三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

氷雪の石垣 雪割りの春分サンデー

2016年03月21日 07時30分41秒 | Weblog
写真はきのうのわが家前の様子。
わが家は中学校のグランドに面していて、そちらには雪の壁ができるのですが、
その雪の壁に、さらに雪氷の石垣を造作いたしました(笑)。

札幌は先週ずっと好天、高温状態が続き、
市内の積雪もどんどんと解消されてきていました。
そういうなか、わが家は夫婦友働きなので、残念な残雪状況。
北入りの敷地なので、冬場、日射量が不足して、日々の除雪の残り雪が
固い氷状で積層していて、岩盤状に残ってしまうのです(泣)。
その固い岩盤氷雪を割って、こちらの方に移動させるのが、
毎年のわが家の習慣なのであります。
わが家周辺のお宅は、みなさん大変きれいに周辺を片づけられているので、
春分時期の休日には、わが家が取り残されたような状況。
幸い、大学の休みで帰省して運転免許取得通いしている坊主もいるので、
継続的に4~5日間、氷雪破砕、運搬作業に取り組んでおりました。
大体、駐車スペースとしている面積で50㎡ほどの面積。
以前はツルハシを使って作業していましたが、
いまは「ヤリ」形状をした雪割り専用器具があって、それを垂直に振り下ろして
おおむね10cm×20cm×20cm程度の大きさに破砕します。
やはり日中の気温が高い時間が好適なのであります。
でも、やはり作業はかなりの重労働で、力仕事。
ワンワークとしては1日あたり、4~5㎡程度が限界的なところ。

「俺がいる間はいいけど、いなくなったときのことも考えて、
なにか、機械的な設備も考えた方がいいよ」と坊主。
言われるまでもなく一応、ロードヒーティング設備は埋設しているのですが、
燃料費の高騰、さらに「地球温暖化」だけにしかならない罪悪感、
などから、結局はその設備は使っていないのであります。
やはり雪国での暮らしの、やむを得ざる家事労働として
自然に受け入れるしかないのではないかと思っています。
作業としての雪割りは、スパンスパンと結構小気味よく割れてくれるので、
冬を片付ける気分も高まって、まことに楽しい。
集中して取り組んだので、肉体的にはあちこちから悲鳴が上がる(笑)。
でも達成感もハンパなく、気分的には最高。
この疲れを温泉に浸かって癒すのも、北国の春らしい。
・・・と、達成感に浸っていたら、
きのう夜から今朝にかけて、うっすらとまた降雪です。
今週はふたたび寒の戻りなんだとか。
一進一退の雪国の春の進行であります。
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鎌田紀彦氏の真髄 木造工程を科学探求する

2016年03月20日 07時42分21秒 | Weblog


さてきのうは、新住協北海道地区大会2日目。
9時スタートから午後1時まで、中身の濃い研究大会。
大きいテーマは、断熱の厚みをもっと厚くするための工法の科学探究。
そしてそのような環境での暖房装置選定の科学研究。
いかにも北海道地域から進化してきた新住協のコア大会。

鎌田紀彦先生がほかの住宅建築研究者と決定的に違うのは、
理念だけを語るのではなく、その理念を現場工程で
どのように具体的に、工務店・設計者にとっての死活的テーマである
「安価に、合理的に、どうつくるか」を
きわめて実戦的に探求していく姿勢にあると思います。
日本における住宅建築工法は、在来の柱・梁で構成する工法。
その条件下で、それを進化させる方向で、
現代が求める最前線レベルまで性能を引き上げていく努力。
それも、相方としての工務店が組織丸ごととして理解出来、具体的に
すぐにも実践できる手法、手順まで解析していく。
そのためには、大工さんの現場心理まで飲み込んでもいる。
氏は、「建築システム工学」の研究が専門領域であるのですが、
そのなかでも木造の工法進化、現代化を追求されてきた。
北海道の工務店は、暖かい家を合理的に、そして安価につくる手法を求めて
氏と協同して、自らの建築現場を活用し工法開発の実験場としてきた。
そういった関係性が、明瞭な形で伝わってきます。
厚い断熱壁面になってくると、その断熱材を安定的に保持させるための
それも出来るだけ安価な手法開発が不可欠になってくる。
2枚目の写真のような「断熱材保持」の金物の設計まで必要になる。
さらには、具体的には垂木をどう主体構造に緊結させるか、
長いビスを正確に下地構造に安定させるか、
というような方法の研究も欠かせなくなってくる。
そのために垂木に事前にビス穴を開けておき、
そこに貫通させるビスの寸法、種類にまで解析範囲は及んでいました。



