長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

ヨーロッパなのに気持ち悪い映画、女子校となりて再臨!! ~映画『ベネデッタ』~

2023年03月18日 23時35分13秒 | ふつうじゃない映画
 ヘヘヘ~イ、みなさまどうもこんばんは! そうだいでございまする。今日も一日お疲れさまでした!
 いや~、もう春ですね……世の中は卒業、年度末シーズン真っ盛りということで、いろいろありました2022年度も、いよいよおしまいとなりつつあります。ここまで来て振り返るとあっという間な気がするのですが、今年度もヒーコラヒーコラ言って、なんとかここまでたどり着きました。
 また、これからどうなるかは分かったものではないのですが、現時点の感触としては、散々振り回されてきたコロナウイルス関係もひと段落しそうな機運になってまいりましたね。ほんとに、マスクしなくていいんですか!?っておっかなびっくりな感じではあるのですが、ついにこの時がやって来ましたか……なんの後ろめたさもなく県外やら東京やらに行ける時が!!
 いや、そんなん、私も大のおとななんですから、自分なりにちゃんと感染対策をしているのであればどこに行っても自由だったのではありましょうが、どうやら来たる2023年度は、私が長年あたためていた宿願プランを実行に移す好機がやって来そうです。ちょっと、車で関東までひとり旅としゃれこんでみたいんですよね。
 2015年に実家の山形県に帰ってきて以来、今まで150ヶ所以上の山形県内の温泉施設を巡ってきたのですが、そろそろ県外の温泉の味わいも楽しんでみたいなぁ、と思って。関東も温泉王国ですもんね! 夏あたりに行ってみたいのですが、ともかく体調を万全にして、体力があるうちにトライしてみたいもんだ。久しぶりに会いたいお友達のみなさまもいっぱいいますしね!

 さてさて、そんな感じで新しい季節の空気を感じつつ、今回はいつものように町の映画館に行って観てきた作品の感想をつづりたいとおもいます。いや~、今回もスクリーンで観ることができて良かったぁ!
 昨年末から、個人的に誰から言われることもなく始めた「とにかく毎週1本は映画館に行って映画を観る」という習慣なのですが、恥ずかしながら今までは観る選択肢にすら入っていなかったドキュメンタリー映画や往年の名画のリバイバルも含めまして、毎週毎週ほんとに楽しい体験となっております。ま、安いもんではありませんし、たまにゃハズレもあるにはあるんですが。
 そんで今が3月なので、だいたい15本くらい観てきたことになるのですが、ここにきて、ついに2023年に観た映画の中でも個人ベストになりそうな作品に巡り合えました! いや、まだ3月なんですが、これはけっこう最後まで上位ランキングに生き残りそうな感じがするよ!!


映画『ベネデッタ』(2021年7月公開 132分 フランス)
 『ベネデッタ( Benedetta)』は、ポール=ヴァーホーヴェンが共同脚本・監督したセクシュアル・サスペンス史劇映画。
この映画は、ジュディス=C=ブラウンによる1986年のノンフィクション『ルネサンス修道女物語 聖と性のミクロストリア』(ミネルヴァ書房・刊)に基づく。その制作には、プロデューサーのサイード・ベン=サイード、脚本家のデイヴィッド=バーク、作曲家のアン=ダドリー、編集のヨープ=テル・ブルフ、女優のヴィルジニー=エフィラなど、ヴァーホーヴェンの前作『エル』(2016年)の主要な参加者のほとんどが引き続き関わっている。
 本作は2021年7月に開催されたフランスの第74回カンヌ国際映画祭のパルム・ドールのコンペティション部門で初公開された。当初、本作は2019年5月に開催された第72回カンヌ国際映画祭でプレミア上映される予定だったが、ヴァーホーヴェンの股関節手術にともなう療養のため編集作業が遅れ、さらに新型コロナウイルスのパンデミックにより2020年5月に開催される予定だった第73回カンヌ国際映画祭が中止されたため、公開は延期されていた。

