三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

中越の緊張状態はどうなるか

2014年05月11日 05時11分04秒 | Weblog


ベトナムでは、西沙諸島での中国との緊張の高まりから
中国大使館への抗議デモが行われ、
共産党一党支配体制のもと、対中の憤激が高まってきているようだ。
一方、中国共産党の機関誌では、「大国・小国」というあからさまな言いようで
露骨にベトナムを威嚇するような内容の記事を掲載しているという。
「170回以上ベトナム側が船をぶつけてきた」という
中国側のプロパガンダに対抗してベトナム側は、
ベトナム船に中国の船舶が明確に激突攻撃を仕掛けてきている映像を
世界のメディアに配布しているという。
こういった状況が膠着していて、
中国も、予想以上の「小国」ベトナムの強い抵抗に手を焼いている。
なんでも、中越間では外相同士の話し合いで
「平和的な話し合いで解決させましょう」と合意したばかりのタイミングだそうで、
中国としては、この時期ならば、やってしまおうと考えたらしい。
恐るべき「外交感覚」だと言わざるを得ない。
また、公然と自国が「大国だ」と公言する態度は、嫌中感情を
周辺国家国民に根強く染みこませることだと言うことを理解できず、
外交的な平和国家の感覚をもっていないことを明示している。
しかし、中国はこの事態をどのように収束させるのか、
いま、中越両国は水面下で殴り合いと話し合いの両方をやっているのだろうけれど、
「大国」中国は、国内問題のはけ口として、
このような侵略的な海洋進出の方向を進めていこうとしているのだとすれば、
収束の方向性はなかなか見出しにくいかも知れない。
国際社会の関心や発言も週末ということもあるのか、
まだアメリカ・日本以外からは聞こえてこない。
ヨーロッパ各国がどのように対応してくるのかを知りたいと思っているのだが
いまのところ、声は届いてこないし、
また、国連もアクションはないようだ。

こういう事態は、日中でも東シナ海・尖閣で起こりうる。
相手が法治国家ではない以上、
日本もある程度は、非常時に備える必要がある。
本当に武力での尖閣奪取と言うことを中国が仕掛けてきたら、
いったいどうなるか。あの岩礁の帰趨は大した問題ではない。
むしろ一番恐ろしいのは、日本が国を挙げて世論が沸騰することで、
アジア世界にとって、本当に困るのは日本が本格的に
「普通の国」としてふるまうことにあるのだと思う。
くれぐれも事態が深刻化しないように願いたいが、
しかし、現中国の指導部のありようを見ていると、
どうにも危うさが高まっているように思う。
ベトナムは、かなりの強腰で出てきている。
一方で、中国も国内世論的に柔軟路線は取りにくい可能性が高い。
というか、周辺国は強腰で出れば引いてくれるだろうと
小児病的に考えているような節が濃厚だと思う。
どうもあまり楽観はできないと思う次第です。

<写真は無関係・甘党の手作りおやつ、カボチャのアズキ粒あんかけ>
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ふたたび中札内美術村へ

2014年05月10日 16時09分44秒 | Weblog



先週行ってきた帯広郊外・中札内美術村の光景です。
この美術館というか、美術館群は北海道らしい景観の中で
ゆったりと十勝ゆかりの美術作品と対話できる施設。
お菓子屋さんの「六花亭」さんが、
その包装紙のデザインを坂本直行さんに頼んで以来、
地域の美術家たちの後援者的なスタンスで歩んできている
表徴のような施設群です。
六花亭は売上高が、東京に本社を持たない製造業としては188億円ということで、
日本最高なんだとか。
そういった企業が札幌周辺ではなく、そこから暖簾分けした
十勝から出現しているということで、
まさに地域のブランドだと思います。
北海道は、十勝地方を除いてどちらかと言えば国の税金頼みの体質が強く
自主独立の気概が欠けている部分があるのではないかと反省します。
この六花亭の経営方針は、
「ひとつ鍋」という地域のロマンをそのまま、お菓子にした製品が
予想以上に地域から喜ばれたことがヒントになったと言います。
「ひとつ鍋」とは、民間主導の開拓であった十勝平野の開拓期に
牛やブタ、鳥などの家畜と人間が「ひとつの鍋」で
食を分け合って命を繋いできた、その開拓の苦闘を製品に込めていたもの。
そこから、地域の誇りを企業立志の基本に置いた経営を行ってきたといいます。
吉野家が米国からの牛肉輸入がストップしたとき、
価格ではなく、味の点で米国産の牛肉でなければ吉野家の味ではないと
米国産以外の牛肉を使わず、吉野家から牛丼メニューが消滅した時期、
この六花亭本店を訪れたことがあります。
そのとき、壁面一杯に吉野家の姿勢にエールを送っていました。
その後、十勝産のバターが枯渇したときも、
潔く、入手できる範囲でしか、製品を出荷しませんと宣言していた。
まことに「品質本位」「地域密着」とは、
こういう企業姿勢を言うのだと感嘆させられました。