こういった部分まで、工務店の具体的な現場力解析は及んでいる。
ここまで実戦的な木造研究者は、やはりなかなか稀有な存在。
上の写真は、会場で展示されていた、
ビスを使わずに屋根にPVを据え付けるための装置。
木造住宅を進化させていく技術開発は、時代の変化につれて、
これからも、より深まっていくでしょう。
考えてみれば、法隆寺の六角形の「ログ」構造など、
日本には、木造を科学するという強い伝統はあるのだと思います。
いまダイナミックに進化しつつある木造、面白いと思います。


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新住協北海道支部総会 in 旭川

2016年03月19日 06時20分54秒 | Weblog


18-19日の両日、表題のイベント開催であります。
全国から120名ほどの参加でにぎやかに開催されています。
「北海道支部総会」なのですが、北海道の最新住宅事例の情報は、
全国のメンバーのみなさんにも関心は高く、
多くの地域から多数の参加者が集まってきています。
会場は旭川パークホテルとうろ覚えに憶えていて
どうせ市内中心部だろうと、軽く考えて、宿泊先も手配していたのですが、
わたしがうろ覚えに想像していたホテルとは全然違って、
市内中心部から6km近く離れた高台のホテル。
幸い時間的には若干のゆとりがあったので、
急遽、総会会場のホテルに連絡して、ちょうど1部屋キャンセルの出ていた
シングルルームを予約して、滑り込みセーフという次第。
で、きのうの1日目は合計4件の住宅見学会。
新住協旭川メンバーの最近の住宅を見学致しました。
北海道内でも旭川地域は、多雪でなお寒冷が厳しいという
日本国内でも極限的な気候条件の地域として
住宅性能の最先端的な実証が継続しています。
北海道の住宅研究組織である「北総研」もここに置かれて
研究が進められているし、設備の全国メーカーさんも、
実験場として最適条件地域として、旭川は拠点になっている。
北総研の場合には、旭川空港との利便性もいいし、
企業の「研究開発費」では、公営なので、受託研究や共同研究の費用が
民間企業などからすると、一ケタ違うというくらい恵まれた条件になっている。
そういった厳しい気候条件で最北の人口集積地という利便性から
北海道の、そして日本の住宅性能進化の最前線とも言えます。
そういうなかでも新住協旭川支部のメンバーは、
こうした研究組織との連携などでも
住宅性能面での最先端の研究に協力している先進的な企業群。
それぞれに興味深い内容の取材が出来ましたが、
さすがに全国からの見学者のみなさんからは、多様な質問攻め。



こんなふとした天井仕上げについても、着目されていた。
これは新濱建設さんの現場でしたが、
天井には、安価な針葉樹合板のなかでも木目の美しいヤツを選別し、
それにサンディングして、塗装させることで、
なかなか味わいのある見栄えの仕上げをされていた。
少しでもコストを抑えて、しかも競争力の持てる技を見つけようとする
研究熱心な姿勢が、随所で真剣な情報交換として交わされておりました。
本日は、各社による住宅事例の発表が行われて
鎌田紀彦室蘭工大名誉教授からのチェック、知見の共有が行われます。
こちらも新住協の会合での大きなメリット。
きょうも取材を頑張っていたいと思います。ではでは。