あらすじ
 1599年。イタリア半島中部トスカーナ大公国の地方都市ペシアで、9歳の少女ベネデッタ=カルリーニは、両親の後押しにより修道女になるためにシスター・フェリシタが運営するテアティノ会修道院に入山した。その14年後、宗教劇で聖母マリアの役を演じていたベネデッタは、キリストが呼びかけてくる幻視を体験する。そんなある日、バルトロメアという若い農民の女性が父親の虐待を逃れて修道院に入山する。ベネデッタはバルトロメアの教育係を任されたその夜に、バルトロメアに接吻される。
 その後、ベネデッタはイエスの幻視を繰り返し体験するようになり、深い苦痛を伴う病気に陥る。フェリシタ修道院長はバルトロメアに彼女の世話を任せるが、ある朝、ベネデッタは両手の平と両足の甲に聖痕を刻んだ状態で目を覚ました。修道院はベネデッタの聖痕の真偽を調査するが、フェリシタ修道院長とその娘の修道女クリスティーナは懐疑的だった。しかしベネデッタは突然、額に新たな傷をつけて怒った男性の声で叫びだし、自分を疑う人々を非難する。フェリシタ修道院長とペシアの主席司祭アルフォンソが、ベネデッタの幻視体験の数々をどのように扱うべきかについて論争を繰り広げた結果、ベネデッタはフェリシタに代わって修道院長の地位に就任することとなる。

おもなキャスティング(年齢は映画公開当時のもの)
ベネデッタ=カルリーニ …… ヴィルジニー=エフィラ(44歳)
フェリシータ修道院長  …… シャーロット=ランプリング(75歳)
バルトロメア      …… ダフネ=パタキア(29歳)
ジリオーリ=ヌンシオ教皇大使 …… ランバート=ウィルソン(62歳)
アルフォンソ=チェッキ主席司祭 …… オリヴィエ=ラブルダン(62歳)
修道女クリスティーナ  …… ルイーズ=シュヴィロット(26歳)
修道女ヤコパ      …… ギレーヌ=ロンデス(56歳)

おもなスタッフ(年齢は映画公開当時のもの)
監督・脚本 …… ポール=ヴァーホーヴェン(83歳)
共同脚本  …… デイヴィッド=バーク
原作    …… ジュディス=C=ブラウン『ルネサンス修道女物語 聖と性のミクロストリア』
撮影    …… ジャンヌ=ラポワリー(58歳)
編集    …… ヨープ=テル・ブルフ(48歳)
音楽    …… アン=ダドリー(65歳)


 いや~、これはすごい映画だった。まず、ヴァーホーヴェン監督っていう時点で普通の映画なわけないっていうのは明らかだったのですが、その予想ハードルを意図も軽々と全裸でスッポンポーン☆と跳び越えていくような大傑作でしたね! この「全裸」っていうところが大事! ユニホームを着なきゃいけないとか、審判の判定は絶対とかいう常識を笑顔で無視するような、融通無碍な愛嬌と暴力性に満ちた作品なのです。しょうがないね~コリャ!

 監督された全作品を観ているわけではないのですが、1980年代生まれの私にとりまして、ポール=ヴァーホーヴェンと聞けばなんと言いましても『ロボコップ』(1987年)ですし、『トータル・リコール』(1990年)なのであります。ブラウン管から飛び出る、ハリウッド的未来世界の衝撃的 SFX映像の数々! シュワちゃんの眼球が!! 準備はい~い!?
 当時小学生だった私が観た時、やっぱり先に脳髄にぶっ刺さってくるのは、まだ CGに頼りきりにならなかった末期の特殊効果メイク技術の大盤振る舞いでありまして、何の脈絡もなく工場廃液で溶ける悪人のおじさんだとか、おじさんのお腹に隠れてるちっちゃなおじさんだとか(おじさん多いな! でも、確かにヴァーホーヴェン作品はそんなにかっこよくないおじさんの見本市ですよね)の、TVでふつうに放送される洋画劇場だからと言って、油断は全く許されない唐突なグロテスク表現の数々なのでした。それにひきかえ今の洋画劇場は、ずいぶんとマイルドになったよね~! なんかあったら国産アニメかディズニー傘下のファミリー映画だもんね。たまにはチャールズ=ブロンソンくらい出してみろってんですよ。幼稚園か小学校の時に洋画劇場で観た『ロサンゼルス(Death Wish2)』はこわかった……

