長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

「自伝的映画」を言い訳にしてはいけませんね ~映画『カミノフデ』~

2024年08月31日 23時12分32秒 | 特撮あたり
 みなさま、どうもこんばんは! そうだいでございまする~。
 いや~、ついに8月もおしまいでございます。でも、それで明日からガラッと涼しくなるでもなく、やっぱり暑い日はまだまだ続くんでしょうが、さすがに私の住む山形市は、朝夕が確実に過ごしやすくなっております。その時間帯だけ切り取れば確かに、秋がもうすぐそこまで来ているといったあんばいですね。
 今年の夏も、汗かいたね~……もうちょっとラクに働けたらな~、なんて思うのですが、まぁそれが私の働き方なんだもんなぁと、なかば諦めながらあくせく動き回っておりました。ありがたいことに大病にも熱中症にもギックリ腰にもならずに生き延びているのですが、私も若くはないのでねぇ。身体は大切にしないと。

 まぁそんなわけで、元気なうちにバタバタ働いて、そのぶん週末のお休みには好きなことをということで、本日はず~っと気になっていた、この映画がつい最近に山形県内でも公開のはこびとなりましたので、観てまいりました。


映画『カミノフデ 怪獣たちのいる島』(2024年7月26日公開 74分 ツエニー)
 映画『カミノフデ 怪獣たちのいる島』は、日本の特撮ファンタジー映画。
 日本の怪獣文化の根幹をなす特殊美術造形に多大な貢献を果たした造形家・村瀬継蔵が総監督を務める。村瀬が、その造形人生の総決算としてクラウドファンディングで資金を集め、村瀬が会長を務める造形美術会社「ツエニー」が主体となって制作した特撮映画である。
 本作の登場人物・時宮健三の遺した造形物や生前のエピソード、劇中に登場する空想の怪獣などには、村瀬の実際の特殊造形体験が数多く投影されており、10代の男女を主人公としたジュブナイル的物語に加えて、村瀬の自伝的要素も本作の見どころとなっている。

 本作制作の原点は、村瀬が1975~77年に香港の映画会社ショウ・ブラザース社に招かれて特撮映画を撮影していた時期にさかのぼる。映画『北京原人の逆襲』(1977年)の撮影中に村瀬は、プロデューサーの蔡瀾(チャイ・ラン 1941年~)から次回作の構想を依頼され、中国の昔話『ふしぎな筆(マーリャンと魔法の筆)』を元にした子ども向け冒険怪獣映画のプロットを執筆した。しかし蔡がゴールデン・ハーベスト社に移籍したために計画は立ち消えとなり、香港映画としての制作を想定した物語だったことから日本へのアレンジも難しいと判断された本作は長らく凍結したままとなっていた。
 しかし、2017年に本作のプロットに興味を示した TVディレクターが、村瀬に作家・脚本家の中沢健を紹介したことがきっかけで映像化の計画が再び動き出す。当初はクラウドファンディングの形で15~30分間ほどのパイロット的短編作品を想定していたが、物語の現代日本への置き換え、日本神話の魔獣ヤマタノオロチの登場、TVドキュメンタリー番組による制作現場の密着取材企画なども交えて作品の規模は拡大していき、最終的に独立した長編映画として2020年7月に制作発表されることとなった。

 撮影は2022年2月~翌23年5月に行われた(俳優によるドラマパートの撮影は2022年6~7月)。


あらすじ
 長年、特撮界における特殊美術の造形家として活躍し、多くの特撮作品を手がけた時宮健三がこの世を去った。
 祖父である健三との間にあまり良い思い出がなかった孫娘の朱莉は、母・優子とともに、複雑な心境で健三のファンに向けたお別れ会の会場を訪れ、そこで大の特撮ファンである同級生の卓也と出会う。さらに、健三の古い知り合いだというホヅミという男から、祖父が『神の筆』というタイトルの映画を監督しようとしていたことを聞かされる。
 ホヅミはおもむろに『神の筆』で小道具として使われる予定だったという筆を取り出し、「世界の消滅を防いでください。」と言い放つ。ホヅミの言葉とともに朱莉と卓也は強烈な光に包み込まれ、気がつくと周囲はお別れ会の会場ではなく、『神の筆』のプロットにあった孤島に変わっていた。
 その島で、伝説の魔獣ヤマタノオロチが世界の全てを破壊しようとする光景を目の当たりにした朱莉と卓也は、元の現実世界に戻るために、健三が創り上げようとしていた『神の筆』の秘密に迫る冒険の旅に出るのだった。

