長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

これは……『仮面ライダー』の原型、なのかな? ~岡本喜八 映画『殺人狂時代』(1967年)~

2024年03月10日 14時11分02秒 | ふつうじゃない映画
 みなさま、どうもこんにちは! そうだいでございます。
 なにかと忙しい年度末、みなさまいかがお過ごしですか。私の住んでいる山形は、冬がなんだか遅くズレ込んで始まったような感がありまして、年が明けてからやっと雪が積もって冬らしくなったかと思ったら、3月も半ばになろうかという今になってもなかなか暖かい日がやってこない、不思議な季節になっております。おかげで花粉症のスタートも遅くなっているようなのでそれはありがたいんですが、ひな祭りだ卒業シーズンだと言っても春めいてこないのは、なんだかねぇ。

 さてさて今回の記事は、ず~っと前から取り上げたいなと思っていた、ある昔の映画の話題であります。日本の中でも『吸血鬼ゴケミドロ』(1968年)とか『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(1969年)とか『太陽を盗んだ男』(1979年)とか、「伝説のカルト映画!」と称される映画作品はあまたあるのですが、この作品もまた、栄光あるカルト映画の殿堂に悠然とその座を占める名作であると言えますね。そんな殿堂、行ってみたいようなみたくないような……


映画『殺人狂時代』(1967年2月公開 モノクロ99分 東宝)
 『殺人狂時代(さつじんきょうじだい)』は、1967年に公開された東宝製作の日本映画。
 もともとは日活で映画化されていた企画だったが諸般の事情で没となり、その権利を東宝が買い取って、小川英・山崎忠昭による日活時代のシナリオを渡された岡本監督が手直しを加えて撮影し、1966年にいったん完成した。しかし東宝上層部の判断により公開直前でお蔵入りとなり、翌67年に特に宣伝もされずにひっそりと公開された。併映にはあまり集客が見込めないドキュメンタリー映画『インディレース・爆走』(監督・勅使河原宏)が組まれ、また公開された時期が年間で最も客足が遠のく2月だったこともあり、結果として興行は東宝始まって以来の最低記録となった。監督の岡本も非常に落ち込んだという。
 しかし1980年代にリバイバル上映でされてからようやく評価され、今なおカルト映画として人気がある。作中、現在では放送禁止用語に指定されている単語がセリフとして飛び交うため、TVで放送されることはほとんどない。
 原作小説から主人公・桔梗の設定や後半の展開が変えられており、敵役の溝呂木の扱いが大幅に膨らんでいる。ド近眼でマザコンで偶然のように敵を倒していく桔梗と、奇抜なギミックを見せびらかしながら勝手に自滅していく殺し屋たちという喜劇的対決を速いテンポで見せ、残酷な殺人シーンで明るいカンツォーネを流すなど、ロマンティック・スリラーの演出が施されている作品である。
 ちなみに、岡本監督の歴史大作『日本のいちばん長い日』が公開されるのは本作公開の半年後の1967年8月。天本英世と並び称される岡本組の常連で稀代の個性派俳優・岸田森が岡本作品に初出演するのは、翌年の『斬る』からである。

あらすじ
 精神病院を経営する溝呂木省吾のもとへ、かつてナチス・ドイツで同志だったブルッケンマイヤーが訪れる。彼の所属するナチス残党の秘密結社は、溝呂木の組織する「大日本人口調節審議会」への仕事依頼を検討しているという。「審議会」は人口調節のために無駄と判断した人間を秘密裡に殺すことを目的としており、溝呂木は入院患者たちを、殺人狂の殺し屋に仕立て上げていたのだ。
 ブルッケンマイヤーは仕事を依頼するにあたってのテストとして、電話帳から無作為に選出した3人の殺害を要求した。殺害対象の1人として指名されたのは犯罪心理学の大学講師 ・桔梗信治。水虫に悩む冴えない中年男である。桔梗は自宅アパートで「審議会」の刺客・間淵に命を狙われるが、偶然にも返り討ちにしてしまう。警察にこの件を届けた桔梗だが、部屋に戻るとなぜか間淵の死体は消えていた。
 桔梗はたまたま知り合った雑誌『週刊ミステリー』の記者・鶴巻啓子、車泥棒の大友ビルと共に、桔梗を狙う「審議会」の刺客たちと対決することとなる。一方、ブルッケンマイヤーの言動に不審を抱いた溝呂木は彼を拷問し、実は目的が桔梗ただ1人であることと、その背景には第二次世界大戦中に紛失したダイヤモンド「クレオパトラの涙」の行方が絡んでいることを探り出すのだった。