 でも、40歳を過ぎた今になって思い起こしてみると、ヴァーホーヴェン監督の作品から私が学んだのは、「傷ついた孤高のヒーローの美しさ」だったような気がします。これを、定番の石ノ森章太郎の世界からでなく、遠くアメリカの、しかもご本人は欧州オランダのご出身というヴァーホーヴェン監督から学んだという事実は大きかったです。ちょっとね、コミカライズ版の『仮面ライダー』も萬画版の『仮面ライダー black』(1987~88年連載)も、今だとその面白さはよくわかるんですが、当時小学生だった身にしてみれば、怖さとか難解さが先に立っちゃってねぇ……『 black』のカマキリ怪人の回はトラウマになりましたねぇ~!! あんなん、よく『サンデー』に掲載してたもんですわ。昭和はやっぱこわい!!
 ともかく、かっちょいいヒーローになりはしたものの、自分が誰なのか、ほぼ全身サイボーグとなっている状態が果たして生きていると言えるのかどうか、そして自分が命を懸けて守るべき「正義」とは何なのかを自問し、悩みながら日々の闘いに身を投じていくマーフィ巡査の姿にはぞっこんになりました。まさに「異形の哀しみ」……これはもう、のちの平成仮面ライダーではついぞ観ることが無くなってしまった、石ノ森イズムの克明な体現ですよね。また、ロボコップのテーマがほんとにかっこいんだ……ヴァーホーヴェン作品ではないけど『ロボコップ2』のテーマもいいですね。アホアホマーン!!

 まま、そんな感じでハリウッドの世界でも特異の輝きを放っていたヴァーホーヴェン監督が、よわい80を超えて中世ヨーロッパの禁断の聖域・修道女教会で実際にあったという「修道院奇跡真贋事件」の映像化に挑む!! この報を聞いて「フハッ!」と鼻息を鳴らして興奮しない男がいるでしょうか、いや、いない!!
 そんな感じで今回の『ベネデッタ』を観る運びとなったわけなのですが、実は、劇場予告編の段階では往年のヴァーホーヴェン作品っぽい過激さがあんまりアピールされていなくて、ひたすらきれいな主演のヴィルジニーさんのかんばせが映されるばかりで、果たしてどんな作品になるもんかが分からなかったんですね。私も不勉強なことに尼さんメインの映画を観るの初めてだし、ヴァーホーヴェン監督もおじいちゃんになったし、意外とおとなしい文芸映画かも、という気もしていたのです。

 ところが……それは全く見当違いな予想でした。あのヴァーホーヴェン監督が無難な歴史ドラマを作るわけがないだろうと! 誰がおじいちゃんだ、ヴァーホーヴェン監督のエターナルな変態性に謝れ若輩者が!!
 もう、映画本編が始まる前から「こりゃとんでもない映画だ」感がものすごかったもんね……何気なく、上映前にコーヒーと一緒にこぢんまりしておしゃれな体裁のパンフレットを買うじゃないですか。で、ぱっとページを開いたら、もう最初に中世ヨーロッパの拷問器具「苦悩の梨」のイラスト付き解説文が目に入ってくるんだぜ!? 瞬時に嫌な気分になってしまいましたよ……これ、映画で使われんの?みたいな。思わずお尻が引き締まる思いです。

 それで、肝心の映画本編を観た感想なのですが、んまぁ~素晴らしい映画でした。ステキに華麗で残酷、汚い、気分が悪い!!
 最近の私の「気分が悪くなる」映画体験としては、どうしてもフィル=ティペット監督の『マッドゴッド』とアリ=アスター監督の『ミッドサマー』が筆頭に上がってくるのですが、言うまでもなく、それをもってこれらの作品を駄作と評する気はさらさらありません。むしろ、気分が悪くなるのも、それだけ私の魂が揺さぶられる劇的体験だったのだということで、観て良かったという気にもなるのです。
 ただ、今回の『ベネデッタ』は、それらの気分が悪くなる映画に匹敵するような過酷極まりない艱難辛苦の数々を主人公ベネデッタやその相棒(棒ないけど)バルトロメアに降りかからせながらも、その地獄めぐりの果てに、なぜかラストシーンで力強く全裸で生き抜く2人の肢体を立たせておしまいとなるのです! ここ! この結末がどうしようもなくヴァーホーヴェン監督っぽくて、その他の気分悪くなる映画にない、謎の感動を呼び覚ましてくれるんだよなぁ!! でも、なんで全裸なんだろう!? ま、いっか!
 なにはなくともカッコいいんですよね! このラストで、遠く望むペシアの町に火の手が上がっているのを見て「行かねば……」とおもむろに歩き出すベネデッタもカッコいいし、それに呆れて「バッキャロー! お前なんかどこへでも勝手に行って死にくされ!!」と罵倒しながらも、目に愛情の光を満々とたたえているバルトロメアの表情も実にいいんです。ここ、ふつうに『ロボコップ』のテーマが流れても全く違和感がないほどにベネデッタがカッコいいんだよ……いや、結局、映画の中で語られるベネデッタの「自称奇跡」の数々はきわめて怪しい詐術の香りが濃厚ですし、ペストの大流行に騒然となる町に徒手空拳の女一人が出向いたとて何ができるというわけでもないのですが、とにもかくにも、他人になんと言われようが自分の中に確固たる確信をもって歩き出す人間の姿に、有無を言わさず感動させられてしまうのです。惚れる……

