける前日のことだ。たまたま見た読売新聞の展評でこの展覧会の記事を読んだのだ。その時、ごく自然に思えた。行ってみようと。なぜだかわからないが、この機会を逃すとこの美術館にも一生行く機会はないだろう、そう思えてきた。よくよく調べてみると、交通の便も時間はかかるが、悪くはない。結果的に今回の京阪神展覧会回りで、最も象徴的な展覧会になるとはこの時はまだ思いもしなかったのだが。

蕪村に関しては、悔しい思いをしている。2001年に江戸東京博物館で行なわれた<蕪村 その二つの旅>展を見逃しているからだ。その後悔に歯車をかけたのが、当時、大学生だった私が新学期を向かえ受講した美術評論家・峯村敏明氏の「日本現代美術史」の講義のときだった。氏はこの「日本現代美術」なる講義の中で、この春休み中最もすばらしかった展覧会は<蕪村展>であると述べたのだ。まさか「日本現代美術史」の講義で蕪村の名を聞くとは思わなかったが、その違和感も含め余計に見てみたいものだと思った。

それから、7年後。今回初公開の蕪村晩年の畢生の傑作、銀地「山水図屏風」を含む総出品数147点で構成される蕪村展がこの展覧会である。今回の展覧会は画家蕪村としての面だけではなく、俳人・詩人としての側面を両立させる展示により、絵画・文芸の2分野において才能を発揮した蕪村という人物を立体的に浮かび上がらせる構成となっている。初公開作品も多く、近年の研究成果を生かした展示となっている。展示を見ていくうち、私の中で蕪村という人物がただの土の塊から人の形をなしていくような、信楽にちなんでいうなら土の塊から器が出来上がっていくようなとでもいうのか、こちらにあるフォルムが出来上がっていくような感覚を味わうのである。簡単に言えば展示・構成がよく煉られている、ということになるのだろうが、「煉る」というより「捏ねる」という感じに近い。

立体的と言えば、この美術館の建築も目当てであった。あのグラン・ルーヴルの建築家I・W・ペイが建築を手がけているからだ。そんな期待とは裏腹に第一印象は、MOA美術館のようなバブリーな印象であった。大理石の床がまぶしい・・。だが、周辺の美しい風景がまるで蕪村の描いた山水画のようで、建築よりこの風景を見れてよかったなと東京人は思う。

悔しいのは展示替えが5,6回ほどあるため、すべてを見るのは不可能だという点だ。図録で見る限りでもすばらしい作品が何点もある。次に見れるのはいつになるのやら・・。そして、この図録が入魂の出来なのである。大学教授・学芸員9人が監修しているだけに、A4サイズ400頁のヴォリュームは、近年なかなかない出来だろう。



未読日記186 「芸術の意味」

2008-05-11 22:35:12 | 書物
タイトル:芸術の意味
著者:ハーバート・リード 滝口修造訳
カバー写真:ヘンリー・ムーア作
発行:みすず書房
発行日:1992年12月10日(新装初版1990年7月10日)
内容:
矛盾と対立とにみちたモダン・アートの意義を理解するうえに、感受性に貫かれたハーバート・リードの評論活動は独自な普遍性と影響力をもっている。本質的にロマン主義者のリードはシュルレアリスムの運動に積極的に接近し、また一方では構成主義のなかに究極の美の現われを認め、またインダストリアル・デザインと機能的美学を推進するかたわら新しい美術教育の理論を展開したのであった。
 「芸術の意味」は著者の最初の造形芸術論といってよいもので、1931年にロンドンのフェーバー&フェーバー社から刊行された。詩人として出発したリードは第一次世界大戦に出征し、1918年に帰還すると、その翌年に大蔵省に就職して1922年まで勤務した。そののちヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に転職、陶器とステンドグラスの部門を扱うことになった。陶器のような地味で自意識の少ない芸術は、絵画の傑作よりも時代をよく代表していること、しかもこうした限られた一分野の綿密な研究は却って芸術全体を把握するのに理想的な方法であることを悟った、とリードは述懐している。こうしてBBCの週刊誌「リスナー」に連載しはじめた造形芸術論が、この「芸術の意味」であった。
 この邦訳は1957年の初刷いらい、多くの版を重ねて、美術史をまなぶ人の必読書となった。芸術が生活の大きな重要部分となった現在、美術史の流れ全体をみわたし、かつ一貫した詩人の魂による解明は、たえず人間の原点を指し示している点で、何人にもよい伴侶となるであろう。
(本書カバー裏解説より)

B6判 タテ182mm×ヨコ128mm/216頁

購入日:2008年4月29日
購入店:飯島書店(東京都目黒区鷹番)
購入理由:
仕事場の上司が参考文献として某大学のシラバスにあげていた1冊。その人とは親以上に年が離れているにも関わらず、不思議と芸術の趣味が合う。まだ読んだことのないのリードのこの本もその上司の選んだ本であれば読んでみようかな、と思った。大学のシラバスで教科書や参考文献として挙げられている本を、担当教授のオススメ本として読むような人はいないのだろうが、私はそう解釈してしまう。学生時代も自分が教わる教員の本は調べてほとんど読んだし、教科書や参考文献に指定されている本は(よほどつまらない本以外は)ほとんど読んでみた。よく部屋の書棚を見ればその人のことがわかるというが、そんなことでわかってたまるかとは思うが、ある面では当たっているとも思う。この世の中に膨大に存在する書籍の中から、何を選び購入するかに読み手の「趣味」が自ずと出てしまうのであろう。つまり、今回の「購入理由」にあてはめると、膨大にある書籍の中から何を教科書・参考文献として指定するかというところに私は「趣味」を読み取ってしまうのだ。

