ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

『AR-LST』

2013年04月02日 | 巡礼者の記帳
一関から栗駒山を越えて80キロ行ったところが秋田湯沢市である。
金箔仏師はROYCEに登場すると、言った。
「雪は人の丈ほど、まあ積もります」
御仁は、積極的に言葉は無いがオーデイオに精通しているような、気がする。
いまご自宅で鳴らしておられるスピーカーのことを聞いて驚いた。
――たしか、それは百万ほどしましたね。
「そんなにしたの・・・」
奥方は初めて耳にした数字に、動ずるふうでもないが、ちょっと呆れたご様子。
「いや、あれは中古だから・・・」
御仁は、軽くいなした。
――これまで、どのようなスピーカーを鳴らしたのですか。
「AR-LSTなどで、次が4343だったかな」
『AR-LST』は、当方がこれから予定にしているひとつであった。
「良いとは思いましたが、望んでいた雄大なスケールには鳴りませんでした」
密閉のエンクロージャーに9個もユニットが装着されているLSTが、巨大なパワーアンプによって、エヴァンスやウイーンフィルを目の醒めるような雄大な音像に結ぶところを漠然と想像し、ぜひ聴いてみたいとますます思った。






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『夜のガスパール』

2013年04月01日 | 徒然の記
バルザックの短篇音楽談義のなかに「リュリがフランスに着いたころ、ドイツで音楽をわかっていたのはゼバスティアン・バッハだけだった」と書いてあると。
廊下の日溜りで新聞に眼を通しながら、最初のページの左下段にクスッとやったりする。
そのとき、小さな築山に野鳥がわざとバサバサ音をたてて飛んで来るのは、パン屑のおこぼれを、よろしく催促しているのである。
音楽がわかる、という意味はともかく、当方はラベルの作曲した、ひとつの至高の難曲「夜のガスパール」を聴いて、ホールから帰路に一輪の薔薇を思い浮かべるような演奏が良い。
夜のガスパールは、ベルトランによって、1830年代のパリの個人的叙情を110ペ-ジ、53篇にまとめたものだが、ラベルには芸術的希求であったものか、ともかく未知の宇宙を多数の音符を並べて、3篇完成させた。
芽吹きを眺める庭に、今年も数輪咲くとして、めったに見られぬ理想の一輪は名付けて『夜のガスパール』
4月6日。薔薇の雑誌に、写真が有った。




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木の芽時

2013年03月30日 | 徒然の記
ジャズLPで靴といえば、クールストラッティンのハイヒールかな
伊達藩一番町より春の便りが届いた。
高速道にも前後左右に春の靴

東北道を花巻から過ぎたあたりでポルシェ911に抜かれ、ウッ、と思ったその頃、出発前に小一時間、荷風先生の『濹東綺譚』に目を通したことを思い出した。
濹東とは隅田川東をさしているらしく、わずか120ページの1936年ころに書かれた新聞連載、時期的にバレンタイン氏がパリのことを書いた北回帰線の4年あとのようだ。
かたや隅田川、一方はセーヌ河で、サーベルを鳴らす検非違使から言問橋の番所に誘導され手持ちの風呂敷を開くように言われると、襦袢(女性下着)や印鑑証明書や戸籍謄本が出てきた様子、雨の傘に背後からアナイスのような女性が小首を差し込んで来たので、言われるまま家に行った様子などがたんたんと綴られていた。
当方は、やはり用事を思いだし熟読できなかったが、巻末に奥野という人物の解説がある。







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『ウエストレイク』

2013年03月22日 | タンノイのお話
プルプルと卓上の電話機が振動し、地下にしつらえた音響室で『ウエストレイク』を永年楽しんで居られるS先生の声である。
オーディオ装置の4セットを自在に操って、ジャズLPのコレクションを堪能する光景が浮かび、その後のご様子を尋ねてみた。
――オーディオにお変わりはありませんか?
「あれから二つほど手に入れたスピーカーがありまして、KEFの小型が新しく出ましてね」
おやおや、小型にまで触手がのびているらしい?
ところで、とお話は展開した。
「知人が鳴らすJBLの音を聴かれた著名な先生が、すばらしい!と申されたそうで、決心がついて一方のタンノイを処分されたそうです」
けしからん、と当方は思う。
「ところが、それから音がおかしくなってしまったらしいのです」
タンノイとJBLはセットの音響と、茶室のお話であった。

