長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

1977年の『八つ墓村』(監督・野村芳太郎)って、一体なんだったんですか?  「ふたりはプリキュア~」の章

2012年11月14日 23時13分38秒 | ミステリーまわり
 ええっ! も、森光子さんが!? 
 みなさまどうもこんばんは、そうだいでございます……今日も一日、お疲れさまでした。

 お元気に舞台復帰に向けてトレーニング中だって聞いたばっかりだったのに……ご冥福をお祈りいたします。
 まさかとは思いますが、おのれに課したトレーニングが過酷すぎたのでは……もしそうなのだとするのならば、これはまさしく「舞台の上で斃れる」こととまったく同価値な、プロフェッショナルの鑑ともいうべき退場の姿なのではなかろうか。
 そんな勝手気ままな妄想をしつつも、2012年という年にまたしても偉大なる先達が去っていったことに感慨をいだいている私でございます。生きる者は、必死に生きなくちゃなんねぇわな!


 さてさて、話題はガラッと変わりまして、このごろの我が『長岡京エイリアン』では、今さらながら35年前の金田一耕助映画にねちねちうつつを抜かしておるわけなのですが、21世紀の世間ではこんなニュースが。


山田涼介主演『金田一少年の事件簿』、新春放送へ
 (読売 ONLINE 2012年11月9日の記事より)

アジアのトップ・アイドルが競演、香港を舞台に国際的なスケールで展開する『金田一少年の事件簿 香港九龍財宝殺人事件』

 アイドルグループ「Hey!Say!JUMP」の山田涼介(19歳)主演で制作が進んでいる『金田一少年の事件簿 香港九龍財宝殺人事件』が、日本テレビ開局60年特別番組として、来年2013年新春に放送されることが決まった。大規模な香港ロケを敢行、アジアのトップスターが顔をそろえたドラマということもあり、アジア各地で、日本テレビとしては史上初の同日放送を実施する予定。

 実写ドラマ版の『金田一少年の事件簿』シリーズは、1995年に「 KinKi Kids」の堂本剛(当時16~18歳)の主演で放送された第1シリーズが平均視聴率23.9%を記録する大ヒットとなり、翌1996年には第2シリーズ、1997年には初実写映画化された。2001年にはキャストを一新、「嵐」の松本潤(当時17~18歳)主演で第3シリーズ、2005年には「 KAT-TUN」の亀梨和也(当時19歳)主演で TVスペシャル版が放送された。今年、原作マンガの連載が20周年を迎えたことから、その記念として今回の TVスペシャルが制作されることになった。
 今回、主人公である4代目の「金田一一(はじめ)」役に山田涼介を起用したほか、物語の舞台を香港として現地でロケを実施。台湾のスーパーアイドルグループ「飛輪海(フェイルンハイ)」の元メンバーで、台湾版『花ざかりの君たちへ』などの主演で日本でも人気のウーズン(呉尊 33歳)、韓国のアイドルグループ「BIGBANG」のV.I(21歳)、日本のドラマへの出演は11年ぶりとなるビビアン・スー(37歳)、香港映画『インファナル・アフェア』シリーズ(2002~03年)のエリック・ツァン(59歳)など、豪華な俳優陣をそろえている。
 また、日本人の共演者は、ヒロイン・七瀬美雪役に、ドラマや CMなどで活躍する川口春奈(17歳)、一の頼れる後輩・佐木竜二役に「Hey!Say!JUMP」の有岡大貴(21歳)のほか、桐谷健太(32歳)も出演する。

 主演の山田は、「ずっと見てきた作品で、金田一一役をやらせていただけるとは思わなかった。歴史のある作品に携われて光栄です。」と語る。香港ロケについては、「映画でしか見たことないような街並みで、ジャッキー・チェンの世界に飛び込んだみたいでした。撮影は慣れない環境で正直大変でしたが、いい作品になっていると思います。」と話し、アジアのトップスターとの共演については「言葉の壁は全然感じなかった。カメラが回っていないときも、ボディーランゲージで各国のドラマの撮り方の違いを話し、和気あいあいと過ごしていました。壁を越えられるということが、このドラマを見てもらえれば伝わると思います。日本にとどまらず、アジアのスターと一緒にそれを感じられるのが光栄です。」と話している。