おもなキャスティング(年齢は映画公開時のもの)
時宮 朱莉 …… 鈴木 梨央(19歳)
城戸 卓也 …… 楢原 嵩琉(たける 18歳)
ホヅミ   …… 斎藤 工(42歳)
時宮 優子 …… 釈 由美子(46歳)
スーザン  …… 吉田 羽花(わか 17歳)
時宮 健三 …… 佐野 史郎(69歳)

おもなスタッフ(年齢は映画公開時のもの)
原作・総監督 …… 村瀬 継蔵(88歳)
脚本     …… 中沢 健(42歳)
特撮監督・プロデュース …… 佐藤 大介(43歳)
音楽     …… 小鷲 翔太(?歳)
オリジナル・コンセプトデザイン …… 高橋 章(2023年死去)
怪獣デザイン …… 西川 伸司(59歳)、松本 智明(28歳)
特殊造形   …… 村瀬 文継(56歳)、若狭 新一(64歳)、松本 朋大(49歳)
背景美術   …… 島倉 二千六(ふちむ 83歳)
エグゼクティブプロデューサー …… 村瀬 直人(59歳)
メインロケ地 …… 東京都瑞穂町・瑞穂ビューパーク、スカイホール、北海道池田町・池田ワイン城


日本特撮界の生き仏さま!! 村瀬継蔵とは
 村瀬継蔵(むらせ けいぞう 1935年~)は、特撮映画における怪獣などの着ぐるみ、造形物製作者。造形美術会社「有限会社ツエニー」会長。北海道池田町(道東地方)出身。現在は東京都瑞穂町(多摩地域)を拠点に活動している。

 23歳で上京し、1957年にアルバイトとして東宝の特殊美術に参加する。アルバイトを務めたきっかけは、東宝で特殊美術を手掛けていた八木康栄・勘寿兄弟と継蔵の兄・継雄が知り合いであり、前任のアルバイトであった鈴木儀雄が学業により参加できなくなったため、八木兄弟から相談を受けた継雄が継蔵を紹介したことからであった。
 1958年に正式入社すると、同年の『大怪獣バラン』や、1963年の『マタンゴ』などの着ぐるみ造形を助手として手がけた。東宝時代は八木兄弟に師事し、特に弟の勘寿には世話になったという。ある時、継蔵が生活の辛さから特撮の仕事を辞めようと思っていることを勘寿に告げたところ、勘寿から「この仕事は子どもたちに夢と幸せを売る商売だ」と諭され、一生の仕事として続けることを決心したという。
 1965年には、知人の劇団へ移籍するという形で当時の五社協定を乗り越え、大映初の怪獣映画となる『大怪獣ガメラ』も手がけた。この仕事をきっかけに継蔵は東宝から独立して、八木勘寿の息子である八木正夫とともにエキスプロダクションを設立し、特撮TV ドラマ『快獣ブースカ』や『キャプテンウルトラ』などを担当した後、1967年には韓国初の怪獣映画『大怪獣ヨンガリ』、1969年には台湾映画『乾坤三決斗』の造形も手がけた。

 1972年にはエキスプロから独立し造形美術会社「ツエニー」を設立。折からの変身怪獣ブームに伴い特撮TV ドラマ『仮面ライダー』、『超人バロム・1』、『ウルトラマンA』、『人造人間キカイダー』などを手がけ、1975年には香港のショウ・ブラザーズ社に招かれて映画『蛇王子』の造形を担当。1977年には『北京原人の逆襲』の造形だけでなく、火だるまとなった北京原人が高層ビルから落下するシーンのスタントも自ら演じている。その後は映画『帝都大戦』(1989年)や『ゴジラ VS キングギドラ』(1991年)などのセットや造形を手がけた。

