三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

【マンガ的に「カワイイ」縄文土偶メディア】

2016年11月21日 07時27分13秒 | Weblog
世界史のなかでも特殊な段階が日本の縄文時代。
およそ13,000年前から始まって約10,000年続いていたとされる。
文字という人類におおむね広く普及した「伝達手段」は、
「農耕」社会の成立をもって必要性が生まれたとされるので、
この縄文の世が文字を持たなかったことは、
逆に農耕が主流ではなかったことを明示してくれている。
アフリカから世界に進出した現生人類が日本列島を通ったこの時期に、
そのまま居着いたひとびとが、豊かな海生動物と木の実の採取で
生きていけると直感して定住した縄文時代。
世界史の主流としては、農耕と定住が同一起源とみなされるのに、
日本列島社会、縄文では、定住と農耕が一致しない。
しかし農耕がなかったからといって、食用植物の栽培がなかったわけではない。
たとえば三内丸山では、クリの栽培が行われていたとされている。
また、三内丸山のように集住生活、「都市」と呼んで過言ではない
そういった大きな集落も営まれていた。
文字記録を持たなかった縄文の遺跡からは
写真のような「土偶」が出土され、その「精神性」が
はるかなよすがとして、現代にメッセージとして送られてきている。
狩猟採集が基本である社会では、人間それ自体が最大の「生産手段」なので、
その誕生と死に対して、過剰すぎる祭祀性が集中されて、
このような多様な土偶を生んだことは、確からしく思われます。
土偶は縄文の世を伝えるメディアなんだろうと思える次第。
世界でも日本の土偶が「THE POWER OF DOGU」としてイギリス・大英博物館で、
2009年9月10日(木)~11月22日(日)の間、展示され話題になった。

まぁ、土偶の時代にはある程度、自由な解釈が可能でしょうが、
いろいろな土偶に接してきて、その精神性は伝わってくるものがある。
この写真の土偶は 埼玉県さいたま市岩槻区真福寺貝塚出土(東京国立博物館)。
人体をきちんとデッサンしているとは思えないデフォルメぶりが、
その後の日本マンガに繋がってくるような表現を感じさせる。
そうなんですね、マンガの原型を土偶に見る思いがしてならない。
ある表現目的にかられて造形をしていくときに、
ふと人間感受性の共通項のようなものがあって、その部分で
その感受性において、土偶とマンガが連なっていることを感じる。
どうも現代のマンガ表現ときわめて近接している。
おおむね人間のカラダをデフォルメ表現したには違いないと伝わるけれど、
その表現ぶりが、実に個性的だと思います。
このまんま現代マンガに登場させたら、人気を博すのではないか(笑)。
ヘアスタイルのユニークさは、現代人も及ばない発想力。
胴体部と脚部の幾何学形態ぶりもたいへんモダンを感じる。
現代マンガの「カワイイ」という感受性とも通底する部分を感じてなりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする