長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

二の腕サテュリコンでごめりんこ♡   ~城山羊の会 『トロワグロ』~

2014年12月09日 21時11分16秒 | すきなひとたち
 うぼぁー!! どうにもこうにもこんばんは、そうだいでございまする。みなさま、今日も一日お疲れさまでした!

 いや~、さすがは師走です。別に「師」でもなんでもないわたくしめまでもが、めちゃくちゃ忙しく立ち回っておるのであります。とにかくなにかと気ぜわしい。はっきり言いまして、ここ数年のうちでダントツにいちばん、我が『長岡京エイリアン』に時間を割く余裕が足りない!! あぁ、気楽にホイホイスラスラ文章をつづっていられた2011~12年ごろのスットコ能天気な日々がまことに懐かしい……ホントにのんきなものでしたね。

 うん、でもまぁ、正直なところ肉体的にそんなにキツイというわけでもないんです。肉体的にキツかったのは、文句なしに今年の春ごろが最高潮でしたね。19日連勤。なんてったって不動の自己最高記録、19日連勤。更新する気は毛頭ございません。
 それに比べますと、今年の暮れのこの忙しさは、なんといっても真剣に考えなきゃいけないトピックの「多さ」からくるところが大きいですね! そりゃもう、来年2月に実家に帰ってからの「職探し」でしょ、それに向けての「引越し準備」でしょ、それらをやりながらの現状の「お仕事」でしょ。
 こうやって数えだせば、たったの3つであるわけなんですが、これらの並列進行が、自他共に認める超高校級不器用人間の私にとってはまぁーしんどくてしょうがない!
 特に、私としては一刻も早く決めて気分を楽にしたい「職探し」というのが、もうね……どうにも決まらないんだなぁ。毎日毎日、「忸怩たる思い」とは、まさしく今のこの気分なのかと! あーやだやだ。
 やってみてやっと理解したのは、実家の山形からだいぶ離れた土地にいながら山形での職探しをすることの地味~な不自由さなのですが……それはもう、来年の頭まで千葉にいるという選択をしてしまった以上、仕方のないことであります。いまさら悔やんだって何も始まりません。

 実際、現在は非常に充実した想いで、あと1ヶ月をきった千葉での職場の日々をせかせかがんばっております。秋ごろにスパッと辞めて山形に帰り、さっさと新しい地で働き始めたほうが賢い選択だったのかも知れませんが、いろんな情にほだされて「ギリギリいられるまで……」と居残っている現状の私こそが、まごうことなくバカな私らしくて私も好き、というような気がしています。いや、それは私が私なんですから好きなのは当たり前なんですけれども。

 そんな私の事情がなくとも、年末年始の職場はいろいろめっちゃくちゃ忙しいわけなんですが、そんな中でも先日は、ある意味で私に「花道」を用意してくれたのでは……と勘ぐりたくなってしまうような、非常に素敵な場をいただいてしまいました。ほんとに私は果報者ですよ。3~4年ぶりに「舞台」に立った、ということになるのでしょうか。いや、それは「演劇」という意味の舞台じゃなくて単に文字通りの舞台であったわけなのですが、そうとう久しぶりに思い出す感覚はありましたよね。
 それ以外にも、職場では秋の終わりごろからいろいろな方々に、こんないてもいなくてもファッキンどうでもいいゼニゴケのような私に対してさえも、「やめちゃうんですよね。」というお声をかけていただくことが多くなって……ひそかに感謝、感激でございます。あと1ヶ月になりましたが、この期に及んで即刻クビになるミスをやらかすことだけはないように、せいぜいアホはアホなりにがんばりますです、ハイ!!

