ハイど~もみなさんこんばんは! そうだいでございます。
しぶとい、しぶとすぎる……山形、雪また降っちゃったよ! これが雪国の真の力だと言うのか。
ま、そんなこと言っても、今日のお天気のよさであっという間に解けてしまったんですけどね。昨日はまた積もるのかと思いましたよ……みぞれみたいなじめじめ雪、重たくて嫌ですよね!
雪のことはどうでもいいんですが、先日のおっきな地震で、スープをこぼしてうちのノートパソコンをぶっこわしちゃってさぁ! 昨日は大雪の中、あちこちを駆けずり回って新しいパソコンを買ったんですよ。新しいったってその場しのぎの中古なんで、年式が古くて安くはあるんですが、プライベートでは生まれて初めて使う国産メーカーのやつで、しかも初の SSD搭載なんですよ。いや~、素晴らしいですね! 今度は大切に使っていこう……水気厳禁!! いまさらになってそんな教訓を得た私なのでありました。おそすぎ!!
さてさて、そんな事情により、新しいパソコンになって初の我が『長岡京エイリアン』への投稿となるのでありますが、今回はもう、待ちに待った映画の鑑賞記でございます! いや~、待ってた待ってた。そして、その期待に応えてくれた応えてくれた!!
映画『 THE BATMAN』(2022年3月11日公開 175分 ワーナー・ブラザース)
思いのほか面白かったよ!! あのクールすぎる予告編のおかげで期待値がかなり上がっていたのですが、なんのなんの。
わたくし、面白い映画は劇場で何回か観ることもあるのですが、今のところ最多の記録は、かの『ダークナイト』(2008年)の4回なんですよね。ベッタベタで恥ずかしいのですが、やっぱりヒース=レジャーのジョーカーにメロメロでした。
それで今回の『 THE BATMAN』なのですが、今のところ、昨日2D 字幕版を、今日は2D 日本語吹替え版を鑑賞しました。いや~、やっぱり映画なので出費もバカにならないのですが、2回観てやっと意味が飲み込めてくる人物の表情や小道具もあるんでね。かといって、ソフト商品がリリースされるのをのんびり待っているほど呑気なファンでもないのです。2回目もちゃんと面白いのが、さすがマット=リーヴス監督入魂の一作という気合の入りようですよね。
チケット代が高いは高いんですが、やっぱり映画は映画館で観るのがいちばんですよね。特に今回は、バットモービルとペンギンカーとのカーチェイスのシーンがすごかったなぁ! 音響の大迫力がんまぁ~ズンズン伝わってきます。
ちなみに、私は基本的に洋画は原語で観る派なのですが、バットマン世界における有名キャラやヴィランたちの日本語版声優キャスティングに関しては、もはや大河ドラマにおいて足利義昭公や織田信長を誰が演じるかとかいう大問題に匹敵する重要事ですので、しっかり確認させていただくことにしております。
特に今回は、日本の声優陣の配置が話題性抜群なのではないでしょうか。
バットマン / ブルース=ウェイン …… 櫻井 孝宏(47歳)
アルフレッド=ペニーワース …… 相沢 まさき(57歳)
ジェイムズ=ゴードン警部補 …… 辻 親八(65歳)
セリーナ=カイル …… ファイルーズ あい(28歳)
リドラー …… 石田 彰(54歳)
オズワルド=コブルポット / ペンギン …… 金田 明夫(67歳)
カーマイン=ファルコーネ …… 千葉 繁(68歳)
トーマス=ウェイン …… 森久保 祥太郎(48歳)
リドラーのとなりの囚人 …… 内山 昂輝(31歳)
いや~、この陣容よ。1980年代に少年時代を過ごした自分といたしましては、年を追うごとに大塚周夫さんや永井一郎さんといったレジェンドの方々が去って行かれるのは非常に寂しいことなのですが、ああ、我らが千葉アニキが最年長でいちばんの黒幕を演じる時代になったのか……と、感慨深い気持ちになってしまいます。世紀末にはあんなに下っ端のモヒカンだったのに、こんなに立派になったのねぇ……ほんと、目頭が熱くなります。
あと、『鬼滅の刃』好きの視点から見てみましても、思いっきり水柱と上弦の参の対決になっているのが最高ですね。原作のアニメ版のほうではまだまだ先のはずなのに、すでにこっちで実現させているとは、なかなかやるな! そして終盤、傷心の上弦の参をなぐさめるのが下弦の陸という、この下剋上っぷりよ! ということは、次回作では富岡さんとルイくんの再戦となるのか!? 前回は文字通りの瞬殺だったけど次はそうはいかねぇゼ!ということなんですね。燃えるなぁ~!
それにしましても、今回の吹替え版で最も輝いていたのは、やっぱりセリーナ=カイルを演じたファイルーズあいさんだったのではないでしょうか。プリキュア主演にジョジョ主演ときて、今度はついにキャットウーマンというわけか! ノリにノッてるなぁ。今回のファイルーズさんの人選はなにが良かったって、容易に人は信じないとうそぶく夜の女性でありながらも、身内のことを思うと危険も顧みず即決行動するアツさも垣間見えるという二面性を演じることができるからなんですよね。人前でいくらいきがっていてもクールに徹しきれない「キャットウーマン前夜」の幼さがある。そこらへんの情熱に関しては、つい最近まで一年間トロピカっていた経験が活きているのではないでしょうか。非常にタイミングがよろしい。
ところで、いつも賛否両論が激しい声優以外の有名人の起用についてなのですが、千鳥のノブさんは良かったんじゃないですか? まさに正真正銘の一言だけで、しかも他の登場人物の誰ともからまないという扱いはむしろかわいそうになるくらいだったのですが、ご自分の分というものをわきまえた好演だったと思います。ちょっと、佐藤隆太さんのゴッサム市長は声が幼かったかなぁ。それにしても一瞬の出番でしたけど。
1989~97年のティム=バートン&ジョエル=シュマッカー4部作、2005~12年のクリストファー=ノーラン3部作に続く、新たなバットマンサーガの始まりを告げる今回の『 THE BATMAN』、具体的にどこがそんなに素晴らしいのか? これを説明することは非常に難しい……っていうか、どこからホメたらいいのかわかんないくらいホメるとこがいっぱい! ファンにとって、こんな幸せなこともないやねぇ。
いつもの手段になってしまうのですが、とりあえず項目ごとに分けて、気づいた点からくっちゃべっていきましょうかね。
1、「始まりの物語」なのに「2年目」という、この絶妙な取捨選択のセンス
映画が思いっきりコケない限り、続編が作られることがほぼ疑いのない義務となっているのが、バットマンのような世界的有名ヒーローの映像化にあたっての大変さだと思うのですが、続きがある以上、かなり本腰を入れて作品世界の設定を作り込み、さらにそれを観客に説明しなければならないというめんどくささがあると思います。それが、昨今おおはやりのトリロジー形式の1作目にまとわりついてくる難問だと思うんですよね。
実際、バットマン映画の先達を振りかえってみましても、1989年の『バットマン』では、主人公ブルース=ウェインがダークヒーロー・バットマンにならなければならなかった原点すなはちブルースの両親惨殺の真犯人役を、作品のメインヴィランであるジョーカー(ジャック=ネイピア)におっかぶせるという離れ業で、かなり深刻なブルースの人生的問題を映画1本の中で解決させるという物語の簡素化を図ったわけなのですが、その結果、2作目以降のバットマンの存在意義をやや軽くしてしまったきらいがありました。さすがバートン監督というべきか、2作目『バットマン・リターンズ』(1992年)では、ブルースの肩の荷が下りた分、メインヴィランのキャットウーマンとペンギンの人生背景を思いっきり重くするというバランス調整を行ったわけだったのですが、そのせいでキャットウーマンもペンギンも原作無視のほぼ別人となってしまったような気がします。ま、映画が最高だったからいいんですけど!