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復興のまち、生活文化継承・創造への壁

2016年03月18日 05時40分22秒 | Weblog
写真は、宮城県岩沼市の防災集団移転の「まち」に
周囲を囲むように植え込まれた「防風の木並」。屋敷林の機能を持っています。
災害から命を守るために、地域丸ごとが「引っ越しをする」という、
集団移転ということは、これまで日本人はそう多く経験知を持っていない。
東日本大震災・大津波というやむを得ざる事由から、この平成の時代に
さまざまな歴史経緯や、文化的成り立ちを持った「地域」が移転した。
その移転に当たっては、現在の法体系、行政組織、考え方が実践された。
その結果が、徐々に姿を現しつつあるところなのです。

取材していて大きく感じたことは2つ。
1つは、「地域の文化を継承する」というお題目は掲げられているけれど、
「地域のお祭りなどの基軸になっていた神社などの
信仰対象は、どうなったのですか?」という質問に対しては、
予想通り、宗教との政教分離原則が貫徹されて、
きれいさっぱりと、津波被害地域にそのまま取り残されたままだと言うこと。
地縁社会の中で、各地域の神社仏閣というものは、
言うまでもなく歴世にわたって、維持存続してきたものだと思います。
大きな政治変動があった場合にも、各神社仏閣は、
新体制下での存続を常に努力してきた存在だった。
日本史では、このことはさまざまに継承されてきた基本だとも言えます。
そうした「文化要素」が地域の中で息づいて、
祭りという形で、その地域らしさの大きな部分を占めてきた。
そういったものが、平成の地域集団移転では移転されなかった。
で、一方で地域文化の継承存続は、謳われている。
地域文化の基軸になっていたものはオミットしていながら、
一方では継承しろという、パラドックスが生まれ出ている。
この国の民主主義統治機構の、明瞭な瑕疵かも知れない。
2つめは、公共資産としての景観を保持してきた植栽・樹木への態度。
この「まち」でも、住民の自治組織側としては、
植栽などを希望したけれど、現代の統治機構側では、
この植栽・樹木の維持管理という難題は、できるだけ避けようとする。
なぜなのか?
公共の植栽・樹木に対しての、モンスター的な「住民の声」が恐ろしい。
維持管理せざるを得ない自治体にすると、
その植栽・樹木に対して必ず「落ち葉を片付けろ」とか、
「影になって邪魔だから,木を切ってしまえ」という声が寄せられると言うこと。
こういう「声」が、行政側ではいちばん困るのだと。
暴走する現代個人主義ではないかと思われる「声」なのですが、
事実上は、こうした暴走個人主義の独裁状況にならざるを得ない。
植栽・樹木の類は、このような暴走個人主義に
自治体として対応させられることを事実上、意味している。
そういったトラブルのタネについては、
是非止めたいというのが総じての傾向。
そういうなかでこの木々の植栽は,奇跡的に実現できたのだという。
・・・まことに難しい時代なのだと、痛感させられます。

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仏教建築軒先の曼荼羅表現

2016年03月17日 06時54分29秒 | Weblog
わたしは年相応に神社仏閣の類が大好きであります。
今回、韓国に行くことが出来て、そこでも
すばらしい寺院建築を見ることができたこと、うれしかったです。

神社は日本独特のものであって、世界性はない。
それはそれできわめて面白い存在であるのですが、
仏閣の方は、世界宗教としての広がりがアジア圏において存在する。
その共通性に、非常に親近感を憶えさせられる存在。
日本という社会は孤立して存在したのではないと言うことを、
きわめて明瞭に語ってくれていると思います。
そしてそういった共通性を認識し、同時に違いを考えて、
来し方行く末に思いを致すのも、なんとも楽しい時間であります。
寺院建築では、軒先にその建築表現が集約的になっている。
デザイン的に「曼荼羅」が、構造に仮託されて視覚化されているのかと。
垂木や屋根、木組みなどで、重厚に表現されている。
新羅時代の国家宗教施設であったこの仏国寺では、
創建時の様子がどうであったか、
日本統治時代に調査が開始したとされている。
その後、1970年代に再建されたというのですが、
さて、どのようなプロセスを経たのか、今度じっくり調べてみたい。
というのは、日本の寺院建築と非常に似通ったデザインで、
違いを発見することがたいへん難しかったからです。
奈良や京都にある寺院建築ですと、この木組みを見せられても
まったく違和感は感じられない。