青くても あるべきものを 唐辛子




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早春

2013年03月20日 | 巡礼者の記帳
日本のバブル絶頂期は1989年頃といわれ、このころ然る地で所有物件を手放したところ、購入価格の2倍になっていた。
だが、買換えに余得が効果を表す20年待たねば、おなじことである。
日本中の小川のフチの空地にまで買い手の付いたころで、全国土の総価格が2360兆円。
人それぞれ何事か計算し、生き生きと大忙しであったころ、ジャズは。
夏用タイヤに替えたので、ちょっと走ってみようということになった。
郊外に出ると、白い道にまばらに車が走り、草木も芽を吹き始め気分は最高である。
岩手のいちばん南の町に国道4号線が差しかかるころ、脇道に入って昔の記憶を楽しんだ。
そこは前にも記録した花泉という土地であるが、その隣が藤沢といい、温暖な町並みと広大な田畑を眺めながらエンジンは妙に静かなことに気がついた。
さしかかった路傍の食堂を二三軒はしごしたい気分を我慢して、中央林間の更科という食堂の天ぷらお重を思い出していたが、かりにここに別荘を持てれば、近くに北上川も有り、花の育ちもよさそうである。
おや、すると街路の対向車線をはみだすような大型の消防車がピカピカ電飾を光らせて威風堂々と近寄ってくるのが見え、操縦席が五合目のような上の方にあり、このような空母のような巨大な消防車はまだ見たことが無い。麻布からでも走ってきたか。
すると隣の席の者が「あのような消防車はいまではどの町にもめずらしくありません」と言っている。
モデルチェンジは乗用車だけではないそうである。
廊下の陽射しに、ウサギは気持ちよさそうに午眠している。




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聴秋閣

2013年03月16日 | 巡礼者の記帳
先日のお客は美濃国からと申され、そういえば同郷のつながり原富太郎の横浜本牧に造作した『三溪園』という名所に行ったことが有る。
生糸で財を成した経済人で茶人の原三渓は、その蓄財で全国の古建築を広大な庭園に移築し、現在は一般公開されている。
なかでもこの聴秋閣は、非常に感心した造形で、もとは徳川家光の希望で佐久間実勝が二条城内に建造したものらしい。
二階部分はわずか2畳で流石の狭さ。
季節によってはヤブ蚊が飛んでおり、ちょっと痒い。
ここにタンノイを備えて、秋を聴きたい聴秋閣。





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スペンドールBC-Ⅲ

2013年03月11日 | 巡礼者の記帳
ジョイナスから高島屋に入るところにYAMAHAのオーディオルームがあった。
そこで鳴っていた英国スペンドール社のBC-Ⅲは、珍しかったのでいまも憶えている。
BC-Ⅱタイプを聴いて素晴らしいと感心すれば、ついBC-Ⅲのことが浮かぶのは、この社の製品に3つの選択肢があったからである。
ニューヨークのビレッジヴァンガードライブや、ウイーンフィルの田園を鳴らした音像を考える。
タンノイが眼の前に有りながら、それはそれとして。
ユニットを写真で見ると、BC-Ⅱにウーハーの加わった、ラファロのコントラベースが鳴りそうな増強である。
もはや遠い過去の製品BC-Ⅲは、マークレビンソンなどで聴いてみたかった。
関西から立ち寄られた客人は言う。
「白川郷とは離れたところで、そこではあまり雪は降りません」
そのとき、真空管アンプのノイズが鳴り始めおやおやと思ったが、一方の仙台からお見えの男女の客人は少しも騒がず
「良い音を、ありがとうございました」
と丁寧に申されて、折り目のない一枚を出した。
日本語はまどろこしい言葉、英語は戦う言葉だといわれるが、タンノイやスペンドールはブリテンの特徴が色濃く聴こえる。

