飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

松下村塾聯

2012年12月28日 15時04分00秒 | 教育論
12月の下旬、下田を訪れた。
下田は3回目の訪問であるが、新たな発見が多くあった。

吉田松陰に関する足跡が多く残る街であるが、松陰が滞在した日数はわずか数日だったようだが、多くの影響をもたらした。
この踏海事件がなければ、松下村塾もなかったと言える。

長州の萩には20年ほど前に一度訪れたことがある。
ここも幕末の息吹を肌で感じられる土地だが、なんと言っても印象深かったのは松陰神社の松下村塾である。

わずか数畳の部屋から、多くの英傑を輩出した塾である。

その松下村塾の書面の竹に刻まれた言葉が、「松下村塾聯」と言われるもので松陰27歳のときの言葉である。

「万巻の書を読むに非(あら)ざるよりは、寧(いづく)んぞ千秋(せんしゅう)の人たるを得ん。」

「一己(いっこ)の労を軽んずるに非ざるよりは、寧んぞ兆民の安きを致すを得ん。」


たくさんの本を読んで人間としての生き方を学ばない限り、後世に名を残せるような人になることはできない。

自分がやるべきことに努力を惜しむようでは、世の中の役に立つ人になることはできない。

魂に響く言葉である。

saitani




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