そういった流れから、
地域から出た画家たちとの交流が生まれ、
坂本直行さんの絵を包装紙としてずっと使い続けている。
この中札内美術村、必ず年に1-2回は来ています。
柏の樹林のなかを逍遙しながら、
静かに絵画鑑賞できる、稀有な美術館だと思います。
ただ、そういうことなので、さすがに冬場は閉鎖せざるを得ない(笑)。
しかしそういうことも含めて
北海道であること、十勝であることに
誇りを持っていると伝わってくるものがあります。
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2014年05月10日 16時07分31秒 | Weblog
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南シナ海での緊張

2014年05月09日 06時48分12秒 | Weblog


オバマ大統領のアジア歴訪とそこでの安全保障上の約束を受けて
東南アジア各国政府が、中国に対してより強硬な態度に向かってきている。
ベトナムは、中国との係争問題のある西沙での中国の石油掘削に対して
それを咎める実力行使に向かい、
中国側から船体衝突攻撃や放水などの
激しい敵対的行為を受けたと国際的に発表した。
また、フィリピンもこれまで見過ごしてこざるを得なかった海洋地域での
国家主権主張を明瞭に行動で示し始めている。
現状の中国の南シナ海、東シナ海利権に対する態度は、
真正の「帝国主義」ともいえる。
法治ではない国が達成した経済成長によって
近隣各国はその悪い影響を受けざるを得ない。
現状の習近平政権は、オバマ政権に新しい超大国関係を求め、
それに対してオバマ政権が黙認的な態度を取ってきたことから、
このような近隣国家との摩擦を常態化させてきた。
東アジアにおいては、韓国を自国市場での優遇をちらつかせて懐柔して
対日外交戦略の大きな手駒として動かし、
中国としては慎重に、尖閣に対して当たってきているけれど、
南シナ海地域では、かなり無頼な動き方を示している。
ベトナムは、中国との経済関係にも配慮しつつ、
しかし、過去において中国と戦って、両者とも勝利を宣言するような
そういった終結の仕方をしてきている自信からか、
かなり確信的な行動を取ってきている。

それにしても中国。
経済が発展してくれば、おのずとその国は
より膨張的な対外姿勢に転じてくることは、歴史の必然だけれど、
21世紀の今日で、2度の世界大戦を経たあとの世界で
共産党という「人治」の国家体制のまま、
このような「経済力」を背景とした軍事力をちらつかせてくるというのは
まことにあやういと言わざるを得ない。
国際法と民主主義の遵守、というような基本的価値観を
世界と共有しているとは言い切れない国が
今後、どのような態度で国際関係に臨もうとしているのか、
不確実性がきわめて高い。
いまのところ、西沙諸島での事態については、
アメリカが即応的に声明を出して、名指しはしていないけれど
石油掘削という行為には「挑発的」だと言っている。
日本政府は明確に中国側の中国側に挑発的行為があったと
官房長官が談話を発表している。
それ以外のヨーロッパ各国がどのような反応を示すのか
あるいは韓国などはどのようにコメントするのか、しないのか。
アメリカも、その同盟国へのコミットの本音が試されてくる。
膨張する中国とどのように向き合うのか、
国際世界が試されはじめているように思われます。
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司馬遼太郎「播磨灘物語」あとがき

