三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【冬将軍の軽いあいさつ in 札幌帰還】

2016年10月21日 07時05分28秒 | Weblog


きのうまでの3日間、北東北を行脚。
スタッフとクルマでの踏破でしたが、比較的に天候は良く
きのう若干は曇りややや強風には遭遇しましたが、
おおむね安定した状況だったのに、
夕方くらいから、道東・十勝まで往復していたカミさんから
頻繁に「降雪」状況のアナウンスが寄せられるようになった。
「おいおい」と信じられないような違いぶりに口あんぐり。
そう言われてみれば、たしかに10月も中旬を過ぎていますので、
どんなことが出来してもそう不思議はない。
でも、ここのところ北海道も温暖な日々が続いていたので
やや寝込みを襲われたような、不意の冬将軍であります。
きのうは、青森十和田から八戸、盛岡を経由して仙台というコース。
総走行距離はたぶん、300km超程度でしょうか。道中PAではこんな様子。



で、仙台事務所で出張時の訪問先で発生したToDoを整理して
スタッフに空港まで送ってもらいながら、車中でもミーティング。
食事を取って、飛行機に乗り込んで爆睡。
突然着陸の衝撃に目覚めさせられて、外に出たら、
夏用のジャケット+長袖シャツ程度では風邪を引きそうな強烈な寒さ&風。
駐車して置いたクルマに戻ったら、前面ガラスは凍結している。
完全に、やられた感が襲ってまいります(笑)。
しかし気持ちを建て直して、慎重運転で帰還開始。
しかし高速道路はすべて「冬タイヤを装着せよ」というアナウンス。
覚悟していたとおり、そっちは早々に諦めて一般国道へ。
1枚目の写真はその道中、恵庭近辺での信号待ち時点の状況。
2枚目の写真は、その2時間前、午後6時頃に送られてきていた
カミさんからの事務所駐車場の冬景色(泣)。
しょがない、ひたすら安全運転での夏タイヤでのゆっくり運転、約50km。
それでも札幌まではそうでもない降雪でしたが、
札幌市内に入ると、道路にだんだんと雪のわだちができている。
下手な運転をするとハンドルを取られそうになる。その上カミナリまで・・・。
っていうか、事実何回かは横滑りさせられた。
やや山に近づく札幌市西区の自宅周辺になると、冬道走行状態。
夜10時くらいに千歳の空港駐車場を出て、
約1時間20分ほどの慎重運転で、ようやく自宅に帰還。
最後、自宅駐車場に停車するときには、横滑り・ハンドルも若干取られた。
まぁ最後まで気の抜けない、東北からの帰還でした。

でもまぁ、毎年のこと。こういう雪との出会い、
久しぶりの悪友との邂逅のようでもあって(笑)、
北国人らしい通過儀礼と楽しめる部分もあります。
今朝、いま外を見回していると、これは今日日中の気温上昇で
淡雪となって消えていきそうな程度の積雪であります。
しかしまぁ、「そろそろ来るからな」という、冬将軍のちょっとした挨拶でした。
ふ〜〜む。
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【津軽黒石の古寺・妙経寺で校倉? 発見】

2016年10月20日 06時01分45秒 | Weblog


さてきのうは一昨日の秋田訪問から、青森県津軽地方に。
最初の訪問先は黒石だったのですが、
その要件が早く片付き、次の予定までやや時間があったので、
車中から気になった道沿いの古寺・妙経寺へしばし参拝。
というのはなんと、校倉とおぼしき高床形式のみごとな社殿を発見したのです。
こういうふとした発見にはどうも弱い(笑)。
正倉院が校倉では有名ですが、ほかでもたくさんあるのかどうかは不勉強で
よくわからないけれど、わたしはそれほど見た経験はない。
もちろん時間がないので、ぐるっと回って外側から見ただけなのですが、
どうもこの校倉の外壁の特徴的陰影感は際だっている。
木造ログの美が、周辺の空気感を圧倒的に制圧している。
床下がみごとに人が歩けるほどの高さを持っているので、
その上に乗っかっている壁面の陰影感の美はハンパない。
WEBでちょっとググったら、寺については以下のような記述に出会った。

