A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記139 「日本彫刻の近代」

2007-12-11 23:55:47 | 書物
タイトル:日本彫刻の近代
企画・監修:東京国立近代美術館三重県立美術館宮城県美術館
ブックデザイン:吉野愛
発行:淡交社
発行日:2007年8月23日
定価:2600円(本体2476円)
内容:
ニッポンの「彫刻」とは何か?
木彫の伝統、ロダンとの出会い、国家と戦争、そして抽象へ
高村光雲からイサム・ノグチまで、彫刻家たちが希求した
生命の造形―その100年の軌跡
(本書帯より)

日本には古来、仏像や神像、建築装飾、置物、人形など、今日「彫刻」と総称されるさまざまな表現がありますが、近代的な意味での「彫刻」の考え方が本格的に移入されはじめたのは、明治30年代になってからでした。西洋風にリアルに肉付けされた人物彫刻や、歴史的な人物や事績を顕彰する記念碑彫刻(モニュメント)が、新時代の要請に応えてつぎつぎに生み出されます。
 やがて明治末から大正期にかけてロダンの彫刻が紹介され、芸術家の内面を映す、生命や個性の表現としての彫刻が荻原守衛や高村光太郎らの手で試みられます。1920~30年代にはヨーロッパ留学から戻った彫刻家たちが清新な表現を打ち出す一方、日本古来の仏像や木彫技法の伝統にも目を向け、そこに新たな息吹を吹き込もうとする人々も登場します。第二次大戦後には、欧米の新しい芸術時代の動向と対峙しながら、抽象彫刻の分野でさまざまな成果がもたらされました。
 本書は、明治初めから1960年代にいたる日本の彫刻史100年の歩みを回顧する展覧会「日本彫刻の近代」の開催を機に刊行されました。時代を代表する160点の作品図版と、最新の研究成果を踏まえた解説や資料によって、日本近代彫刻を総合的に紹介する初の文献です。

論考
「明治の彫刻」古田亮(東京藝術大学大学美術館)
「日本近代の彫刻観」毛利伊知郎(三重県立美術館)
「彫刻の社会史」三上満良(宮城県美術館)
1.「彫刻」の夜明け
2.国家と彫刻
3.アカデミズムの形成
4.個の表現の成立
5.多様性の時代
6.新傾向の彫刻
7.昭和のリアリズム
8.抽象表現の展開
作家解説、関連年譜、参考文献、作品リスト

購入日:2007年12月8日
購入店:東京国立近代美術館 ミュージアムショップ
購入理由:
彫刻好きとして、春から期待していた展覧会。この日参加した「日本彫刻の近代」展パネルディスカッションで、企画者である古田亮氏も述べていたが、彫刻展はほんとうに少ないのだ。だから、彫刻展が開催されるときは可能な限り見に行くようにしている。
この展覧会は、いままでありそうでなかった日本彫刻の近代をテーマとした展覧会。近代絵画なら腐るほど展覧会が行われているというに、近代彫刻の展覧会というと私はほとんど見たことがない(年が若いせいもあるが・・)。近年流行りの「近代再考」「美術史」ブームがついに彫刻へも手がおよんだようだ。期待通り(予想通り)歴史軸に沿って、明治初期から1960年代までの彫刻の流れが一覧でき、いままでなんとなく見ためてきた鑑賞経験が整理されていくような展覧会である。お勉強的な側面があるのもたしかだが、作品はお勉強されるために存在しているわけではない。言い換えると、作品は美術史を形成するために存在しているわけではない。作品はコンテクストを逸脱して鑑賞者の前へとその身をさらけ出す。ここで、一点あげろと言われれば私は橋本平八の『石に就いて』(1928)を上げたい。これは、ただの石を木彫作品として制作したものだ。それだけのことと言われればそれまでだが、その存在に「彫刻とは何か」という問いを孕み、こちらへと投げ返してくる。無愛想にぽつんと展示されているが、この作品は近代彫刻のひとつのマイルストーンとして存在しうる稀有な傑作だと思う。
ちなみに、このような歴史的通時的に構成された展覧会を見終わって、なぜ1960年代で終わるのかという疑問が湧く。「近代」は1960年代で終わるのか?
考えるに、1970年代になると「もの派」を取り上げなくてはならない。「もの派」をどのように扱うのか判断にずれがあるため1960年代で終りとしたのではないだろうか。千葉市美術館で開催された<文承根+八木正 1973-83の仕事>展のシンポジウムでも論点となったように1970年代とは(美術・彫刻にとって)何だったのか?という答えを用意しなければならなくなる。実際、<日本彫刻の近代>展パネルディスカッションにおいても、戦後の美術に対しては大きく意見が分かれていたようにも思う。もし、<日本彫刻の近代>展の続編が開催される時は、1970年代以降の彫刻の位置づけにどのような判断が行われるのか今から想像して楽しんでいる。