月はやし こずえは風に かたぶいて




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神戸のカンタベリー氏

2013年03月04日 | 巡礼者の記帳
奈良平城京の遺跡から発見される和同開珎は、そのころ日給およそ1枚にあたって、米2升の代価であるという。
朱雀門の傍に邸宅のあった大納言『長屋王』の年収は4億円もと書かれ、現代ならば邸内にタンノイ装置などを聴く高床響所もあったはずと、雑誌から目を離したそのとき、寒気の少し緩む街路から黒ずくめの、旅の荷を背負った人が入ってきた。
室内のウエスギアンプを見て、300Bキットの組立にウエスギ氏と電話で話したと申される、静かに荒ぶる人は、山下洋輔の弾く「乙女の祈り」が午後の室内にゆっくり響いているところを聴いて、御自身も神戸で『タンノイ・カンタベリー』を楽しんでおられるそうである。
まもなく爆音に変身する有名な山下演奏を賞味されると、とても良い、と喜ばれた。
ウイーンのオーケストラが軽快にシュトラウスの「爆発ポルカ」を始めると、昨年のご旅行で、モーツァルトの「夜の女王」とムジークフェラインザールで対面された記憶を申されているが。
「むかしイタリアの古都で、しばらく勉強したことがありました」
当時をしのばれると、住まわれている神戸の地形は「入っても何でもすぐ出て行ってしまう傾向ですが一関のような盆地の地形に文化は長くとどまるようです」と面白がられるのを耳にして、御仁の都市工学の名刀が鞘走った一瞬を見た。
このタンノイの音はまったく予想していなかったと申され、このうえどのような計画が有るのかとそれは茶席むけの会話のようでもあったが、ジョバンニ・カッシーニも学んでいた古都の学問を、震災の沿岸にご尽力があるのかもしれない。





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キーストン・コーナーのビル・エヴァンス

2013年02月25日 | レコードのお話
ビル・エヴァンスのLPレコードをえんえん聴いていくと、キーストン・コーナーで80年9月7日のライブ『マイ・ロマンス』の演奏で終わっている。
このLPは、めったに聴くことはないが、エヴァンスは演奏の途中でふいに指が動かなくなったかのようにタンノイの音が途絶える。
はてな、と注目すると、相方のジョンソンとラバーバラが動揺して、ベースとドラムス音符を延々とあみだし弾き連ね時間を稼ぐので、ワルツフォーデビィのLPで演奏したマイ・ロマンスより1分長く8分25秒奏したが、途中から回復したエヴァンスは再びピアノを鳴らし観客の拍手が勃興する。
そのとき、ジョンソンとラバーバラの安堵してつい音符の強弱がおやまあと思うほど一時激しい。
エヴァンスの演奏は、ともかくLPを一巡したここで、まったく設計の違う装置に座席を移すと別の世界が無限に広がっているのかもしれない。
テレビを点けると、国際スキーで本命の選手が米国に破れ2位になるが、非常に喜んでまことに屈託が無い。
だが翌日の団体戦で、ロシアの隕石のような飛翔を空に描いて、こんどは決着をつけたのを見た。





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山下洋輔

2013年02月11日 | 巡礼者の記帳
コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』を新しい手法でライテイングしたテレビ映像を見たが、次に期待するのは『ジャッカルの日』である。
フランスのド・ゴール大統領が郊外で飼っていたひつじのジローを夫人が気を利かせ、ことわりなく食卓に供したので、大統領は1週間口をきかなかった。
そのド・ゴール暗殺がテーマになったミステリー小説をフォーサイスは『ジャッカルの日』に書いた。
最近ニュースの襲撃事件が騒がれたアルジェリアは、むかしフランスに植民統治され、多くのフランス入植者が暮らしていたが、ド・ゴールは政策転換し、アルジェリアを民族自決にしたことから、ホームグラウンドを失った一群のフランス人がいた。
コードネーム『ジャッカル』をド・ゴールのもとに送り込んだクライマックスは、パリ解放記念式典の8月25日モンパルナス広場。
一度だけ読んだ棚の背表紙が見える本を、異なった演出にリライトするのは、ジャズの演奏でよくあることである。
パリの正面玄関に凱旋門があり、エレベータに乗ったのは2度目の1988年であったが、円形広場から放射状に走るシャンゼリゼやパリ14区のモンパルナス広場の方角を眺めた記憶がある。
パリのフランス人は英語を話さないと聞いていたが、英語で話しかけると英語で答えが返ってきた。
ジュリエット・グレコの唄う『巴里の空の下セーヌは流れる』をそこでしばらく概観する。
Sous le ciel de Paris
S’envole une chanson
Hum Hum
Elle est n e d’aujourd’hui
Dans le coeur d’un garcon
Sous le ciel de Paris
Marchent des amoureux
Hum Hum
Leur bonheur se construit
Sur un air fait pour eux

