三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

鑁阿寺(ばんなじ)多宝塔

2007年12月15日 07時20分27秒 | 歴史探訪

ことし観てきた歴史建築の中でもいちばんきれいだったのがこれ。
鑁阿寺(ばんなじ)多宝塔、なんですが、読めない字ですよね。
足利市にある、足利家の居館跡に築かれた寺が鑁阿寺。
そのなかに、大変優美な外観を見せている建物なんですね。
取材の途中に立ち寄ったのでしたが、目の保養になりました。
で、いろいろ由来とか調べてみようと思っていてそのまんま。
足利氏は源氏であり、先祖を同じくする新田氏からの
系図を主張していた徳川氏が、類縁と言うことから
江戸期に保護を加えた結果、このような立派な建物を完成させたようなんですね。
足利学校・鑁阿寺とも、その当時、衰微していたのを再興させるべく、
ときの権力者、というか、関東入部したての徳川家康に接近して、
かれの運が回るごとにこちらの羽振りも良くなっていったそうです。

多宝塔、というのはどういう存在なのか、
括弧付きで「塔婆」とあります。
Wikkipediaで調べると、
インドの「ストゥーパ」が起源の仏教建築物である。ストゥーパはサンスクリット語で、日本では「卒塔婆(そとば)」と音写され、「塔婆(とうば)」や「塔(とう)」と略される。ストゥーパは饅頭のような形に盛り上げられたインドの墓のことで、漢の時代に中国に伝わり木造建築の影響を受けた。ストゥーパに塔の字が使われるようになったのもこの頃である。その後、日本に伝播した。日本では五重塔・三重塔・多宝塔など、木材(ヒノキなど)を使って建てられることが多い。形は大きく変わったものの、本来のストゥーパのもつ意味は変わっていない。多くは信者の寄進によって立てられる。

ということだそうで、まぁ一種のお墓なんでしょうか。
この多宝塔、外観がとてもプロポーションが美しい。
徳川家の女性が援助して建立されたと言うことですが、
そうした経緯を表すように、優美な曲面を取り入れて調和が取れている。
盛んにカメラで狙っている人がおりましたが、
(って、わたしもですが(笑)・・・)
ある意味女性的な印象を抱かせる美しさだなぁと感心した次第。
それと、関東というのは江戸に徳川氏が入る前から、
このような文化圏を形成していた歴史があったのか、という
遅ればせながらの感慨も抱かせられました。

ということですが、
本日は全くの歴史的散歩篇、というテーマでした。ではでは。
コメント
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