寺伝によると弘治2年1556年の開山とのこと。
この時代、室町幕府将軍は足利義輝。
相模国妙法華寺12世日弘の弟子である江東院日然が開山となり、
浅瀬石城主千徳氏の祈願所として浅瀬石中屋敷に大王山法輪寺を創立。
慶長2年に津軽為信に攻められて浅瀬石城が落城した際に焼失。
同年五輪台(牡丹平)に再建。承応元年に弘前本行寺6世日住は
3代藩主津軽信義に願い出、現在地を拝領し本圀山妙寺を建立。
正徳2年、延享元年の2度にわたり焼失。明和3年には大地震にて倒壊。
現在の本堂は昭和2年の建立。というような経緯のお寺さんのようです。
この校倉についての記述は見当たりません。
時間があればちょっと調べたくなったのですが、
いかんせん出張の旅の空で時間がなく、確認はできていません。さらに、



境内には昭和63年に県天然記念物指定されたカヤの巨木があります。
カヤの木は樹齢約700年、樹高19.5m、幹周6.55mで、
妙経寺創建以前から生育していたものと考えられているとのこと。
この地方では古くから天台密教が栄えており、各地を巡回した修験者が
苗木を植えたと考えられているそうです。
このカヤの木というヤツは、宮城県が自然分布地域の北限とするそうで
もちろん北海道人にしてみると見たこともない木。
一見するとヤナギのような葉の様子ですが、見事な姿であります。
なんとも面白い古寺が忽然として顔を見せるのは、
いかにも不思議の国・津軽を感じさせてくれます。ふ〜む。
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【人口減少を叫ぶ地域メディア・秋田探訪】

2016年10月19日 06時58分41秒 | Weblog


きのうから北東北に入っています。
秋田空港から入って、最後は仙台空港から札幌に帰還するというコース。
駆け足ですが、きのうは多くのみなさんとの対話ができました。
で、数人の方から、地元新聞が取り上げていたという
秋田県人口が100万人を割り込むという予測記事のことを聞いた。
そのこと自体はごく当たり前だと思うのですが、
みなさんどうにも受け取り方が受け身で、前途をいかにも悲観する調子。
こういった記事書き飛ばしの影響ということを、
エトランゼ的な視点で考え直すきっかけになりました。

こうした悲観的なものの見方というのは、広く流布していて
あまりにも当然のことですが、
繰り返し語られることに対して、その受け取り方を
われわれ一般人はもっと「耐性」を持つべきではないかと思ったのです。
そういった指摘をいかにも「言論をリードする」みたいな「有力」新聞目線で
まき散らすのは、むしろ怠慢そのもののメディアの姿だと思う。
そういう「放って置いたらこうなる」論はもういいから、
ではどういうふうに見て、どう行動したらいいのかを
言論の中に「主張」として持っていないと、裸の王様そのものだと思う。
「なんの方向性もなく悲観論を言う。王様はアタマの中が素っ裸だ」
人口減少という事態に対し、ではその現状でなにが起こっているのか、
もうすこし観察を詳細にしていかなければいけない。
以前に北海道の戸建住宅着工が10年間に8掛けに減った記事を書いた。
でも同時に、その10年間には、建築の担い手も3割ほど減少した。
ということは、「生き残った建築企業」はその規模を拡大させている。
平均で約5棟が、6棟以上になっていた。
人口減少を悲観してか、単に後継者がいなくてか、
マーケットから自然退場して行く人が多い一方で、
残った企業は、強い企業体質を獲得してきている。
過去10年間に起こったことは、今後の10年間でも起こる確率が高い。
それと、人口減少は先進国ではいま、普遍的に起こっていることであり、
そのことと経済規模の推移は必ずしもパラレルでもないことは、
いまの社会情勢を冷静に見れば明らかだと思う。
歴史的に見ても、人口は増大期があれば停滞期もある。
それは「波動する」ものだと思われるのです。
さらに言えば人口問題は、わたしたち全体にとって「変えられる未来」。
ただ単なる人口現象論を言い立てることに、深く異論を持っています。

下の写真は、飛び込みで訪問した秋田能代の西方設計さん事務所。
西方さんは、秋田だけではなく日本各地を駆け巡って
活動の幅を大きく全国に広げる努力をしてきている。
多くの人が人口減少論で悲観的になっている状況は、
一方で違う考えを持っている人にとっては、
あらたなブルーオーシャンが眼前に表れてきていることでもある。
多様な見方、価値感をいまこそ持つべきなのでしょうね。
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【シンプルな力感 柱梁軸組構造の迫力】