おもなスタッフ(年齢は劇場公開当時のもの)
監督 …… 岡本 喜八(43歳)
製作 …… 田中 友幸(56歳)、角田 健一郎(47歳)
原作 …… 都筑 道夫(37歳)『なめくじに聞いてみろ』(旧題『飢えた遺産』 1961~62年連載)
脚本 …… 小川 英(36歳)、山崎 忠昭(30歳)、岡本 喜八
美術 …… 阿久根 巌(42歳)
録音 …… 渡会 伸(48歳)
音楽 …… 佐藤 勝(38歳)
編集 …… 黒岩 義民(35歳)
監督助手 …… 渡辺 邦彦(32歳)
技闘 …… 久世 竜(59歳)

おもなキャスティング(年齢は劇場公開当時のもの)
桔梗 信治  …… 仲代 達矢(34歳)
※映画版では「城南大学の犯罪心理学講師」という設定になっている
鶴巻 啓子  …… 団 令子(31歳)
大友 ビル  …… 砂塚 秀夫(34歳)
間渕 憲作(第1の刺客 トランプの殺し屋)    …… 小川 安三(34歳)
地下鉄ベンチの老人(第2の刺客 仕込み傘の殺し屋)…… 沢村 いき雄(61歳)
青地 光(第3の刺客 小松弓江の部下で鞭の殺し屋)…… 江原 達怡(29歳)
小松 弓江(第4の刺客 霊媒を自称する催眠術師) …… 川口 敦子(33歳)
第5の刺客 義眼の女殺し屋 …… 富永 美沙子(33歳)
第6の刺客 松葉杖の殺し屋 …… 久野 征四郎(26歳)
第7の刺客 レンジャー殺し屋ソラン  …… 長谷川 弘(39歳)
第8の刺客 レンジャー殺し屋パピィ  …… 二瓶 正也(26歳)
第9の刺客 レンジャー殺し屋オバQ  …… 大前 亘(33歳)
第10の刺客 レンジャー殺し屋アトム …… 伊吹 新(?歳)
池野(第11の刺客 ゴリラ男の殺し屋)…… 滝 恵一(37歳)
ヤス    …… 大木 正司(30歳)
ヒデの兄貴 …… 樋浦 勉(24歳)
『週刊ミステリー』編集長 …… 草川 直也(37歳)
バーのホステス …… 南 弘子(20歳)
咆える狂人 …… 山本 廉(36歳)
酒場の客 …… 西条 康彦(28歳)、阿知波 信介(26歳)、木村 豊幸(19歳)、関田 裕(34歳)
ルドルフ=フォン=ブルッケンマイヤー …… ブルーノ=ルスケ(?歳)
溝呂木 省吾    …… 天本 英世(41歳)

