漁業経済学者のひとりごと in 小浜

東村玲子のWebsiteはこちら → http://www.s.fpu.ac.jp/reiko/

Moncton

2010年09月07日 07時30分30秒 | Weblog
Halifaxからプロペラ機で50分程で
Monctonに着きました。

ここでは日本人のカナダ政府の役人の
お世話になります。
言われるがままに予約したホテルは
なんだか超豪華。

なんですが,もう眠くって
堪能する間もなく寝てしまいます。

今日から枕カバー(母の手製)を変えます。
丁度,旅の折り返し地点だし。

しかし,後半の方がかなりハードだな。

Halifax

2010年09月07日 03時54分48秒 | Weblog
Halifax空港で乗り継ぎ待ち3時間です。
でも,空港でこうやってネット接続できるなんて
さすがIT先進国(らしい)。

St.John's からの機内では,
Sex and the City 2をやっていたので
楽しく過ごせました。
ちょうど良い感じの所で到着しちゃったけど。

字幕版を見たんで,ある程度意味は分かるけど,
さすがに字幕なし・英語だときついものがあるな・・

昼ご飯が結構重かったので
おなかはほとんど空いていないのだけど,
ここで食いっぱくれると次にいつ食べられるか
分からないので,
ビールでも飲みつつ,なんか食べてこよう。

Halifaxには1999年と2001年に来ているのだけど,
空港の様子とかほとんど覚えていない。
新しい建物の様だし建て替えたのかもしれないな。

当時の私はNAFO(北西大西洋漁業機関)の
研究をしていたので,
本部があるHalifaxに来たのだ。
でも,漁業の実態も調査したくて,
ここでは出来ないと悟って,
ケベック→St. Anthonyと流れて行ったのです。

明日からハードに聞き取り調査が4日間続くから
がんばらねば・・

お買い物

2010年09月06日 04時03分20秒 | Weblog
Newfoundland最終日なので,
買い物をして過ごしました。
私がNewfoundlandでしたかったことは,
PG Tipsという紅茶を買う。
Mary Brownsというフライドチキンを食べる。
Fish and Chipsを食べる。
でした。

午前中に紅茶を買いに行き,72個入りを4箱買って来ました。
安売りをしていたので,全部で10ドル。
それからMary Brownsに行くと,
ファーストフードのくせに随分高くて9.9ドル。

午後はバスでダウンタウンに行って
色々お土産を探したのですが,
何度も来ているのでこれと言って欲しいものもなく
カレンダーと靴下の上に履く靴下を買いました。

他の人が食べているのを見て
つい,アイスクリームとスムージーを食べてしまい,
これは食べ過ぎだわと思って歩いて帰ってきました。
30分くらい。

実はSt. Anthonyで指に結構なけがをしたので,
消毒液を買いにショッピングモールへ行って来ます。
その後,Fish and Chipsを食べるのだ。

See you later.

2010年09月04日 08時02分32秒 | Weblog
昨日はホテルの方で機械が故障して
ネットに接続出来ませんでした。

昨日の夕方,Jimの家に行くと
Jimは夕方の漁に出るところでした。
帰って来るのを待って
タラを開いて塩漬けにするのを見ていました。
漁業者仲間がやって来て,
何を話しているのかは分からなかったけど,
5人くらいでおしゃべりしながら仕事をしていました。

そのうちローレンスともう1人が夕食を一緒に食べるきことになり,
Jimの奥さんも帰省先から戻って来たので
5人で食事をしました。

Jimとドライブした時に行ったお店が面白かったです。
日用品(食料も含めて・・チーズの種類が日本より多かった)
漁業に使うもの,家の配線・配管工事に使うもの
などが一同に売られているのですが,
大きさが日本のコンビニよりちょっと大きい位なのです。
漁協の購買部の様でした。

私はドライブで色々なコミュニティに行ったけど,
道路がコミュニティで終わっている所がいくつもありました。
Jimのコミュニティもそんなものの1つで,
先は海になっています。
これは前にも書いた通り,海岸沿いにコミュニティが
出来て行ったからです。
Jimの所に道路が来たのは1971年だと言っていました。
人口100人位。

なんで,こんな所に住んでいるんだろう・・
と思う様な所なんですが,
みんな仲良くしている様子でした。
Jimが帰港すると必ず誰かしらやって来て,
タラを買って行ったり,
ただおしゃべりをして行ったり・・

タラ崩壊までは漁業者の自治的管理組織があったそうです。
くじ引きで網(定置)を入れる場所を決めていたそうな。
今は完全に早い者勝ちだそうです。
それでも,漁業者同士で対立とか,あまりないそうです。
それから「どうやって乗組員を捜すのか?」と聞くと,
Jimもローレンスも,ちょっと返答に困って,
なんとなく噂でそういうのが伝わって来ると言っていました。

収入の80%を占めるズワイガニはIQ制ですが,
大多数を占める沿岸漁業者は均等割です。
それしか決められないのだと思います。

そして,今日のお昼にタラの舌と卵に小麦粉をつけて
フライパンで焼いたものをご馳走になって
「さようなら」を言いました。
たぶん,あと数年は会えないでしょう・・

St. Anthonyは当初の予定と違った風になったけれど,
色々な思い出が出来ました。

大漁!