漢と書いて「おとこ」と読む、漢ノーラン番長による3部作の1作目『バットマン・ビギンズ』では、さすが小細工を使わずに漢らしく、ブルースが世界を放浪し、バットマンという選択肢を発見する新人ほやほや1年目までをじっくりコトコトとつむぐ正攻法で物語を始めていったわけですが、ブルースがそんなに悩まなくても支援者(執事アルフレッドとか技術顧問のルシアス=フォックス)とかヴィラン(ラーズアルグールとかスケアクロウ)とかが勝手に物語を進めてくれて、両親を殺した黒幕(ファルコーネ)もよくわかんないうちに自滅してくれるという、とりあえず目先の問題をしのげばなんとかなっちゃうイージーモードになっていたような気がします。でもそうしないと話が進まないし! なので、チベットに行ったりして、確かにブルースの肉体的にはかなりハードなんだけど、精神的にはけっこう単純な流れなのでちょ~っと退屈なんですよね、『ビギンズ』って。まぁ、その反動が2作目以降に降りかかってくるわけなのですが。
こんなわけで、正攻法で行くと大味になる、変化球で行くとのちのち続編でめんどくさくなるというシリーズ第1作目の試練にみたび対峙した今回の『 THE BATMAN』だったのですが、そこで選択された奇想天外の第3の選択こそが、「2年目を描く」という奇策だったと思うのです。そ~きたか~!
バットマンになって2年目……この、実に中途半端な時期!! ブルースは、とりあえず手の届く範囲にいるゴッサムシティの悪者をかたっぱしからぶん殴るという草の根活動しかできておらず、両親惨殺の真犯人探しなどできる余裕はありません。満足に空を飛ぶこともできていないし、今では「バットマンの武器といえば、これ!」というトレードマークになっているバットラング(コウモリ型手裏剣)も開発していない状態です。バットマンの映画を何本も観てきたり、バットマンってこういうヒーロー?というイメージをなんとなくでも持っている多くの観客にとって、本作でのブルースの姿は非常に心もとなく、おぼつかない足取りのものに見えるでしょう。
ところが、物語の舞台となるゴッサムシティにおいて、すでに謎の復讐男バットマンは丸1年も夜の活動を続けているので、ゴッサムの犯罪社会や警察にはもう充分にその名は知られているし、なによりもブルース自身がバットマン生活に慣れてきているので、いちいち「なんだテメェは!?」みたいな名乗り問答とか、「バットスーツはここをもっとこうすればいいのか!」みたいな開発秘話とかを語る必要がないのです。話を進めるにあたってそこら辺の形式的な流れがないので、本題のリドラーがらみの連続殺人事件やウェイン夫妻惨殺の真相探しにさっさか入っていけるんですね。こりゃいいや!
もしかしたら、ブルースが何の前置きもなくハイテクメカ満載のスーツに身を固めたヒーローに変身することに疑問を感じるバットマンビギナーな方もいるかもしれないのですが、その財力源やブルースの心の闇については、それをはっきり描写せずともウェイン・エンタープライズのバカでかい高層ビルとか、リドラーが告発する過去のニュース映像を基にした動画などで示唆されるし、何よりもブルース役のロバート=パティンソンと、その育ての親たるアルフレッド役のアンディ=サーキスとの目と目で通じ合う「言外の演技」が、ウェイン家にわだかまるそうとう深い因縁と、それに打ち克つ2人の絆があることを雄弁に物語っているので、いまさら開発担当のルシアス=フォックスがしゃしゃり出てくる余地がないんですよね。ここらへん、とりあえずブルース役のクリスチャン=ベールのまわりに、マイケル=ケインだのゲイリー=オールドマンだのモーガン=フリーマンだのリーアム=ニーソンだのといったむくつけき面々が、ヒロイン役のケイティ=ホームズそっちのけで殺到しているうちに映画が終わってしまうという、バットマンの映画なのか『うる星やつら』のハリウッド実写版なのかがわからなくなるブルースもてもて映画『バットマン・ビギンズ』とは全く逆の、「省略の美」が貫かれていると感じました。ま、そんなこと言っても『バットマン・ビギンズ』でいちばんかわいいのはキリアン=マーフィなんですけどね!
つまり、「ブルースとウェイン家」、「バットマンとリドラー」という関係を描くことに全神経を注ぐためには、シリーズの第1作目であろうが関係なく、かったるい説明は徹底的にそぎ取る。そのためには、身の回りのおぜん立てでもったもったして、とりあえず目先の課題を処理することで精いっぱいな1年目では絶対にいけない。多少なりともやることに慣れてきて、ともすると自分のやっていることに対して「このままでいいのかな……」と悩み始める2年目のほうが都合がよかったのでしょう。
実人生においても、たいてい何かを続けて2年目という時期は、新鮮味もモチベーションも下がってきて地味~にヤな感じのじめっとした季節になるかと思うのですが、そこらへんをあえて選択したリーヴス監督の豪胆さに敬意を表したいです。
ただ、こういう思い切った舵を切れるのも、世界観こそ違えどもバットマン1年目までを生真面目に描いた『バットマン・ビギンズ』があったおかげなんじゃないかとも思えるし、そこがバットマンのような歴史の長いシリーズの強みなんですよね。「わかんない人は『バットマン・ビギンズ』とかドラマ『 GOTHAM』を観てね♡」みたいな。
ここでファンとして気になるのは、『 THE BATMAN』でのブルースが、どこで格闘術を学んだのかというあたりですね。作中で触れられていたようにアルフレッドからしか学ばなかったのか、それとも『バットマン・ビギンズ』のようにチベット修行やらヘンリー=デュカードから学ぶやらの世界遍歴をしてきたのか。そして、終盤で登場した「リドラーのとなりの囚人」は、果たしてバットマンとすでに面識があるのか!? 『 THE BATMAN』におけるバットマン1年目もまた、気になることづくめですねェ!!
2、この映画の主人公は、セリーナ=カイルじゃないのか!?
ほんと、これなんですよね! これが良かったんだ、本作は。
ブルースにとっての両親惨殺の真犯人探しという一大テーマは、1989年版『バットマン』ではブルース自身の手によって解決し、『バットマン・ビギンズ』ではなんかよくわかんないうちに実行犯の死亡と黒幕の発狂により終結しました。そして今作でもまた、真犯人がカーマイン=ファルコーネなのか、そのライヴァルである麻薬王サルヴァトーレ=マローニなのかがわからないままに終わってしまいます。
ただ、ノーラン3部作でのバットマンも今作でのバットマンも、自分に関する最も重大な謎が未解決になってしまうことによって、いつまでそこにこだわっていてもしょうがないという諦念が生まれ、「復讐男」から「正義の味方」にひと皮むける契機となったわけです。
そして、『 THE BATMAN』の175分(約3時間!)というアホみたいな長丁場をもたせる秘策として投入されたのが、ブルースがひと皮むけていくにあたり、「感情移入できる『友だち』ができたよ!」という、青春映画要素の投入だったのでした。
友だち……もちろん気持ち悪いリドラーなんかではありません。ブルースと同じように親を殺され、そして血を分けたもう一人の親を「親友殺し」の犯人として殺そうとまで覚悟する復讐者、セリーナ=カイル!!
このセリーナ、両親との容易ならざる因縁の他にも、ブルースとの共通点がありまくり。自分の目的のためには手段を選ばない直情径行、なんかよくわからない格闘術を会得している、バイク好き、黒いぴったりスーツ好き、友だちがほぼいない……そして最も大切なのは、今回のリドラー事件によってひと皮むけるということ!
