写真はことし短い時間の中、
岐阜県恵那市の金子建築さんが案内してくれた古民家再生住宅の様子。
この木組みの様子を見て、「あ、方向を組み替えている」と
すぐに言い当てた建築関係者は過去にひとりだけだった、というお話を伺いました。
まぁ、わたしにはまったくわからなかったのですが、
梁の組み方には決まりがあって、変えればすぐにわかるものなのだとか。
奥の深いものだなぁと、感嘆した次第。
さすがに建材店として主に東濃(美濃の東部という意味)のヒノキを中心に、
木を扱う専門家なので、古民家にも大変造詣が深い。
なぜ、江戸期後期以降に古民家が大型化したのか、
という点についても、面白いご意見を聞きました。
たしかに色々な古民家を見てくると、
家族数と比較して大型の住宅が多いと感じます。
一般的な武家住宅と比較すると、農家住宅の宏壮さは格別。
住宅だけ見ていると、身分制社会というのは大きさには比例しないのだと感じます。
で、こうした古民家が大型化したのは、蚕の生産がキーワードと言うこと。
農家にとって、手近に現金収入を得る方法としては
増大した京・大坂・江戸といった「消費都市」での
綿製品の需要の増大に対応して、蚕の生産を競ったというのですね。
大量に蚕を飼う設備投資として住宅の大型化があった、ということ。
そして、そうした住宅建築需要の増大が、
競うようにその様式的な有利性の獲得競争にもなって、
その地域に似合った、気候風土に似合った様式を作り出していった、という説。
逆に言うと、そうした古民家の各地でのありようが、
当然のようにその地域に似合ったスタイルといえると言うことなのですね。
言われてみれば、まったく同感できます。
住宅としてではなく、生産設備という経済要素を表現していると考えるのは
当たり前ですが、まさに当を得ていると思います。
そのように見返してみると、やはり先人たちの知恵や息づかいが
もっと明瞭に感じられて、奥行き深く感じることができますね。