怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

話し合いにならない

2015年09月14日 | いろいろ
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天気の良かった日曜日の正午、街中で見かけた光景は難民歓迎行事。

歩道でピクニックシートを広げて食事をしていた難民たちとその支援者と思われる原住民たちだった。
もちろん、食事は原住民たちの寄付だろう。
もっときちんと撮影しても一向に差し支えないきちんとした催し物だった。なぜか後ろめたい気持ちだったので後ろのほうからさっと撮影した。

私の接触する人々、在住外国人が多いが、ほとんどすべてが一気に増えた難民に戸惑っている。
義両親たちもそうだ。
毎日のようにそれが話題になるけれど、私は聞き役だ。
たまに気を利かせて意見すると「それは違う!」と否定されるもんね。テーマが難民でなくても「それは違う」だから、彼らは私が言うこと全部をまず否定するのが会話の方法と思っているのだろう。
「ある商店主はアフリカ人たちの万引きに困っています」と言うと、「それは違う。盗みは人種にかかわらず誰でもやる可能性がある」と返事が返ってくるんだ。せっかく義母の不安に寄り添うような「事実」を言ったのに、その気持ちを汲み取らないことにがっかりする。

討論番組で二人の出演者が同時に話し続けるシーンを見てしまった。
まるで、討論じゃあない。周囲で聴いている人も、テレビを見ている人も、二人同時に話したら聞き取れないではないか。
話すだけ話して、相手の言うことを聞かないドイツ人なのか。私も負けずにそれに近づくようになりたいものだぞっ







食べ物を捨てない

2015年09月14日 | アジア事情
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ベトナム人経営のレストランに行った仲良し三人(勝手に仲良し決定)。
 
アジアに興味のある二人、この街のいろいろなアジア料理レストランを知っている。いつものお気に入りの料理を注文していた。

私はまだ食べたことがない「フォー」を体験してみた。
幅広の米麺が入っている薄味のスープ。久々の薄い味スープがおいしく感じた。いや、もう私の味覚は狂ってきているから、日本の日本人には普通の塩加減かもしれないぞ。
また、フォーはテーブルに置かれている調味料で各自好みの味に整えて食べるのが本当らしい。
レストランをやっているベトナム人たちがちらちら私のほうを見ていたのは、私がそのまま食べていたからかもしれないぞ。

さて、翌日に訪問した中国人の家で、急に何か作って食べようということになった。
「昨日は幅広の米麺を食べました。おいしかったです」と言うと「それにしましょう」ということになった。

麺をゆでて、その上に炒めて中国味噌や醤油で味付けた豚肉を載せたもの。
おいしかったが、少々量が多かった。苦しそうに箸を動かしている私を見て、彼女は残すように勧めてくれた。
数分後に彼女は考え直してこう言った。「捨てるのは惜しいから、持って帰ってくれませんか」
この言葉にはちょっと驚いて感動した。義母に鍛えられ、食べるものを捨てることに抵抗を持つようになった私だ。多くの中国人は現在の豊かな食生活から簡単に食べ物を破棄するものだと思っていたからだ。

包んでくれたビニール袋は何度か使ったよれよれのものだったし、残った麺は意外と少なかった。
もしかして、持ち帰っても食べないで廃棄しちゃうかもしれないと思った。
食べ物を捨てない彼女の気持ちを大事にしなくては・・・と、今は冷蔵庫の中。