いま、韓国では仏教はキリスト教に押されて
少数派の宗教なのだそうであります。
キリスト教は李氏朝鮮の時代にはなかったとされているので、
そんなに歴史年代的に古いものではない。
たぶん、日本の近代化が始まったと同時期くらいからの時間経緯でしょう。
であるのに、いま日本と韓国ではこうした宗教の割合が全然違う。
まぁ実にいろいろな社会学的、歴史的考察が可能で、
楽しみがグンと増えてきたところであります。
やっぱり知の世界、楽しみは奥が深いですね(笑)。
まるで、曼荼羅世界。




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RCとガラス建築群、「愛着の耐久性能」は?

2016年03月16日 05時26分37秒 | Weblog



さて、韓国ツアーでは世界遺産・河回村がメインの視察だったのですが、
情報を集めて、現代の住宅サイズの建築群も見学に。
そんな情報集めで引っかかってきたのが、「ヘイリ芸術村」というゾーン。
インターネットでの紹介を見てみると以下のようです。

~ヘイリは韓国の作家、美術人、映画人、建築家、音楽家など、
様々な分野の芸術家たちが集まり形成された文化芸術村です。
この共同体村ヘイリの中には家と作業室、美術館、博物館などの
文化芸術空間が設けられ、現在も次々と建築中です。
この芸術家たちはヘイリの中で創作、展示、交流、販売、生活をしています。
2005年現在、ヘイリには博物館、展示館、音楽ホール、書店などが
40軒ほどあり、今後3-4年内には約400件まで増える予定です。
展示館や博物館にはカフェも併設している所が多く、
現在は10軒余りのカフェとレストランが運営中です。
ヘイリ芸術村は、新環境的な建築規定を作り、自然そのままの
地形を活かしながら建築物を建てています。厳しい建築規定があるため
全ての建築物は3階建て以上建てることが禁じられており、
また各自の分野に適合した建築物を、専門建築家が設計し建てられるため、
建築物だけを見ても、非常に芸術性溢れる村です~

というコンセプトでの小建築、住宅サイズの建築が大量にある。
芸術家たちのために、「とんがった建築」であることが要望されるのか、
韓国内の建築家たちが、その意匠性を競っているようなエリアです。
で、結論から言うと、審美眼的に大きな疑問を持った次第。
韓国では、とくに首都ソウル周辺では、高層のマンションが林立している。
戸建て住宅というのは、いまや超高級住宅くらいしか存在しない。
その戸建て住宅でも、木造というのはきわめてレアで、
ちょうど沖縄の状況と酷似している。
たぶん、戦争による破壊の結果、建築は一様にRCを選択している。
小住宅でも、木造ではなくRC造がきわめて多い。
ここはRCで「とんがった」建築を小さいサイズでつくる、という
展覧会のような、パビリオン群というエリアなのであります。
それは理解出来るけれど、出来ている芸術家たちの建築に
ほとんど美を感じられないというパラドックスが迫ってきて仕方なかった。
ムリヤリ感とディテールの破綻ぶりに目が行って仕方がない。
この異様な不条理感はなんなんだろうかと胸に手を当ててみた。
結局、素材としてのコンクリート自体に、魅力がない。
その共通の「モジュール感」が存在していないことからくる、
一種の不統一感が、気分を重くさせてくる。
木造であれば、規格寸法というものがあって、
おのずと、出来上がった建物にある共通性が生じて、
その集合に統一感が生まれ出るものなのだということを、
こういった反面教師は教えてくれているように思われた。
またこうしたRC建築には、隣家への配慮というものが欠けている。
各戸が主張するばかりで、共同体へのリスペクト志向が育たないのかと。
その後訪れた、世界遺産・河回村の木造建築群のデザインの美しさと
きわめて対比的だったというのが強い印象です。
木造は古びていくほどに、どんどんと味わいが深まっていくものだけれど、
RCは、どんどん「廃墟」感に向かっていくのではないか、
建物端部での水仕舞などの破綻ぶりを見せられ続けていると、
「愛着の耐久性」に、大いに問題があると思わされた次第。