そんなわけで読もうと思いながらも熱心に探していたわけでもないのに、あっさり古本屋で見つけ購入した。内容はハーバート・リード版美学/美術史事典という構成で、全3部90項目にわたり項目別に書かれている。「芸術の意味」とは、私もいまだに知らないのでここでおさらいしてみるものいいかもしれない。なお、ハーバート・リードでもう一冊『彫刻とは何か』(新装社)という本も読みたくて探している。こちらは残念ながらなかなか見つからない。


未読日記185 「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない⑤」

2008-05-08 23:57:16 | 書物
タイトル:Art Seminar Series 2002-2003 絵画は二度死ぬ、あるいは死なない ⑤中西夏之
著者:林道郎
表紙図版:中西夏之<R・R・W-4ッの始まり-Ⅲ>2002
企画・編集・発行:ART TRACE
発行日:2007年3月2日
内容:
2002年から2003年にかけてART TRACEにおいて開催された林道郎氏(美術批評)による計7回のレクチャーの記録を元に改稿を行い書籍化されたシリーズ「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない」の第5弾。

購入日:2008年4月27日
購入店:東京都写真美術館 NADiff × 10
購入理由:
現在、東京・渋谷区立松濤美術館において開催されている<中西夏之新作展>のための予習として購入。
予習などと書くと、いままでも熱心に追って見てきたように思われかねないが、これまで中西夏之という作家に対して特別注意を向けてきたということはなかった。学生時代には<二箇所-絵画場から絵画衝動へ-中西夏之>(東京藝術大学大学美術館、2003)、<中西夏之・カルテット 着陸と着水Ⅹ>(川村記念美術館、2004)のふたつの個展は見ているのだが、当時の私にはその絵画理論も含めて軽く踏み込めない頑丈な城のような作品であった。
それはそれで、気にはならないがすっきりとしない。そこで、今回開催される新作展を機にあらためて見直してみようと思ったところ、ちょうどよい小冊子が存在した。林道郎氏による『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』シリーズの1冊として刊行された中西夏之編である。内容もレクチャー、ディスカッション形式であり、読みやすく巻末には参考文献もついていて値段も手ごろである(参考文献が少ないのは、この年代の作家にしては珍しい・・皆、中西夏之については語ろうとしないのか)。この冊子を地図として中西夏之の絵画世界へと進んでみようと思う。

なお、まったくの個人的な興味として、同時期に開催されている<冒険王・横尾忠則>展(-6月8日、東京・世田谷美術館)と比較して見てみたらどうだろうと考えている。まったく作風が違うふたりだが、横尾忠則が1936年生まれ、中西夏之が1935年生まれでほぼ同世代なのである。世代論で物事を見るのは好きではないが、同年齢のふたりの作品をそれぞれ頭の片隅において見たらどうなるのか。結局、実物を前にすると、眼の前にある作品のことしか考えないのだろうが、何か共通するものがあったりしたらおもしろいものだ。


中西夏之新作展 絵画の鎖・光の森
2008年4月8日(火)-5月25日(日)
渋谷区立松濤美術館

TOUCHING WORD 041

2008-05-07 23:50:33 | ことば
幸福な人間とは、骨を折ったり、旅行をしたり、何かの使命を果たしたりはするが、心の苦しみは持たない人のことだ。
(p.62 『失われた時を求めて11 第六篇 逃げ去る女』マルセル・プルースト 鈴木道彦訳 集英社/集英社文庫ヘリテージシリーズ2007.1)

未読日記184 「丹羽陽太郎」

2008-05-01 22:54:57 | 書物
タイトル:αmプロジェクト2008 現れの空間Vol.1 丹羽陽太郎
デザイン:河野伊央、長内研二
発行:武蔵野美術大学
発行日:2008年4月14日
内容:
<αmプロジェクト2008 現れの空間Vol.1 丹羽陽太郎>(2008年4月14日-4月26日)の展覧会カタログ。

テキスト:住友文彦(αmプロジェクト2008キュレーター/東京都現代美術館学芸員)
作品図版16点、作家略歴

入手日:2008年4月26日
入手場所:art space kimura ASK?
日常品を用いたインスタレーション作品を制作する丹羽陽太郎の個展。植木鉢が宙吊りにされていたり、蛍光灯が空間全体に散らばるように展示されていた。拡散的、散漫的な展示で視線を集中する中心点がないため、意識を展示に向けづらいのだが、それは意図されたことなのか。蛍光灯と植木鉢に何らかの科学的実験装置のような趣があり、それが何らかの因果関係や意味を汲み取ろうとする意識を発動させてしまい、よけいなことだと気づく。もう少し鑑賞しやすくまとめてもいいのかもしれない。