このときの1988年に、山下洋輔氏がSWEETBASILで演奏したトリオをタンノイで聴いて、驚いた。







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鎮守の森

2013年02月01日 | 徒然の記
喫茶の窓のかなたの鎮守の森に、高みの枝葉でなにかがじっと居るのを遠メガネで見ると、銀色の襟巻きをしたカラスが一羽止まっている。
中学の時、6ヶ月新聞配達のバイトをしてプラモデルを購入した思い出のコース途中に、この森に差しかかると冬の5時半は暗く、子供心にゾクッとしたが、鬱蒼と茂ったトンネルの先にやがて現れる青い星空は感動ものである。
現在は国道4号線が中央を通って、鎮守の森は小さくなったが、そういえば道端に待っていたおばあちゃんからミカンをもらった。
この新聞配達は、同級生から「いいバイトがある」とその気にさせられ新聞店に行くと、そこは叔父の経営していたところで驚いた。
叔父は無言で、銀縁メガネの奥から当方を見ていたが、何も言わなかった。
父親が、いちど配達に同行したことがあり、それから叔父に電話し、一番遠くの離れた家は郵送になったので、迷惑だったかといまは思う。
ひょろりとしたインテリ眼鏡の社員が、ご自分の下宿しているベツレヘムホームの一室に当方を招いてくださり「プラモデルにはこの本が良いかな」とヒットラーの著作『マイン・カンプ』を、積み上げた本から引き抜いて貸してよこしたのだが、中学生にチンプンカンプであった。
この森には、夕刻になると千羽もカラスの大軍が集まって来ることが有る。
周囲の電線にも真っ黒に並んで、夕焼けに浮かぶありさまはヒチコックの『鳥』のシーンであるが、市内の方々の森をネグラに巡回するのか、ふだんは数羽がいるだけである。
コレクターズ・アイテムというマイルスの50年代の演奏は、パーカーとロリンズとマイルスがセッションしているので、はたしてどのようなあんばいか、誰しも耳をそばだて鑑賞するLPであるが、A面3曲目の『ラウンド・ミッドナイト』は、鎮守の森の雪の夜を奏でているようだ。





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スタン・ケントン

2013年01月21日 | 徒然の記
クール・ジャズのスタン・ケントンを初めて聴いたのは20代の頃キャピトルのテストレコードによって、素晴らしい音がした。
オーディオが流行し新製品がふんだんに発売され、テストレコードも数えきれないほどあったが、老舗のキャピトルは贅沢なダイレクト音源が素晴らしかった。
『虹のかなたに』という曲を、ベルリン・フィルの豪勢なフルオーケストラで、あるいはカウント・ベイシー楽団でとびきり叙情的にナマで聴いてみたい願望があるが、このスタン・ケントンビッグバンドは、ハリウッド・スタジオのほかダンスホールで活躍し、アニタ・オデイやジューン・クリスティの歌姫も一世風靡したことで皆知っている。
『虹のかなたに』をケントン氏のアレンジで聴いてみるとき、ふと、この曲が演奏された1953年の頃、当方幼少につき、風邪で高熱が出ると寝ていて「天井がグルグル回っている」と、たわごとを言って周囲を緊張させた。
なんでもほしいモノを買ってやるから、というので布団の中から「万年筆」と言ったところ、当時やんごとなき電話番号の書店から枕元まで配達があったのが恐縮である。
それにつけても、キャピトルのテストレコードのような味のある音は、その後もなかなかおめにかかれないのが残念だ。





