A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記141 「「無の語の詩」あるいは「雪の中の僧院」」

2007-12-13 22:24:23 | 書物
タイトル:福田尚代展 「無の語の詩」あるいは「雪の中の僧院」
発行:T&S gallery
発行日:2007年11月23日
内容:
2007年11月23日(金)-12月16日(日)に東京・T&S galleryにおいて開催された<福田尚代展 「無の語の詩」あるいは「雪の中の僧院」>の展覧会リーフレット。
「福田尚代の作品について」南雄介(国立新美術館)
「雪の回文」福田尚代
図版11点、作家略歴

入手日:2007年12月9日
入手場所:T&S gallery
回文と書物を使った作品による福田尚代の個展。書物は頁を折りたたまれ、切り取られ、刻まれ、刺繍される。けっして通読することができない書物。そう、福田のセレクトする書物から文章を、言葉を読み取ることは不可能だ。だが、言葉の不在と沈黙に耳を澄ませば、そこから言葉は立ち上がってくる。
視覚芸術である美術に言葉は、添え物と理解されがちだ。しかし、福田の作品には言葉が浮遊し充満している。折りたたまれた頁、刺繍された書物の文章、さらに大島弓子の漫画の吹き出しには刺繍され、セリフは読めない。見えない、読めない不在の言葉を鑑賞者は見るしかない。言葉を剥ぎ取られた上でなお存在を保つ「本」。
さらに、今回展示された擦り減ったけしごむを使用した「けしごむの夜」(2007)においてもけしごむは欠損し、ただの欠片として提示される。えんぴつによって書かれた言葉、線を消すことがけしごむの役目だが、ここでは消されてきた言葉、絵をけしごむの使われてきた時間とともに遠く浮かび上がらせる。
言葉の集積として形あるものを「消す」「見えなくさせる」ことで、わずかしか言葉に触れていないのに、イマジナリーな世界が広がる福田尚代の作品は私たちに一冊の書物の読後感にも似た満足感を与えてくれる。


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