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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

あらためて立ち返ろう読書メモ 小説『帝都物語』8 まとめまとめ~!

2025年04月30日 21時56分19秒 | すきな小説
≪『帝都物語』の各巻についてのあれこれ、第1・23・45・1112・67・89・10巻は、こちらで~い。≫

 え~、というわけでありまして、『帝都物語』全12巻を2025年の今ごろになって唐突に再読してみた、感想のまとめでございます。
 つってもまぁ、そんなに大きな話をするでもなく、今までの各巻感想で言わなかったかな~、みたいな拾遺をぶつぶつつぶやくのと、この企画を「これからどう進めていくのか」を言っときますか、みたいな程度の雑文なんですけどね。

 今までも何度か語ってきたのですが、私にとっての『帝都物語』とは、最初はまったく「意味の分からない不気味なもの」としか言いようのない異物でした。

 それは別に、私が『帝都物語』がキライだったとかいう話ではなく、『帝都物語』の小説完結から実写映画版第2作『帝都大戦』公開までという1987~89年くらいの大ブームが到来した時に小学生低~中学年くらいの山形のガキンチョだったから全然理解できなかった、ただそれだけの話でした。
 別にゴジラみたいな大怪獣が出てくるわけでもないんだけど、家のお茶の間で大人たちが観ているような会話だけのつまんないドラマとは「明らかに何かが違う物語」が、なんかやたらとコマーシャルで流れてくる。その画面の中央にいるのは、これまた別に『仮面ライダー BRACK』のゴルゴム怪人みたいにゴテゴテしたスーツを着ているわけでもないんだけど「特殊メイク無しでもめちゃくちゃ怖い軍服おじさん」……そして、空から舞い落ちてきた五芒星の紙が、あっという間にくしゃくしゃっと丸まって漆黒のカラスに変化したり、我が家の菩提寺の山門に控えている仁王像みたいな巨大な仏像がゴットンゴットン歩き出して、なぜか TVで「いらっしゃ~い♡」と言ってるはずの落語家さんを追いかけ回したりしているという、理解不能な謎映像ラッシュ!
 まぁ、2時間前後もある映画本編を観れるわけのない当時の私は、TV番組内のプロモーションで流される数秒刻みの紹介映像でしか知り得なかった『帝都物語』だったのですが、それでも瞬時に脳みそがパンクするほどの混乱をもたらす異様な新世界だったのでした。大人ドラマのようでそうでもなく、子ども向け特撮のようで怪獣もヒーローも出てこない第3の世界……思えば、私が人生の中で「特撮技術の奥行きの広さ」を知った初めての出会いが、断片ながらもこの『帝都物語』とも言えたのです。『レイダース』(1981年)とか『ゴーストバスターズ』(1984年)とかの海外 SFX映画とも明らかに違う、もっと土臭く距離感の近い、恐ろしさと親しみの同居した世界。

 こんな感じで、『帝都物語』との最初の出会いは、あくまでも印象論だけの話に留まるものだったのですが、改めて本格的に小説としての『帝都物語』に挑戦することとなったのは、私が高校生になるかならないかの1995年のことでした。
 思い起こせば1987~89年の『帝都物語』ブームも、60年以上続いた「昭和」の終焉という大きな変動の起こった時期だったのですが、その『帝都物語』が角川文庫から「合本新装版」となってリニューアル再版された1995年もまた、1月の阪神淡路大震災に3月の地下鉄サリン事件そしてその後のもろもろ……と、これでもかというほどに日本が揺れに揺れた激動の時期でした。
 その1995年すなはち荒俣先生が「危ないぞ!」と警告していた「亥の年」に、田島昭宇のエログロカッコいいカヴァー絵で装いも新たに復活した『帝都物語』6冊(+『外伝』♡)にドズッキューンと胸を射抜かれた詰め襟学生服姿の当時の私は、一も二もなく7冊ぜんぶを購入してイッキ読みをしたのでした。5、6年前のあの時、いたいけな私をドン引き&恐怖せしめた、あの「カトーなにがし」とかいう顔の長い怪人の正体は一体なんなのか、それをこの目で確かめてやろうぞと!