〈原作小説『なめくじに聞いてみろ』との相違点〉
・特殊技能を持つ殺し屋を養成した黒幕が、原作では桔梗信治の父・桔梗信輔であり、信輔は物語が始まる一ヶ月前に死亡している。
・原作の信治は山形県の山奥(桔梗信輔一家の戦時中の疎開先)から上京したばかりであり、アパートに入居しているが定職は無い。
・原作の鶴巻啓子は雑誌記者ではなく、調査会社「トオキョオ・インフォメイション・センター」の社員。
・原作での第1の刺客・トランプ使いの間渕との対決の場は、東京・世田谷区の遊園地・二子多摩川園(1985年に閉園)。
・原作の第2の刺客・仕込み傘の殺し屋は大竹という名前の長身の男で、スリの能力に長けた女マネージャーの妻がいる。
・原作では信治の協力者として鶴巻啓子と大友ビルの他にスリの名人の佐原竜子が登場する。
・原作での第3の刺客は、桔梗信輔が開発した殺人マッチを使用する占い師・弓削。
・原作での第4の刺客は、映画版の第6の刺客にあたる松葉杖の殺し屋・水野で、その死後は、水野の同性愛の恋人である美青年が復讐のために桔梗信治をつけ狙う。
・原作での第5の刺客は、映画版の第3の刺客に当たる殺人ベルト使いの柴崎。
・映画版の第5の刺客は、原作での第6の刺客(義手の女殺し屋)の設定と第9の殺し屋(眼帯の浮浪者)の殺人法がミックスされている。
・原作での第7の刺客は、殺人針の使い手のニセ刑事。
・原作での第8の刺客は、映画版の第4の刺客にあたる霊媒師の小松弓江だが、殺人の手法が違う。
・原作での第10の刺客は、毒入りカプセルの使い手。
・原作での第11、12の刺客は映画版の第12、13の刺客と同じ人物だが、どちらも殺人の手法が違う。
・原作での秘密組織「人口調節審議会」に所属している殺し屋は、第7、10、11、12の刺客の4名のみ。
・映画版の溝呂木省吾は、原作版の桔梗信輔と溝呂木とブルッケンマイヤーをミックスしたキャラクター設定になっている。
・原作版の溝呂木省吾は、上野の西郷隆盛像を想起させる大柄の男。


 いや~、ものすごい作品ですよ、これ。
 なんとなく、先ほど挙げたような他のカルト映画のみなみなさまと比べると話題に上る機会が少ないというか、インパクトが薄いような気もするのですが、ちょっと観てみてごらんなさいな。かなり面白いですよ~。
 まず、監督が岡本喜八さんということで、すでにかなりの高さのクオリティが確証されていることは間違いないのですが、この作品はあえて人の命を丸めたティッシュ程度の軽さにしか捉えていないといいますか、人間ドラマだのテーマ性だのと言った、本来ならば岡本喜八作品のキモにもなっている部分を気持ちいいくらいにポイっと捨てて、もう一つの喜八ワールドの特色である「映像テンポの軽快さ」に100% 全振りした内容となっています。
 ちなみに、私そうだいが一番好きな岡本喜八作品は『赤毛』(1969年)ですねぇ、やっぱ。キャラクターのマンガみたいな軽快さと、彼ら彼女らの運命の悲惨さのバランス感覚が奇跡的にすばらしいんです。結末、何回観ても泣いちゃう……
 余談ですが、岡本喜八監督ご自身は2002年まで現役バリバリで活躍されていたので(2005年没)、1980年代生まれの私からしてもリアルタイムに楽しめる映画監督だったのですが、映画館で観る機会はついに無かったんだよなぁ。いっつも TVの映画劇場かレンタルビデオかで……私の精神的成長が間に合わなかった! 喜八監督お許しを!!

 それで、くだんの『殺人狂時代』なのですが、いちおう蛇足を承知で注意させていただきますと、ある意味で喜八版よりも毒味の強いチャールズ=チャップリン主演・監督の同じ邦題の大問題作『殺人狂時代』(1947年)とは全く関係がありません。チャップリン版もものすごい伝説の一作なんですけどね……これには、タイトルが似ているということで『黄金狂時代』(1925年)と同じ捧腹絶倒のノリを期待してワクワクしながら視聴した小学生時代のそうだい少年も度肝を抜かれましたね。喜劇王、こわすぎ!!