 Hey!Say!JUMPのみなさんって、けっこう大人なのね……あのビビアンさんも、もう37歳におなりんさるのね。

 あの~、お孫さんは別にどうでもいいです! いいからおじいちゃんの方を映像化してください!!
 もう、こちとら7年も待ってるんですからね……いや、もう TV持ってないから、特にそんなに真剣に渇望してるわけでもないんですけどね。
 でもさぁ、高望みを言わせていただければ、ぜひとも銀幕にカムバックする金田一耕助の勇姿が観たいですよね! 森田芳光監督の金田一シリーズが本当に観たかったです……求む、新世代の金田一耕助&監督さま!! 『本陣』が観たいな、『本陣』。


 さぁ、そんなキャピキャピしたホットなニュースはうっちゃっておきまして、今日も今日とて1977年の『八つ墓村』についてでございます。
 いや~、もう3回目になっちゃいましたよ! ほんとは前回までの前後篇でおしまいにしたかったんですが、例によって本編のダイジェストに字数をついやしすぎてしまったために、まとめが今回に持ち越しになってしまいました……このショートカットのできなさこそが、『長岡京エイリアン』。
 前後篇のつもりだったから、サブタイトルも小竹さんと小梅さんにしたのにさぁ! おかげで今回のサブタイトルがご覧のありさまですよ!! なんてこったい My Brother 。

 そんなこんなで前置きが長くなってしまいましたが、ちゃっちゃと1977年の『八つ墓村』のまとめに入っちゃうことにいたしましょう。気がつけばもう、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版 Q』の公開もさしせまってきてんのよ~!?


 前回にそんな感じの、「自分なりになるべくしっかりと整理したつもり」のタイムスケジュールを作ってみたことから私が強く感じたのは、この1977年の『八つ墓村』という作品が、見事なまでに「大作映画の衣を着た趣味のよろしくない映画」だった、ということです。
 しかも始末が悪いのは、他の大作映画のように緩急、盛り上がりどころがエンドロールにいたるまでかなり精巧に計算されていることからもわかるとおり、ちゃ~んと「まともな作品」を作る腕がガッチリ仕上がっているメンバーが、奇をてらったり観客をだますなどという軽いノリではなく、本気で! 時間と予算と全精力を傾注して! 「ひどすぎる映画」を作っちゃってるというところなんですな。まさしくこれは、百獣の王ライオンが120% のハイテンションをもって紀文のはんぺんに挑みかかっているかのような、あまねく観る者に相当な衝撃と感動と残念さをもたらすものとなっているのです。心のうちふるえるバカバカしさですね。

 1977年当時、『八つ墓村』の製作スタッフが、そして「これから『八つ墓村』っていう映画が公開されるみたいだよ~。」という情報を耳にしていた映画封切り前(これもずいぶんと古臭くなっちゃった日本語ですねェ~!)の日本国民のほとんどが、この作品と比較する過去の作品としてすぐさま連想したのは、やはり昨年に公開されて大ヒットとなった、一連の「金田一耕助ブーム」の実質的なきっかけとなった市川崑監督による角川映画第1作『犬神家の一族』(1976年)。そしてなんと言っても、『八つ墓村』の「監督・野村、脚本・橋本、音楽・也寸志」というトライアングルにとっては前作にあたり、3年前に公開されてこれまた大ヒットしていた、日本映画史上に残る名作と今なおたたえられる大作『砂の器』(1974年 原作・松本清張)。この2作だったのではないでしょうか。どっちも相手にとって不足のないビッグタイトル!!