 さてさて、そんなせわしない毎日のいっぽうで、よくよく考えてみるまでもなく当然のことなんですが、片道数百円、時間にして1時間前後というお気楽な手軽さで東京に遊びに行ける日々にも、いよいよ終焉が見えてまいりました。私、もう15年もこの幸せな環境にあまんじておったのねぇ。
 それはつまり、東京でふらっと演劇とか映画を楽しむ機会も残りわずかとなったというわけでして、観に行く演劇や、劇場に向かう道のりさえもが、特別な感慨を湧き起こすものになりました。映画はちょっと……いろいろ忙しすぎて、改めて観れないまんま山形に帰ることになるかも。まぁ、映画は山形でもけっこう充実して観られるらしいからいいんですけど。

 そんなこんなで、今回ひさかたぶりに東京に出向いて観たお芝居は、おそらくは私にとって今年2014年ラストの観劇になる可能性が高い作品となりました。はいこれ。


城山羊(しろやぎ)の会プロデュース第16回公演 『トロワグロ( Trois Grotesques )』(作&演出・山内ケンジ 下北沢ザ・スズナリ 2014年11月29日~12月9日)


 う~ん、これほどに年の締めくくりにふさわしいタイトルがあるでありましょうか!? しかも劇場は、私もいろいろたいへんにお世話になったザ・スズナリときたもんだ! 役者として、公演スタッフとして、客として、さまざまな季節のおりに、この劇場にお邪魔させていただきました……しみじみ、感謝。
 実は今回、せっかくなんだから時間的に余裕があったら、役者だった当時に交通費を浮かすためにとっていた「京王井の頭線を利用せずに渋谷駅から徒歩で下北沢に行く(ゆっくり歩いて1時間)」というルートをまた歩いてみようと考えていたのですが、寒いししんどいのでやめました。私もおっさんになったもんです。

 当初、私はこの公演のだいたい中腹にあたる12月5日の回を予約してチケットも事前に購入していたのですが、その日、私の家から下北沢に行くまでの鉄道ライン5線のうち、JR 総武線と地下鉄東西線と銀座線の実に3線がなんやかやの理由で遅延するという事態になってしまったため、開演30分後にバカづらさげて劇場に到着する悲運をみ、結局その日は観ずにすごすご退却し、公演最終日の9日にギリギリスライディングで観劇するていたらくとなってしまいました。
 公演最終日に観た作品をレビューして、いったいどこのだれが喜ぶというのか……まったく不毛な文章であることが生み出される前から確定になってしまった実に哀れな今回の記事なのですが、恨むなら、時間に余裕を見て千葉を出なかった親(わたし)をうらめよポンポコリン♪


 今回の『トロワグロ』で、私が城山羊の会さんの公演を観るのは7作品目ということになります。今回で結成10周年、第16回公演になるということですから、私もそんなに熱心なファンである、と名乗る資格はないのですが、とにかく「な~んか好きだな。」という気持ちは最初に観た2008年からあって、それが城山羊の会さんの公演以外ではおそらく享受することができそうにない、そうとうに高度な人間関係ゾ~ンの精確な抽出によるものである、ということを理解して以来は、なにがどうあっても私が生きている限りは必ずチェックしなければならない存在である、という確信を持っています。
 それがまぁ、今年はそんな私にとってなんとも生殺しなことに、城山羊の会さんの公演が「年1回」になっちゃってるということなんですから、それは今回の『トロワグロ』に対しての期待値もいやがおうにも上がろうってもんです。年2回公演ペースの例年の2倍の濃度をもってついに公開された城山羊の会ワールド、そのめくるめくオトナ曼荼羅たるや、いかに!?


 遅ればせながらも公演最終日にやっとその全貌を目の当たりにしたわけだったのですが、私は今回の『トロワグロ』にたいして、

「すべてをそぎおとした無重力人間たち。そのうたげの記録」

 という印象を持ちました。

 物語の舞台は、周囲の人物たちから「専務」と呼ばれている恰幅のいい中年男性・添島宗之(演・岩谷健司)のかなり大きそうな邸宅の庭のようで、ところどころに椅子の代わりになる大理石が配されていて、ツタの絡まる石壁があたりを囲っているという、きわめてシンプルでありながらも格調のあるデザインになっています。
 庭は、その日に盛大にひらかれたらしい添島専務主催のパーティに出席した人物のいく人かが、途中でひと休みのためにふらっと寄るという場になっており、『トロワグロ』は、そのパーティがほぼ終了した時刻からの庭の情景を定点観測する一幕ものとなっていました。