2014年05月08日 06時00分41秒 | Weblog


読書というのは、読む度にいろいろな発見がある。
司馬さんの最高傑作は何かというといろいろあると思うけれど、
播磨灘物語は、司馬さんの歴史を見る目がよくわかる作品だと思います。

で、久しぶりにたっぷりしたGW休暇時間の中で、
「あとがき~文庫版のために~」を読み返した次第です。
ここで、司馬さんとわが家系との接点が見いだせているのです。
とはいっても、血筋としての直接のわが家系というのは、
江戸中期にこの家に「入家」している存在なので、
まぁ、法人としての「家」伝承と言うことになります。
養子縁組という制度が人間社会の迂回装置として機能してきたことの例証です。
で、そのわが「家」系伝承では、戦国期に黒田官兵衛と秀吉の織田軍によって
播州西部・英賀で敗北しています。
なんと、宇野氏という司馬さんのご先祖もこの同じ城で戦っていたそうなのです。
現世的には主従関係と言うことになるでしょうが、
この城は、一向宗の拠点になっていた城で
たぶん現世の城主よりも未来永劫の弥陀の本願への
帰依を優先させた政治闘争方針で
信仰のがんじがらめの教条によっていわば政治的な透徹性がなく、
簡単に勢力が瓦解させられたようなのです。
ただ、こうした経緯について歴史文学者・歴史家としての司馬遼太郎は
現地調査もして、大きな文学的着想を得て
しかしそれから長い時間を経て書き上げた播磨灘物語では、
ほとんど残滓も残らないかたちで記述からは消え失せている。
で、このことで英賀城を先祖伝承として持っているだろう読者から、
自分の先祖のことが消え失せていると抗議されたそうなのです。
その経緯について、「あとがき」で
まるで「化学反応の場合、化合が成立したときに触媒が消えてしまうように」
消え去ってしまったと語っています。

こういった、残っていく作品の「あとがき」において、
どうも自分に関係すると推測できるやりとりの痕跡を発見するのは
キモの冷えるような思い。
それも司馬さんの文章には珍しく、投稿に対して怒気を含んでいる。
投稿者は、よほどの書きようをしたに違いないと思う次第。
司馬さんは、英賀城のことを書くことが気恥ずかしくなって
この作品から記述が消えてしまったと書いている。
私小説的な性向が自分にはまったくないのだという自己分析が書き添えられている。
そして「他意はない」とも書かれていた。
しかし、歴史文学者としての方法論などは非常に明瞭になっていて
司馬文学の骨格的な部分がよくわかった次第です。
人間社会での経験を経てきて、思いがけず発見できた機微だと思っています。
そういう意味で、たいへん味わいが深くなった次第。
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読書とひとの「知」

2014年05月07日 06時55分51秒 | Weblog




連休最後の昨日は、わが家の大掃除をしておりました。
中学校、高校のときの坊主が残した大量の紙類整理をしました。
それでわかることって、やはり多いものだと思わされます。
自分の大学入学時、母親が、あわただしく東京に向かったわたしの残した
多くの本や、文書類を整理してくれたことを思い起こしました。
個人的な記録や、交友のさまざまな記録を丹念に整理整頓してくれていた。
高校卒業時だから、その当時はそう多くの本を持っていたわけではないけれど、
まぁそれなりに、数十冊は本を持っていたと記憶している。
そういう本類は、大切に持って行った。
そのころは、なにを読むかが、「どんな人間になるか」ということと
ほとんど同義と思っていたように、いま、思う次第。
そしていま、坊主たちは本と言うよりも
インターネットの時代にネイティブで生きている。
新聞が、すでに若い世代でまったく購読されていないけれど、
本も、急速にひとの精神生活への影響力を落としてきている。
ことし、東大卒の学生がひとりも朝日新聞に入社しなかったそうで、
急速に知の世界でのアナログのパワーが落ちている現実がある。
それよりもSNSであったり、ソーシャルゲームであったり、
インターネットが、かれら世代の「現在」を表徴している。
東大の学生たちの進路先にそういった企業群が多く、名を連ねている。
そのように変化していくのは不可逆だろうけれど、
違うかたちの知性は、どのように形作られていくのだろうか?
そこのところがよくわからないし、見えなくなっている。