最高じゃないですか……ただし、今作でのセリーナは、親友のアニカがリドラー事件に巻き込まれるまでは、あくまでも自分の気に食わない金持ちの家に押し入るだけの腕のいいコソ泥としてしか暗躍していないので、バットマンに並ぶ知名度を誇る義賊「キャットウーマン」にはまだ変身していないのですが、ブルースと共にゴッサムシティの巨悪をあばく役割を担ってアニカ殺害の犯人を突き止め、ファルコーネへの復讐を遂げ、そしてクライマックスではブルースの危機を救うという八面六臂の大活躍を見せてくれるのです。
こ、これは……このフルパワーの大回転っぷりは、まるであの伝説の、まっくろくろすけも真っ青になる漆黒の黒歴史映画『キャットウーマン』(2004年)の汚名を雪ぐかのようなお姿ではないか!!
もともと、肌の黒い女優さんがキャットウーマンを演じるというのは、TVシリーズ『怪鳥人間バットマン』(1966~68年放送)における3代目女優アーサ=キットという先例があるので、ハル=ベリーがキャットウーマンを演じてもなんの問題もなかったのですが、ともかくバットマンサーガといっさい関係のない設定・内容(おハルさんはセリーナ=カイルですらない)に周囲の落胆の声は大きく、その後すぐに始まったノーラン・バットマンによって、その存在は忘却の彼方へ葬り去られてしまったのでありました。でも、ちゃんと映画料金を払って映画館にワックワクで観に行った私は忘れない……正直言って、そんなにけなすほど悪くはないと思うんだけど、なまじバットマンの看板を引きずってきちゃったから、期待値をいやがおうにも上げちゃったんだろうなぁ。ぶっちゃけ『スーサイド・スクワッド』(2016年)と内容はどっこいどっこいだと思うんだけど、困ったらプリンちゃんとかベンアフバットマンとかを出してなんとかしようとする『スーサイド・スクワッド』の姑息さは実にハーレイ・クインらしいし(ほめてます)、その一方で、周囲の助けをいっさい借りずにひとりでなんとかしようとして華々しく散った『キャットウーマン』も、なんかキャットウーマンらしいんですよね。哀しいくらいにまっすぐなんだよなぁ、バットマンもキャットウーマンも。
そして、キャットウーマンの黒歴史といえば、ノーランバットマンの最終作『ダークナイト・ライゼズ』(2012年 日本語タイトルはなぜか『ダークナイト・ライジング』)に登場したアン=ハサウェイ演じるキャットウーマンも、外見は非常にいいんですがあんまり物語の本筋にからんでこないし、「生きて帰ってきてね……」みたいな妙になよなよした態度をとるところがセリーナらしくなく、猫というよりは忠犬みたいな御しやすいキャラに成り下がっていたと思います。ノーラン番長ぉ~!!
そんな感じの、おハルウーマンとアンハサウーマンの無念を晴らすかのような、今回のゾーイ=クラヴィッツさんの入魂の猫っぷりは、原作のキャットウーマンが好きな方々にとっては、非常に胸のすくものがあったのではないでしょうか。
バットマンとは、ガチバトルも辞さない一触即発の関係なわけですが、後ろから羽交い絞めにされて暗闇で一緒に息をひそめる共犯関係とか、バットマンにじーっと瞳を見つめられてなんかイイ雰囲気かと思ったら、単にセリーナが着けた特製コンタクトレンズの調子を確認されてるだけだったので「ったく……」みたいな感じで目をそらすとか、いい仕事の目白押しじゃないか! これよ! こういう機微、ユーモアとロマンスが表裏すれすれに描かれるのが、かっさかさに乾燥したノーラン番長ワールドにはなかったリーヴス監督の味なんだよなぁ!! ほぼ全てのシーンで雨が降っている本作の画面設計は伊達じゃなくて、マット=リーヴスというお人のウェッティな作風を如実に証明するものなんですね。
ホラ、あの物語の途中でかなり悲惨な最期をとげるコルソン検事だって、ただ汚職に手を染めてリドラーの餌食になるだけじゃなくて、セリーナにフラれて傷ついたり、土壇場になって家族を守ろうとしたりして、かなり人間味のあるキャラクターに描かれていたじゃないですか。あんなん、ティム=バートン監督やノーラン番長の作品に出ていたらかなりつまらない小悪党として始末されるだけですよね。こういう細かい脇役の扱い方で、作り手の個性ってわかるんですね。
あともう一つ。この作品においてブルースとセリーナは、お互いにとって足りない部分を補い合いながらリドラーの張った謎を解いてゆくのですが、正義の代弁者になろうとするがゆえに自分自身の人間としての成長をどこかでそっちのけにしてしまっているブルースと、自分が自立した大人になることを何よりも優先させてゴッサムシティにおけるサバイバル術を身につけておきながら、じゃあ何のために生きるの?という人生の目的を失いかけているセリーナという構図は、どっちも人間としての「半分」が欠けているという点で、実に巧妙に配置された「2人で1人」の関係になっていると思うのです。
つまりは、「目的はあるけど手段がわからないブルース」と「目的はないけど手段は知っているセリーナ」という分類わけができると見たのですが、ここから分かるのは、一人前の人間として先に成熟しているのがセリーナであるということなのです。
なるほど、だから2人のキスシーンは、2回ともセリーナからブルースに仕掛ける形なのか! ただブルースが恋愛におくてだとか、そういう問題だけじゃないんですね。リドラーの追及に全神経を集中させているブルースにとって、捜査中に突然唇を奪ってくるセリーナの行動は、まったく予想外、理解に苦しむアクシデントなのでしょう。でも、そんなセリーナの想いの方に共感できる観客にとって、ブルースの戸惑いはもどかしい以外の何物でもないんですよね! 嗚呼、男と女の間には、深くて暗~いゴッサム川!!
でも、この後にセリーナが義賊キャットウーマンに変身するとするのならば、それはブルースの姿に影響されたからに他ならないわけで。ブルースとセリーナが、バットマンとキャットウーマンとしてまた再会したとき、2人はどんな関係になるのだろう。
この『 THE BATMAN』は、バットマンの物語であると同時に、史上初めて原作の気風を背負ったセリーナ=カイルが生きて活躍し、そして「キャットウーマン」が誕生するにいたるまでの精神的遍歴を克明に描いた映画だと思うのです。そういう意味で、これは2004年の失敗を見事に克服した『シン・キャットウーマン』なのだ!! おハルウーマンや、成仏しておくれ~。
3、青春グラフィティ、『 THE BATMAN』
これはブルースとセリーナだけではなく、ブルースとリドラー、そしてリドラーと「となりの囚人」の関係においてそうなのですが、涙が出るほどに自分の青春時代にオーバーラップするやり取りが多くなかったですか!? 私はもう、心に突き刺さるシーンが多かった多かった!!
親友になるはずだったブルースにかなりつれない態度をとられて動揺しまくるリドラー、絶望の淵に落とされた中、したり顔でジョークの救いをさしのべる「となりの囚人」と一緒に大爆笑するリドラー……当然ながら、今作のメインヴィランであるリドラーの最大の見せ場は、バットマンの正体を知っているぞと詰め寄る場面であるはずなのですが、私にとって、もっとリドラーのキャラクターの厚みがひしひしと身に迫ってきたのは、やけに人間的なもろさのあるそこらへんの「弱っちい」姿だったような気がします。巷間で評されるように、明らかにイッちゃってるという点で、今回のリドラーは『ダークナイト』のヒースジョーカーに遠く及ばないと見るむきも分かるのですが、そもそもヴィランとして未完成であることこそが、バットマンを利用して完全な存在になろうとした今回のリドラーの犯行動機なので、両者を比較すること自体がどだい無意味なのではないでしょうか。弱いことこそが、リドラーの強みなのです。
そして、その弱さとは精神が未熟なあかし。つまり、リドラーもまた、ブルースやセリーナのように心の成長の途上、青春の真っただ中にいるのです! ただキモイだけ、ただフラれただけ。くじけるなリドラー!!