 子の村瀬文継も村瀬直人も造形スタッフとしてツエニーで活動し、文継は後に独立して自身の造形会社「株式会社フリース」を設立して活動している。2019年、継蔵がツエニー会長に就任し、直人は代表取締役として活動している。

主な参加作品、担当造形物
1958年
映画『美女と液体人間』
映画『大怪獣バラン』バランの造形
1959年
映画『日本誕生』ヤマタノオロチの造形
1961年
映画『モスラ』モスラ幼虫とモスラ成虫、小美人パペットの造形
1962年
映画『キングコング対ゴジラ』ゴジラ、キングコング、大ダコの造形
映画『妖星ゴラス』マグマの造形
1963年
映画『マタンゴ』マタンゴの造形
1964年
映画『宇宙大怪獣ドゴラ』ドゴラの造形
映画『モスラ対ゴジラ』モスラ幼虫とモスラ成虫の造形
映画『三大怪獣 地球最大の決戦』ゴジラの尾とキングギドラの造形
1965年
映画『フランケンシュタイン対地底怪獣』フランケンシュタインとバラゴンの造形
映画『大怪獣ガメラ』ガメラの造形
1966年
映画『大魔神怒る』、『大魔神逆襲』大魔神の造形
映画『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』エビラの造形
1967年
韓国映画『大怪獣ヨンガリ』ヨンガリの造形
1971年
TVドラマ『仮面ライダー』仮面ライダー1号とサイクロン号の造形
1972年
TVドラマ『超人バロム・1』バロムワンやドルゲ魔人の造形
TVドラマ『ウルトラマンA』ベロクロン、バキシム、ギロン人の造形
1973年
TVドラマ『行け!グリーンマン』グリーンマンの造形
1975年
映画『メカゴジラの逆襲』チタノザウルスの造形
1977年
香港映画『北京原人の逆襲』北京原人の造形
1991年
映画『ゴジラ VS キングギドラ』キングギドラとメカキングギドラの造形
1992年
映画『ゴジラ VS モスラ』モスラ幼虫とモスラ成虫の造形



 東京公開がまる1ヶ月前なので、感想を言うのはだいぶ遅きに失しているのですが、それでもスクリーンで観ることができたのは幸いでした。
 それにしてもさぁ、この作品、山形県の県都たる山形市では公開されてないんですよ! 車で30分くらいかかるお隣の天童市にあるイオンシネマでの公開なの。山形市にイオンシネマねぇんだず~! イオンは2つくらいあるのに。
 でも、実はこの手間のかかる隣町への映画鑑賞行、私はけっこう好きでして、車で30分くらいかけて知らない街に行くドライブが小旅行感たっぷりでいいんですよね。しかも夜の最終回を観に行くと、あの野球場何個分なんだという、だだっ広い地方イオンモールの駐車場がほぼ無人なので、どこか日常とは空気の違う異世界のゴーストタウンをさまよっている感がハンパなく、観終わった後に外に出ると、ほんとに元の世界に帰ってこれたのか判然としない浮遊感を味わうことができるのです。さらにそこに、ミルクのように濃密な夜霧でもたちこめようものなら……おかーさーん!!

 それにしても、やっぱり新作映画が東京に比べて月遅れになるというのは歯がゆい思いですけどね。まぁそれはしょうがないよ、本だって雑誌だって発売日に本屋さんには並ばない地域なんだもんなぁ。
 あ~っ、そういえば! 私、本作の公開よりも、先週の23日に公開となる映画『箱男』のほうを楽しみにしてたんですよ! 白本彩奈さ~ん!!
 それがあんた、蓋を開けてみれば山形での公開は来月の9月20日なんですって! こちらはさすがに山形市で観られるんですが、やっぱ1ヶ月遅れなのよぉ~。そんなん、同じ白本さん出演のドラマ『黒蜥蜴』の放送とか、辻村深月先生原作の映画『傲慢と善良』の公開とほぼいっしょのタイミングじゃねぇかよう!
 まぁ、待ちますけどね……別にネタバレ情報バレがどうこういうジャンルの作品でもないと思うのでかまわないのですが、忸怩たるものはあるということで。