 つまり、この作品は、まず公式な社交の場である「パーティ」というイベントを終えたあとの「オフ状態」の時間を描いており、さらには、不特定多数が見聞きできる状況下での紳士淑女の会話なり、食事なり、添島家側の準備なり後片づけなりの喧騒からいったんは解放された、「オフ状態」の人々がいる庭を舞台としているのです。物語が始まる時点で、すでにオフが2つも重なっていますね。

 物語の登場人物は、パーティを主催した添島専務とその妻・和美(演・石橋けい)のペアと、パーティに招かれたデザイナーの斉藤太郎(演・古屋隆太)とその妻・はる子(演・平岩紙)のペア。そして同じくパーティ客である車メーカー社員の田ノ浦(演・師岡広明)と、専務の直接の部下であるらしい男・斉藤雅人(演・岡部たかし)の6名で、彼ら彼女らが入れかわり立ちかわり庭に姿をあらわし、お互いにその場でのまさしくその場しのぎな雑談を交わしていたつもりが、あれよあれよという間に、げにも恐るべき人間性まるだしの正体暴露バトルをおっぱじめてしまうという、城山羊の会さん作品ならではの、「い つ も の」展開とあいなるわけなのでした。また物語の中盤からは、一見すれば6名の大人たちのドロドロ・ぎすぎすとは無縁のようにみうけられる専務の息子・照男(演・橋本淳)も添島邸に帰宅してくるのですが、この照男もまた、ボンヤリとフリートークをつむいでいくうちに、他の人物たちとの思わぬ関係や本性が明らかになっていき……問答無用でくだんのアリ地獄に引き込まれていきます。

 ところで、私は今回の公演のタイトルである『トロワグロ』という言葉の意味が、フランス語の「 Trois Grotesques 」であるということを、終演後の帰り道の電車の中でチラシをながめていてやっと気づきました。遅いなぁ~! それまでは、意味はよくわかんないけど『ドグラマグラ』みたいでおもしろいなぁ、程度にしか考えてませんでした。

 「トロワグロ」とは、単純に訳すれば「3つのグロテスク」ということになるのでしょうか。
 「グロテスク」というのは、もともとは古代ローマ帝国時代に成立したという、あえて異様に誇張したり混同して描かれた人間や動植物などに曲線模様をあしらった、過度な装飾を特徴とする美術様式だったのだそうで、この様式を尽くしてかつてローマ帝国第5代皇帝ネロ(37~68年)が建造した「黄金宮殿ドムス・アウレア」の遺跡が15世紀に発掘されたことを契機に、ルネサンス期以降のヨーロッパで盛んに模倣されたのだそうです。
 そして、そういう美術様式としてはそれほど過激ではないのですが、日本ではむしろ、「グロテスク」は奇妙・奇怪・醜怪・不調和・不気味・奇抜なものを指す言葉として使用されることがほとんどで、特に現代では「グロ」、「グロい」と略されて大いに普及しています。

 タイトルが指す「グロテスク」が、どの「3つ」なのかという問題は、観た客によって多少の違いはあるのかもしれませんが、私はこれが、添島専務夫妻の「つれあいだけには絶対に向かわなくなってしまった愛の乱射」と、デザイナーの斉藤夫婦の「つれあいの嫉妬がなければ何にも燃えない愛のゆがみ」、そして今回、添島邸でたまたま出逢ってしまったがために勃発してしまった、ある人物とある人物との「あらゆるタブーの地雷を両手足でぐわしと踏みしめてしまっている組んずほぐれつの愛欲ツイスターゲーム」。この3つのグロテスクであると感じ取りました。そして、さまざまな欲望と思惑がからみあってどうにも進退窮まってしまったこの物語は、唐突に舞台の一角に躍り出た2名の人物が人目もはばからずに熱い抱擁を交わし、それを他の人々が目撃して呆然とするという異様な構図をもって終幕するのでした。

 どれもグロテスクですよね……グロテスクではあるんですが、それらが、今回の作品のために作者である山内ケンジさんがことさらに創作したムリヤリの異様さなのではなく、それぞれ「あぁ~、あるかも。私ももしかしたら、そうなるかも。」という、観る者おのおのの実生活と背中あわせな近距離にある「ちょっとしたゆがみ」から生まれた、「実に天然由来でナチュラルな異様さ」である、そのおかしさと恐ろしさこそが、城山羊の会さんの作品が生み出す物語の魅力の秘訣なのだろうな、と再認識いたしたのでありました。ただ強烈に美味しい料理であるわけではないんです。その強烈さが、味わう人々のからだにやさしい!! 舌だけでなく、全身の細胞のすみずみにまで染みとおる美味しさというのでしょうか……だって、目の前に展開されるグロテスクは、自分自身がその場の中心人物になっていてもおかしくないグロテスクなんですからね。イ、イヤだ~!!