さらにみずみずしかったのは、ブルースとセリーナの関係の「んん~もう!」なもどかしさというか、互いに本心を打ち明けられないナイーブさね!! これがもう、すんばらしい。
ラストのラストで、ゴッサムシティを去ると打ち明けるセリーナは、ブルースに「……一緒にこの街を出ない?」と誘います。しかしブルースは本心を言わないまま、「ば、バットシグナルが出てるから……」ともろもろゴードンのせいにして拒否。するとセリーナは、「けっ、冗談に決まってんでしょ!? 誰があんたなんかと!」みたいなそっけない態度をとってバイクにまたがるのでした。オイオイ勘弁してくれよ~お2人さんよ~!!
そして、道が分かれるまで、一緒にバイクを走らせて夜明けの朝もやの中を並走する2人。分岐点で停止して、しばしの間をおいて、2台は別々の方向へとハンドルをきるのであった。
くうぅ~っ、これはまさしく青春だ!! あの放課後、あの部活の帰り道、あのカラオケの解散後、あの徹夜ゲーム明け!! 私は、そしてあなたは、誰か淡い恋心をいだいた人と、他に誰もいない夜の空気のなかで2人きりの無言の時をすごしたことは、なかったか!?
そこよ、その瞬間よ! あの夜の空気の冷たさ、朝もやの湿度。そこを実に精密に切り取っているのが、あのエンディングのすばらしいところなのです。そこが、単なるアクション一辺倒のヒーロー映画に終わらず、観る者の感情に、人生に迫る感動をもたらす映像の魔力なのでしょう。最高ですね。バイクだろうがヘルチャリだろうが、ほのかな恋心は世界共通なのだ!!
青春といえば、本作がバットマン VS リドラーという構図に仮託した、「コンタクトレンズ派 VS メガネ派」の血で血を洗う頂上決戦であるという点にも注目しないわけにはいきません。
さっさとコンタクトレンズに乗り換えて新しいワタシ生活を始めていくリア充の男女、ブルースとセリーナに対して、「瞳孔に物をはっつけるなんてマジかよ!? 信じらんね~。」などとのたまうリドラーは、自分のシンパまでをも超強引にメガネ派に引き込んでテロを起こさんとするのですから、これはもう激突必至の青春対決です。ほ~ら、あなたももう、ゴッサムシティが中学校のクラスに見えてきた。おんなじ中学校だったらそうなるわけがないのですが、同じ青春でもブルースがブレザー制服でリドラーが詰襟制服にしかイメージできないのは、なぜなのだろう!?
ましてや、ブルースときたら自分特注モデルのコンタクトをセリーナに気前よくプレゼントしておそろにしているというのですから、それを聞いたリドラーくんとクイズ研のみなさんが黙っていられるわけがありません。
「なんてことだ……人間にとって、瞳孔は唇と同じ粘膜ゾーンなんだぞ! そこを共有するだなんて破廉恥な行動が、この満天下で許されて良いのか!!」
いや、別に自分の使ったコンタクトをセリーナにあげるほどブルースも変態ではないと思うのですが、リドラーくんの妄想とルサンチマンはいやがおうにも高まってしまうのでありましたとさ。青春だねェ、どうにも。
4、ペンギン、いいよな~!
本作のペンギンもまた、セリーナのように原作本来のキャラクターのうまみを活かした復活を遂げましたね! ゴッサムシティの闇社会の頂点を虎視眈々と狙う梟雄(ペンギンだけど)でありながらも、ファルコーネ親分の目の黒いうちはセリーナ以上にネコをかぶってひたすらヘーコラするという小物っぷり! このへんはまさに、あのドラマ『 GOTHAM』におけるペンギン(演・ロビンロード=テイラー)にかなりオーバーラップするものがあるのですが、『 GOTHAM』でペンギンがけっこう早いうちから闇社会の頂点に君臨できるようになるのに対して、こっちは相当苦労してたんだろうなぁ、という老けっぷりが目立ちます。でも、バットマンに脅された時に窓ガラスに派手にひびが入るくらいに背中を打ちつけられたのに全然動じなかったし、カーチェイスの末に車が5回転くらいしてクラッシュしたのにほぼ無傷だったしで、たいがい人間離れしたタフさですよね。おまけにカーチェイス自体、リドラーの仕組んだミスリードでペンギンが追われる必要が全然なかったという展開もかなりイイ感じです。そりゃ「バッキャロー!!」って叫びたくもなりますわ。でも、その翌日くらいには何食わぬ顔でファルコーネ親分のビリヤードに付き合ってるんだもんねぇ……丈夫すぎ!!
ところで、今作でペンギンの手下として登場した、あのアイスバーグ・ラウンジの用心棒の双子(演・チャーリー&マックス=カーヴァー)は、バットマン世界のヴィラン「トゥイードル=ディとトゥイードル=ダム」のリブートという解釈でよろしいのかしら? ちょっと、つるんでるヴィランが違いますけどね。マッドハッターも映画に出てきてほしい~!
5、ゴードンも、いいよな~!!
ノーランバットマンでは、若いころのブルース少年との交流や、妻子持ちの家庭生活などもリアルに描かれたゴードン警部補だったのですが、『 THE BATMAN』では、ひたすら職務に徹する公僕の鑑に。信頼感あるなぁ。
善行にしろ悪行にしろ、ともかく常軌を逸したスケールとスピードで突っ走る人ばっかりのこの作品世界の中で、ただ一人、常識的な感覚と判断力を保ちながら物語の潮流に必死にしがみついてくるゴードンの存在は、観客にとって実に大切なジェットコースターの乗り物的役割を果たしてくれます。さすがに今回はバットモービルに乗せてはもらえなかったけど。
また、自分のメールアカウントから市長のスキャンダルを告発するタレコミ情報を送信させられたり、バットマンを助けるためにバットマンにぶん殴られたりと散々な目に遭うゴードンなのですが、そのたびに見せる「勘弁してよ……」という苦虫をかんだような表情が、非常にキュートで笑いを誘いますね。かわいそうなんだけど、なんかおかしい。ジェフリー=ライトさんは本当に良い俳優さんです。
汚職まみれの上司と、わけのわかんないコスプレ自警野郎との板挟みに悩むゴードンさん……がんばれ!! 少しはドラマ『 GOTHAM』みたいな甘いロマンスもあるといいね!
6、そして……ひたすら期待値の上がりまくる「となりの囚人」!!
シルエットで横顔が見えるだけだったけど、あの前髪の逆立ったヘアスタイル……あれはまさしく、原作コミックの歴史的傑作『キリングジョーク』(1988年)や、さらにその上を行く神話的傑作『アーカム・アサイラム』(1989年)における「彼」のビジュアルにそっくりだぞ!! ウヒョ~本格登場が楽しみすぎる。バリー=コーガンさんも大変だろうけど、がんばってね!!
余談ですが、彼が冗談を言って人を笑わせるシーンって、原作ではそれこそいくらでもあるけど、映像化された1989年以降の作品ではかなり少ないんですよね。ニコルソンジョーカーとジャレッドジョーカーは恐怖する相手を見て笑うのが好きみたいだし、ヒースジョーカーは人を笑わせることなんかそっちのけで自分が大笑いできることを探してるだけ。そしてホアキンジョーカーにいたってはジョークを言う才能がゼロというおそろしさです。
そんな中で、ちょっとの出番だったにしても、リドラーになぞなぞ形式の冗談を言って大爆笑に誘うというお手並みの鮮やかさは、今までのどの実写ジョーカーよりも知的に見えますね。今のところ『 GOTHAM』のキャメロンジョーカーのような粗野で下品な感じもしないし、かな~りいい感じの「ちょっと見せ」にしていると思います。
本格的な活躍は、いつになるのかな!? それまでは私もあなたも死ねませんね。
他にもいろいろ言いたいことはあるのですが、ともかく、約3時間というとんでもない尺でありながら、ここまで緊張感のある傑作にしおおせるのはとてつもない手腕ですよ。水もしたたるマット=リーヴス監督の『 THE BATMAN』次作を、首を長~くして待ちたいと思います。楽しみにしてますよ~いっとな!!