 情報バレではないのですが、今回取り上げるこの『カミノフデ』も、東京公開からすでに1ヶ月が経っているということで、ネット上でちょっと調べると、映画を観たお客さんのレビューのような文章がたくさん出てきます。

 え~、なになに、レビュー星5つ中、「星3つ」……3つ!? 100点満点中60点ってこと!?
 あ、あの、日本特撮界のレジェンドである村瀬継蔵さんが満を持してメガホンを執った作品が60点とは……

 具体的にレビューを見てみますと、そこには「俳優の演技がひどい」、「テンポが悪くて寝そうになった」、「予算なさすぎ」、「ストーリーが弱い」という言葉が目立ちます。ただ、全レビューが「特撮造形はすばらしい」という部分だけは声を合わせているのが、さすが村瀬さんです。
 ちょっと、映画館に観に行く前にこういう情報に触れてしまうと若干、足が重くなってしまうのですが、なんてったって日本全国あまねく特撮ファンの誰一人として足を向けて寝ることができないと申しても過言ではない村瀬さんの監督作品なのですから、「やっぱ観るのや~めた!」などという選択肢など存在しえません。これはもう、観る気とかおサイフ事情とかいうものでは揺らぎようのない、信仰心の問題なのです!
 なんてったって私は、出演者の演技力なんかお子様ランチのパセリ程にも期待していない、あの「ガールズ×戦士シリーズ」の劇場版にも堂々とおっさん一人で鑑賞におもむき、親子連れの女児のみなさまの怪訝そうな視線の包囲斉射にも耐え抜いた経験がある! あの過酷さに比べれば、こんな「評判が芳しくない」だけの映画など、北海道・富良野ラベンダー畑を吹きわたるそよ風の如し!! そういえば、「ガールズ×戦士シリーズ」の劇場版もイオンシネマグループでしたね……

 そんなわけで、異様なテンションを胸中にたぎらせ乗り込んだ『カミノフデ』鑑賞だったのですが、その感想や、いかに!?


良い映画には「野望」が必要だ! そしてこの作品には、「野望」がまるでない!!


 こういうことになりますでしょうか。わかりにくい? でも多分、こういうことのような気がするんです。

 映画は総合芸術、という言葉は使い古されたものですが、それはもちろん、監督だけでなく企画プロデュース、脚本、俳優、カメラマン、照明、舞台美術、編集、衣装、宣伝、配給会社……さまざまな才能が集まり、お互いに協力し合い時には衝突しながら創り上げた精華が、ひとつの映画になるからだと思います。一人の才能ではできないという点では、他の舞台演劇やアニメ、マンガ、小説、テレビ番組、音楽、絵画……およそ世にある娯楽というものならば何でもそうだと思うのですが、やはり映画が、それに関わる業種、人間の多さで言ったら一番なのではないでしょうか。

 そして、それだけ多くの人間が集まる以上、たとえば監督がいくら剛腕で天才的才能を持っていようが、たった一人のワンマン運転で完成させることは不可能でしょう。つまりそこには、「この一大プロジェクトに便乗して己の才能を世に問おう」とか、なんだったら「監督や他の俳優を喰っちゃう勢いで名を売ってやろう!」とまで張り詰めたテンションを胸に秘めた野心家たちが集まって当然のような気がするのです。そりゃそうです、全員その道のプロなんだから。
 だからこそ、次代を超えて残るクラスの名作映画には、必ずと言っていいほど「プロデューサー VS 監督」とか「原作者 VS 監督」とか「監督 VS 俳優」とか「主人公役 VS 脇役」といった対立項で、かなりガチンコな衝突が展開される逸話が残っているものなのですが、そういったスパークが生み出す化学反応こそが、単に台本を三次元化したものにとどまらない映画ならではの輝きを放つのではないかと思うのです。
 プロとプロとの真剣勝負が、真の傑作を生みだす……言うのは簡単なのですが、私だって実生活の中では誰ともケンカなんかしたくもないし、できればチーム全員がニコニコ、和気あいあいと仕事をする現場にいたいものです。でも、全員仲良くなあなあではとうてい超えられない境地があることも、厳然たる芸術の真理だと思うのよね……それは、監督がガミガミ怒って俳優を追い詰めればいいとかいう低レベルな話ではありません。互いに丸裸になって魂に火をつけ合うような、ハイレベルな命のやりとりですよね。