ただ、わたしの読書傾向で見ていても
いわゆる出版のメインカレントとはまったく無縁な
考古や、より興味傾向が狭まった
ロングテール的な歴史領域を扱った書物が増えてきた。
さらに博物館や歴史資料館の図録の類がやたら増えてきている。
従来、こうした著作物はあまり一般性を持っていなかったように思うけれど、
知の新たな領域として、あるジャンルを形成してきているのではないかと
そんなふうに思われます。
こういった傾向は、現代の知の領域が
インターネットの大きな影響を受けてきた結果とも思える。
いわば「入門」的な部分はインターネットで済む部分で
そうではない、イベントのような
「わざわざそこに行かないと得ることの出来ない情報」
のようなものに、希少価値が移ってきている気がする。

そんなふうに考えると、
わたしたちの時代にも、そういった部分は大きかった気がしてくる。
わたしは高校時代、学生運動の影響を受けたけれど、
そしてそのような著作物が出発点のように所有していたけれど、
それはある意味で、ニッチでロングテールな最先端を
求めていたのだとも思える。
いま、こどもたちはそんな時代に生きていて
本を買うとすれば、
ニッチでロングテールな最先端を求めているのではないか。
でも現状では、そういった書物はアナログの生産流通システムでは
生み出しようが、きわめて難しくなっている。
こんなような部分に対する解決策が、次代の知の生成物には
求められてきているように思う。
えらい、難しそうだけれど・・・。
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道東太平洋岸の景観

2014年05月06日 05時08分12秒 | Weblog


きのうは札幌の自宅にて、弾丸道東旅の疲れを癒していました。
まとまって自由に使える時間、でもあんまり疲れたくない。
ということで、久しぶりに大掃除に取り組んで、大量の紙ゴミを整理。
暮らしの整理整頓は、これも楽しいものです。

さて、今回見てきた道東の自然ですが、
やはり行けば行くほど、その魅力の底の深さに魅了される。
日本で一番、開発されていない良さを見せてくれる場所。
いや、むしろ、近代主義の便利さのエッセンスだけが要所に点在していて
その存在の自然とのバランスが、絶妙と思えるのかも知れません。
写真は釧路から小1時間ほどの厚岸から国道を離れて走り続けた
北太平洋のシーサイドラインの景観。



太平洋に浮かぶ島、っていうような密な森が展開しているなかに
突然、こういった海岸模様が繋がっている。
荒い波頭が、岩場を侵食している独特の景観を見せる。
ほとんど砂浜というものが存在していません。
道東の中心都市・釧路では「泳げない」子どもが多いと聞く。
夏の気温が泳げるほどに高くならないほかにも、
こういった海岸線で、海水浴の好適地が少ないということもあります。
しかし、こういう自然がそのまま残っていることがうれしい。
北海道らしく、こういった地域でも道路の維持管理費用は
しっかりと投下されていて
近代の便利さの象徴である自動車での移動には最適。
十数年前の相次いだ地震被害から道路修復が積極的に行われ、
どこを走っても、まるで高規格道路であります。
たぶん、寒冷地仕様の道路規格で作っているので、
高速走行にぴったりの頑丈なロードコースを形成しているのでしょう。
住宅取材していると道東を好きなのは、
むしろ本州地域からのみなさんが多いことを発見しています。
この地域の大自然を愛して、他の日本にはない暮らしぶりを楽しんでいる。
大阪人の夫と、京都育ちの女性のカップルで
関西とこちらを往復しながら生活している屈斜路湖沿いのウッドハウスとか、
特徴的な暮らしようのみなさんのことが想起される。
シラルトロ湖に沈んでいく夕陽を見る楽しみに魅了されてしまった人とか、
そんな自然に抱かれる暮らしは、たしかに癒されます。
海も山も、大地もすべてが面白いけれど、
人口だけが極端に少ない。
もう少し、この土地の良さに多くの人が目覚めてくれて、
もうちょっと、釧路根室地域で100万人くらいの人口になってくれたら、
日本全体にとっても、とてもいいことのような気がします。
それには、北方領土が日本に帰ってきてくれることが
ひとつの起爆材になるような気も致します。
みなさん、もっと道東の魅力、感じてください。


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野生のシカと遭遇!

