ロイス ジャズ タンノイ

タンノイによるホイジンガ的ジャズの考察でございます。

『曾良旅日記』

2013年05月05日 | 歴史の革袋
芭蕉の『奥の細道』に随行した河合曽良の直筆記録は、1978年重要文化財になった。
夕方仙台ニ着。 其夜、宿国分町大崎庄左衛門。
未ノ尅、塩竈ニ着、湯漬など喰。
雨強降ル 馬ニ乗リ、加沢 三リ、皆山坂也 一ノ関黄昏ニ着 合羽モトヲル也 宿ス。
十三日天気明 巳ノ尅ヨリ平泉へ趣 一リ、山ノ目 壱リ半、平泉ヘ以上弐里半ト云ドモ弐リニ近シ 伊沢八幡壱リ余リ奥也 
などのような記述も探せばそこに見られる。
芭蕉の一行と同じコースを、磐井橋傍の宿から平泉の方向に旧国道4号線を行くと、途中の右手に小さな駅がある。
それが当方小学生のとき利用した東北本線山目駅である。
この駅から塩竃の海浜学校に一泊体験で、多くの学童と集団で茶碗2杯の米と出発した大事件が有った。
大広間に大勢でメザシのように並び就寝するとき、メガネの校長先生が言う。
「いいかな、電気を消すよォ」
波の音がザワーッと耳に響いて、なかなか寝付けなかった。
現在、この駅は最新型の駅舎に変わり昔の面影はないが、非常にコンパクトで正面に改札と電子券売機、左右に腰掛が八席並んで、パリの地下鉄の待合室風のおしゃれである。
漱石の『草枕』などを広げ、じっと蒸気機関車の到着を待つ気分は、おそらく止まった時間が一服の絵でさえあろう。
それにしても気がついたが、子供の頃あれほど広く感じた周囲の空間が、まるで地球が半分に縮んでそこに時間がある様子は不思議である。
サークルを一周しようとハンドルを傾けると、広場に先客がいて、攻城機のような黄色の大型工事車両が「わたしは動きませんヨ」と頑張っている。
楽しみにしていたのに仕方がない。ついでといってはなんであるが、山あいの道を昔の記憶をたどって住宅地に分け入ってみると、車は舗装された一本道を上手に回って戻ることが出来た。
この道を通ったのは、子供の時ハトを飼っている人を探して以来、半世紀ぶりであったが、すばらしい。
その翌日、青森から帰路をとった三河湾の御仁が、ROYCEに立ち寄ってくださった。
そのさい拝見した写真によって、これまでナゾであった滑走路型スピーカーの工夫された背面を見ることができたが、後面開放型の湾曲した形状に、ユニットの配線が写っている。
これによって当方は、ますます音楽の様子が雲を掴むように遠くなったが、御仁は丁寧にさまざまの既成の装置を凌駕した自信を静かに滲ませているのが、一縷の希望である。
フッターマンアンプをマルチにご使用になって、そのうえ勤務先に「たしかタンノイ・ロイヤルもありましたね」と申されるほどの人の、再生音響がわるかろうはずはない。




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