2016年10月18日 06時24分58秒 | Weblog
よく木造住宅を依頼した建て主さんで、
基礎から構造軸組が立ち上がっていく過程で感動する人が多い。
で、その後、その軸組が面材の貼り込みなどで
壁や天井として仕上げられていくにしたがって、興奮が静まってしまい、
なにか、がっかりするような気分になってしまうのだと。

わたしが古民家に強く惹かれているのも、
どうもそういった部分であるのかも知れません。
昔の人が、いろんなところで生えていた木を切ってきて、
それを縦横に組み上げて、なにごとかを建築したという気分を
多くの人間が共有できるのは、この構造の部分ではないかと思うのです。
人生、ひとの生き死にでも、プロセスではいろいろなことがあっても、
結局は「志」の部分で、すべてが明らかになるみたいな、
そういったものが、古民家建築では明瞭な柱梁として見える。
それがきわめて合理的に、ある安定感を確保させる。
柱梁が水平と垂直をしっかりと見せ
さらに大きな架構が屋根構造としてしっかり住まいを守っている様子は、
農家であれ、商家であれ武家であれ、
しっかりとした人間の筋みちのようなものを感受させてくれる。
「おれはこんな風に生きた」というようなメッセージが聞こえてくる。
とくに男性にそのような印象を抱く人が多いと言われます。

表面がツルッと仕上げられる現代住宅とは違って
こういった古民家では、これらの素材が真っ正直にすべてが現れている。
その建築としての素性の明らかな風情が、
清々しさとして、こっちの側に伝わってくるのですね。
どこに行っても、まずはこうした構造の力強さに魅了されております。

さて本日は再び、北東北への出張。
徐々に本州との寒暖差が気になってきますが、頑張ってきたいと思います。
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【これぞ「プロ」野球 大谷クン圧巻締め】

2016年10月17日 06時31分09秒 | Weblog
いやはや、まさにマンガ以上の大興奮でした(笑)。
ご存知の通り、きのうのパリーグCSシリーズ戦です。
9回までの波瀾万丈逆転劇の締めくくり、だれがクローザーなんだろうと
神棚に祈るような思いで(笑)ハラハラドキドキしていたら、
マウンドにはなんと、さっきまで3番DHで活躍していた大谷クン。
野球のDHルールとかには詳しくはないので、
こういう手があるのかないのか、さっぱり知りませんでしたが、
見ている方にしてみたら、堪えられないドラマチックな展開。
まさに「見せてくれる」プロらしい役者・演出であります。
ここで大谷クンが投げるのならば、誰に異存があろうハズがない。
しかし、これはまさにギャンブル!
もしこのリリーフに失敗したら、翌日の先発投手がいなくなる。
野球は勝っていても、常に攻撃と防御が同居する。
その上で、ときにはギャンブルに打って出て試合を制圧する必要がある。
とくに短期決戦の場合には、その決断が欠かせない。
そんな思いを感じさせてくれる大谷クン登場でした。
いまの日本プロ野球で、ここまで陶酔的な場面を作り出せるのは、
やはりすべての野球常識を木っ端みじんにしてくれる大谷クンだけ。
最初の試合で完全にゲームを支配して完勝したエースが、
そのあとの試合ではずっと3番DHとして出ずっぱりの活躍。
そして最後には、試合を決定する場面に登場する。
まさに個性キャラクターがまぶしいばかりに輝いていた。
そして、投球が開始すると剛速球165kmの日本最速直球の連続。
対するソフトバンクの面々もプロらしく対決。
撃てるものなら打ってみろの投球に真っ向からのスウィング。
2者がケレン味なくスウィングアウトで三振後、
最後の打者になった本多選手はかろうじて前に打球を飛ばしたが、
平凡なショートゴロ。しかし、全力疾走で1塁をめざしていた。
最後まで間一髪シーンを見せてくれて、敵ながらあっぱれでした。