2014年05月05日 05時37分18秒 | Weblog



いや~~~、クマでなくてよかった(笑)。

GWの中高年夫婦ふたり旅、
ふたりともハンドルを握りたいタイプという似たもの同士。
交互に運転を交代することで、
長距離移動できるので、1泊2日での道東横断弾丸ツアー(笑)です。
弾丸なので、突然、いろんな事態が飛び込んでくる楽しさがある。
道東の方は、主要国道などには「シカ除け」の防護柵がずっと装置されているほどに
野生のシカとの遭遇機会が多い。
ふつうに、突然見えたくらいならば問題はないけれど、
これが自動車と衝突して、となると
その影響はハンパなくなる。
なにしろ相手は保険契約をしていない無法状態(笑)。
自走できる状態であるかどうかも関わるけれど
自動車はふつう使い物にならなくなるし、
そういう遭遇するような場所では、JAFに来てもらうまで
隔絶した状況で待機を余儀なくされる。
まぁ、こまったようなことが、道東では日常的にありえる。
・・・とはいえ、まぁそんなことはないべ、と普通のんびりしている。
GW中のドライブという物見遊山で、
むしろことあれかしという不届きな考えを持っているような当方には
そんな偶然の出会いなどないだろうとタカをくくっていた。
と、そういうこころのスキに、一気に野生がその片鱗を見せてくれた。
きのうは中標津のすばらしい泉質の温泉と、
コストパフォーマンスバツグンの食事のホテルを8時前に出て
大好きな空港を見学後、
9時過ぎから、阿寒湖畔経由で十勝・中札内目指して移動開始。
天気はややぐずついたり、ときどき晴れたりとまだら模様ながら、
快適そのもののドライブを楽しんでいました。
で、クルマが弟子屈を超えたあたりで、
とつぜん、運転中のわたしの右手前方、やや低地になっている道路脇から
こっちを窺っている複数の野生の視線を感じた。
はじめは、まるで人間の視線のように思われたのです。
なにか、必死に知性を働かせて、状況を凝視している視線。
確か、3匹だったのですが、
群を率いている1頭が、命がけのような視線をこちらに向け、
さらにほかの2頭の視線も降ってきた。
「おお、お、シカかよ」
と、認識して、クルマの速度を減速させる。
カミさんに自然界からの異変を知らせる。
最接近遭遇のときには、かれらシカたちは、いったん道路から離れていくそぶり。
きっと、わたしたち人間をマンマシンシステムという凶暴な猛獣と認識し
それとの極度の緊張関係を日常的に生き抜いているに違いない
現代のこの世界を、野生世界として生き抜いているかれらの
真正なまなざしのゾクゾクするような「イキモノ」感がハンパなく
しかもまさに「突然」に、しかも「一気に」
わたしたちの意識世界に現出してくるのであります。
まぁこちらは、通常的に通行の少ない自動車道路の長距離移動、
その「交通の自然な流れ」に沿っての運行状況なので、
かれらにしてみたら、凶暴そのものの人間世界の代表的存在であるのでしょう。
その視線には、まさにドキドキする。
わたしのクルマがかれらとの最接近遭遇を終えて数秒後、
見晴らしのいい直線道路・目視では
後続のクルマとの車間距離は1kmくらいはあったので、
安全と判断したようで、舗装道路上にかれら3頭は躍り出て
横断を開始した。
わたしの後ろのクルマのみなさんは、驚愕したでしょうね。
目の前に野生のシカ3頭が道路を占拠していたのですから・・・。
きっと急減速して、固唾をのんでいたに違いありません。
って、このように書いていますが、
決して正直には言えないような速度でのドライブ中ですので(笑)、
遭遇時間は、ほんの数十秒、長くても1~2分のあいだの出来事。
なので、写真は資料画像です。

