A PIECE OF FUTURE

美術・展覧会紹介、雑感などなど。未来のカケラを忘れないために書き記します。

未読日記286 「アジアのキュビスム」

2009-07-01 13:13:15 | 書物
タイトル:アジアのキュビスム 境界なき対話
編集担当:東京国立近代美術館:三輪健仁、鈴木勝雄、松本透
     国際交流基金:古市保子
編集補助:西野華子(国立新美術館)、帆足亜紀、石神森
編集協力:工作舎:米澤敬、田中健一朗
英文和訳:木下哲夫、山本仁志、西野華子、佐藤実、帆足亜紀、難波祐子、堀川理沙、崔敬華、飯田志保子、山本淳夫
和文英訳:小川紀久子
韓国語和訳:町田春子
翻訳補助:稲見和己(インドネシア語)、加藤剛(中国語)、森絵里咲(ヴェトナム語)、佐藤幸治(ヒンディー語)、吉岡憲彦(タイ語)
デザイン:松田行正+天野昌樹(マツダオフィス
編集:東京国立近代美術館、国際交流基金
印刷:文唱堂印刷株式会社
発行:東京国立近代美術館国際交流基金
発行日:2005年
内容:
ごあいさつ
謝辞
序論「アジアのキュビスム」建暫晢
Part 1
第1章「テーブルの上の実験」林道郎
第2章「キュビスムと近代性」アフマド・マシャディ
テーマ1「キュビスムと戦争」崔銀珠
第3章「身体」松本透
テーマ2「母と子」金仁恵
第4章「キュビスムと国土」後小路雅弘
テーマ3「宗教と神話」ジョイス・ファン
コラム1「「物語る」ための「フィールド」」三輪健仁
コラム2「国際都市 東京・上海・シャンティニケタン」建暫晢
コラム3「留学のかたち」林道郎
コラム4「外国人教師」後小路雅弘
コラム5「ピカソ―1940年代から50年代のアジア諸国における受容」金仁恵
Part 2
「キュビスム受容史(各国編)」
中国:李超
インド:ガヤトリ・デヴィ・シンハ
インドネシア:リスキー・A.ザエラニ
日本:大谷省吾
韓国:金英那
フィリピン:パトリック・D.フローレンス
シンガポール/マレーシア:アフマド・マシャディ
スリランカ:ジャガト・ウィーラシンハ
タイ:スティ・クナーウィッチャヤーノン
Part 3 「資料編」
作家略歴
用語解説
参考文献
出品リスト

添付資料:「アジアのキュビスム年譜」

頂いた日:2009年6月4日
頂いた場所:なびす画廊
画廊の方より頂いたもの。心よりありがとうございます。
 2005年8月9日(火)~10月2日(日)まで東京国立近代美術館において開催された<アジアのキュビスム 境界なき対話>展の展覧会カタログ。
 ほとんど人が入らなかった展覧会だったと記憶しているが、内容が悪いわけではない。これほどの規模でアジアのキュビスムが検証されたのは初めてであり、カタログの資料文献としての充実さは出色である。それは各国の執筆者、翻訳者のクレジットを見れば関わった人の多さに驚き、その労力には頭が下がるばかりである。
 4年前の展覧会ではあるが、私が感じたのは結局、それぞれの国に「近代」があるということだった。とかく「モダニズム」の言説は欧米の美術史、歴史、哲学が中心となり、アジアはヨーロッパに対し後進国であるという比較対象でしかなかった。だが、それぞれの国は外来文化に対し、固有の仕方で近代化を遂げる。「キュビスム」の正しい受容の仕方などはなく、その国固有の美術の問題と絡み合いながら、キュビスムの問題が読解/誤解されていく。そのズレは悪いわけではない。欧米中心主義から見たら間違った受容のされ方だろうが、文化の正しい受容など、あり得ないのだ。むしろ積極的に誤解することで、より問題系が広く検証されていくことだろう。そんなことを当時は考えていた。結局、若かったかもしれない。