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韓国でのクルマ・道路交通状況

2016年03月15日 05時34分33秒 | Weblog


韓国ツアーでは、ソウル市内移動だけだった1日目と
釜山で帰りの便まで時間がそれほどなかった4日目を除いた、
2~3日目については、長距離移動だったので、
バスを仕立てて、貸し切りさせていただきました。
24人乗りということでしたが、
ゆったりと9人で乗車していたので、長距離にも関わらず、
たいへん快適に移動することができました。
地図では、メインの動線だけを記載していますが、
それでも移動距離は466kmと書かれています。
実際には、たくさんの寄り道をしているので、700~800km程度になっている。
ソウル中心街明洞のホテルを出発し、北朝鮮との対峙ポイント
板門店の近くの「ヘイリ芸術村」へ移動し、そこからソウル市内へ帰還。
市内を数カ所移動してから、安東市へ移動、ホテルへ。
そこから河回村~仏国寺と回って、釜山へというルートでした。

まずはじめに気付いたことは、
韓国ソウル市内では、一円で「駐車禁止」が厳守されているということ。
市内の幹線道路幅は片側3車線程度が普通なのですが、
それくらい広いと日本では歩道側の車線には
一時停車を含めた車両が、たくさん停車するケースが多いけれど、
韓国では監視カメラがたくさん設置されていて、即違反キップを切られる。
ということで、3車線とも、ビュンビュンとクルマが行き交っていて
ソウル市内では「渋滞」発生原因が解消されている。
最初から、運転手さんとしっかり連絡を取って、
待ち合わせ時間を厳守しなければならない。
ちょっとでも時間がズレると、周辺をぐるっと回ってくるので、
待ち時間はそこで発生するのですね。
その分、市内を抜けるのもかなりスムーズでした。
さらに一般道でも90kmくらいの速度制限になっている。
しかも道路幅が広いので、ガンガン飛ばしてくれる感じであります。
あ、日本とは違ってクルマは右側交通、ハンドルは左側。
高速道路では、バスなどの公共交通手段は一番左側車線を優先道として
割り当てられている。これはきわめて便利・合理的。
ソウルから出て行く幹線道では車線が片側5~6車線というのもザラ。
それでもラッシュ時などは満杯状態で、スイスイと走れるのは
いちばん中側のバス車線のみという状況。
ETCの「踏切」通過については、日本では考えられないほど
みんな速度を落とさずにビュンビュン行き交っている(笑)。
「おおお、」という驚きの声が車内に広がります。
かなり想像を絶するクルマ社会という印象であります。
韓国の王宮建築・景福宮見学では駐車場に入れていたのですが、
ソウル市内各地では、どの程度大型の駐車場があるのか、質問を忘れた。
その後、地方に行くと駐車禁止はあんまり厳しくはない印象。
高速道路の料金は、日本では考えられないくらい低額。
たぶん、1/3くらいではないかと感じました。
また、釜山ーソウルという450kmの距離の長距離列車でも
3000円程度で移動可能なのだということです。
いちばん高速移動が可能な高額列車でも6000円程度で、
しかも飛行機でも大体同額程度なのだと言うこと。
ガソリンの値段は日本より若干、2割程度は安く感じました。
ただ、日本車には対抗心が強く、ほとんどが韓国製もしくは
EU圏製が多く、ディーゼル車がたくさん走行しています。
軽油はさらに低額だと言うことなので、
韓国内では、交通費用は日本よりも感覚的には半分以下と感じました。

しかし最終地の釜山は、いかにも伝統的港町で
坂道や狭小道路が多くて、日本の一般的な街と変わらない状況。
ソウル市内の道路整備がものすごく進歩しているということかも知れませんね。
今度行くときには、レンタカーを借りて走ってみたい、
クルマ大好き男が観察した、韓国交通事情でした。


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3.19PM5:00~秋田AAB-TV出演 (^-^*)