あ~~、ビックリ。
でもかれらの野生の視線、
強く心のキャンパスに飛び込んできて、忘れられませんね。
わたし、数回シカとは遭遇しています。
一度など阿寒湖周辺で、一団の群に囲まれるようになった記憶もあります。
かれらの野生の蹄音が、舗装道路にひびくのが耳に残っている。
興奮の瞬間なのですが、
ああいった野生との時間の共有感覚には、ふしぎとしずかさがある。
そんな印象をいつも持ちますね。
たのしい瞬間をすごさせていただきました。
シカさんたち、あのあとどうなったか、
ちょっと心が、そのままピンナップされているような気がしています。
以上、ご報告まで。
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道東・霧多布あやめが原

2014年05月04日 04時58分56秒 | Weblog


さてきのうから連休後半に突入。
子どもたちが不在になったわが家、夫婦ふたりでの連休であります。
楽しい子育て期間がおわって、これからは子ども自身の生き方を見守る時期。
こういうのも楽しいものだと思いつつ、
でもLINEみたいなSNSツールもあるので、いつも家族の会話は可能。
一昨日はわたしは飲み会があって、そっちに行って帰ってきてから
お酒の酔いもあって、楽しく家族全員でLINEで「会話」。
適度な距離感と遮断も可能なコミュニケーションツールとして
なかなか人類の知恵、進んできたのを実感しますね、

で、きのうから夫婦ふたりで遠出して道東へ。
GW、どこへ行こうかなと考えたのですが、
宿がなかなか取れないなかで、昔よく行っていた中標津で
ごく格安で空きがあるホテルを発見。
以前に一度行っていた経験があり、そんなに悪い印象もなく、
まぁ、大して期待もせずに気軽にドライブ出発。
札幌ー高速道東道ー十勝・池田下車ー釧路経由ー
厚岸道の駅コンキリエー霧多布湿原ー根室納沙布岬ー
道の駅44ー標津ー中標津という長距離であります。
総走行距離はたぶん650km程度。
出発が5時過ぎで、最終地ホテル到着が18時でしたので、
13時間の過酷な日程(笑)。
なんですが、夫婦で交互に運転していけるのでそうは疲れない。
基本的には、道東の大自然に抱かれたいという旅です。
で、きのうの一番の感激地は表題の「あやめが原」。
厚岸から、海岸線に沿って太平洋岸を走ったのですが、
どうもこのあたりは、湿原のような海岸線地域の
太平洋との間に高原状の島が接岸したような地形になっている。
で、陸続きなんだけれど、太平洋に浮かぶ島のような自然林が広がっている。
で、霧多布湿原に向かう道の途中に
この「あやめが原」を発見して、寄ってみた次第。
これが大正解。
駐車場から、海岸直前まで2kmくらいの遊歩道が整備されている。
独特の樹林を抜けるとササに覆われたような場所が広がるけれど、
そこが一面の「あやめが原」になるのだそうです。
でもまだ季節は早すぎる。
でもそれはそれで、すばらしい自然の贈り物もある。



行者ニンニク、別名「アイヌネギ」であります。
ここは馬の放牧も行われているそうで、
遊歩道との境にはバラ線による柵もあるのですが、
その柵内で、ひとがうずくまってなにやら、地面を掘っているのです。
声を掛けて聞いてみたら、「アイヌネギさ」という答え。
強烈な春の香りを運んでくる、北国の名物で
わたしは嫌いではないけれど、カミさんはイマイチ。
ということで見学だけにさせてもらいましたが、
まことにのどかで、牧歌的ないっときを堪能させてもらいました。

あ、到着したマルエー温泉俵橋ホテルは
地元のみなさんからも大好評という温泉と
バイキング形式の夕食が名物のようで
まことにコストパフォーマンスがすばらしい。
年を取ってきて、そんなに食べられなくなってきましたが、
家族連れで大混雑して、それぞれが楽しそうな笑顔でした。
オススメ、2重丸ですね。
さて、本日は十勝に向かっていきたいと思います。
みなさん、思い思いの休日をお楽しみください。