 この映画を観ていて、ベネデッタが修道院に入り、禁欲的な生活に身を投じながらも突如として現れた野生児バルトロメアの誘惑に揺れ動いていくあたりから、私は「あぁ、これ『薔薇の名前』(1986年 ジャン・ジャック=アノー監督)に似てるなぁ。」と強く感じるようになりました。でも、男ばっかでむさいことこの上なかった『薔薇の名前』の男子校っぷりに比べて、この『ベネデッタ』はまるで正反対の女子校ですよ! ずいぶんと前の記事になってしまいますが、我が『長岡京エイリアン』での『薔薇の名前』(1986年)についての感想のつれづれは、こちらをご覧くださいませ。

 ほんで、中盤までは『薔薇の名前』に比べてきれいな女子がメインだし、校長先生(修道院長)もきれいだから見やすいなぁ~なんて思ってたのですが、ベネデッタが新校長になってまじめな生徒会長ポジションのクリスティーナが「そんなこと認められませんわ!!」と校舎の屋上から飛び降りたあたりから物語が血なまぐさくなってきて、見るからに俗っぽくて汚らしい、『薔薇の名前』でいうベルナール=ギーの立ち位置のヌンシオ教皇大使がしゃしゃり出てきたところから、この映画の暴力性がむき出しになってくるのです。これは……似てるんじゃなくて、完全に『薔薇の名前』を意識しまくりの鏡写しじゃないのか!?

 ところで、この映画で愛憎半ばのくされ縁共同体となるベネデッタとバルトロメアの百合カップルなのですが、パンフレットを読んでびっくりしたのが、主演のヴィルジニーさんが撮影時(2018~19年頃か)にアラフォーだったってことですよね。見た目が若すぎ!! そのお歳で思春期からのベネデッタを自然に演じてるんだもんなぁ。その一方のバルトロメア役のダフネさんも20代半ばだったわけなんですが、ヴィルジニーさんの堂々たる熱演の陰に隠れがちになりながらも、ダフネさんもダフネさんで、トイレのシーンで「よっしゃー出た! 気持ちいい~!!」と絶叫したり、例の苦悩の梨のえじきになった後なのに、わりと元気そうに「てめー痛かったぞコンチクショー!!」とベネデッタに殴りかかったりと、それ相当に女優人生を賭けた凄絶な演技を見せてくれたと思います。眉をひそめてしまうような過酷な体験を重ねているはずなのに、なんか楽観視しちゃう不死身感あるんですよね、このカップル。