 まず『犬神家の一族』にかんして言いますと、前にも触れたとおり、メジャー映画としては1970年代以降の「金田一ジャンル」に先鞭をつける最初の記念碑的存在となった本作は、すでに「配給収入13億円」という大記録を打ちたてていました。
 この「配給収入」と、現在よくメディアで公表されている「興行収入」というそれぞれの数値のちがいは、すでに何回かまえのコメントで言ったので省略してしまいますが、「1976年に公開されて配給収入13億円をかせいだ映画」は、私そうだいなりのざっくりした計算法で換算してしまいますと、「2012年に公開されて興行収入33億円をかせいだ映画」と同じくらいの観客動員規模の大ヒットとなったということになりますね。1976~77年当時は映画のチケット料金が現在の「3分の2」だったんですって! 夢のようですわ……
 脱線ついでに言いますと、以上のような私の強引グマイウェイな比較でいくのならば、『犬神家の一族』は今年公開の邦画でいう『 ALWAYS 三丁目の夕日'64』、『八つ墓村』は『 BRAVE HEARTS 海猿』くらいの大ヒットとなっていた、ということになります。ピンとこねぇ~!! ちなみに、今年11月の時点では、『海猿』を超える大ヒットを記録した邦画は『テルマエ・ロマエ』の「58億円」ただひとつです。意外なことに、日本国内にかぎった興行収入では洋画も『メン・イン・ブラック3』の「31億円」が最高となっています。邦画も洋画も今年はそれほどのオバケ作品は無かった、ということになるのでしょうか。『Q』はどうなるかしらねェ~!?

 それはともかくとして、ブームのとっかかりとして充分すぎるインパクトを残した『犬神家の一族』での「崑ちゃん&兵ちゃん(石坂浩二)」コンビは好評によりシリーズ化されることとなり、1977年には『八つ墓村』が公開されるまでにすでに、東宝で名作『悪魔の手毬唄』と迷作『獄門島』がポンポンと公開される事態となっていました。それにくわえて TVの世界では毎週、古谷金田一がいろんな事件に挑戦中! はっきり言って、「他の金田一作品と比較されないほうがおかしい」金田一イヤーになっていたというわけなのです。

 こういったアウェー状態に松竹の『八つ墓村』は、一体どういった攻勢を仕掛けたのか? これはもう、それらに対しての徹底的な「差別化とエクストリーム化」だったのではないのでしょうか。

 差別化というところからいくと、なんと言っても無視できないのは、『八つ墓村』が物語の時代設定を原作小説どおりの「戦後まもなく」ではなく、作品の製作された「1977年現在」においているということです。
 もちろん、長い金田一ジャンルの歴史の中では1975年公開の映画『本陣殺人事件』(監督・高林陽一、主演・やせてる中尾彬)や、『八つ墓村』とおなじ1977年に『土曜ワイド劇場』で放送された怪作『吸血蛾』(主演・愛川欽也)のように、当時の現代に舞台をアレンジした作品も少なからずあるわけなのですが、『本陣殺人事件』は ATG映画だったために全国規模でのヒットにはつながらず、「洋服を着た金田一耕助」というものがどうしても和装の原作準拠型に勝てない風潮はすでにブーム当初からわだかまっていました。結局のところ、金田一ジャンルに観客が期待していたものは、発生する殺人事件のミステリー作品としてのクオリティもさることながら、「下駄履きで袴姿の金田一耕助」や「謎の傷痍軍人」や、「空襲跡地の荒野」や「戦争が引き起こした悲劇」というなつかしいキーワードがあふれている、「日常を忘れる風景と明解な事件解決が用意されている定型時代劇」としての娯楽性だったのかもしれません。

 だが、しかし! 1977年の『八つ墓村』にとっては、そんなことは知ったことじゃなかったのです。

 まず、松竹版の『八つ墓村』は原作小説が設定していた「1940年代」という時代を意図的にスルーして、そこをはさんでかろやかにバンブーダンスを踊るかのように、かなり昔すぎる「戦国時代」と「1977年」とを行ったり来たりしているのです。ここはもう完全に確信犯的なのですが、「矢傷をおった尼子義孝と落ち武者ーズ」のショットの次に「大轟音を響かせながら国際空港を往来するジャンボジェット」のショットが来るというムチャクチャなシーン構成が、この『八つ墓村』ではご丁寧にもプロローグとエンディングの両方に用意されています。要するにここからは、他の金田一作品はどうだか知らないが、俺たちの『八つ墓村』にかぎっては「あぁ、この時代かぁ~。なつかしいね。」などという安住の地は観客には与えないぞというものすごい闘志が垣間見えるわけなのです。計算してバランスが崩されているわけなんですね。
 現に、作品はこれらの「戦国時代」と「1977年」のほかに、ちゃんと「多治見32人殺し」が発生した「1940年代後半」という時間軸のシーンもあったはずなのですが、白塗りに着物姿、2本ざしの懐中電灯に散弾銃に日本刀という時空を軽く超越したいでたちになった山崎努が、桜の花びらが大量に舞い散る中を疾走してくるイメージに占領されてしまったこのシーンは、わざと「終戦直後」というキーワードをガン無視した「リアリティのなさ」に埋め尽くされています。ここでの山崎さんの怖さはもう、フランス人にもケニア人にも通用する普遍性があるでしょうよ……ミナ、ニゲテー!!