きのうの試合、ここまで大活躍していた新人投手・加藤君が
初回に自らのエラーから一挙に4点奪われる悪夢の立ち上がり。
このシリーズでは1回に4点というのが、流れを作ってきていた。
このイヤな展開に2回先頭打者の中田クンが鮮やかなアーチで
絶対に諦めない号砲をとどろかせてくれた。
そしてダイヤモンドを一周する間も、表情はまさに戦う男のそれだった。
まさに4番打者としての、戦闘姿勢を見せつけてくれた。
これに目覚めた打線が諦めない姿勢で、劣勢を全員で挽回していく。
それを初回からのリリーフ投手陣が試合を締め直していく。
投打一体の粘り強い戦いが、逆転を生みさらにリードを3点に広げた。
最後の大団円は、こうした戦いの爆発でもあったと思います。
今シーズンのパリーグ、超絶な戦いを引っ張ってくれたソフトバンク。
この最強ライバルチームの強さが、日ハムを引っ張ってくれた。
この高いレベルのパリーグの戦いの誇りを持って、広島と戦って欲しい。
ほんとうに素晴らしい「プロ」の戦いだったと思います。
日本一めざして、がんばれ北海道日本ハムファイターズ!
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【ボブ・ディラン「文学賞」のインパクト】

2016年10月16日 07時35分48秒 | Weblog
さすがにノーベル賞というのは、いろいろ考えているのですね。
ダイナマイトという人類に発展と同時に大量殺戮という不幸をもたらせた
アルフレッド・ノーベルの悔悟の思いを込めた遺言で1901年から始まった賞。
物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の
「5分野+1分野」で顕著な功績を残した人物に贈られる、とされています。
スウェーデンが世界に対して発信できるもっとも強いパワーであるかも。
事実、これ自体がすでに権威であり、繰り返し民主化促進のような授与が行われ、
中国は選考過程に対して異議を唱えたりしている。

で、ことしの「文学賞」が、アメリカのシンガー・ボブ・ディランに贈られて
大きな反響を呼んでいる。受賞したボブ・ディラン自身がまだ反応していない。
ノーベル賞側とボブ・ディランとの連絡電話もつながっていないとのこと。
ひょっとして、まだ波乱があるかもしれない。
なんですが、かれのようなシンガーソングライターが「文学」賞を受けるのは、
人類社会の現状の価値感に対して、波紋を呼ぶことは間違いない。
「文学」というものについて、その範囲規定について、
賞の選考者たちが、大きな革新性を提起したというのが大きな要件。
このニュースを最初見たとき、ボブ・ディランは小説も書いていたのかと思った。
ボブ・ディランは、アメリカ人種差別などの病根に発信し続けてきたことに
はるかにリスペクトは持ち、若者たちの時代観として共感は持っていた。
「兄貴」的な存在としてそのリアルタイム体験は
あることはあるけれど、アメリカ社会のなかでのかれの存在感について
コトバの感受性に於いて距離感のある、英語ネイティブではない
極東アジアの少年・青年としては、詩的イマジネーションは感じても、
肌身に感じるまでの感覚は持っていなかったと正直に思います。
今回の受賞は、こうした詩的イマジネーション表現活動に対して
それをも「文学」として領域認定すべきだという、賞の側の意志なんでしょう。
こういう人類社会への先導的価値感の提起は、すばらしい。

人類文化について還元して考えれば、
コトバと音律、その抑揚によってコミュニケーションが培われたことは疑いない。
コトバには、その語られる内容について
明晰な事物の特定、思考の表現・相互理解という役割があった。
その内容について、多くの場合、音楽性は一体のものとして随伴した。
日本史で言えば、額田王の歌とされる古代の海外派兵、
白村江への出陣鼓舞の歌が発された情景が浮かんでくる。
「熟田津〜にぎたず〜に船乗りせむと月待てば、潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」
 〜暗い海路に月の光が射し、潮が満ちてくる情景を前に、
困難な航路へと旅立ってゆく人々を鼓舞し勇気づける、作者の
凜々しい姿を想い浮かべずにはいられない。初期万葉のシンボル的な傑作。〜
この歌は、文字コトバとして万葉集に収められたけれど、
たぶん、文字としてではなく生々しいコトバとして、抑揚・音楽性を伴って
その時代感のなかで発されたものではないかと想像しています。
また日本の「文学」には、平家物語のように、
琵琶法師が全国の「まつり」の場に出向いて語り起こした「文学」作品例もある。
あの出だしの「祇園精舎の鐘の音・・・」という音律性と琵琶の音が
一体的陶酔感として民衆に受容されたに違いないとも思っています。
たぶんボブ・ディランの歌のような「言霊」を持ったものだったのだと。