それにしてもゴッサムシティ、雨降りすぎだろ!! 靴下いくらあっても足りんわ……
しぶとい、しぶとすぎる……山形、雪また降っちゃったよ! これが雪国の真の力だと言うのか。
ま、そんなこと言っても、今日のお天気のよさであっという間に解けてしまったんですけどね。昨日はまた積もるのかと思いましたよ……みぞれみたいなじめじめ雪、重たくて嫌ですよね!
雪のことはどうでもいいんですが、先日のおっきな地震で、スープをこぼしてうちのノートパソコンをぶっこわしちゃってさぁ! 昨日は大雪の中、あちこちを駆けずり回って新しいパソコンを買ったんですよ。新しいったってその場しのぎの中古なんで、年式が古くて安くはあるんですが、プライベートでは生まれて初めて使う国産メーカーのやつで、しかも初の SSD搭載なんですよ。いや~、素晴らしいですね! 今度は大切に使っていこう……水気厳禁!! いまさらになってそんな教訓を得た私なのでありました。おそすぎ!!
さてさて、そんな事情により、新しいパソコンになって初の我が『長岡京エイリアン』への投稿となるのでありますが、今回はもう、待ちに待った映画の鑑賞記でございます! いや~、待ってた待ってた。そして、その期待に応えてくれた応えてくれた!!
映画『 THE BATMAN』(2022年3月11日公開 175分 ワーナー・ブラザース)
思いのほか面白かったよ!! あのクールすぎる予告編のおかげで期待値がかなり上がっていたのですが、なんのなんの。
わたくし、面白い映画は劇場で何回か観ることもあるのですが、今のところ最多の記録は、かの『ダークナイト』(2008年)の4回なんですよね。ベッタベタで恥ずかしいのですが、やっぱりヒース=レジャーのジョーカーにメロメロでした。
それで今回の『 THE BATMAN』なのですが、今のところ、昨日2D 字幕版を、今日は2D 日本語吹替え版を鑑賞しました。いや~、やっぱり映画なので出費もバカにならないのですが、2回観てやっと意味が飲み込めてくる人物の表情や小道具もあるんでね。かといって、ソフト商品がリリースされるのをのんびり待っているほど呑気なファンでもないのです。2回目もちゃんと面白いのが、さすがマット=リーヴス監督入魂の一作という気合の入りようですよね。
チケット代が高いは高いんですが、やっぱり映画は映画館で観るのがいちばんですよね。特に今回は、バットモービルとペンギンカーとのカーチェイスのシーンがすごかったなぁ! 音響の大迫力がんまぁ~ズンズン伝わってきます。
ちなみに、私は基本的に洋画は原語で観る派なのですが、バットマン世界における有名キャラやヴィランたちの日本語版声優キャスティングに関しては、もはや大河ドラマにおいて足利義昭公や織田信長を誰が演じるかとかいう大問題に匹敵する重要事ですので、しっかり確認させていただくことにしております。
特に今回は、日本の声優陣の配置が話題性抜群なのではないでしょうか。
バットマン / ブルース=ウェイン …… 櫻井 孝宏(47歳)
アルフレッド=ペニーワース …… 相沢 まさき(57歳)
ジェイムズ=ゴードン警部補 …… 辻 親八(65歳)
セリーナ=カイル …… ファイルーズ あい(28歳)
リドラー …… 石田 彰(54歳)
オズワルド=コブルポット / ペンギン …… 金田 明夫(67歳)
カーマイン=ファルコーネ …… 千葉 繁(68歳)
トーマス=ウェイン …… 森久保 祥太郎(48歳)
リドラーのとなりの囚人 …… 内山 昂輝(31歳)
いや~、この陣容よ。1980年代に少年時代を過ごした自分といたしましては、年を追うごとに大塚周夫さんや永井一郎さんといったレジェンドの方々が去って行かれるのは非常に寂しいことなのですが、ああ、我らが千葉アニキが最年長でいちばんの黒幕を演じる時代になったのか……と、感慨深い気持ちになってしまいます。世紀末にはあんなに下っ端のモヒカンだったのに、こんなに立派になったのねぇ……ほんと、目頭が熱くなります。
あと、『鬼滅の刃』好きの視点から見てみましても、思いっきり水柱と上弦の参の対決になっているのが最高ですね。原作のアニメ版のほうではまだまだ先のはずなのに、すでにこっちで実現させているとは、なかなかやるな! そして終盤、傷心の上弦の参をなぐさめるのが下弦の陸という、この下剋上っぷりよ! ということは、次回作では富岡さんとルイくんの再戦となるのか!? 前回は文字通りの瞬殺だったけど次はそうはいかねぇゼ!ということなんですね。燃えるなぁ~!
それにしましても、今回の吹替え版で最も輝いていたのは、やっぱりセリーナ=カイルを演じたファイルーズあいさんだったのではないでしょうか。プリキュア主演にジョジョ主演ときて、今度はついにキャットウーマンというわけか! ノリにノッてるなぁ。今回のファイルーズさんの人選はなにが良かったって、容易に人は信じないとうそぶく夜の女性でありながらも、身内のことを思うと危険も顧みず即決行動するアツさも垣間見えるという二面性を演じることができるからなんですよね。人前でいくらいきがっていてもクールに徹しきれない「キャットウーマン前夜」の幼さがある。そこらへんの情熱に関しては、つい最近まで一年間トロピカっていた経験が活きているのではないでしょうか。非常にタイミングがよろしい。
ところで、いつも賛否両論が激しい声優以外の有名人の起用についてなのですが、千鳥のノブさんは良かったんじゃないですか? まさに正真正銘の一言だけで、しかも他の登場人物の誰ともからまないという扱いはむしろかわいそうになるくらいだったのですが、ご自分の分というものをわきまえた好演だったと思います。ちょっと、佐藤隆太さんのゴッサム市長は声が幼かったかなぁ。それにしても一瞬の出番でしたけど。
1989~97年のティム=バートン&ジョエル=シュマッカー4部作、2005~12年のクリストファー=ノーラン3部作に続く、新たなバットマンサーガの始まりを告げる今回の『 THE BATMAN』、具体的にどこがそんなに素晴らしいのか? これを説明することは非常に難しい……っていうか、どこからホメたらいいのかわかんないくらいホメるとこがいっぱい! ファンにとって、こんな幸せなこともないやねぇ。
いつもの手段になってしまうのですが、とりあえず項目ごとに分けて、気づいた点からくっちゃべっていきましょうかね。
1、「始まりの物語」なのに「2年目」という、この絶妙な取捨選択のセンス
映画が思いっきりコケない限り、続編が作られることがほぼ疑いのない義務となっているのが、バットマンのような世界的有名ヒーローの映像化にあたっての大変さだと思うのですが、続きがある以上、かなり本腰を入れて作品世界の設定を作り込み、さらにそれを観客に説明しなければならないというめんどくささがあると思います。それが、昨今おおはやりのトリロジー形式の1作目にまとわりついてくる難問だと思うんですよね。
実際、バットマン映画の先達を振りかえってみましても、1989年の『バットマン』では、主人公ブルース=ウェインがダークヒーロー・バットマンにならなければならなかった原点すなはちブルースの両親惨殺の真犯人役を、作品のメインヴィランであるジョーカー(ジャック=ネイピア)におっかぶせるという離れ業で、かなり深刻なブルースの人生的問題を映画1本の中で解決させるという物語の簡素化を図ったわけなのですが、その結果、2作目以降のバットマンの存在意義をやや軽くしてしまったきらいがありました。さすがバートン監督というべきか、2作目『バットマン・リターンズ』(1992年)では、ブルースの肩の荷が下りた分、メインヴィランのキャットウーマンとペンギンの人生背景を思いっきり重くするというバランス調整を行ったわけだったのですが、そのせいでキャットウーマンもペンギンも原作無視のほぼ別人となってしまったような気がします。ま、映画が最高だったからいいんですけど!