 脱線した話を喜八版『殺人狂時代』に戻しますが、そもそも、私がどうしてこの作品を気にするようになったのか、その経緯を話します。

 つい最近のことなのですが、私はどうして、庵野秀明さんの一連の「シン」作品群に対して「なんか、みんなおんなじだなぁ。」という感覚を持ってしまうのかを考えていました。『シン・ウルトラマン』(2022年 庵野さんは脚本担当)しかり『シン・仮面ライダー』(2023年)しかり。もっとさかのぼれば『キューティーハニー』(2004年)の頃から感じていた既視感です。

 これらの作品に共通する要素はなにか。その答えは、「悪役の逐次投入パターン」の、悲劇的ともいえる遵守っぷりです。哀しい!!

 なんで悪の組織とか悪の親玉って、自分の手ごまを1コ1コ、個別に完成し次第投入しちゃうんだろうか。週1くらいのペースで新作改造人間か怪獣が作れるんだったら、1~2ヶ月くらいストックをためてみて、7~8体いっきに正義のヒーローにぶつけた方がいいんじゃなかろうか!?

 これ、特撮ヒーロー番組を観たことのある人だったら、誰でも2~3話観ていれば思いつく作戦なんじゃないのでしょうか。でも、悪の組織のえらい、もしくは頭のいい人達は、ついぞこの戦法を採用したためしがない! なぜなぜ Why ヴィラン・ピーポー!?
 そのくせ、一回ヒーローに負けた手ごまは、だいぶ後に思い出したようにまとめて再生させてドバドバっと出してはくるのですが、この「一回負けている」という点が大きくて、ヒーローに対する脅威度はびっくりするくらいにゼロに近くなってるから覆水盆に返らずですね。戦法の知りようのない完全新作をぶつけなきゃ、いくら束にしたって意味無いんですよう! 改造ベロクロンⅡ世、My Love!!

 わからない……悪の組織や悪の親玉は、なぜそんな、自分たちの勝算を限りなく低くする戦略しかしないのでしょうか。特撮ヒーロー番組やアニメにうとい私の記憶にある限り、手持ちのコマを全部いっきに投入する作戦を実行したのは『機動戦士ガンダム』のコンスコン少将くらいかと思うのですが、どうしてその手を使おうとしないのでしょうか……ま、コンスコン少将もボロ負けしてたけど。

 これはもう、悪の組織の首領が「わざとその戦略(全戦力の投入)を採用していない」としか言いようがないですよね。
 その理由としては、まぁぶっちゃけてしまえば「ヒーローが負けたら番組が終わっちゃうから」という身もフタもない大哲理が内在しているからではあるのですが、あくまでフィクションの世界の中での理屈としては、「悪の組織の内部で幹部クラス同士の足の引っ張り合いがある」とか、「首領がヒーローのある程度の成長を『実験観察』として望んでいる」とかいう、複雑な事情が絡んでいることが多いようです。なりほど。

 さてさて、そしてお話は庵野さんの諸作に戻るのですが、私が先に挙げた3作を例に取りますと、必ずしも全てに「明確なラスボス」が存在しているわけでもなさそうなのですが、ポツ、ポツ、と単体の敵キャラが個別に主人公に襲いかかるという流れが頑ななまでに一貫しています。そもそも、庵野さんの作品ということで言うのならば『新世紀エヴァンゲリオン』からしてそうであるわけなのですが。

 この流れ、週1放送という形式のある TVシリーズならば話もわかるのですが、90~120分くらいのひとつのまとまりになっている映画作品でこの形式を踏襲するのって、一体どういう了見なのでしょうか? これはおそらく、TV番組という形式が生まれる以前からすでに「敵キャラの逐次投入」という文法が、フィクションの世界で存在していたからなのではないのでしょうか。

 とすれば、それはもう「連載小説」というか「続きもの小説」の盛り上がり&ひっぱり演出として逐次投入法が開発されていたとしか考えられません。
 そうなると、『仮面ライダー』や『ウルトラマン』に代表される「週1敵キャラ登場の法則」の起源が、本作の原作である都築道夫の連載小説『飢えた遺産』(のちに『なめくじに聞いてみろ』に改題)で如実に提示されている「1回のエピソードで異常な殺人法を持つ殺し屋が1人登場する」というパターンにあることは、メディアこそ違えどもエンタテインメントのあるジャンルの系譜として、まったく理の当然であるわけなのです。なるほど、昔のエンタメの主戦場だった新聞や雑誌が、昭和中期に TVに変わっていったことの一つの表れであるわけですし、その過程の中で双方に変換しうる別エンタメ=映画作品として、この喜八版『殺人狂時代』も生を受けたということなのですな。わかりやすい!

