青森県十和田は、札幌とよく似た計画都市。
八甲田山系の高台高地で、農業には適さなかった地域を
江戸期以来の絶え間ない公共工事で、開拓してきた歴史を持つ。
以下Wikipediaより引用。
もともと十和田市のあたりは三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、
台地周辺に寒村が点在していた。安政2年(1855年)の時に
新渡戸稲造の祖父の新渡戸傳を中心に奥入瀬川から水を引く計画に着手し、
1859年稲生川(いなおいがわ)として引水に成功して開拓の基礎ができた。
明治18年に陸軍が軍馬局出張所を設置したことから、馬産が栄えた。
同市の農事試験場(藤坂試験場)で開発され、昭和24年から
普及段階に移された稲の品種「藤坂5号」は非常に冷害に強く、
やませが吹いて夏が冷涼なこの地域で急速に広まり、穀倉地帯になった。
現在その遺伝子は多くの稲の品種に組み込まれている。〜要旨抜粋。
そういった経緯で集住地域として現在の十和田市が計画的に造成された。
札幌と同様に碁盤の目のような明治初期の計画的な街区が特徴。
ということなのですが、
食べる方では、馬肉などで有名であります。今回出張では街中の屋台で食事。
ビニールでテント張りされていて、野趣あふれるたたずまい。
屋外で寒いけれどこたつの席もあって、楽しい雰囲気。
で、薦められるままに食べたのが「バラ焼き」。
どうやら十和田バラ焼きは、B級グルメグランプリなんだとか。
案内してくれた平野商事・平野さんに食べ方をご教授いただいた。
鉄鍋にタマネギを周囲に展開させて、その上に牛バラ肉をのっける。
っていっても、積層しているバラ肉を写真のように山盛りする。
そうしておいてから、下のタマネギたちを箸で右回りに回していく。
徐々に落ちてくるバラ肉の肉汁でだんだんとタマネギも黄金色に変わる。
それからバラ肉をほぐしていって、タマネギと混ぜ合わせる。
バラ肉には甘辛く味付けされているのでそのまま、舌にアツアツを載っけて食す。
この料理は、バラ肉だからバラ焼きではなく、
どうも、食べていた情景から来ているネーミングなのだそうです。
というのは、戦後近隣の三沢が米軍に接収されて米軍関係者が移住してきて
かれらの好みと十和田の食材が出会って、生まれたのだそうです。
で、当初は「バラック小屋」で食事が供されていた。
バラックは本来は駐屯兵のための細長い宿舎のこと。転じて空地や災害後の
焼け跡などに建設される仮設の建築物のこと。当面の間に合わせであり、
材料も上質なものは用いず、簡易な構造で造られる。
っていう建物で食すのに、このネーミングがぴったりだったと言われる。
わたしのブログは一応、建築に関係しているので、
このバラ焼き紹介も、建築に由来しているというワケなのであります。
あ〜うまかった、という次第、ごちそうさまでした。