 先ほど、私は今回の作品がすでに「うたげのあと」と「家の庭」という設定で2つのオフをかかえていると申しましたが、私は物語の展開においても、作者である山内ケンジさんがそうとう注意深く、登場人物たちの日常的・社会的な外向きの体裁やスタイルを引き剥がして「オフ」で「ナチュラル」な人間たちの生態を舞台に再現するという精密作業に注力していると感じました。

 まず、この『トロワグロ』には、今までの歴代公演作品に登場して、それぞれの世界を引っ掻き回していたような「特別におかしな人間」というキャラクターがまったく出てきません。出てくる7名の人間がそれぞれ非常に自然な常識人であり、かつきわめて自然にどこかに「ちょっぴりヘン」な個性を有している、ただそれだけなのです。私にかぎっては特に、まわりから一目置かれる人間になろうとしてわざと目立つ言動をとろうとしている田ノ浦なんか、まるで自分自身の小ざかしさを鏡で見ているようで、心の底からイヤ~な気持ちになり、同時に「わかる、わかるぞ。」と同情する想いにおちいってしまいました……うわ~、数年前、あの酒の席でわけのわかんないからみ方をしてめちゃくちゃ迷惑をかけてしまったあの年上のお方、ホントにすみませんでしたぁあ~!! おかげさまで、私もいまや立派なおっさんにあいなり申した……

 フィクションとしての演劇ならではの「ありえないくらいに怪しい人物」がいっさい登場しないというナチュラルさに加えて、今回の作品では、いまや城山羊の会さんといえばこれ、というまでに毎公演でムンムンに発散されていた、看板女優の石橋けいさんのふとももあたりを中心に形成される「唐突なお色気アクション」も、かなりおだやか、というか、むしろ積極的に「禁じた」かのようなドライな扱いに抑えられていました。
 いや、別に今回の公演で石橋さんの魅力が減じられた、ということではなかったのですが、物語のかなりギリギリ後半にいたるまで、登場するキャラクター全てにとっての「性欲」というものが、どことなく実感のわかないさばさばした過去の遺物のようなものになってしまっているのです。まぁクライマックスでは、やっとそれをたたき起こした一部の人間が暴走するわけなんですが……

 そのいっぽう、物語の前半の動力源として登場人物たちの間では、「斉藤夫人と添島夫人のどっちの二の腕のほうが魅力的なのか?」という、これほど活字の形にするのがバカバカしい問題もなかなかないというトピックが急浮上します。まぁ、それ自体はアルコールのまわった人たちの間でごくごく自然に交わされそうなど~でもいい話題であるわけなのですが、一味違うのは、その話題を血まなこになって真剣に議論しているのが、他ならぬ当事者の添島夫人であるということなのです。

 そんなことを決定して、いったいなにがどうなるというのだろうか……相手となる斉藤夫人も含めた周囲の人物すべての醒めきった視線もよそに、添島夫人は自分の二の腕をおしみなくはだけさらし、「ねぇ、どう!? どこからどう見たって、私よりも斉藤さんの奥様のほうが白いし細いし、美しいんじゃないんですか!? ね!?」と主張します。ここで添島夫人が強弁しているのが、自分の美の勝利でなく敗北である、というところがまた、グロテスクにゆがみまくっていますね。