そんな原初的なものへまで想像力を広げさせた
今回のノーベル賞側の人類社会への提起はまことにすばらしいと思います。
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【江戸期1777年・水戸城工事金額44両余】

2016年10月15日 06時56分58秒 | Weblog


水戸宇都宮鍋吉様御代三丸大火にて正月 
                    御飛脚被下置」
安永六 酉年正月二十七日より御普請相始申候
同年七月十日迄相勤申候 御隠居篤軒様御
普請御世話被遊候 御居間御台所大破風に出来 申候
千本大工方作料四十四両余 差引残二十三両余
  家老 沼田喜右衛門 (知尚代)
  用人 船橋源右衛門 (知義代)
水戸 大工世話人 大町 佐吉

先日書いた江戸後期の下野国宮大工・永野万右衛門さんの
工事記録文書読み取りを楽しんでいます。
安永六 酉年という年は、西暦で1778年。今から238年前。
日本史上では田沼意次の時代にあたり、関東では
有名な印旛沼の土木工事が公共事業として行われていた時代。
信濃に百姓一揆 三原山大噴火が起こった年に当たる。
主な時代背景は、以下のようなこと。
●1764年 (明和元年) ■江戸大火
●1783年 (天明3年) ■浅間山噴火
●1791年 (寛政3年) ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止
一方欧米ではアメリカの独立戦争などの動きが活発化し、
フランス王家ではオーストリア王家からの嫁のマリーアントワネットの
評判が、余りよろしくない状況だった。
彼女の兄ヨーゼフ2世はマリーアントワネットに妻として王妃としての務めを説き
夫であるフランス国王に対する態度を改めさせた。
1778年12月には夫婦の最初の子供、マダム・ロワイヤルが誕生。
というような歴史事実があったとされています。

当時の下野国の大工たちにとって水戸での仕事は、
公共事業へのご奉公の感覚が強かった様子がしのばれます。
この記録は、水戸の大工世話人という役儀からの通達文のようです。
徳川幕府の威光がまだ強い照りを持って謹んで工事にあたった気分充満。
この工事への参加について隣国の宮大工に対して
飛脚での知らせがあったというのも格別感をもたらせている。
また、水戸らしく引退した「老公」が
「御隠居篤軒様御普請御世話被遊候」という記述に、楽しんでいる様子が。
家老と用人という存在が併記されているのは、
公的には家老だけれど、私的権力者である用人も連名表記になっている。
幕府政権機構などでの権力中心のゆらぎを表現もしている。
将軍や大名といった個人権力の時代には、役職システムもゆらぐのですね。
で、下賜された工事金額は44両余り。1両5万円とすれば220万円ほど。
これで1月から7月までご奉公したということ。
衣食住のすべてがカネに換算されていない、非資本主義の時代での
妥当性のある「工事金額」だったということなのでしょう。
記載はないのですが、材料としての木材資材などや、
必要経費としての食費や出張宿泊費用などは別途支給だったと思われます。

いろいろと時代の感覚が伝わってきます。
写真は奈良春日大社付属の板倉建物。イメージカットです。
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【人を迷わすメニュー選択画面 in 高速PA】

2016年10月14日 07時50分46秒 | Weblog
毎日のようにキップ購入、メニュー選択のようなことは体験させられる。
で、こうした社会的「システム」に対する経験知はどんどん蓄積される。
毎日のように新たなシステムが構築されていく中で、
そういったことがらでの「常識」も積み重なってきている。

