飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

運動会の危機管理

2006年09月07日 23時46分38秒 | 体育科
運動会は1年の行事のうちで唯一学級集団が無条件に同一の価値観で、同一方向を向いてエネルギーを集約できる行事である。
この運動会をどう意義付けをし、どんなふうに子どもたちを鍛えていくかで後半戦の方向性が決まってくる。

どのクラスも朝練や休み時間の練習を始める。
出来る限りの努力をさせることは当然のことであり、このことによって運動会の本当の意義を学ぶことができる。
しかし、注意しなければならないこともある。
それは危機管理についてである。
危機管理とは子どもたちにけがをさせないように危険予知をすることはもちろんである。
この危険予知に関しては、経験の豊富が必要になる。
もうひとつ精神的な危機管理も必要である。
人間的な精神的な軋轢をうむのもこの時期なのである。
小さなほころびがやがて大きな人間関係のひずみをうむようになる。

今日も、職員室に入ってきた子が担任に訴えていた。
「先生、誰も練習に出てきてくれません。
 私は何度もみんなに呼びかけました。
 みんなは口だけです。」
こんな子どもの訴えに教師はなんと答えるべきだろう。

また、こんな場面も必ずある。
団体競技のクラス練習をしている。
練習では隣のクラスに負けてしまった。
急遽、放課後自主練習をすることになった。
「みんなクラスの練習なんだから、残れるよね。」
リーダーが言う。
しかし、その日は塾や習い事がある日であることもある。
その場合、その子はどのような行動をとるべきか。

学級の練習は個人の都合よりも優先すべきだから、塾を休み練習に参加する。

練習は突然のことであり、塾は以前から決まっていたこと。
だから練習に参加するのは無理と判断し、塾へ行く。

塾に遅れてもいいので、少しでも練習に参加してから塾に向かう。

このようなとき二者択一的な判断は避けるべきである。
見識の狭い、価値判断をする習慣がついてしまう。
現実にはベストの選択はなく、ベターの選択があるだけだ。

クラスの練習を優先させ、塾を休む気持ちは素晴らしいと思う。
しかし、一般にいって先に入っている予定を優先することは当然のことである。
そのときの状況にもよるが、家庭にはそれぞれ予定があり、計画がある。
したがって、練習をやすんだからといって自分勝手とは一概に言えない。

難しい選択を迫られたとき、中庸の思考をすることは大事なことである。
できるだけ練習に参加して、塾にいくというのが現実的かもしれない。

だが、もう一つ落としてはならない指導がある。
このことを担任がきちんと子どもたちに指導しているかどうかで人間関係が豊かになるか、貧しくなるか決定する。

(saitani)

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