 そうしたら、あーた、どうですか……そんなおっかなびっくりの期待に胸をふくらませた私の眼前に広がった原作小説『帝都物語』の世界はなんとまぁ、

・映画になっていたのは全体の3分の1ほど
・序盤の加藤保憲が拍子抜けするほど人間っぽい
・『帝都大戦』の内容が小説(『ウォーズ篇』)とぜんっぜん違う
・三島由紀夫とか全共闘とか……よくわかんない時代が出てくる
・物語が途中から近未来SF にとんでってしまう
・なんか、最近お薬で逮捕されたはず(当時)の人が堂々と「ナントカ大宮司」みたいな重要な役どころで大活躍する

 という、一つとして私が想定しえなかった展開を見せる異様な内容のオンパレードとなっておりまして、私はもう完全にノックアウトされてしまいました……少年時代とはまた違う意味で、私の脳みそは再びあえなくショートしてしまったのです。2アウト~!!

 なな、なんじゃこの世界は!? なんつうかその……自由すぎる!!

 ちょうど小説版をウンウンうなりながら読んでいたその頃、私は TVの衛星映画劇場や町のレンタルビデオ屋さんで実写映画版の2作(と、あの『外伝』……)も初鑑賞していたのですが、まぁ映画もたいがい自由なのですが、映画制作スタッフが自由にやりたくなる気持ちも分かるほどに、小説がまず自由奔放すぎるのです! 歴史伝奇ものかと思ったら戦争ものになる、かと思ったら風水ミステリー、エロティックホラー、政治闘争、国際謀略、宗教戦争、近未来SF へと変幻自在……こんなんまともに映画化なんかしてられっかと!!
 これほどにムチャクチャな原作なので、全編映像化などという無謀には走らずに、歴史ファンタジーやガチホラーなどに照準をぎゅぎゅっと絞って映画化した判断は、それはそれで正しかったのかも知れません。ま、それが興行映画として成功したのかどうかは別問題ですが。

 とにもかくにも、映像化された諸作品のヤバさや、嶋田久作さん演じる不世出のヒールキャラクター・加藤保憲の有無を言わせぬ悪のオーラをはるかに超えるレベルでデンジャラスだった原作小説の全容に触れてしまった私は、なかば封印するような形で『帝都物語』を忌避するようになってしまいました。こんなジャンルの形容もできないような破天荒な小説は認められない、これは邪道だ! おのれの度量の狭さを認められなかった青年の短慮ですね。若さゆえの過ち……認めたくないものです!
 それにしても、あんなとんでもない作品を恥ずかしげもなく世の中におっぴろげた荒俣先生が、さも「小説界のオーソリティで良識派文化人の代表」であるかのような顔をして、ご意見番ポジションにドデンと座っている TV界って、いったい……当時の私は、そこらへんの不可解さにも困惑してしまっていたものでした。また先生、なんの害毒もなさそうな温厚な顔でいっつもニコニコしてるからよけいに始末が悪いんですよ!! 一体、書斎ではどんな顔をして辰宮由佳理をヒーヒー言わせる展開をつづっていたというのでしょうか……鬼! 悪魔! 腹中虫げろげろ!!

 まぁまぁ、そんな経緯がありまして、従来の枠にとらわれない『帝都物語』の世界を認められなかった、認めたくなかった私は、その後もず~っと、これを異端の文学としてタブー視していたのです。ミステリーならミステリー、ホラーならホラー、ロマンスならロマンスとジャンルをはっきり規定したうえでの名作こそが王道ではないか!と。

 だが、しかし。

 荒俣先生が『帝都物語』で創造した魔人・加藤保憲は、お話がちゃんと完結したというのに、その後何度となく復活してくるのです。『帝都物語』の枠を超えて、荒俣先生の筆を超えて、小説を超えて、時代を超えて!

 『帝都物語』の前段となる荒俣先生の小説『帝都幻談』(1997年)、『新帝都物語』(1999~2001年)、『帝都物語異録』(2001年)。
 荒俣先生が原作や製作総指揮を担当した映画『妖怪大戦争』(2005年)『妖怪大戦争 ガーディアンズ』(2021年)
 そして、ついに荒俣先生の筆からも解き放たれてしまった、京極夏彦の大長編妖怪小説『虚実妖怪百物語』(2016年)……

 いくら『帝都物語』を忘れようとしても、いくら世間に『帝都物語』の最終『復活篇』まで読みきって内容をちゃんと記憶し続けている人が少なくても、あの異様にインパクトの強い痩躯軍服の魔人は何度でも蘇り、『帝都物語』の正統な世界線ではないはずの現代社会をおびやかすラスボスの座に舞い戻ってきてしまうのです。なんじゃコイツ~!?