 ただし、添島夫人にとって最も許せなかったのは、自分の美の勝利を自認しつつも謙遜し否定していた斉藤夫人なのではなく、それを全員一致で称賛しつつも、だからといってだぁれも命を賭けて斉藤夫人を自分のものにしようとしない、つまりは倦怠しきった現状を破壊せんとする挙にいっこうに出ない男ども。彼らの、社交辞令的で重みのまったくない言葉にまみれた場につくづく嫌気がさしてしまったがゆえの爆発だったのではないのでしょうか。それはもう、内心では妻の美しさを認め、そこに接近する男の挙動に過敏になりつつも、自分の仕事上の重要なお得意先である添島専務の意向を最優先して「いえいえ、私の妻なんか、そんな……」と妻以上に謙遜する夫の斉藤にも向けられた怒りであるわけです。
 なぁにが世間体だ、なぁにが仕事のおつきあいだバカヤロー!! と。

 会社重役の妻としての責任を完全に放棄し果てた添島夫人。こんな向こう見ずな怨念に煮えたぎる彼女に、もはや甘ったるいロマンスに身を投じる余裕など、あるはずもありません。かくして添島夫人の二の腕は、視覚的に斉藤夫人に比べてどう見えるか、とかいうヴィジュアル的な要素以前に、その二の腕を有する夫人のメンタル的な要素から、色っぽさ指数をかぎりなくゼロと等しくする骨つき生肉にみずからをおとしめてしまったのでありました。
 ただ、物語が進んでいくにつれて、実はその添島夫人の対極にある存在として目のかたきにされていた斉藤夫人もまた、結局は添島夫人と同じ根っこの男性たちへの不信と怒りを心にわだかまらせており、それを酒の勢いで爆発させるのでした。全然ノーサンキューな男性にばっかり言い寄られるし、自分になびいてほしい男性にかぎって無関心だし、ダンナは自分の栄達のためだったらヨメの身体くらい犠牲にするか、って考えてるフシがあるし……事実、斉藤がどう考えているのかはもはや問題ではありません。問題なのは、斉藤夫人の目に夫がそう見えている、というこの状況なのです。この斉藤夫妻にもまた、愛を根源とする嫉妬は存在しているのでしょうが、燃えさかる炎のようなわかりやすい愛のかたちはすでになし……


 このように、今回の『トロワグロ』は、今までの城山羊の会さんがその武器としてきていた、おとぎ話のような異世界への案内人の跳梁跋扈や、これまた日常らしからぬ性欲の解放といった展開をことごとく排して、それでもなお、これまで同様に山内ケンジさんが見つめてきた「限界状況におかれた人間のおかしさ」と、「その限界を突破しようとあがく人間のつよさ」を克明に描くことが可能なのか? というチャレンジに果敢にいどんだ、非常に意義深い野心作であると私は感じました。そして、この公演を観た人々の反響や、私の観た最終公演における客席の定員オーバーすぎる大盛況から見ても、この試みは大成功をみたといっていいでしょう。

 確かに、たとえば『トロワグロ』と前回公演の『見の引きしまる思い』とをくらべてみても、その違いは歴然であると思います。もちろん、どっちのほうが好みなのかは人それぞれだとは思うのですが、グロテスクという言葉から現在の日本人の多くが感じとるゴテゴテ感とはまるで対極にある、余計なものがそぎおとされきった無味乾燥な空間の中で、等身大の人間たちだけがからみあい、その中から本来の意味でグロテスクななにかを創りあげていくといった物語には、ものすごく惹かれるストイシズムを感じましたね。

 このタイトルのいう「グロテスク」たちが、同じく古代ローマ帝国を強く意識させる「石づくしのシンプルな庭」の中で盛大に花ひらくという構図は偶然であるはずがなく、この組み合わせは明らかに、ローマ帝国における「元祖グロテスク!」を文学という形で今に伝える古典『サテュリコン』の、盛会の中にあっても冷徹な視線でその中に入り乱れる「人間たちの生態」をつぶさに観察し、採集するスタイルを強く意識しているものであるはずです。城山羊の会ワールドはついに、「おとなの童話」から新たなる「おとなの古典」の地平へと、その足を踏み出したのでしょうか!?