 そこで私が言いたいのが、この『カミノフデ』で、それこそ神の領域に達している村瀬さんの特殊造形技術に、真正面きって戦いを挑む気概を持った他セクションの才能が、たったひとつでもあったのか?ということなのです。それはもう、「総監督・村瀬継蔵」も含めて。
 少なくとも、本作を1回だけしか観ていない私には……残念ながら、そんな才能や仕事はどこにも見えなかったですね。

 つまりこの作品を、単に村瀬継蔵という稀代の芸術家の卒寿を記念したメモリアル映像とみるのならば、まるで文句などつけようのない立派な出来になっているかと思います。本作の目玉怪獣となっているヤマタノオロチの市街地破壊シーンは、最近あまり見られなくなった実物の操演怪獣と本物の火薬を使った爆破炎上演出を全面に押し出していて、本当にスクリーンのサイズに充分に耐えうる大迫力だったと思います。ヤマタノオロチだけでなく、村瀬さんがそのキャリアの中で携わってきた大魔神、巨大北京原人、モスラ、マタンゴといった往年の大スターたちを彷彿とさせる怪獣たちの活躍もオマージュたっぷりでいい味付けになっていたと思います。冒頭でちらっと出てきた大怪獣バランの背中の表皮なんか、まんま本物でしたよね? 私も持ってる『大怪獣バラン』の DVDの特典映像でも、村瀬さん嬉々として造形の裏話を語ってらしたもんねぇ。

 でも、これは映画ですよね。順次公開という形であるにしても、単独プログラムとして全国公開されている特撮映画なのです。
 そういう形式で、千ウン百円払って観てしまうと……特撮以外の全てにおいて、ビックリするくらいに前に出てこずに、お互いに中腰になって「村瀬さん、どうぞ、どうぞ……」と気持ちの悪い譲り合戦をしている、作り笑いを浮かべたオトナの顔しか見えてこないのです、この作品。

 そして、そうやって譲られた村瀬さんが本作の総監督という立場にいるのですが、この映画、「監督」を務めてる人がほんとにいたのか?と疑ってしまうくらいに、カメラワークもセリフをしゃべってる俳優のバストショットの切り返しばっかりだし、セリフとセリフの間にある1秒くらいのしろうと感まるだしな沈黙もそのまんま OKにしてるしで、俳優の演技に演出家としての注文を付けている形跡がまるで見当たらない、ノーカット粗削りなドラマパートが延々と続くのです。この作品はもともと「上映時間74分」という、21世紀では珍しく良心的な、観客の膀胱にやさしい時間設定の映画なのですが、いやホント、ちゃんとした監督が編集したらこんなん45分くらいまでには縮められるんじゃないですか!? セリフをひとつもカットしなくても!! そのくらいに異様な「無の時間」が、そこかしこでほったらかしになっている作品なのです。

 先ほど挙げたネット上の鑑賞レビューの中では「俳優の演技がひどい」という声が多いのですが、私としては、ひどいのは俳優さんではなくて、やはりその演技に的確な修正指示、もしくは演技をもっとましに見せる映像編集をまるで施さなかったスタッフ不在の状況だと思います。10代の若者の演技がぎこちないのは当たり前のことで、大切なのは、彼らをあえてメインキャストに起用した周りの大人たちが、彼らの未来のためにどれだけ一肌も二肌も脱げるかってところなのです。ていうか、私からすれば、10代の若者たちを今回の「演技力ひどい」の戦犯に仕立て上げるのもいかがなものかと思いますよ。むしろもっとひどいのは、さらに年上で経験も豊富なはずの何人かの出演者のほう!
 あの~、今回、私がひどいと思った出演者の名前は、上のキャスト表からは意図的に消しております。個人ブログならではの裁量でそうさせていただきましたので、したがって、上にお名前のある俳優の皆様には、当『長岡京エイリアン』はなんの悪感情も抱いておりません。でも、名前の無い人には……あっ、笠井アナはいいですよ。