 だってそうですよね、ほんらい加藤の活躍するはずの世界の日本は、昭和六十一(1986)年の三原山噴火の直後に関東地方で大規模な噴火と地震が連鎖的に群発して荒廃し、1989年になっても昭和が終わらない日本なのです。
 それがまたどうして、時空を超越して私たちが曲がりなりにも平和に暮らしおおせているこちらの世界線に、平気な顔してやって来られているのか……よく考えてみたら、あの『ゲゲゲの鬼太郎』で鬼太郎が一度しか使わなかった超絶秘技「先祖流し」を喰らっても、1~7000万年(振れ幅よ)の時を超えて現代に帰ってきた(自称)妖怪総大将ぬらりひょんサマと同じくらいデタラメ&ロケンロールな勢いで、21世紀の日本サブカルチャーにしぶとくしがみついているわけで、これを可能にする加藤保憲の規格外のキャラクター性と人気には、正編『帝都物語』の好き嫌いなど問答無用で瞠目せざるを得ない説得力がそなわっているのです。

 こういう時代を超えるキャラクターについて考えてみますと、文化史的にみれば、この加藤保憲は「昭和最後の名ヒールキャラ」と言えるのかもしれません。ここ、今は「ヒールキャラ」とか「悪役」と表現するよりも「ヴィラン」と言った方が通りが良いのかもしれませんが、それだとなんだかアメコミの軍門に降ってしまうような気がするので、ここは「ヒールキャラ」で通させていただきます。ジョーカー、ペンギン、なにするものぞ!! でも実は、『バットマン』にも「 Dr.ダカ」っていう日本人のヴィランがいたらしいんですけどね(1943年の実写映画版)。

 同じように、その頃つまり昭和末期~平成初期に人気になってその後も2020年代現在まで知名度の衰えを知らない人気ヒールキャラといいますと、私はやっぱり『それいけ!アンパンマン』のばいきんまんとホラー小説『リング』発祥の山村貞子大姐さんをすぐさま連想してしまうのですが、ばいきんまんは1970年代後半のミュージカル公演あたりから原型となるばい菌キャラが登場してきて1988年に開始したアニメ版でキャラクターが完成したとのことなので、まぁだいたい加藤保憲の同期かやや先輩といった関係のようです。いや関係ねぇけど。
 貞子大姐さんは、我が『長岡京エイリアン』でもさんざん扱っているように、作中での生年は昭和二十二(1947)年ではあるのですが、原作小説が平成三(1991)年の出版なので、こちらは加藤のすぐ下の後輩で「平成最初の名ヒールキャラ」ともいえるかも知れません。怨霊とヒールキャラとでは、また意味合いが異なるのでしょうが……
 余談ですが、この貞子大姐さんもまた、その出生や家庭環境に「三原山」や「役小角」がむちゃくちゃ関係してくる方なので、そういう点でも、加藤保憲とはちょっと縁浅からぬ間柄にあるのかも知れませんね……おおっ、まさかのコラボ企画クル~!?

 ただ、加藤保憲と山村貞子さんとでは、「原作小説を読んでない人でも知っているくらいに有名な架空のキャラクター」という強力な共通項を持っていながらも、ここはだいぶ違うぞという差異がありまして、それはやはり「依り代」としての生身の俳優さんの重要度の割合だと思うんですよね。
 つまり、貞子さんはホラー映画のキャラである特性から「ここぞという時まで顔を隠している」という外見上の特徴がありまして(原作小説ではそんなこと全然ないのですが)、そのために「どの女優さんが演じていても黒髪&長髪の痩せた女性だったら貞子」という記号化が進んでいるのです。だからこそ、貞子さんは1995年の三浦綺音さんによる実写化いらい2022年の最新映画『貞子 DX』にいたるまで、非常にフットワーク軽くひんぱんに復活することができているのです。「この人が演じないと貞子じゃない」という定型イメージがないことが強みなんですね。だからマウンドから103km の速球を投げることもできるのか……