 似てる似てるとは言ってますが、映画版の『薔薇の名前』は修道院内で起こる連続殺人事件の犯人を、外部からやって来た名探偵とワトスン役が追いつめる純然たるミステリーで、今作は同じサスペンス味はあっても、ベネデッタという明らかに異常な才能を持つ人間が爆心地となって修道院の常識的(当時)なシステムを内部から崩壊させ、しまいにゃそれを取り巻く町全体さえもぶっ壊してしまうというピカレスクロマンです。なので、たぶん構造からして全く別のジャンルの作品であるはずなのですが、な~んか、私から観ると似通ってる部分が多いと思うんですよね。
 それは、『薔薇の名前』でのワトスン役である青年修道士アドソ(演・クリスチャン=スレーター)の視点から見た世界と、今作でのベネデッタの視点から見た世界の、それぞれの変容っぷりが非常に似ていると思うからなんです。つまりは、自分でひたすら努力して獲得した知識と論理でうず高く構築された精神世界が、よそからアクシデント的に現れた「肉体の衝撃」(『薔薇の名前』の名もない村娘と今作のバルトロメア)によって、いとも簡単にぶっ壊されてしまうという構図のことです。たかがエロ、されどエロ!
 ただし、この村娘とバルトロメアの役割は、それぞれの作品の本筋とは実は関連の薄いお色気エピソード、と言い捨ててしまっても構わないところはあります。ワトスン役が捜査中に事件と無関係な村娘に逆レイプされて DTを捨てようが、頭がおかしくなって役に立たなくならない限りホームズ役にとってはどうでもいいことですし(鬼!!)、今作でベネデッタが異常な言動を取るようになった直接のきっかけは、かなり怪しげな手練れホスト臭をはなつ「神の御子の幻影」のほうなのです。天然かつ下品、まるで赤塚不二夫の世界から抜け出て来たような野生少女バルトロメアとのいちゃいちゃは、ベネデッタの引き起こした歴史的事件の比較してみれば、あくまでも添え物に過ぎません。
 でも、一見小さなマクガフィンに過ぎないようなカップリングが、なぜか「連続殺人事件の犯人は誰か?」や「ベネデッタは本当に奇跡を起こす聖女だったのか?」という、映画の中での最重要懸案を押しのけて、観る人の感動を引き起こし、記憶に色濃く残るのはなぜなのでしょうか。『薔薇の名前』で、一言も言葉を交わさないし、そもそもお互いの名前さえ知らない関係なのに、ラストシーンでの馬上のアドソと道端の村娘との無言の視線の交錯は、確実に観る者が実際に経験した哀しい記憶を呼び覚ますのです。あぁ、私もあの時、ほんのちょっと勇気を出してあの人に声をかけていれば……みたいなよう!

 その証拠として、ヴァーホーヴェン監督がちゃんと、ベネデッタがいざその「神の御子」とことに及ぼうとしても、肝心の彼の股間がツルッツルの「 No Image」になっているというカットを差しはさんでいるのですから徹底したものです。実体験を伴わない世界の、なんと薄っぺらなことか。

 そして、私が今回の『ベネデッタ』を2023年に観た映画ベスト1(2021年の映画なんですが)に推したくなる最大の理由は、その『薔薇の名前』パターンからさらに進化して、ベネデッタがいったん切れたバルトロメアを、「宗教裁判で魔女宣告、火刑!」という絶体絶命な窮地にいながら、その逆境を跳ね返しまくった末におのれの手で取り戻し、その上で「自分がベネデッタであるがゆえに」いとも簡単にぽいっと捨ててひとりで歩きだして終わるという、そのキャラクターの鋼の精神性にあるのです。むちゃむちゃやなキミ!! でも、あっぱれそれでこそベネデッタ。特殊技能のある肉体かとか、行動に論理性があるかとか、善なのか悪なのかとかは本当にどうでもよくて、その生きざまにおいて、ベネデッタは文句なしにスーパーヒーローなのです。ヒロイン、じゃないような気がする。ヒロインはあんな堂々とした歩き方はしない。少なくともアドソよりは漢ですよね。

 今さらながらネタバレになってしまいますが、『薔薇の名前』でも、確かに宗教裁判の判決と公開処刑はくつがえされて修道院は大混乱に陥り、宣告したはずのベルナール=ギーは逆にひどい目に遭ってしまいます。そこが現代の娯楽映画としてスカッとするクライマックスとなるわけなのですが、『ベネデッタ』はその繰り返しになんてとどまりません。そこにペスト大流行の狂騒もプラスし、さらにベネデッタ信者となったペシア市民の「ベネデッタさまを助けんべや!」という暴動的エネルギーを、ベネデッタがこともあろうにかつて敵でもあったフェリシータとタッグを組むことによって意図的に爆発させるという胸アツもいいところな『少年ジャンプ』的展開によって、火刑をまぬがれておまけにヌンシオ以下のローマ教皇お墨付きの裁判使節団を残らず血祭りにあげるという大下克上をやってのけるのでした。いやいや、いくら娯楽映画でも、程度ってものがあるでしょ!? 『 RRR』でもそんなムチャしてませんよ……けどヴァーホーヴェン監督だし、しょうがねっか。
 非道なおかみのお裁きをくつがえす民衆の大蜂起って、やっぱりいいねぇ。誰か、ファミコンで竹槍を持ったベネデッタが一人で疾走して悪代官ヌンシオをやっつける『べねでった』っていうアクション刺突ゲーム、作ってくれないかなぁ。