 『サテュリコン』( Satyricon ) は、古代ローマ帝国の政治家で第5代皇帝ネロの側近だったというペトロニウス(20~66年)によって執筆されたと推定される、ネロ朝の堕落した古代ローマ帝国の風俗を描いた小説で、現在は完全な形では残っていないのですが、その中でも始めから最後までちゃんと残っている「トルマルキオの饗宴」という章段が特に有名です。
 う~ん……私はたしか、ずいぶん昔の大学生時代に1回読んだし、それを映画化したという1969年のフェデリコ=フェリーニ監督のやつも高校生時代に衛星放送で観たはずなのですが……内容じぇんっじぇんおぼえてない! ガキンチョには、ただ単にイタリア人のお金持ちのおっさんと同性愛のお兄さんがたがひたすら宴会を繰り広げる長ったらしいお話にしか見えなかったのです。この若輩者が!!

 舞台となる庭の雰囲気、グロテスク、中年の権力者が主催する宴会、そして男性の同性愛。さまざまな要素がまさしく『サテュリコン』であり、その語源のひとつであるという、古代ローマにおける酒の神バックス(古代ギリシアのディオニュソス神)の眷属であるいたずら好きな半人半羊の妖精サテュロスが、現代日本の不毛な宴会の後のけだるい脱力感の中に、人間同士のひとときの異様な闘いを巻き起こしてしまう、その記録のようにも観られる『トロワグロ』なのでありました。そして、サテュロスに狂わされたのが他のどの組み合わせでもなく「あのカップル」である、という結末の救いようのないおかしさときたら……もうあんな事態、いかりや長介さんの「だめだ、こりゃ!」レベルのデウス・エクス・マキナがなきゃどうにもなんないよ!! あ~、お芝居でよかった。

 ただ、ここが我が身にひきかえて想像してみるといちばん怖いところなのですが、作中には物語をググッと新局面に動かすキャラクターは出てこないものの、「登場人物のひとりが死亡する」という大きな出来事がラストのラストで発生します。
 いや、人が死ぬという展開は、フィクションの世界でいえばまさに手垢のつきまくった手段のひとつで、城山羊の会さんの過去作品でもいくどもあったシーンであったのですが、この、よくあるのが当たり前なのに、リアルに身近であるとこれほど思考停止してしまう大事件もないという出来事が『トロワグロ』の世界で起こってしまったことによって、おそらく、残された登場人物たちは、この夜が明けた朝には、今回、この宴会の終わった後に庭で発生したさまざまな濃密な闘いのことをこう記憶するはずなのです。


「いや~……なんかケンカみたいなものすごい言いあいがあったり、あの人とあの人が抱き合ったりしてたんだけどさぁ。人が死んで大騒ぎになっちゃったからさ……よくおぼえてねぇわ。みんな酒もかなり飲んでたしね。」


 うわ~!! あれだけの生命の葛藤の記録が、死によってすべて「うたかたのパニック」に! サテュロスだかパーンだか知りませんが、やっぱりあの夜あった出来事を引き起こしたのは、人を超えたなんらかの大いなる存在だったのでありましょうか……お酒はホントにこわいですね!


 と、まぁ、今回もいろんなことを考えさせてくれる最高の場を舞台に現出せしめてくださった城山羊の会さんの公演だったのですが、まだまだ文章にして検証したい要素はたくさんあるものの、さすがに駄文が長くなってきてしまったため、ここらへんでいったん終わりにしたいと思います。

 最後に、ちょっとだけ気になったことを。
 私は、全体的に客観的な定点観測が続いたこの物語にあって、添島夫人がショールをはだけて二の腕をあらわにした瞬間に、異常に主観的な「ぽろろろ~ん♪」という、ハープのかなでる魅惑の効果音が流れた演出が非常に気になり、その時点で添島夫人の二の腕に「ぽろろろ~ん♪」という音色を鳴らしめる魅力を感じていた人物、すなはち童貞っぽいサラリーマンの田ノ浦こそが、この物語の主人公なのではないかと目算していたのですが、その田ノ浦が添島夫人と斉藤夫人の二の腕論争を検証するときに、ただ単にそれぞれの二の腕を前に出させたり上にあげさせる、という機械的な比較方法をとっていたことに、いかにも田ノ浦らしい若さを見たような気がしました。