 もうひとつ、これも有名なお話なんですが、この『八つ墓村』は「ミステリー」という原作小説内での不可欠な魅力的要素をわざと軽量化して、かわりに「ホラー」要素をドクドクとつぎ込んでしまいました。この輸血効果によって、作品は本来の横溝正史の作風にあったはずの「数学的な犯罪計画の展開」という部分が大幅に消えてしまったという感が大きいです。高校数学の教科書を楳図かずお先生がマンガ化しちゃったって感じ? ギャー!! 頭に入ってこない……
 「ホラー」要素をこれでもかってくらいにつぎ足していたのはもう、前回の記事を見てもわかるように、多治見要蔵パートと落ち武者ーズのみなさんパートの功績ですよね。ところで完全に脱線しますが、史実の戦国大名・尼子家は確かに毛利家によって崩壊させられているのですが、当主(尼子義久 江戸時代まで生存)じたいは毛利家の厳重な保護下に置かれることとなったために、せまい意味では尼子家は「滅亡してはいません」。映画の中での尼子義孝たちの苦労って、いったい……

 でも、もし自分が主人公の辰弥さんの身になったらって考えてみると、やっぱりクライマックスに鍾乳洞の中でえんえんと追いかけられるハメになる「真犯人」パートがいっちゃんこえぇわ!! なんなんでしょうか、あのどぎつい変身メイク……

 つまるところ、1977年の『八つ墓村』は当時の懐古感をまったく喚起しない「現在そのもの」と「戦国時代」と「どの時代でもいい恐怖」というあたりをそろえることによって、スタイリッシュな時代劇のようになっていた「石坂金田一シリーズ」「古谷金田一シリーズ」とはまるで違った場所に作品の見どころを置く作戦を選んだというわけだったのです。
 ただし、そのために21世紀になってすでに10年以上の時がたってしまった今現在の視点から観れば、「終戦直後」を舞台にした他の作品よりも、それから30年くらい未来になっているはずの「1977年」のほうがよっぽど古臭くて、泣けるほどなつかしい風景に彩られているという事実を、野村芳太郎監督は果たしてどこまで予見していたのでしょうか……少なくとも、私そうだいはこういった違いから、他のどの『八つ墓村』よりも、この1977年の『八つ墓村』が大好きなの! あざやかな青い空と白い雲、緑の大地と真っ暗な家屋の中。色彩感覚ゆたかな真夏の蒸し暑い田舎、万歳。

 それから、もうひとつの「石坂金田一シリーズ」との差別化ポイントとして、どうしても見逃すことができないのは、なんてったってエグいにもほどがある「殺人シーンの過激さ」ですね! 最初の井川丑松にしろ中盤の工藤校長にしろ、胃の中のものをぶちまけすぎです……あと、戦国時代の落ち武者ーズ皆殺しにしろ多治見32人殺しにしろ、40年近く前の製作であるために多少は撮影技術に安っぽさがあるものの、後味が悪すぎる死亡シーンが全編にわたって展開されています。なぜ井戸に突き落とす……
 この過激さはもう、間違いなく「石坂金田一シリーズ」の残酷な殺人シーンを意識して負けじとボリュームアップさせた『八つ墓村』製作スタッフの意地だったのではないのでしょうか。
 東宝の石坂シリーズの方はもう、生首を菊人形の中に飾るわ、死体を逆さにして湖につっこむわ、じょうごをくわえた死体が滝つぼに浮かんでるわ、倒れてきた寺の鐘の重みで娘さんの首は勢いよく吹っ飛ぶわというパンキッシュ・キルのオンパレード! もうムッチャクチャです。