漢と書いて「おとこ」と読む、漢ノーラン番長による3部作の1作目『バットマン・ビギンズ』では、さすが小細工を使わずに漢らしく、ブルースが世界を放浪し、バットマンという選択肢を発見する新人ほやほや1年目までをじっくりコトコトとつむぐ正攻法で物語を始めていったわけですが、ブルースがそんなに悩まなくても支援者(執事アルフレッドとか技術顧問のルシアス=フォックス)とかヴィラン(ラーズアルグールとかスケアクロウ)とかが勝手に物語を進めてくれて、両親を殺した黒幕(ファルコーネ)もよくわかんないうちに自滅してくれるという、とりあえず目先の問題をしのげばなんとかなっちゃうイージーモードになっていたような気がします。でもそうしないと話が進まないし! なので、チベットに行ったりして、確かにブルースの肉体的にはかなりハードなんだけど、精神的にはけっこう単純な流れなのでちょ~っと退屈なんですよね、『ビギンズ』って。まぁ、その反動が2作目以降に降りかかってくるわけなのですが。
こんなわけで、正攻法で行くと大味になる、変化球で行くとのちのち続編でめんどくさくなるというシリーズ第1作目の試練にみたび対峙した今回の『 THE BATMAN』だったのですが、そこで選択された奇想天外の第3の選択こそが、「2年目を描く」という奇策だったと思うのです。そ~きたか~!
バットマンになって2年目……この、実に中途半端な時期!! ブルースは、とりあえず手の届く範囲にいるゴッサムシティの悪者をかたっぱしからぶん殴るという草の根活動しかできておらず、両親惨殺の真犯人探しなどできる余裕はありません。満足に空を飛ぶこともできていないし、今では「バットマンの武器といえば、これ!」というトレードマークになっているバットラング(コウモリ型手裏剣)も開発していない状態です。バットマンの映画を何本も観てきたり、バットマンってこういうヒーロー?というイメージをなんとなくでも持っている多くの観客にとって、本作でのブルースの姿は非常に心もとなく、おぼつかない足取りのものに見えるでしょう。
ところが、物語の舞台となるゴッサムシティにおいて、すでに謎の復讐男バットマンは丸1年も夜の活動を続けているので、ゴッサムの犯罪社会や警察にはもう充分にその名は知られているし、なによりもブルース自身がバットマン生活に慣れてきているので、いちいち「なんだテメェは!?」みたいな名乗り問答とか、「バットスーツはここをもっとこうすればいいのか!」みたいな開発秘話とかを語る必要がないのです。話を進めるにあたってそこら辺の形式的な流れがないので、本題のリドラーがらみの連続殺人事件やウェイン夫妻惨殺の真相探しにさっさか入っていけるんですね。こりゃいいや!
もしかしたら、ブルースが何の前置きもなくハイテクメカ満載のスーツに身を固めたヒーローに変身することに疑問を感じるバットマンビギナーな方もいるかもしれないのですが、その財力源やブルースの心の闇については、それをはっきり描写せずともウェイン・エンタープライズのバカでかい高層ビルとか、リドラーが告発する過去のニュース映像を基にした動画などで示唆されるし、何よりもブルース役のロバート=パティンソンと、その育ての親たるアルフレッド役のアンディ=サーキスとの目と目で通じ合う「言外の演技」が、ウェイン家にわだかまるそうとう深い因縁と、それに打ち克つ2人の絆があることを雄弁に物語っているので、いまさら開発担当のルシアス=フォックスがしゃしゃり出てくる余地がないんですよね。ここらへん、とりあえずブルース役のクリスチャン=ベールのまわりに、マイケル=ケインだのゲイリー=オールドマンだのモーガン=フリーマンだのリーアム=ニーソンだのといったむくつけき面々が、ヒロイン役のケイティ=ホームズそっちのけで殺到しているうちに映画が終わってしまうという、バットマンの映画なのか『うる星やつら』のハリウッド実写版なのかがわからなくなるブルースもてもて映画『バットマン・ビギンズ』とは全く逆の、「省略の美」が貫かれていると感じました。ま、そんなこと言っても『バットマン・ビギンズ』でいちばんかわいいのはキリアン=マーフィなんですけどね!
つまり、「ブルースとウェイン家」、「バットマンとリドラー」という関係を描くことに全神経を注ぐためには、シリーズの第1作目であろうが関係なく、かったるい説明は徹底的にそぎ取る。そのためには、身の回りのおぜん立てでもったもったして、とりあえず目先の課題を処理することで精いっぱいな1年目では絶対にいけない。多少なりともやることに慣れてきて、ともすると自分のやっていることに対して「このままでいいのかな……」と悩み始める2年目のほうが都合がよかったのでしょう。
実人生においても、たいてい何かを続けて2年目という時期は、新鮮味もモチベーションも下がってきて地味~にヤな感じのじめっとした季節になるかと思うのですが、そこらへんをあえて選択したリーヴス監督の豪胆さに敬意を表したいです。
ただ、こういう思い切った舵を切れるのも、世界観こそ違えどもバットマン1年目までを生真面目に描いた『バットマン・ビギンズ』があったおかげなんじゃないかとも思えるし、そこがバットマンのような歴史の長いシリーズの強みなんですよね。「わかんない人は『バットマン・ビギンズ』とかドラマ『 GOTHAM』を観てね♡」みたいな。
ここでファンとして気になるのは、『 THE BATMAN』でのブルースが、どこで格闘術を学んだのかというあたりですね。作中で触れられていたようにアルフレッドからしか学ばなかったのか、それとも『バットマン・ビギンズ』のようにチベット修行やらヘンリー=デュカードから学ぶやらの世界遍歴をしてきたのか。そして、終盤で登場した「リドラーのとなりの囚人」は、果たしてバットマンとすでに面識があるのか!? 『 THE BATMAN』におけるバットマン1年目もまた、気になることづくめですねェ!!
2、この映画の主人公は、セリーナ=カイルじゃないのか!?
ほんと、これなんですよね! これが良かったんだ、本作は。
ブルースにとっての両親惨殺の真犯人探しという一大テーマは、1989年版『バットマン』ではブルース自身の手によって解決し、『バットマン・ビギンズ』ではなんかよくわかんないうちに実行犯の死亡と黒幕の発狂により終結しました。そして今作でもまた、真犯人がカーマイン=ファルコーネなのか、そのライヴァルである麻薬王サルヴァトーレ=マローニなのかがわからないままに終わってしまいます。
ただ、ノーラン3部作でのバットマンも今作でのバットマンも、自分に関する最も重大な謎が未解決になってしまうことによって、いつまでそこにこだわっていてもしょうがないという諦念が生まれ、「復讐男」から「正義の味方」にひと皮むける契機となったわけです。
そして、『 THE BATMAN』の175分(約3時間!)というアホみたいな長丁場をもたせる秘策として投入されたのが、ブルースがひと皮むけていくにあたり、「感情移入できる『友だち』ができたよ!」という、青春映画要素の投入だったのでした。
友だち……もちろん気持ち悪いリドラーなんかではありません。ブルースと同じように親を殺され、そして血を分けたもう一人の親を「親友殺し」の犯人として殺そうとまで覚悟する復讐者、セリーナ=カイル!!
このセリーナ、両親との容易ならざる因縁の他にも、ブルースとの共通点がありまくり。自分の目的のためには手段を選ばない直情径行、なんかよくわからない格闘術を会得している、バイク好き、黒いぴったりスーツ好き、友だちがほぼいない……そして最も大切なのは、今回のリドラー事件によってひと皮むけるということ!
最高じゃないですか……ただし、今作でのセリーナは、親友のアニカがリドラー事件に巻き込まれるまでは、あくまでも自分の気に食わない金持ちの家に押し入るだけの腕のいいコソ泥としてしか暗躍していないので、バットマンに並ぶ知名度を誇る義賊「キャットウーマン」にはまだ変身していないのですが、ブルースと共にゴッサムシティの巨悪をあばく役割を担ってアニカ殺害の犯人を突き止め、ファルコーネへの復讐を遂げ、そしてクライマックスではブルースの危機を救うという八面六臂の大活躍を見せてくれるのです。
こ、これは……このフルパワーの大回転っぷりは、まるであの伝説の、まっくろくろすけも真っ青になる漆黒の黒歴史映画『キャットウーマン』(2004年)の汚名を雪ぐかのようなお姿ではないか!!