しかし、ことはそう簡単でもないようだ。
ときに残念な結果に遭遇せざるを得ないこともある。
写真は、先日立ち寄った栃木県佐野の高速PA内での食事メニュー選択機械。
わたしは朝早くホテルを出てここで朝食を食べる予定を立ててきた。
朝食とはいえ、朝ラーで「佐野ラーメン」を食べたかった。
あ、2日連続でのラーメンの話題で恐縮です(笑)。
早朝7時頃なので、まぁ間違っても行列することはないと思っていた。
いくら連休中とはいえ、7時ならと思っていたのです。
ところが、来てみたら行列が15-16人たまっている。
それも、チケット購入だけなのに減っていく速度が極端に遅い。
わたしが並んで買い終わるまでに10分以上はかかった。
「高速道路」利用者は普通、時間に対して感度が高くなっているはず。
こういうケース選択では数秒、長くても10秒が限界だというのが「体感」。
そういう経験的時間感覚を、チョー逸脱している事態。
こういう時間忍耐になるならば、売店でパンでも買った方がいいかもと
思い始める頃になって、ようやく機械端末にたどりついた。

で、この画面から即座に佐野ラーメンを選択したけれど、
そのあとがとにかく反応がワケわかんない。いつまで経っても終わらない。
<まさかの事態遭遇で、後ろに長い行列なので写真撮影はできていません。
この画面撮影は、終わったあとで空いたときに撮影>
なんかどうでもいいようなことを端末側が確認してくる。
お金も1000円入れているのに、金額はいくらなのかも明確でない。
さすがに手に負えなくなって呆然としていたら、
端末の横に中年の女性がいて、「あ、なにを食べたいのですか?」と聴いてきた。
まるで福音のようなやさしい声に救済の響きを感じた。
「あの、ふつうの佐野ラーメンしょうゆ味を食べたい」と申告したら
数段階の画面プッシュの指示を受けて、ようやく選択できた。
デジタル選択画面横には「こちらで確認してください」とか「最後に押す」みたいな
手書きPOPまで張り付けられている。
どうやら、そのPOP指示までしっかり確認しないと終わらないことになっている。
その画面ボタン位置には意味不明の画像や空欄だけで
文字がないので、これを押さなければ選択終了にならないとは、
たぶん「だれ一人」わからないことは確実と思われた。
わたしはパソコンやスマホ、デジタル機器はそれこそ空気のように
扱い続けているけれど、ここまで理解不能なヤツにはめぐり会ったことがない。
そもそも画面だけで完結していなくてPOPまで見なければわからないって、
まぁ常識の範囲をはるかに超越している。
いったいどういう画面設定設計をしていたのか、とそのプロセスについて
話題の豊洲地下問題までにも拡大妄想がふくらんだ・・・。

そもそも「使いやすくわかりやすい」ことを目的としたメニュー選択に
専用に助手として人間が張り付かざるを得ないというのは、
まぁ、およそ理解の限度を超えていた次第です。
個人的には、今後佐野ラーメンをここで食べることは遠慮したいと思いました。
っていうのは、もう一回やってもまったく自信がないからです。
結局すぐに中年女性を探すことになるでしょう(笑)。









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【東北最南端白河へ 仕事かラーメンか(笑)】

2016年10月13日 06時45分32秒 | Weblog
さて今回は10月4日に仙台に入って、きょう13日までの滞在出張。
その間の休日2日間には北関東にも足を伸ばしましたが、
本日、いったん札幌に帰還いたします。
BISという北海道が認証する「断熱施工技術」資格について、
そのご案内などのやや公的な任務もあって、
各地の工務店・ビルダーさん、設計者・研究者のみなさんと
幅広く交流、意見交換させていただきました。

ということで、昨日は東北最南端の白河へ。
芭蕉さんは奥の細道で、南から「みちのく」の入り口として
この白河を過客したワケですが、わたしどもは、
北海道から東北に進出して十数年、この白河でも
懇意にさせていただく住宅の作り手の方とめぐり会うことができています。
白河の高性能住宅ビルダー・吉田技建さんであります。
吉田さんとは昨年・東北電力主催の白河でのわたしの講演会でお会いした。
わたしの講演を熱心に聴いてくださって、ごあいさつさせていただき、
高性能住宅に真摯に取り組まれている姿勢を知った次第。
それ以来、わたしのこのFacebook、ブログをチェックしていただいてきた。
その間、当社発行のReplan福島にも協賛いただき、
というようなおつきあいをしております。
各地の真摯な作り手のみなさんとお付き合いできるのは、
こういった仕事の最大のよろこびと言えます。
いろいろと住宅を巡るデザインや設備性能のことなど情報交換。
わたしの書いているこのブログでの話題へのご意見など、
突っ込んだテーマでも話題が深まっておりました。
インターネット時代、こういう交友でもSNSはたいへん役立っている。
やはり情報交換の中身が、面白く展開していきますね。
で、午前中のお話しが長引いて、お昼時間に掛かってしまいましたが、
白河の有名ラーメン店にご案内いただいた。