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6番『田園』を聴く

2013年01月15日 | 徒然の記
潜水艦の中のような狭さである。
かまぼこ屋根の建物の右が、酒類販売のブースで、中央がこの写真の区画になっている。
左が喫茶店でタンノイ装置があり、奥に狭い厨房があり、天井物置にはレコードやパソコン類やゴルゴ13やプラモデルや雑誌資料が置いて有る。
久しぶりに交響曲『田園』を聴いて、第4楽章の嵐の情景まで登りつめていくフルオーケストラの音量と迫力のすさまじさに、これほどのものだったのかと驚いた。
大音量で聴く『田園』は、論評を越えた隔絶の世界があった。
昨日のこと、喫茶の窓ガラスにドシン!と激しい音がして外に出てみると、排水堰に痺れて手足を広げている百舌鳥の姿があった。
掴んで畑の藁のうえに放っておいたら、気がついたときには姿が無かった。
耳のよい鳥が、タンノイを聴きにきたか。

いざ行かん 雪見にころぶ 所まで







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『エール』

2013年01月12日 | 徒然の記
バッハの管弦楽組曲を全曲聴こうとすると、LPレコードでは2枚組になり、通常は2枚目のA面の中ほどにこの全曲の音楽の頂点に極まるといわれるアダージョが静かに鎮座している。
それが3番の序曲のあとに鳴りだす『G線エール』といわれる曲であるが、いろいろ演奏を聴かせてもらうとやはりひとつとして同じものがない。
それで以前は、もっともオーディオ装置にマッチした音響の演奏団体を選り好みして、それを一番にしていたが、タンノイが自由に鳴りはじめたころから、どのレコード演奏にもそれぞれに聴き所のあることを知った。
ひとつの同じ楽譜であるはずが、まじめに違う演奏がなされて、それぞれ意味のある解釈に聴こえるところが、油断がならない。
タンノイは、もしかしてまだ本当の水準を見せていないのではないか、というのは欲であるが、この先がまだあると考えている。
あるとき、海外の名所で鳴っているウエスタン16Aの音が、堂々とした低音装置に支えられて慄然とする新機軸で鳴っているところを耳にした。
タンノイをそのように鳴らすのも、楽しいかもしれない。
そのような音で、組曲3番『エール』や、これまでのさまざまのジャズを聴けばどんなであろうと、新しい音楽世界の誘惑に気がついた。
掲載写真の机に電話機が2台見えるのは、一台はイルミネーションがクルクル点滅して着信を知らせる、鳴らない電話に繋がっている。
音楽の邪魔にならず、気がつかないとそれまでであるが。





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双鉤填墨

2013年01月09日 | 徒然の記
マグニチュード7のあと、天井部屋の荷物が重量的に心配になったとき、ちょうどチリ紙交換のトラックとすれ違った。
大量に有るから、と言うとトラックはすぐ方向を変えて付いてきてくれたのが幸運である。
紐で結わえておいたMSDOS時代の「アスキー」や「IOデータ」や「ICON」などの雑誌をこのさい処分して重量軽減を済ませることができた。
もう読むことはないと思ったが、哲学者クロサキ氏の記事など、いま読んでも、ついついおもしろいので読みふける。
ICONの創刊号には、文豪をおじいちゃんにもつ少年がノートパソコンのレポーターをしているが、マンガ夜話という番組に健啖をふるう別人に成長していたので驚いた。
あのころ高額だったパソコンも、いまはネコもまたぐ無用の箱になりさがったが、ウインドウズ95の圧倒的完成度に興奮した日があったとは。
キーボードは『PS55-001』が、現在でも能筆的に優れていて、winXPのレジストリを加工し、うたた寝しながらポチポチ入力するのに向いている。
昨日テレビのニュースで、「書聖」王義之の双鉤填墨が国内で発見されたとの吉報に衝撃を感じたが、筆を選ばぬ能書家も、パソコンを使う時代になったのだろうか。

人々を しぐれよ宿は 寒くとも





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