 いや~、特に、「お前」! お前だけは、ほんっとに……またしょうこりもなく俳優みたいな顔して出てきやがって……ほんと、性格的に断れないタチのいい人なのかどうか知らんが、こういう仕事は心を鬼にして断ってくれよ~!! あんたが出てくると、特撮界の内輪うけネタみたいな空気が一瞬で蔓延して、作品全体の品位がガタ落ちになっちゃうんだよ!! でも、覚悟してたよりも出番は少なかったので、内心ほっとしました。

 ところで今回、かなり重要な役としてがっつり主演している斎藤工さんが、エンドロール上ででかでかと「友情出演」とクレジットされているのですが、これも私、どうかと思うんです。
 いや、友情出演って、もっと軽いチョイ役じゃないんですか……たとえ本作と同じ「村瀬継蔵の代理」的な立ち位置だったのだとしても、せめて出番はあんなに多くしなくてもよかったはずですよ、友情出演なんだったら。
 それが、あんなに重要なセリフもバンバン工さんに任せきりにしちゃって……もう、主演2人の次に出ずっぱりだったじゃんか!
 下世話な話ですが、友情出演って、出演料に適正な相場とは違う何らかの変更があるんでしょ? いやダメ! あんなに頑張ってる俳優さんには正規のギャラを払わないと絶対ダメでしょ!! 工さんのお人柄にあぐらかいちゃいけませんよ。「斎藤工さんの出演料(急募)」っていうクラウドファンディングしてでも、一人のプロとして正式にオファーしなきゃあ、村瀬継蔵の名が泣くってもんよぉ。


 役者についていろいろ言ってしまいましたが、結局、この作品の何がいけなかったのかってつらつら考えてみまするに、やっぱこれ、上の情報にある通り、もともと「15~30分間ほどの短編」として構想されていたお話を長編映画にしちゃおうという、イナバの物置を10階建てのコンクリートマンションにしちゃうくらいの違法増改築な経緯に無理があったのではないでしょうか。いや、そんなんムリムリ!! そんな素体おもい切って捨てなきゃ、絶対に早晩、無理した接合部からヒビが入って全部が崩れちゃうって。

 だいたい、あのヤマタノオロチのご登場自体がもとの構想に無かったっていう段階からしてとんでもない話なんですが、そういえば確かに、本作は序盤の『神の筆』の再現世界で繰り広げられる小規模なファンタジー冒険はそれなりに構造がしっかりしているのですが、ヤマタノオロチが出てきて、死んだはずの時宮健三のイマジネーション世界を喰い荒らす役割を担うあたりから、物語は渾沌としてくるのです。

 ん? 時宮が命を与えたヤマタノオロチが暴走して時宮の世界自体を壊しちゃうってこと? 時宮の世界が壊れるっていうのは、現実世界の人々が時宮健三の偉業を忘れ去るってこと? 中盤以降は朱莉と卓也のイマジネーション世界にヤマタノオロチが出てきて大暴れしたけど、これって、現実世界の朱莉と卓也にはなんの影響があるの?

 結局、ヤマタノオロチや怪魔神も含めたいっさいの登場怪獣たちは、現実世界の朱莉と卓也に「おじいちゃんはスゴかったんだぞ」ということを伝えるためだけに用意された「劇団時宮健三」みたいな幻影でしかなかったんだろうか……それはそれで、特撮を愛する村瀬さんらしいほっこりした物語ではあるのですが、だとしたらあのヤマタノオロチの大熱演も、結局最後は怪魔神にやっつけられちゃう台本通りのアトラクショーでした~みたいな話になっちゃうし、やっぱりそこはかとなく『世にも奇妙な物語』の1エピソードみたいなこぢんまりした印象になっちゃうんですよね。う~ん、みみっちぃ!