いろいろテレビなどでも紹介されている「とら食堂」さんで、
11:30開店と同時に満席になってしまうということ。
市内とはかなり離れた場所のようですが、12時前とやや遅れていったら、
すでに長蛇の列で約1時間待ち。で、ようやくテーブルに着けた。
オススメはワンタン麺ということで、ご覧のような逸品です。
わたしどものような中高年にはまことにやさしい味わいのラーメン。
タマネギを細かく刻んで薬味に出されていましたが、これはピッタリ。
やさしい風合いに、さわやかさも引き立ってきました。
味はあっさり系だけれど、けっこうなボリューム感もあって、大満腹。
なんでも初めは特段、ラーメン専門というわけではなかったそうです。
それが、福島県でも喜多方ラーメンが全国的に話題になって、
「え、それならこっちも結構人気あるよ」ということで、
口コミが盛り上がっていった名店なのだそうです。
いまでは、白河ラーメンは地域の大きな観光資源にまでなっている。
なにやら、地域で頑張る工務店ビルダーさんの姿勢にも通じる。
謹んでその味わいを楽しませていただきました。
ほんとうにごちそうさまでした。メッチャ美味しかったです。




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【8−9世紀・奈良平安期 関東豪族居館跡】

2016年10月12日 05時45分50秒 | Weblog


昨日のブログですこし触れた北関東・栃木県の「寺平遺跡」の様子。
石器時代から縄文、古墳時代、さらに奈良平安期、
さらに室町期までの「豪族」の居住施設痕跡が相次いでいる遺跡。

そのなかでもこの遺構は興味をそそられました。
約1200年前の「東国」の豪族居館の全容が見えてくる。
上の写真は発掘された中心建物「大型竪穴住居」。
8本の主柱をもつ10.8m×7.8m(84.24㎡・25坪)の特大住宅で、
ふたつの大型かまどがあったそうで、併用されていた。
ということは、多人数の食事がここでまかなわれていたことが明らかで
須恵器の杯など大量の食器が出土する。
この居館に関わる主人・家族・奉公人などの豪族集団の炊事施設。
その下の写真図は、「大型掘立柱建物」のもので、
主柱に対してその周囲にひさしの柱跡があることから、
威信をあらわす「四面ひさし」を持った建物ということ。
4間×3間の規則的建築で、12坪の平面積の「主屋」。
この遺構の中心施設だったことが推定されている。




これらの「中心施設」を囲むように、多くの建築跡が密集配置された、
一見すると「都市的集住」形態を見せている。
なかには、酒造施設や食料保存のための「氷室」と推定される
建物跡も発掘されているのだそうです。
全体として1辺が60mの「コの字」型に建物群が配置されている。
このようなコの字型配置は、当時の「官衙」(役所)を模したものとされる。
ちょうど、これからやや時代を下った東北における
安倍氏・清原氏のような、官衙模倣の豪族居館に通じる建築意図。
仏堂とおぼしき建築跡、「支配地」での生産物のための倉庫群、
さらに周辺には奉公人の住んだと想定される竪穴住居群もある。
歴史的には、743年の「墾田永代私財法」の結果、
8−9世紀に出現した関東の富豪層の居館だということ。
ヤマト権力の地方支配施設「官衙」の建築様式を模しているのは、
「支配構造」機能としては、ごく自然なことだと思われます。
当時の経済構造を「支配」すると目的に合致した実質的形式として、
このような建築的態様が、「支配」に適していたと言えるのでしょう。

この10月29日にはこの集住的支配層建築群について
発掘結果に踏まえた発表講演会も予定されているそうです。
考古から「歴史」への中間的な「建築群遺構」という意味が感じられる。
どちらも人間社会がどのように発展してきたかを表しているし、
その間、実質的には継続的な社会構造があったのだと明瞭にわかる。
北海道に住む古建築研究愛好者としては、
まことにうらやましい史的環境があるものと思わされます。
う〜〜む、すごい興味深いですね。

コメント
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