もともと、肌の黒い女優さんがキャットウーマンを演じるというのは、TVシリーズ『怪鳥人間バットマン』(1966~68年放送)における3代目女優アーサ=キットという先例があるので、ハル=ベリーがキャットウーマンを演じてもなんの問題もなかったのですが、ともかくバットマンサーガといっさい関係のない設定・内容(おハルさんはセリーナ=カイルですらない)に周囲の落胆の声は大きく、その後すぐに始まったノーラン・バットマンによって、その存在は忘却の彼方へ葬り去られてしまったのでありました。でも、ちゃんと映画料金を払って映画館にワックワクで観に行った私は忘れない……正直言って、そんなにけなすほど悪くはないと思うんだけど、なまじバットマンの看板を引きずってきちゃったから、期待値をいやがおうにも上げちゃったんだろうなぁ。ぶっちゃけ『スーサイド・スクワッド』(2016年)と内容はどっこいどっこいだと思うんだけど、困ったらプリンちゃんとかベンアフバットマンとかを出してなんとかしようとする『スーサイド・スクワッド』の姑息さは実にハーレイ・クインらしいし(ほめてます)、その一方で、周囲の助けをいっさい借りずにひとりでなんとかしようとして華々しく散った『キャットウーマン』も、なんかキャットウーマンらしいんですよね。哀しいくらいにまっすぐなんだよなぁ、バットマンもキャットウーマンも。
そして、キャットウーマンの黒歴史といえば、ノーランバットマンの最終作『ダークナイト・ライゼズ』(2012年 日本語タイトルはなぜか『ダークナイト・ライジング』)に登場したアン=ハサウェイ演じるキャットウーマンも、外見は非常にいいんですがあんまり物語の本筋にからんでこないし、「生きて帰ってきてね……」みたいな妙になよなよした態度をとるところがセリーナらしくなく、猫というよりは忠犬みたいな御しやすいキャラに成り下がっていたと思います。ノーラン番長ぉ~!!
そんな感じの、おハルウーマンとアンハサウーマンの無念を晴らすかのような、今回のゾーイ=クラヴィッツさんの入魂の猫っぷりは、原作のキャットウーマンが好きな方々にとっては、非常に胸のすくものがあったのではないでしょうか。
バットマンとは、ガチバトルも辞さない一触即発の関係なわけですが、後ろから羽交い絞めにされて暗闇で一緒に息をひそめる共犯関係とか、バットマンにじーっと瞳を見つめられてなんかイイ雰囲気かと思ったら、単にセリーナが着けた特製コンタクトレンズの調子を確認されてるだけだったので「ったく……」みたいな感じで目をそらすとか、いい仕事の目白押しじゃないか! これよ! こういう機微、ユーモアとロマンスが表裏すれすれに描かれるのが、かっさかさに乾燥したノーラン番長ワールドにはなかったリーヴス監督の味なんだよなぁ!! ほぼ全てのシーンで雨が降っている本作の画面設計は伊達じゃなくて、マット=リーヴスというお人のウェッティな作風を如実に証明するものなんですね。
ホラ、あの物語の途中でかなり悲惨な最期をとげるコルソン検事だって、ただ汚職に手を染めてリドラーの餌食になるだけじゃなくて、セリーナにフラれて傷ついたり、土壇場になって家族を守ろうとしたりして、かなり人間味のあるキャラクターに描かれていたじゃないですか。あんなん、ティム=バートン監督やノーラン番長の作品に出ていたらかなりつまらない小悪党として始末されるだけですよね。こういう細かい脇役の扱い方で、作り手の個性ってわかるんですね。
あともう一つ。この作品においてブルースとセリーナは、お互いにとって足りない部分を補い合いながらリドラーの張った謎を解いてゆくのですが、正義の代弁者になろうとするがゆえに自分自身の人間としての成長をどこかでそっちのけにしてしまっているブルースと、自分が自立した大人になることを何よりも優先させてゴッサムシティにおけるサバイバル術を身につけておきながら、じゃあ何のために生きるの?という人生の目的を失いかけているセリーナという構図は、どっちも人間としての「半分」が欠けているという点で、実に巧妙に配置された「2人で1人」の関係になっていると思うのです。
つまりは、「目的はあるけど手段がわからないブルース」と「目的はないけど手段は知っているセリーナ」という分類わけができると見たのですが、ここから分かるのは、一人前の人間として先に成熟しているのがセリーナであるということなのです。
なるほど、だから2人のキスシーンは、2回ともセリーナからブルースに仕掛ける形なのか! ただブルースが恋愛におくてだとか、そういう問題だけじゃないんですね。リドラーの追及に全神経を集中させているブルースにとって、捜査中に突然唇を奪ってくるセリーナの行動は、まったく予想外、理解に苦しむアクシデントなのでしょう。でも、そんなセリーナの想いの方に共感できる観客にとって、ブルースの戸惑いはもどかしい以外の何物でもないんですよね! 嗚呼、男と女の間には、深くて暗~いゴッサム川!!
でも、この後にセリーナが義賊キャットウーマンに変身するとするのならば、それはブルースの姿に影響されたからに他ならないわけで。ブルースとセリーナが、バットマンとキャットウーマンとしてまた再会したとき、2人はどんな関係になるのだろう。
この『 THE BATMAN』は、バットマンの物語であると同時に、史上初めて原作の気風を背負ったセリーナ=カイルが生きて活躍し、そして「キャットウーマン」が誕生するにいたるまでの精神的遍歴を克明に描いた映画だと思うのです。そういう意味で、これは2004年の失敗を見事に克服した『シン・キャットウーマン』なのだ!! おハルウーマンや、成仏しておくれ~。
3、青春グラフィティ、『 THE BATMAN』
これはブルースとセリーナだけではなく、ブルースとリドラー、そしてリドラーと「となりの囚人」の関係においてそうなのですが、涙が出るほどに自分の青春時代にオーバーラップするやり取りが多くなかったですか!? 私はもう、心に突き刺さるシーンが多かった多かった!!
親友になるはずだったブルースにかなりつれない態度をとられて動揺しまくるリドラー、絶望の淵に落とされた中、したり顔でジョークの救いをさしのべる「となりの囚人」と一緒に大爆笑するリドラー……当然ながら、今作のメインヴィランであるリドラーの最大の見せ場は、バットマンの正体を知っているぞと詰め寄る場面であるはずなのですが、私にとって、もっとリドラーのキャラクターの厚みがひしひしと身に迫ってきたのは、やけに人間的なもろさのあるそこらへんの「弱っちい」姿だったような気がします。巷間で評されるように、明らかにイッちゃってるという点で、今回のリドラーは『ダークナイト』のヒースジョーカーに遠く及ばないと見るむきも分かるのですが、そもそもヴィランとして未完成であることこそが、バットマンを利用して完全な存在になろうとした今回のリドラーの犯行動機なので、両者を比較すること自体がどだい無意味なのではないでしょうか。弱いことこそが、リドラーの強みなのです。
そして、その弱さとは精神が未熟なあかし。つまり、リドラーもまた、ブルースやセリーナのように心の成長の途上、青春の真っただ中にいるのです! ただキモイだけ、ただフラれただけ。くじけるなリドラー!!
