大掃除以前に普通の掃除もしていない。写真は地元の神社裏門。テキヤさんたちって人が溢れるところ目指して全国回るんだろう。どこに泊まるんだろう。
自分が一段落する前と後じゃ他人の阿波轍鮒利→泡轍鮒利→慌てっぷりへの感情移入度が違う。
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ヨダさんがひとのためによかれと思って提案したことに大反対した連中が、孤ヨダ奮闘の末いざ市から金がおりたらすべて忘れて喜んでいるそうだ。
都市博中止で青島元都知事宛ての封書で手指を爆破された秘書の話は、記憶の中にはない。元知事はそれを携えて死んでいき、元秘書は指のない手を今や日常としているだろう。
封書の主は、そりゃあいわゆるひとつの資本家の手先(死語?)であろうと憶うのがスジてえもんだ。
ところがオウム真理教だという。
いま幾つかの自治体の或るエリアでその教団の隣組になってしまったひとたちが戦々恐々の日常を送っているらしい。信徒の迷い苦しむ心に人権を、と言ってもいい例えの一つは、妻を殺されて尚優しい冤罪河野さんがもし仰りたいと仰るのであれば、というものだが、私は実は中沢新一が嫌いではない。
きれいでいてねというメールにありがとうという返事をくれたはるみちゃんがメールをくれなかったら私は何も知らずにいたことに微かな負い目を感じることもなかった。
どうこういって私は情報の斑な海の中でより多くの感情を得ている。
知るということ。知らないということ。
ヨダさんがひさしぶりに講演をするという。仮題は強い心だというから、弱い人は強い心とか元気に楽しくやりましょうなんてタイトルだったら来ませんよ自分は強い人になんか楽しくなんか絶対なれないと思ってるのが弱い人ってもんなんだからと言ったら、今回は来る人が決まっているので構わないらしい。
生きているということで既に希望だが。
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movaからfomaにしたのはしたくてしたのではない。ケータイカメラは前のほうがよかったし。
届かないメールが一度ならずあったからだ。
ところがねえ、ここ数日でも数度ありましてね。電話したほうが早いってぐらいのメール交換の最中にすっかりちゃっかりめっきりうんざり欠落があるんだ。なんのためのケータイだ……。私個人になんらかのマイナス磁場でもあるんだろう。と、諦めるしかあらへん。\(^o^)/ ぅぅっ。
自分が一段落する前と後じゃ他人の阿波轍鮒利→泡轍鮒利→慌てっぷりへの感情移入度が違う。
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ヨダさんがひとのためによかれと思って提案したことに大反対した連中が、孤ヨダ奮闘の末いざ市から金がおりたらすべて忘れて喜んでいるそうだ。
都市博中止で青島元都知事宛ての封書で手指を爆破された秘書の話は、記憶の中にはない。元知事はそれを携えて死んでいき、元秘書は指のない手を今や日常としているだろう。
封書の主は、そりゃあいわゆるひとつの資本家の手先(死語?)であろうと憶うのがスジてえもんだ。
ところがオウム真理教だという。
いま幾つかの自治体の或るエリアでその教団の隣組になってしまったひとたちが戦々恐々の日常を送っているらしい。信徒の迷い苦しむ心に人権を、と言ってもいい例えの一つは、妻を殺されて尚優しい冤罪河野さんがもし仰りたいと仰るのであれば、というものだが、私は実は中沢新一が嫌いではない。
きれいでいてねというメールにありがとうという返事をくれたはるみちゃんがメールをくれなかったら私は何も知らずにいたことに微かな負い目を感じることもなかった。
どうこういって私は情報の斑な海の中でより多くの感情を得ている。
知るということ。知らないということ。
ヨダさんがひさしぶりに講演をするという。仮題は強い心だというから、弱い人は強い心とか元気に楽しくやりましょうなんてタイトルだったら来ませんよ自分は強い人になんか楽しくなんか絶対なれないと思ってるのが弱い人ってもんなんだからと言ったら、今回は来る人が決まっているので構わないらしい。
生きているということで既に希望だが。
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movaからfomaにしたのはしたくてしたのではない。ケータイカメラは前のほうがよかったし。
届かないメールが一度ならずあったからだ。
ところがねえ、ここ数日でも数度ありましてね。電話したほうが早いってぐらいのメール交換の最中にすっかりちゃっかりめっきりうんざり欠落があるんだ。なんのためのケータイだ……。私個人になんらかのマイナス磁場でもあるんだろう。と、諦めるしかあらへん。\(^o^)/ ぅぅっ。
中沢氏の話が出ていて、少しコメント。以前、ここで書いた南方熊楠関連で、かれの著書の「森のバロック」を読みました。
オームではかなりのバッシングだったかと記憶します。
早朝の5時からのNHK教育TVは島暮らしになってよく見ています。
というか、TVを見るのが、この朝の5時から6時までがメインですが。
その教育TVで、中沢氏が折口信夫を紹介していて
折口の「死者の書」を読まないとなどと思ったり。
人生の残り少なさを今さら感じつつ長生きを延ばしつつ、言いたかったことを言ってもいいかな、などとときどき思います。それで、言いたかったことを言おうとすると、何が言いたかったのかと立ちすくむ毎日です。
「うっくつしい。」のコメントが、アップしたら半分消えていて、消えた途端、どう考えても、すばらしいポエムが書かれていたとしか思えず、つまり書き直すことができないという意味であり、じつに悲しいことでした。
こんなことを書いて、これをアップしたら、その後半が表示されてしまうかもしれません。あなをほってホリマクルうちに眠ってしまおう。
書き込んでいる最中にぱっと全文が消えてしまったときに、右クリックで対処→蘇生させ得ることを昨日発見したのですが、アップしてから消えてしまうというのはスゴワザだと思います。
土曜日夕刊に週間テレビ番組欄が折り込まれていて、23日の夕刊は、ややっ年末年始の2週間分です。見たいものだらけでどうしようかと悩んでいます。