2016年03月14日 06時24分35秒 | Weblog
きのうは秋田にて、秋田朝日放送(AAB)のテレビ番組出演で
録画撮りでした。放送は今週土曜日の夕方5時からとのこと。
「Comfort Life」というハコ物番組です。
もちろん住宅の番組で、コメンテーター役であります。
MCは秋田地元のフリーアナウンサー・真坂はづきさん。
住宅の訪問取材番組で、彼女の感想に対してコメントを加えるわけ。
住宅について、わかりやすく性能面を解説して
ユーザーに見方をお伝えするのが番組趣旨。
こちらの局さんでは、何回かこうした番組を制作されていて、
そのたびにわたしに、コメンテーター役が舞い込んできます。
住宅についてのテレビ的なコメンテーターって、
ハマりの人間がなかなかいないってことなのでしょうか?
ということで、韓国帰りでやや疲労感ハンパないなか、
笑顔でたのしく出演させていただきました。

こういうお仕事は、もっぱらテレビ局からのオファーなので、
こちらの方から仕掛けるというものではないのですが、
なるべくわかりやすく「いい家」選びのお役に立つ情報提供を
心掛けております。
わたしは人生でけっこうテレビ出演は多い方でありまして
一時期、Replan出版開始のころは、数年間、
ローカルの情報番組枠内での住宅番組に月1以上の割合で出演。
創刊時点から積極的にテレビ出演をお引き受けしていました。
やはりテレビの影響力というか、顔の見えるリアリティは貴重。
ただ、テレビって時間の「尺」のなかで必要のあるコメントを
凝縮して、かつ明瞭にわかりやすく伝えなければならない。
文章表現や、写真表現とは違って、
じっくりと検討して情報発信するというようにはできない。
即時応答性が一番大切という変わったメディア。
いわば「座談」的なノリがいちばんキモのように思います。
テレビ的な「つかみ」も非常に大事なポイント。
わたしは学生時代に演劇をやっていた経験があるので
こういった役割には、ちょっとファイトも湧いてくる気質です(笑)。
きのうはナマではなく、録画なので、
あとは制作さんの方で調理されて番組になる予定。
なんですが、わたしが放送を確認できるのは、
放送後のDVDが郵送されてから。
自分でも、どんなふうになっているのか、ドキドキしながら、
待っていたいと思います(笑)。
むむむ、丸顔化、進行している・・・。

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751年創建 世界遺産・仏国寺参拝

2016年03月13日 09時00分41秒 | Weblog



仏教というのは、東アジア世界の社会発展の歴史に於いて
きわめて重要な歴史要因であったと思います。
権力がなぜ必要なものであるかということを
民衆に納得させるのに、世界宗教としての仏教は
大いに役割を果たしてきたのだろうと思います。
奈良の都創建のころの、鎮護国家思想はそうしたことを伝えている。
しかし中国においては歴史的になんども時の権力が廃仏令を発して
そのたびに寺院建築が危機に陥ってきた。
天台宗3代座主・慈覚大師円仁さんの入唐記には、
この廃仏令をリアルタイムで体験した様子が記録されている。
現代の共産党支配のなかでも、苦難の歴史をたどり、
ようやく近年になって、復興の気運が盛り上がってきているとされている。
歴世、権力者にとっては現世での自分の権威と相克するものと
仏教を捉えてきた結果だと思われます。
韓国に於いても、その経緯はにたような部分があり、
中国皇帝の意向を忖度するかのように何度も廃仏令が出されてきたとのこと。
ひとり日本社会のみが、いまあるように仏教寺院に保護を加えてきたのは
ある意味で奇跡的であると思います。
中国社会が易姓革命思想で前時代を徹底的に否定する歴史であるのに対して
日本社会では、易姓革命のもとである皇帝、日本では天皇であるけれど、
その天皇に「姓」がないとされる。
姓がないから、権力者の姓が変えられないということで易姓革命が起こらない。
なぜこうした知恵を働かせたのか、いまとなってはナゾとしかいえないけれど、
繰り返された中国での王朝交代の社会混乱から亡命してきて
帰化人となった中国社会の知的エリートたちが、日本国家権力機構に
こういった仕掛けを施したのではないかと想像しています。