 私がすっごく好きな日本映画に、岡本喜八監督の『赤毛』(1969年)があるのですが、あのクライマックスで主演の三船敏郎さんや、その母役の乙羽信子さんが演じた市井の人々の怒りのまなざしを彷彿とさせ、その無念が時空を超えたこの作品で晴らされた! そんな思いがしましたね。江戸幕末沢渡宿の恨みを中世イタリアのペシアで晴らす! 国も時間もバラッバラ!! 『ベネデッタ』のほうが昔の事件よ。

 ほんと、この『ベネデッタ』っていう映画は、とにもかくにも中世ヨーロッパの陰惨でじめじめした宗教世界のおどろおどろしさが先に立つ映画なのではありますが、価値観がころっころ変わり、明日世界がどうなるのかもわからない現代令和の御世に生きる私達に大いなる勇気をくれる、実に実にヴァーホーヴェン監督らしい大傑作だと思います。こういったエネルギーを、御年80を過ぎたご老人からいただいてしまうとは……その半分しか生きてない私も、もっと頑張んなきゃなぁ!!
 『シン・仮面ライダー』もけっこうですが、『ベネデッタ』もそれ以上にものすんごいスーパーヒーロー映画ですよ。濫作状態になりっぱなしのアメコミ映画をぼんやり観てる場合じゃないですよ。

 最後に俳優さん方について触れておきたいのですが、何と言っても無視できない存在感を放っているのが、フェリシータ修道院長役のシャーロット=ランプリングさんです。おいくつになってもド硬派な美人。すごいなー、このお方は!!
 こんなにがめつくて俗っぽい小物感満点の修道院長を、なんでまたシャーロットさんが演じてるんだろう?と少し疑問に思いながら見ていたのですが、後半になって俄然重要人物のオーラを帯びてくるようになってきて、しまいにゃ「どきな、そこはあたいの行く場所だよ!」と言わんばかりにベネデッタを差し置いて火中に身を投じていく、その迷いのなさね! 結局、ほんとうの聖女(魔女?)は誰だったのかという部分を象徴的に物語るフェリシータの最期でしたね。

 あと、やっぱり映画は悪役の憎々しさが命というか、ヌンシオ教皇大使を演じたランバート=ウィルソンさんの嫌な感じも最高でしたね! 非常に俗っぽいベネデッタとの監禁部屋での問答も良かったのですが、なんといってもその最期に、瀕死になりながらもニヤリと笑って、「お前はそうやって、いっつも嘘つくのな!」とベネデッタに吐き捨てて逝く皮肉屋っぷりには、ゲスはゲスでもじたばたせずにゲスとして地獄におもむくという高潔なゲス美学を観た思いがしました。う~ん、かっこいい!! エンディングのベネデッタとバルトロメアの別れが映画『シェーン』(1953年)の本歌取りだとしたら、このベネデッタとヌンシオの末期のやり取りは『用心棒』(1961年)の本歌取りですな。ヴァーホーヴェン監督、にくいね!


 『ベネデッタ』、ほんとに大傑作でしたよ! 夏にソフト商品化するらしいから、絶対に買おうっと。
 でも、よそさまのお国の歴史的事件ばっかりおもしろい映画になるのもなんとなくシャクなので、日本でこういうドラマになりそうな事件はないのかな~と思ったのですが、ぱっと思いつくのはやっぱり、明治末期の女性超能力者四天王「長南年恵、御船千鶴子、長尾郁子、高橋貞子」あたりになりますでしょうか。山形県人の私としては是非とも長南さんを推したいところなんですが、さすがに明治政府も近代国家なので公開処刑みたいな画になるクライマックスもないので、まんまドラマ化してもちょっと中世ヨーロッパには勝てそうもないんですよねぇ。バルトロメアさんポジションも福来博士か親戚のおじさんになっちゃいそうだし。その点、やっぱり『リング』はうまい換骨奪胎でしたよね。
 民衆の反乱という意味では、室町時代後期の「百姓の持ちたる国」加賀国一向一揆がダイナミックでいいんですが、こっちもこっちで相手がローマ教皇とか神聖ローマ帝国ほど強くないから、なんだかなーって感じだし。

 『薔薇の名前』のときに言ったかも知んないけど、観たかったなぁ、実相寺昭雄監督の『鉄鼠の檻』! でも、そこに広がるのはタルコフスキー監督もビックリの睡魔召喚し放題地獄だったかも……こわ~!!

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