 あと、これは舞台裏の話ですが、本来ならばこの松竹の『八つ墓村』こそが、当時カリスマと呼ばれていた角川書店の若き社長・角川春樹が発足した「角川春樹事務所」による角川映画第1作になるべき作品だったのですが、松竹と角川春樹事務所とで折り合いがつかなくなったために角川さんのほうが撤退、その結果として実際の第1作となったのが東宝の『犬神家の一族』だった、という因縁の経緯もありました。
 製作の開始自体は、『八つ墓村』のほうが早かったんですか……野村監督のじっくりスタイルと市川崑監督のさっさか早撮りスタイル、どっちに驚いたらいいんだかわからねぇや、コンチクショウメーイ!

 ところで、ここで忘れてならないのは、作り物の生首だのヘンな凶器だのとやたらガジェット感覚のある小道具が先に立っていた「石坂金田一シリーズ」にくらべて、『八つ墓村』の方は、もがき苦しむ被害者の演技や表情に残酷さの比重が大きくかかっていたということです。観てください、あの加藤嘉さんや下條正巳さんのダイナミックな死にざま! お2人とも当時の段階で60代なんですよ!? 尼子義孝役の夏八木勲さんもものすごいメイクではありましたが、そのインパクトの本質にあるものは間違いなくご本人のアツすぎる演技魂です。
 この残酷さだけに関しては、映像の古臭さが石坂シリーズと『八つ墓村』とで逆転しているような気がしますね。時間がたつにつれて作り物感が強まっていく石坂シリーズのショックシーンにくらべて、『八つ墓村』はその核に生身の人間の苦しみがちゃんと入っているから、いつ観ても目を背けたくなるような禍々しさがあるのです。
 それから、ここまで製作スタッフが殺人シーンに力を入れたのにはもうひとつの理由があるような気が私はしていまして、それは、よくよく考えてみれば、『八つ墓村』における連続殺人事件の殺害方法が「毒殺」か「絞殺」のどっちかしかないという地味さがあったからなのではないかと思うんです。横溝ワールドにおけるだいたいの事件では、被害者によくわからないポーズをさせたりヘンな物を持たせるという「見たて殺人(死体になにかの伝説や歌詞を連想させるメッセージ性を持たせること)」が出てくるのですが、『八つ墓村』にかぎってはそういうハデな殺人がいっさい出てこないんですよね! 犯人はかなり現実志向な人間のようでありまして、殺せるのならば田舎のお医者さんからかっぱらてきたネコイラズかそれじゃなきゃロープでいいや、という感じなんですよね。まぁそのぶん、戦国時代から数えれば物語の中では実に「51名」もの人間が死亡している(八つ墓村に到着する前に死亡した落ち武者や病死した井川鶴子はのぞく)という『八つ墓村』は、他の作品には類を見ない大量殺人グラフィティになっているんですが……


 さて、そんな1977年の『八つ墓村』が、『犬神家の一族』と同じかそれ以上に強く意識していた作品なのではと私がにらんでいるのが、『八つ墓村』とほぼ同じ製作スタッフでつくられた前作『砂の器』(1974年)です。

 この『砂の器』はもう、今となってはキワモノっぽさに彩られた『八つ墓村』とは、ちょっと比較にならないほど高い次元に置かれて称賛されている「ごくごく正統派な感動の名作映画」と定義された感のある作品であるわけなのですが、野村監督による役者の名演をじっくり写し撮っていく演出、橋本忍による単純明快でありながらも多くの「生きた人間の味わい」が交錯していく重厚な脚本、そして、物語をサポートするどころか、むしろ先頭に立って物語を牽引していく芥川也寸志による饒舌な音楽といった3つによるポリリズムは、たしかに『砂の器』と『八つ墓村』が表裏一体の「兄弟関係」にある作品なのだということを物語ってくれています。PERFUME もかくやというこの3人のコンビネーション!