 もちろん、『飢えた遺産』が「敵キャラの逐次投入」パターンの始祖であるわけはなく、もっとずっと昔から、その形式にのっとったフィクション作品は世界中に存在していたはずです。今パッと思いつくだけでも、連載小説で言えばまず山田風太郎の『甲賀忍法帖』(1958~59年連載)から始まる「忍法帖シリーズ」の異能忍者敵キャラの百花繚乱ぶりははずせませんし、「ヘンな敵キャラが出てくる奇想天外な冒険物語」という特色で言うのならば、イギリスの小説家イアン=フレミングの「007シリーズ」(1953~64年 12の長編小説と2つの短編小説集)の世界的大ヒットを無視するわけにはいきません。本人はもちろん生身の人間であるのですが、明晰な頭脳と精力的な肉体、そしてムンムンにただよう「英国紳士の色気」で八面六臂の大活劇を演じる国際的凄腕スパイ・ジェイムズ=ボンドの存在感は、明らかに日本の正義のヒーローたちに通じる「ロマン」を漂わせているような気がします。
 ちなみに、喜八版『殺人狂時代』が制作されたのは1966年だということなのですが、その時点で「007シリーズ」はご存じの通り、初代ボンドことショーン=コネリーの主演で4作制作されており、当然、ボンドをつけ狙う世界規模の悪の秘密組織「スペクター」もすでにしっかりと映像化されております。スペクター!! 本作の溝呂木省吾ひきいる「大日本人口調節審議会」とか『仮面ライダー』のショッカーの直系の先輩ですよね。

 こういったことをずらずらっと時系列順にならべてみますと、まず、当時「ヘンな敵キャラを各個撃破していく正義のヒーロー」という形式のエンタメ作品が確立、ヒットしていたことがよくわかります。そして、すでにジェイムズ=ボンドという正攻法のスーパーヒーローが世界を股にかける大成功を収めている状況であった以上、スリラー冒険小説『飢えた遺産』を映画化するにあたり、主人公・桔梗信治を、原作通りにわりと序盤で相当な腕を持つ殺人術の達人という正体をバラしちゃう路線を「とらなかった」喜八監督のアイデアは、全く無理のない判断であると言えるのです。それじゃあまんま、ボンドや、本来この作品が映画化されるはずだった日活アクション映画のヒーロー系主人公の後追いになってしまいますからね。
 その結果、喜八版の桔梗信治には、都会のおんぼろアパート住まいの冴えない大学講師というオリジナル設定が付け加えられたわけなのですが、演じたのが魅惑の低音ボイスびんびんの仲代達也34歳ということもありまして、後半でコネリー・ボンドもかくやというスーパーヒーローっぷりを開放してくれます。
 でもまぁ……正直、前半のダメ講師・桔梗という設定は、現に襲い来る異常な殺し屋集団を「偶然のてい」であるにしても右に左にいなして返り討ちにしてしまっているので、「どうせ仮の姿なんでしょ」という後の展開がバレバレな感じになっていますので、意外性はそんなには無いというか、喜八監督がわざわざ脚本に取り入れる程効果的に機能しているようには見えません。単純に、言動がもっさもっさしている主人公はテンポが悪いし……