2010年09月03日 02時34分14秒 | Weblog
初日は300lb,次の日は200lb,3日目は150lbとなっていたので,
(実は昨日は100lbだったらしい)
どうなることかと思ったのですが,
今日は大漁で500lbでした。
操業が終わったら,だいたい1パンで100lbなので,
それを漁業監視会社に電話で報告するのです。
以前は漁業監視員が船着き場まで来ていたと記憶しているのですが,
方法が変わったみたいです。

今日はオブザーバーが乗船する日だったので,
4人が船に乗っていました。
オブザーバーは昔漁業者だった人で,
70歳以上に見えました。
漁業海洋省と契約してオブザーバーをしているとのことでした。

で,そのオブザーバーの人も一緒に作業をしていたのですが,
あまりにタラが揚がるので,
私も出来る範囲で手伝って網からタラを外したり,
外されたタラをパンに入れたりしていました。
一昨日よりはちょっと要領も良くなりました。

でも,操業時間自体はいつもより20分短くて2時間40分でした。
やはりオブザーバーの人がかなり手伝っていたからでしょう。
オブザーバーの人はぶどうとか,チョコレートのお菓子とか
ペプシとか色々なものを持ってきていてどんどんくれました。
だから,いつもは操業が終わったら一端休憩して朝食(昼食)を
取るのですが,今日はそのままタラを開いていました。

一部(33lb)はフィレにして売るそうです。
フィレにすると2.75ドル/lbで,皮までむくと3ドル/lbに
なるそうです。
地元の人が内臓だけ抜いたタラを60lb買いに来ていました。

Jimは「Reikoはよく働いたのでクリスマスに塩干タラをe-mailで送ってあげる」
と言っていました。
初めはFaxで送るって言ってたのですが・・
(開いて塩干にするのでぺらぺらになるのです)

オブザーバーの人はランダムに選んだタラ6匹の長さと重さをはかって
耳石を取り出していました。
全体の漁獲量もチェックするとのことで「500lbだな」と確認していました。

その後,乗組員ローレンスに自営の方の漁業について聞き取り調査をしました。
Jimのタラが終わったら,ローレンスの人のタラ漁をJimが手伝うそうです。

「漁業の規制がいっぱいありすぎる」と
Jimと同じ様なことを言っていました。
IQ制を採っていても,編み目とかカゴ数とか,
かなりがっちりと操業規則があるのです。
ズワイガニの操業規則を書いた紙をもらって来ましたが,
「これは面倒くさい」という内容でした。

Jimもローレンスも
「漁業海洋省は漁業者の意見を聞いてくれない」と言っていました。
ちなみに漁業海洋省の方は漁業者の意見を聞いているとコメントしています。
(当たり前か・・)

今晩もJimの家で夕食を食べます。
結局,St. Anthonyでは初日にサンドイッチを食べた以外は
昨日のバーネットを除いて
ずっとJimの家で食べていました。(Jimが作ってくれました)

お休み

2010年09月02日 16時06分11秒 | Weblog
昨日は,どうしても起きられなくて
漁業を休んでしまいました。

前にアシスタントをしてくれたバーネットが
夕食に招待してくれたので行って来ました。

バーネットは今は水産加工会社で働いています。
この会社がカニの加工ライセンスを取得して
パーマネントの職についた様です。

底魚崩壊前にも同じ工場で(経営者は違った)
パーマネントで働いていたのが,
底魚崩壊で職を失って,アルバイトをしていました。

Jimもバーネットもそんなに食べないのに
どうして太っているんだろう?

Jimとドライブの途中で立ち寄ったレストランでは
食事をした後,
アイスクリームを揚げたものにホイップクリームが
たっぷりかかっているのをたべていたけど・・
私も同じのを食べましたが美味しかった。

これからタラ漁に行って来ます。

Jimとドライブ

2010年09月01日 04時44分05秒 | Weblog
今朝もタラ刺し網漁に行って来ました。
4日目となると
乗組員の人もちょっと慣れてきて
「ナイフ取って」とか
「そこのパン(タラを入れるパン)渡して」
とか言ってくれて楽しかったです。

私もこっそり,タラを網から外してみました。
が,かなり難しく,
小さいのは何とか出来たのですが,
大きいのになると全然駄目でした。
結局,邪魔になると思って黙って見てて,
たまにパンに入り損ねたタラを入れたりしていました。

今日はToad Crabが混獲されていました。
最初,ズワイガニかと思ったんだけど・・
20パイ持って帰る準備をしていたのですが,
Jimはライセンスを持っていないので売れないし,
料理するのも忘れていたので結局夕方に捨ててしまいました。

午後はJimとドライブに行きました。
実は,乗組員のローレンスに明日聞き取り調査をするので
船が見たいと言ったら連れて行ってくれたのです。
そのまま3時間くらいドライブに行きました。

ローレンスの船の前に
私がSt, Anthonyで調査をするきっかけになった
船材を作る小屋に行きました。
懐かしいな。あの時は2月で足が凍りそうだった。

Jimとのドライブの途中で
彼が元々タラ漁船の乗組員だったという港へ行きました。
当時はものすごく混み合っていたらしいのですが,
今では漁業者がいなくなって船は1隻もありませんでした。

その後Jimは,1986年に自営のタラ漁業者になります。
で,1992年にモラトリアム。

今はズワイガニ漁業者で
収入の80%がズワイガニです。
でも冬場はアルバータ州に出稼ぎに行っているそうです。