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踏んだり蹴ったり・・・2

2014年05月03日 04時39分43秒 | Weblog


きのうの続きです。
ようやく修理から帰って来たクルマでありますが、
今週水曜日に、スタッフが会社駐車場でエンジンをかけたら、
なんと、ブレーキオイルが漏れていたというのであります。
で、だましだましクルマを近くのHONDAさんの整備場に持ち込んだら、
ぶつけられた修理箇所とは無関係の場所で
たぶん、塩害とおぼしきサビから来る腐食で
車体下部のパイプに穴が空いて、
そこから漏れてしまっている、という診断結果でありました。
むむむ・・・、であります。
さてここで、「なにそれ???」とは、思いました。
なにせ、きちんとメーカーディーラーの修理工場に1ヶ月半近く
置いて置いて、そこで「ぶつけられた」クルマの
それも「ぶつけた側の」保険会社負担での修理を
いままさに終えたばかりのクルマが、
ブレーキオイル漏れを、たった2~3日で起こすかよ~~?
という素朴な疑問であります。
ここで、仙台と札幌という遠隔相談の難しさが痛感させられました。
当方としては、クルマの状態を自分で確認しながら話せない。
大きな疑問は感じざるを得ないけれど、
まぁ、当社スタッフに聞けば、
ある程度、状況を鑑みればやむを得ないとも感じている様子。
あんまり納得できないけれど、
さりとて、クルマがなくなってしまうとすぐにも仕事に差し支える。
やむなく、冷静になって善後策に切り替えることに。
スタッフに聞くと、クルマの必要性は7日以降から発生する。
そこからはスケジュールはびっしり組み込んでいる。

で、解決策としてまず第1に、新車導入を決断。
老朽車を直すにはちょっとコストがかかりすぎる。
あと半年しか車検期間もなくなっている。 これはしょがないところ。
そこで、札幌のいつものHONDAさんの担当者に問い合わせましたが、
いまの状況では、即納体制にはない。
HONDAさん、だいぶこの冬の大雪の影響と例のリコール騒動で
納車体制が遅れ気味になっているそうですね。
それと仙台で使うのに、札幌で購入して持って行くという遠隔操作だと
仙台地元のクルマ屋さんが、なかなか親身になってくれない(泣)。
トラブルにはそういう要素も大きいだろう、ということで
仙台のくだんのディーラーさんから購入することにしました。
納車状況を調べてもらったら、こちらは6月はじめには納車可能。
なんですが、そうするとそこまでの移動手段をどうするか、になります。
ディーラーさんは、まぁ親切に代車を用意してくれることになったのですが、
それも5月の15日以降、納車までの期間と言うこと。
やむなくその間は、最悪レンタカーでありますが、
調べてみたら、老朽車両の応急処置費用よりは安くなりそう。
なにより、スタッフの安全が第1なので、
きちんと整備されたレンタカーでしのごう、という結論に至った次第であります。

で、こういう突発事態が一昨日の夕方4時頃に勃発して
そこからきのうの午前中いっぱいくらいに判断処理しなければならなかった。
連休に突入する直前の緊急事態とその対応だったわけであります。
事態の処理が一段落して
この事態からの反省とは、どう考えればいいのか?
この老朽車両、一時期、震災に遭った仙台空港近辺の駐車場に
半年くらい定置させていたことを思い出した。
あそこ、かなり潮風に影響される場所だったんですね。
その「塩害」が、かなり蓄積していたらしい。
どうもそのあたりが、一番の反省点であります。
それとやはり、遠隔地なので、メンテナンスコントロールは
目が届きにくいし、判断がしにくい、ということも大きい。
まぁ、踏んだり蹴ったりにあったわけですが、
ここから、二度とこういう事態に立ち入らないように、
教訓を活かしていきたいと思う次第であります。

<写真はまったく無関係です、やや人心地ということで(笑)>
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