 とは言っても、『八つ墓村』は『砂の器』の完全なネガという関係になっており、その最たる例としては、『砂の器』のクライマックスであれほどの感動の演技を見せた加藤嘉さんが、細かい点では違いはあるものの、「肉親との久々の再会」という同じシチュエーションでありながら、『八つ墓村』のオープニングではあっという間におっ死んでしまうという、意地悪にもほどのある演出があげられます。ひどいね~! これには当時の観客のみなさんもビックリでしたでしょう。
 また、加藤さんに限らず、主演陣こそガラリと変わってはいるものの、この2つの映画には渥美清、花沢徳衛、山谷初男、島田陽子らといったぐあいに、共通して出演している役者さんがたが多いです。見比べてみるとおもしろいんだ!

 ともあれ、『八つ墓村』は『砂の器』の成功を逆手に取って、「あの感動の大作を撮ったスタッフが再結集!」という前情報からくるギャップの甚大さをこれでもかというほどに大爆発させたものすごいビックリ作になりおおせたわけなのでした。
 もうひとつ、実は『砂の器』は原作者の違いもあってか、発端や中盤の「殺人そのもの」のシーンは意図的に描写されておらず、全編にわたって捜査開始から犯人逮捕の寸前にいたるまでの「警察主観のなめ撮り」に終始しています。クライマックスの「真犯人の過去」も、主人公の刑事(演・丹波哲郎!)の語りが主体になって展開されるというていですね。
 それに比較すれば、殺人シーンをてんこ盛りにしてわざと物語の時間軸や視点をとびとびにした『八つ墓村』が、いかに『砂の器』を強く意識したものであるのかがわかるのではないでしょうか。
 感動の名作『砂の器』の「裏コード THE BEAST」こそが、この『八つ墓村』だったというわけなんですね! まさしく小竹・小梅姉妹のような「白と黒」の双生児の関係なんですなぁ~、ってまとめかたは、強引すぎ!? ぷりっきゅあ~、ぷりっきゅあ~♪


 あ~もう、とにかく言いたいことがひっちゃかめっちゃかになるわ、日常生活が忙しくて更新が遅れるわでずいぶんとのびのびになってしまった今回のお話だったのですが、この記事を読んでいて、まだ1977年の『八つ墓村』をご覧になられていない方って、いらっしゃいますかね? もしいたら、悪いことは言わないから1回、観てみてください! 「多治見32人殺し」のシーンに入るときの唐突さが本当にものすごいです!! ひどい映画でいいじゃないか、本気でひどさを追究しているんだから!! おすすめで~す。

 ちょっとだけの出演でしたけど、大滝秀治さんの演技もすばらしかったね。あのこまかすぎる演技プラン! その生産性をねらわないこだわりこそが、名優の証拠よ~! 「石坂金田一シリーズ」ではついに観られることのなかった「役者馬鹿っぷり」がよくわかります。


 余談ですが、執筆して30年も経過した自分の作品が、似ても似つかないホラー映画に作り変えられて公開されて、しかもそれが全国的なフィーバーの中心になっちゃったという1977年当時の横溝正史先生のお気持ちは、どんなもんだったんでしょうかね……ほんとに浦島太郎みたいな奇妙な感覚だったのかもね。器が本当に大きかったという先生のことですから、こうなったらもう「私の作品と違うぞ!」などといちいち怒る気分にもならなかったんでしょう。他の金田一映画では「役者として出演」すらしている横溝先生なのですが、人生の秋を楽しみつくしてやろうという最高な笑顔がいたるところで拝見することができます。



《1977年の『八つ墓村』のために製作された予告編の1ヴァージョンにおさめられた、野村監督と横溝正史との会話より》

横溝 「やっぱ、あの時代にしたわけですか。あの、原作の時代に。」

野村 「いえ、あの、松本(清張)さんのイメージで、話はやっぱりこう、完全な現代に持ってきたんです。」

横溝 「あぁ、そうですかぁ。」

野村 「で、問題は金田一耕助で……」

横溝 「それでも、渥美(清)さんなら大丈夫。あの人も、芝居はうまい人ですからねェ。」



 おおらか~♡  横溝ワールド、サイコ~!!

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