 しかし、こと加藤保憲に関しては、こうもいかないのは周知の事実かと思います。嶋田久作さん以降、加藤や加藤に準ずる人物を演じた他の役者さんとしては西村和彦さん、豊川悦司さん、神木隆之介さんがいるのですが、この中で出番の最初から最後まで加藤を演じているのはトヨエツさんだけですし、そのトヨエツさんも……嶋田さんの足元にも及ばない感じでしたよね。まぁ、それは作中の加藤のテンションが低かったことが主な原因なのですが。
 やはり、「将門覚醒!帝都壊滅!!」という余人の理解しがたい夢を持って猛スピードで疾走する加藤を演じるには、1988~89年の嶋田さんくらいの異物感とツバとばしまくりの沸点が不可欠なのではないでしょうか。かといって、とっくの昔に加藤を卒業していぶし銀の名優の年輪を深められておられる嶋田さんに再登板していただけるわけもなく、この点で加藤保憲の映像面でのイメージ更新はかなり難しく、あくまでも『帝都物語』前半の数巻か、それを映画化した作品の記憶を元にした派生に限定されているのです。屍解仙バージョン以降のぷりっぷりヤング加藤を映像化しようなんて話は……私が生きているうちにおがめることは、ないでしょうねぇ。

 いや、新たな俳優さんによる加藤の復活が不可能というわけでもないのでしょうが、やっぱり比較対象があの頃の嶋田さんになっちゃうと大変ですよね……それにしても、初映画化の前に荒俣先生がイメージしていたという立花ハジメさんとか、キャスティングの時点で映画会社側が加藤役に推していたという小林薫さん(実相寺昭雄監督の証言より)のような知的でクールそうな二枚目が順当に演じなくて、本当に良かった! そういえば、それからはるか後の昨年2024年の映画『陰陽師0』で小林さんが嶋田さんと並んでああいう役を演じていたのも、なにかの因縁かもしれませんね。それにしても、お2人とも歳とったな~。

 とにもかくにも、現在に至るまでこういった派生作品の広がりを見せている『帝都物語』の世界ですので、何を言いたいのかといいますと、


『帝都物語』12巻を読んだくらいで加藤をわかった気になるなんて、おこがましいとは思わんかね……


 ということなんですな! ヒエ~私の脳内の本間丈太郎先生、は、ははは、まさかそんなこと思うわけないじゃないっすかぁ~!!

 いやいや、ダミよダミダミ!! 派生作品ぜんぶ読まなきゃ加藤保憲の全貌なんずぁつかめねぇっぺよぉ~。
 もちろん原点となった聖典『帝都物語』をおさえることは大前提です。そうではあるのですが、「それだけ」でおしまいにできないのが、時空を超えて出没しまくる魔人・加藤の恐ろしいところなのです。本体だけが加藤ではない、分身もまた、すべて質量をともなう実体と化しているのだ!!

 注意セヨ、「昭和七十三年」のあの最終戦争の世界線から逃れて、魔人・加藤が映画『13日の金曜日8 ジェイソン N.Y.へ』のごとく襲来していることは間違いがないのです! 大変だ、早く全作品チェックしないとサウナであっつい石をぐりぐりされちゃうぞ!!

 ……みたいな感じの流れで、これからは執筆発表順にあわせまして、『帝都物語』から派生していった荒俣先生の小説諸作品、それと京極夏彦の『虚実妖怪百物語』を読んでまいりたいと思います。映画の2作はむか~しに「ぬらりひょんサーガ」企画で触れでだっけがら、いいびゃ~。

 それで、次回の荒俣先生の派生作品なのですが、ふつうにいくと私も愛している『帝都物語 外伝』(1995年)にいくのが常道ではあるのですが、実はその前に、加藤と直接の関連は無くとも『帝都物語』の重要な登場人物である黒田茂丸のお孫さんが活躍なされている風水ホラー小説「シム・フースイ」シリーズが始まっていましたので、『外伝』はひとまずほっときまして「シム・フースイ」の第1作を扱ってみたいと思います。

 ある意味、『帝都物語』以上になつかしい……でも、こんな企画誰が読んでくれるんだろう!?

 カトーは、たぶん来ないぞォオー!! 次に来てくれるの、いつかな。

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