 余談ですが、このように物語の構造の部分では山田風太郎エンタメ小説や007シリーズの系譜を引き継ぎ、のちの『仮面ライダー』へとつながる位置にある本作と原作小説なのですが、「抜けたところもあるが異性にも同性にもやたらとモテるヒーロー」という主人公の魅力的なキャラクター造形という点で言えば、これは明らかに、本作の形ばかりの劇場公開後の約半年後にマンガ連載の始まった、あの『ルパン三世』(原作モンキー・パンチ)の先輩にもあたる作品なのではないでしょうか。ひゃ~、私の「怪獣」ジャンル以外で好きな作品が、ぜ~んぶこの作品をジャンクションにしてつながっちゃってるよ!! ただし、「(演技ではあるのだが)まぬけなヒーロー」という桔梗信治の属性は原作小説版ではなく喜八版オリジナルの設定で、その反対に喜八版ではヒロインが1人であるのに原作小説版では信治をめぐって2人の魅力的な女性がバチバチするということでモテ要素は原作版の方が強いので、ルパン三世ほどキャラクターがはっきりしているわけでもありません。でも、そう考えるとおんぼろ自動車を乗り回し、男女の相棒を連れて夜の街を駆ける仲代達也の姿がルパン(緑ジャケットの1st 版でしょう)のように見えてくるのも不思議ですね。髪の毛も、長くも短くもない微妙なヘアスタイルだし。

 そして、喜八版のもう一つの大きな変更点は何と言っても、桔梗信治と対決する「ラスボスが誰か」という点です。これはデカいぞ!

 映画版の大ボスは言うまでもなく、自身の経営する精神病院への入院患者をナチス・ドイツ仕込みの殺人哲学で異常な殺人法を習得した「大日本人口調節審議会」の所属殺し屋に養成してしまう院長・溝呂木省吾なわけなのですが、ネタバレぎりぎりで言っちゃいますと、溝呂木は大ボスであって「ラスボス」ではありません。この、「首領を倒したはずなのに、まだ刺客が!?」という意外な展開が、推理小説家としての原作者・都築道夫の面目躍如といった感じでいいですね。
 その流れで映画版の中で桔梗に襲いかかる刺客は溝呂木も含めて「13人」ということになるのですが、上の情報でまとめたように、原作小説『飢えた遺産』における異常な殺し屋集団の「開発者」は溝呂木とは全く別の人物(桔梗信治の父)で、しかもその人物は物語が始まった時点ですでに死亡している……というか、その人物が死亡したことで『飢えた遺産』の物語が始まるというシステムになっているのです。その設定がある上で、原作小説でも溝呂木省吾と「人口調節審議会」はいちおう別に登場するのですが、溝呂木はあくまで殺し屋の中の一人でしかなく、審議会も溝呂木が結成したきわめて自己満足的な美学にのっとった小規模な集まりでしかありません。

 要するに、原作『飢えた遺産』の主人公・信治は、あくまでも自分や12人の人間を、社会の裏街道でしか生きることのできない異常者に変えてしまった父の「遺産」を消去しようとする個人的な「遠回しの復讐者」でしかなく、そもそも元凶たる首領(父)が死んでいる以上、どうしたって信治が完全勝利することはできないという、きわめてビターな結末が待っていることは間違いないわけです。
 ここらへん、一連の事件の元凶が死んでいるという「死に逃げ」パターンは他のフィクション作品でもたま~にある設定なのですが、有名なところでは『犬神家の一族』もある意味でそうでしょうし、もっとわかりやすいもので言えば映画『機動警察パトレイバー』の第1作目(1989年)の天才プログラマー・帆場暎一なんか、もろにそうですよね。
 そして、庵野さんの作品で言えば『シン・仮面ライダー』でもその設定が踏襲されている感はあるのですが、人間としての首領本人は死んでるっぽくても、その遺志を継承した存在がちゃんといるらしいので、必ずしも「死に逃げ」とは言えない中途半端さがあると思います。なんか、その煮えきらなさが続編制作への未練みたいで、あんまりスマートじゃないですよね。

 それはともかくとして、そういった感じで主人公の極私的かつ不毛な復讐の物語として、軽快な中にもある種のほろ苦さをたたえていた原作小説に対して、喜八版は「稀代の異常俳優・天本英世」を生きた悪の組織の首領に持ってくることによって、非常に単純明快で映画的な「異常 VS 異常」の一大ページェントに変容させることに成功しおおせたのではないでしょうか。苦味なし! 観終わった後に残るものも一切ナシ!!