日本の法隆寺が建立されたのが、韓国の仏国寺に100年ほど先んじている。
たぶん統一国家の形成が、新羅が事実上初めてだったことに由来するのか。
しかしこの仏国寺も、何度も廃仏令が繰り返されてきた。
その上、秀吉政権の無謀きわまりない侵略行為で
この寺院は焼失もしたのだという。
その後、日本統治時代に復元調査が行われ、
1970年代になって、ようやく現在の寺院伽藍が再建されたそうです。
多くの韓国人、中国人のみなさんに入り混じって、
ひとり般若心経をつぶやきながら、礼拝させていただいていました。
そうしたら「無説殿」という建築では、その中にまで入らせていただけました。
謹んでもう一度、般若心経を唱えさせてもらいました。
上の写真のような曼荼羅図、ではないと思われる仏教画の前で
静寂ないっときを過ごさせていただいた次第であります。
南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)と念じたのですが、
これはそういえば真言宗の御宝号(ごほうごう)なので、
このお寺さんは、禅の曹渓宗だそうで、ちょっと間違えたかも・・・(笑)。
申し訳ありません、許して下さい、異国の仏様・・・。



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韓国料理 常食キムチ辛すぎ警報(笑)

2016年03月12日 06時38分01秒 | Weblog



韓国での食事を中心にした報告ブログであります。
9人での団体食なので、いちばんはじめに各自30,000円を集約。
いちいち各人精算していたら時間がかかるし、
せっかく韓国人スタッフもいて、通訳ガイドも出来るので、
それを大いに活用しようという作戦だった次第。
食事の選択もすべて彼にお任せに致しました。
で、そこから合計6食の昼・晩メシや
お酒代・カラオケ代、公共交通費などに充てた。
いちいち、ここは俺が払うとか,気を使い始めたりすると
団体旅行は大変なことになる可能性があるので、
とにかく誰が何を食べても飲んでも構わないから、
精算については財布を一つにして、全部で割る9、というワリカン。
そのように宣言して、全員の賛成を最初に取り付けました。
公共交通費はほんの1,500円ほどだったので、
ほとんどが6食の食事・酒・カラオケに消えたのですが、
その「出資金」は、各自に約10,000円ほどキャッシュバックされた。
なので、1人あたり食費小遣いは18,000円ほどでした。
4日間でなので、1日あたりは4500円相当。まぁ合理的。
たぶん、食事代はこれの6割程度だったと思います。

最初の晩は敬意を表しての「焼き肉」料理。
先般の安倍首相の訪韓でも、晩飯は焼き肉だったということでした。
まぁこれはあまりにも定型で、特段の感想ナシでしたが、
それなりにおいしくて、韓国をリスペクトさせていただけた。
そこからいろいろ食べたのですが、
なぜか、日本大使館が入ったビル地下にある
ベトナム料理のお店でフォー麺を中心に、チャーハンや五目甘煮。
これがたいへん美味しかった。
日本大使館なので、少しアレンジしているようでもあります。
しかし、どの食事時にも必ず「キムチセット」が定番で並べられる。
で、メインの料理にもたっぷりと辛みが効かされている。
最初は箸がどんどんと運ぶのですが、徐々に勢いが減ってくる。
まぁ、お腹が膨らんでいくので当然でもあるけれど、
毎度辛いのを食べ続けていると、だんだんお尻のあたりが
熱を持ってくるかのようであります(笑)。
どうも韓国気質として情熱的というか、ちょっと激し過ぎのところは、
このキムチ常食化、香辛料摂り過ぎが関係しているのではと、
妄想が膨らんできておりました(笑)。

写真は、「チムタク」料理の分解写真であります。
鶏肉料理で、鶏の甘辛煮という料理。
鶏の他に、いろいろな野菜と決め手はタンミョン(韓国春雨)でしたね。
韓国にいた4日間で、いちばん口に合った韓国民族料理。
辛い韓国料理の中ではいちばん野菜、とくにジャガイモの
甘さが引き立っていて、口に優しい味わいだったと思います。
4日間、いろいろ食べた中では、わたし的にはこれでしたね。
まぁ、どの食事も面白く楽しく、大いに韓国をカラダいっぱい、
満喫させていただきました。コマウォヨ。
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