三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【2万年前仙台・富沢の石器時代人痕跡】

2019年02月24日 12時00分17秒 | Weblog


先日昼時、ちょっと小1時間手待ち時間ができた。
で、以前から気になっていた「地底の森ミュージアム」を再訪していました。
たしか、相当以前に一度見た記憶はあるけれど、
時間が無かったので、駆け足だったような記憶。
2万年前のこの地の森の様子と、人間のキャンプ・焚き火痕跡があった遺跡。
その後、いろいろな人類史の最新知見をたくさん知って
とくに「サピエンス全史」などの考古の最新研究に接するようになり、
また昨年2018年7月には同時期のNHK番組にも感嘆させられて、
【サピエンス人類史・日本列島フロンティアの解明】
という記事も書かせてもらっていました。
ということから、以前の訪問記憶を再度確認したかった。
NHK番組で紹介されていた、当時の「スンダランド最北部・台湾」から
日本列島最西端、石垣へ当時の最先端技術である丸木舟で
海流を突っ切っての渡航チャレンジは、3万年前とされていた。
それに対してこの仙台市太白区長町の石器時代痕跡は
2万年前のものということ。
考古年代としてはどちらも根拠の正しい年代特定なのでしょうから、
当時とは日本周辺の陸海のありようも相当違っていたことが推定できる。
歴史年代的には2万年前というのは、まだ「縄文」は始まっていない。
縄文は15,000年前とされているので、
まだ石器時代ということになる。もちろん3万年前も石器時代。
日本列島最先端では3万年前からより南方からの移住が試みられ、
一方こちらの列島海岸線中北部、仙台周辺では
2万年前ころは、最終氷期のまっ盛りで依然として狩猟採集が行われていた。
この場所は、当時の海岸線(下の写真)から考えると
相当の「奥地」であって、この場所まで人間がやってきた痕跡があるのは
大型陸上動物の狩猟を狙っていたのだろう、という解説があった。
当時の樹木痕跡もあって、それの様子ではやはりいまよりも相当気温の低い
寒冷地適応型の植生。で、地面も湿潤な湿地的な場所だったとのこと。

展示を見ているうちに思わず時間を忘れそうになるのですが
今回も、いろいろな資料や知見をたっぷりいただいて
時間に追われるように施設を後にしていました。
それにしても、考古の世界の奥行きにはいつも想像力が刺激されます。
コメント
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