さらにみずみずしかったのは、ブルースとセリーナの関係の「んん~もう!」なもどかしさというか、互いに本心を打ち明けられないナイーブさね!! これがもう、すんばらしい。
ラストのラストで、ゴッサムシティを去ると打ち明けるセリーナは、ブルースに「……一緒にこの街を出ない?」と誘います。しかしブルースは本心を言わないまま、「ば、バットシグナルが出てるから……」ともろもろゴードンのせいにして拒否。するとセリーナは、「けっ、冗談に決まってんでしょ!? 誰があんたなんかと!」みたいなそっけない態度をとってバイクにまたがるのでした。オイオイ勘弁してくれよ~お2人さんよ~!!
そして、道が分かれるまで、一緒にバイクを走らせて夜明けの朝もやの中を並走する2人。分岐点で停止して、しばしの間をおいて、2台は別々の方向へとハンドルをきるのであった。
くうぅ~っ、これはまさしく青春だ!! あの放課後、あの部活の帰り道、あのカラオケの解散後、あの徹夜ゲーム明け!! 私は、そしてあなたは、誰か淡い恋心をいだいた人と、他に誰もいない夜の空気のなかで2人きりの無言の時をすごしたことは、なかったか!?
そこよ、その瞬間よ! あの夜の空気の冷たさ、朝もやの湿度。そこを実に精密に切り取っているのが、あのエンディングのすばらしいところなのです。そこが、単なるアクション一辺倒のヒーロー映画に終わらず、観る者の感情に、人生に迫る感動をもたらす映像の魔力なのでしょう。最高ですね。バイクだろうがヘルチャリだろうが、ほのかな恋心は世界共通なのだ!!
青春といえば、本作がバットマン VS リドラーという構図に仮託した、「コンタクトレンズ派 VS メガネ派」の血で血を洗う頂上決戦であるという点にも注目しないわけにはいきません。
さっさとコンタクトレンズに乗り換えて新しいワタシ生活を始めていくリア充の男女、ブルースとセリーナに対して、「瞳孔に物をはっつけるなんてマジかよ!? 信じらんね~。」などとのたまうリドラーは、自分のシンパまでをも超強引にメガネ派に引き込んでテロを起こさんとするのですから、これはもう激突必至の青春対決です。ほ~ら、あなたももう、ゴッサムシティが中学校のクラスに見えてきた。おんなじ中学校だったらそうなるわけがないのですが、同じ青春でもブルースがブレザー制服でリドラーが詰襟制服にしかイメージできないのは、なぜなのだろう!?
ましてや、ブルースときたら自分特注モデルのコンタクトをセリーナに気前よくプレゼントしておそろにしているというのですから、それを聞いたリドラーくんとクイズ研のみなさんが黙っていられるわけがありません。
「なんてことだ……人間にとって、瞳孔は唇と同じ粘膜ゾーンなんだぞ! そこを共有するだなんて破廉恥な行動が、この満天下で許されて良いのか!!」
いや、別に自分の使ったコンタクトをセリーナにあげるほどブルースも変態ではないと思うのですが、リドラーくんの妄想とルサンチマンはいやがおうにも高まってしまうのでありましたとさ。青春だねェ、どうにも。
4、ペンギン、いいよな~!
本作のペンギンもまた、セリーナのように原作本来のキャラクターのうまみを活かした復活を遂げましたね! ゴッサムシティの闇社会の頂点を虎視眈々と狙う梟雄(ペンギンだけど)でありながらも、ファルコーネ親分の目の黒いうちはセリーナ以上にネコをかぶってひたすらヘーコラするという小物っぷり! このへんはまさに、あのドラマ『 GOTHAM』におけるペンギン(演・ロビンロード=テイラー)にかなりオーバーラップするものがあるのですが、『 GOTHAM』でペンギンがけっこう早いうちから闇社会の頂点に君臨できるようになるのに対して、こっちは相当苦労してたんだろうなぁ、という老けっぷりが目立ちます。でも、バットマンに脅された時に窓ガラスに派手にひびが入るくらいに背中を打ちつけられたのに全然動じなかったし、カーチェイスの末に車が5回転くらいしてクラッシュしたのにほぼ無傷だったしで、たいがい人間離れしたタフさですよね。おまけにカーチェイス自体、リドラーの仕組んだミスリードでペンギンが追われる必要が全然なかったという展開もかなりイイ感じです。そりゃ「バッキャロー!!」って叫びたくもなりますわ。でも、その翌日くらいには何食わぬ顔でファルコーネ親分のビリヤードに付き合ってるんだもんねぇ……丈夫すぎ!!
ところで、今作でペンギンの手下として登場した、あのアイスバーグ・ラウンジの用心棒の双子(演・チャーリー&マックス=カーヴァー)は、バットマン世界のヴィラン「トゥイードル=ディとトゥイードル=ダム」のリブートという解釈でよろしいのかしら? ちょっと、つるんでるヴィランが違いますけどね。マッドハッターも映画に出てきてほしい~!
5、ゴードンも、いいよな~!!
ノーランバットマンでは、若いころのブルース少年との交流や、妻子持ちの家庭生活などもリアルに描かれたゴードン警部補だったのですが、『 THE BATMAN』では、ひたすら職務に徹する公僕の鑑に。信頼感あるなぁ。
善行にしろ悪行にしろ、ともかく常軌を逸したスケールとスピードで突っ走る人ばっかりのこの作品世界の中で、ただ一人、常識的な感覚と判断力を保ちながら物語の潮流に必死にしがみついてくるゴードンの存在は、観客にとって実に大切なジェットコースターの乗り物的役割を果たしてくれます。さすがに今回はバットモービルに乗せてはもらえなかったけど。
また、自分のメールアカウントから市長のスキャンダルを告発するタレコミ情報を送信させられたり、バットマンを助けるためにバットマンにぶん殴られたりと散々な目に遭うゴードンなのですが、そのたびに見せる「勘弁してよ……」という苦虫をかんだような表情が、非常にキュートで笑いを誘いますね。かわいそうなんだけど、なんかおかしい。ジェフリー=ライトさんは本当に良い俳優さんです。
汚職まみれの上司と、わけのわかんないコスプレ自警野郎との板挟みに悩むゴードンさん……がんばれ!! 少しはドラマ『 GOTHAM』みたいな甘いロマンスもあるといいね!
6、そして……ひたすら期待値の上がりまくる「となりの囚人」!!
シルエットで横顔が見えるだけだったけど、あの前髪の逆立ったヘアスタイル……あれはまさしく、原作コミックの歴史的傑作『キリングジョーク』(1988年)や、さらにその上を行く神話的傑作『アーカム・アサイラム』(1989年)における「彼」のビジュアルにそっくりだぞ!! ウヒョ~本格登場が楽しみすぎる。バリー=コーガンさんも大変だろうけど、がんばってね!!
余談ですが、彼が冗談を言って人を笑わせるシーンって、原作ではそれこそいくらでもあるけど、映像化された1989年以降の作品ではかなり少ないんですよね。ニコルソンジョーカーとジャレッドジョーカーは恐怖する相手を見て笑うのが好きみたいだし、ヒースジョーカーは人を笑わせることなんかそっちのけで自分が大笑いできることを探してるだけ。そしてホアキンジョーカーにいたってはジョークを言う才能がゼロというおそろしさです。
そんな中で、ちょっとの出番だったにしても、リドラーになぞなぞ形式の冗談を言って大爆笑に誘うというお手並みの鮮やかさは、今までのどの実写ジョーカーよりも知的に見えますね。今のところ『 GOTHAM』のキャメロンジョーカーのような粗野で下品な感じもしないし、かな~りいい感じの「ちょっと見せ」にしていると思います。
本格的な活躍は、いつになるのかな!? それまでは私もあなたも死ねませんね。
他にもいろいろ言いたいことはあるのですが、ともかく、約3時間というとんでもない尺でありながら、ここまで緊張感のある傑作にしおおせるのはとてつもない手腕ですよ。水もしたたるマット=リーヴス監督の『 THE BATMAN』次作を、首を長~くして待ちたいと思います。楽しみにしてますよ~いっとな!!
それにしてもゴッサムシティ、雨降りすぎだろ!! 靴下いくらあっても足りんわ……
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