 違うと思うんですよ……そこは2人に、吉本新喜劇の島木譲二師匠の持ちネタ「ごめりんこ」をしてもらうべきだったのではないのでしょうか。

 「ごめりんこ」というのは、片手の手のひらを上にくるっとまわしながら、軽く前につき出して「ごめりんこ♡ 」と発声するネタなのですが、この下に向いていた手のひらを上向きにする動作にともなって、ひじの外側から親指に向かって伸びる腕橈骨筋(わんとうこつきん)に隠されていた、無防備で繊細なひじの内側があらわになり、それと同時に、肩からひじにかけての上腕二頭筋(いわゆる力こぶの部分)と、そのかげにちらっと下側の上腕三頭筋が見える状態になります。
 これですよね……二の腕に関して議論するのならば、このさまざまな筋肉の解放され入り混じるマーブリングと、そこに豊潤につきみのる脂肪のグラデーションを監査するべきだったのです。そうすれば、この夜もまったく違った朝日を迎えていたのではないのでしょうか。

 そういう意味で田ノ浦くんは、最近の城山羊の会さん作品で岸井ゆきのさんが演じることの多かった「おとなの世界のまいご」というポジションを、まったく違ったアプローチからリアルに継承する青さを持ったキャラクターだったのではないのでしょうか。


 田ノ浦くんの、いかにも浅い欲望のアピールのために発せられたわざとらしい「ためいき」に始まり、死に瀕した人間の言葉にならない最期の深い「ためいき」によってしめくくられる『トロワグロ』。

 あくまでストイックで厳粛なルールにのっとって、しめやかに激しく繰り広げられた人間の物語に、おしみない感謝の念をささげて、きたるべき2015年の城山羊の会さんの新たな挑戦を待ち望みたいと思います。


 あ~、私もお酒のめるようになりたいわぁ~。

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2 コメント

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Unknown (山内ケンジ)
2015-02-20 09:41:34
すみません、今ごろ。ほんっとに見事な視点、洞察で恐れ入ります。これほどの教養のもとに、なんかぜんぜん書いていないので、お恥ずかしい限りですが、うれしいです。ありがとうございます。2本目の映画もやっと撮り終えました。完成したらぜひ観ていただきたいです。よろしくお願いします。
返信する
もったいないお言葉!! (そうだい)
2015-02-21 23:02:17
 あらー! どうも、いつもながら、この身にあまりすぎる光栄に満ちたお言葉、まことにありがとうございます!! ほんとうに、ご本人様からこのようなコメントを頂戴するほど嬉しいこともありません……

 そしてこんな、、返信の中でという簡素なかたちでたいへん失礼いたしますが、受賞まことにおめでとうございます!!
 本文からの繰り返しになりますが、私は勝手ながらも『トロワグロ』を、「得意技のいっさいをあえて封印した新境地」と感じましたので、そういった今回の作品で受賞のはこびになったことほど、喜ばしいこともありません。つまり、これまでの集大成ではなく、新たなスタートに立った野心作で受賞とは! 未来は明るい……明るすぎて、サングラスどころか雪山用の遮光ゴーグルが必要になるレベルの未踏峰の登山口ですよね。これからも、両手ピッケルの覚悟でくらいついていかせていただきます!!

 いえいえ、恥ずかしいだなどとそんなに謙遜していただかなくとも……
 でも確かに、知識だったり「現代日本の『サテュリコン』を作ろう。」という発想からはぜったいにスタートしてはいないんだろうなぁ、という確信はあるのですが、もっと皮膚感覚的で瞬間的なものへのアンテナを強く感じさせる物語が、最終的に古典的なものにつながる、という道すじを体験できたのはとってもすばらしいことでした。

 ほんとに! 各作品で必ずこういった「妄想迷路の旅」をコーディネイトしてくださる城山羊の会さま、そして山内ケンジ監督には感謝するばかりであります。あらためて、ありがとうございます!!

 現在、わたくしめは実家に帰って山形県人となっているのですが、引き続き、公演の際には当ったり前のように劇場にお邪魔して次回からも拝見させていただきたいと思います。
 もちのろんで! 第2回監督作品も万難を排してスクリーンで楽しませていただく所存であります。山形で上映することになったら、東京と山形とで最低2回観ます。

 撮影、たいへんお疲れ様でございました。堂々の公開を心より楽しみにしております!!
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