 いや~、この映画をカルトたらしめているのは、やっぱ天本さんの演技とも言えないリアルな狂気演技、これしかないですよね。
 だいたい、「殺し屋たちが精神病院の院長に調教された患者」っていう、この令和の御世ならば口にしただけでお縄をちょうだいしそうなムチャクチャな設定だって、原作小説にはどこにもない喜八オリジナルだからね!? 別に都築道夫さんの原作小説にお蔵入りになる原因があるわけじゃないんだからねっ。

 天本さんの活き活きとした悪人演技。もうこれだけを楽しむ映画ですよね、最高です……最高にイカレてます!!
 わかりやすく言うのならば、「死神博士じゃなくて地獄大使系アッパー悪の幹部を演じている天本さん」って感じになりますかね、喜八版の溝呂木省吾って。でも、なんたって天本さんなんですから、とにかく植物系の色気がハンパない! ファッション、持ち物、語り口、すべてに完成されすぎた漆黒の美学がゆきわたっているのです。くをを~♡
 演じているのが死神博士の天本さんで、スペインのフラメンコのように情熱的に自身の殺人哲学を語る熱っぽさは地獄大使のようで、しかもその前歴はゾル大佐も所属していたナチス・ドイツに通じているというのですから、喜八版の溝呂木はのちの『仮面ライダー』のショッカー3大幹部のよくばりセットみたいなキャラクターですよね! あれ、ブラック将軍は……?

 いろいろくっちゃべっているうちに、いつものように字数もかさんできましたのでそろそろおしまいにしたいと思うのですが、この喜八版『殺人狂時代』は、特撮ヒーロー番組の主人公サイド……ではなく「悪の秘密組織サイド」が大好きな方ならば、絶対に観て損はしない作品だと思います。確かに、喜八監督作品の中ではやや軽さが過ぎるいびつな作品だし、登場する人物たちは別に特殊能力を持ったスーパーヒーローでも人体改造を施されたミュータントでもないのですが、ともかく「俳優業そっちのけで自分の好きなことに邁進している人」がいる映画が、どれだけ楽しそうに見えるのかがよくわかる好例なのではないでしょうか。こんな英世みたことない!! 死神博士とか『 GMK』とか『平成教育委員会』とかだけで記憶されるべきお方ではないのです。すごいよ~。
 あと、ライダーライダーと言っていますが、あくまでもこの映画は東宝作品ですので、ウルトラシリーズで顔なじみになる俳優さんがた(一平ちゃんの西条康彦さん、イデ隊員の二瓶正也さん、ソガ隊員の阿知波信介さん)がチラッと出てくるのもお得ですよ。阿知波さん、完全なる一発芸キャラを楽しそうに演じちゃってるよ! 阿知波さんに限らず、この映画「とりあえず勢いで。」が多すぎるのよ……

 喜八版『殺人狂時代』は、ほんとに時代のあだ花と言いますか、1960年代中盤の日本の狂騒的なまでの活況ぶり、混乱っぷりを、低予算ながらもバッチリ記録した作品になっていると思います。同じ喜八監督の『日本のいちばん長い日』とか、同時代の黒澤明監督作品とかのウェルメイドな大作のみで昭和を振り返るばかりでなく、たま~にこういうバロック(ゆがんだ真珠)をめでてみるのも一興なのではないでしょうか。

 監督、俳優、時代、全てが若い!! そのエネルギーの奔流には、公開後半世紀以上が経っている令和の現代でも、見る人の心をつかむ魔力があると思いますよ。

 ま、倫理的には3アウトどころか即刻試合中止レベルの作品ですけどね……デンジャラ~ス!!

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