 そうそう、そういや今作のヤマタノオロチって、「8本中現役の首は5本」なんですよ。ええ~、ゴマタノオロチ!? それって、体力フルチャージ状態の「約62~3%」のコンディションで出演してますってこと!? せっかくの、『ヤマトタケル』(1994年)以来ちょうど30年ぶりの復活だっていうのによぉ~!! ちなみに、『ヤマトタケル』版ヤマタノオロチの造形を担当したのは村瀬さんではなく、小林知己さんと東宝映像美術です。
 もうアニメ版『風の谷のナウシカ』の巨神兵みたいなもんじゃねぇか! そっか、だからガソリン呑まなきゃ火ィ吐けなかったのか……こんなんだったら、こっちも「ヤマタノオロチの首3本ぶん(超急募!!)」でクラファンすればよかったのに!!


 いろいろ言いましたが、やっぱりこの作品は、本来映画になるべきでなかったものをムリヤリ映画にしてしまったという事態が、当然の結果をもたらしてしまった、としか言えないのではないでしょうか。
 やっぱりね、「俺がこの映画をなんとかする!」とか「あたしがこの映画で一番目立ってやる!!」という野望がしのぎを削る現場でないと、いい映画なんてとうていできないと思うんですよ。もはや現代日本は、「村瀬さんのお祝いをみんなでしよ~♪」みたいなお花畑パーティを、チケット料金徴収してやれる世界ではないんですよね、哀しいけど。

 あと、最後にこれも行ってはおきたいのですが、本作を「時宮健三の遺した世界」という部分だけに照準を当てた作品にした判断は、それはそれとしていいとは思うのですが、だったら主人公になっている10代の2人の立場はどうなっちゃうんだという大問題があると思います。
 要するに、あの2人の現実世界での鬱屈というか、特に朱莉のほうがド冒頭の下校シーンであんなにつらそうな苦悶の表情を浮かべていた理由とかが一切語られないのが、非常にもったいないと思うんですね。朱莉がかなり毛嫌いしているらしい卓也の学校での特撮オタクっぷりとか、それゆえに周囲から浮きまくっている卓也なりの苦悩とか、ドラマにしたら何十分にでもふくらませられるおいしい要素はゴロゴロ転がっているはずなのに、そこにいっさい行かない脚本に疑問を持ってしまうのです。いや、長編映画にしたいんだったら、普通そこ拾うでしょ!?

 そこはまぁ、特撮映画として余計な人間パートはいらないという考えもあったのかも知れませんけどね。最近はハリウッド版『ゴジラ』シリーズみたいに、人間側のあれこれが刺身のツマくらいの重要度になってる作品も珍しくはないし。
 でも……鈴木梨央さんにあれだけ真剣に学校でうまくいってなさそうな演技させといて、そこの伏線をまるで回収しない結末はどうかと思うし、本作の「自伝的要素」を重視してそれ以外の要素を切り捨てたというお題目よりは、「脚本としてうまくまとめられそうにないから逃げた」という意図しか感じられないんだよなぁ。
 だから、最後に朱莉と卓也が「大人になったら……」と将来の夢を伝え合うやり取りも、脚本の持っていきようによっては本当に最高なシーンになるはずなのに、そこまでの経緯がいっさい語られないから、なんだか唐突にいいこと言わせましたみたいな、とってつけた感しかしないんですよね! もったいないにも程があるよ!! 10代のみそらで主人公の大看板を背負った鈴木さんにおあやまり!!

 よくよく見てみると、脚本を担当した方も作家ではあるものの、決して長編映画のスケールを得意とする脚本家のようには見受けられないし……ここでもやっぱり、「特撮界隈ですぐに連絡がついて仕事を断らなそうな人にお願いしました。」なかほりが漂ってくるんですよね。う~ん……そこに手間を惜しんじゃダメなんじゃない!?


 とにもかくにも、いろいろと村瀬継蔵さんという偉大なる才能の、「ちょっぴり正直すぎるまでにピュアな心」を、素材そのまんま無加熱無加工でドスンッと提供したような『カミノフデ』なのでありました! もうちょっと、商品にすることを念頭において見栄を張ってもいいのでは……と思っちゃうんですが、そこがわたくしめのような俗人の欲目なんでしょうかねぇ。

 せめて、ヤマタノオロチの首がちゃんと8本そろうまで待ってもよかったのでは……どうせ村瀬さん、まだまだお元気でしょ!?

 やっぱり、ワイン飲んでるようなのはダメだな!! 日本の魔獣はポン酒でいかにゃあ!!

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