家族円満なHは御札に「お金をたくさんください」と書いた。

2008-06-12 02:42:34 | ■だらだら。
けさラジオをつけたら戯曲夕鶴の断片が語られていた。ちょっと検索すると、農村共同体と貨幣経済とかとの対立とかとか書かれているところが多い。もしかすると作者がそういう意図を表明していたのかもしれない。

夕鶴を殆ど知らず、童話の本で読んだ鶴の恩返しをぼんやり憶えている程度で、そこには無理がありそうだなどと思い、この先にその理由も述べないのだから、意味がないのはもちの論だ。


女性つうは鶴の化身で、どうしてそんなにお金が欲しいのかと男性よひょうに問うという、耳にしたその断片情報だけから私は、「つう」は女性なのか、主人公は誰なのか、と思った。あくまでも女性のかたちをした鶴であり、そこに女性はいない気がして、もし演ずるなら美しい男性か、女優ならば理屈を排した叙情譚がふさわしいと思った。


MとSとHとで向かい合う席に座っていた。MとSには子供がいて離婚している。HはMに向かってまた別のTという人の名字が変わったことについて離婚の確認をした。Tはせいせいしたって言ってたよとMが答えたとき私がすかさずうちの弟の元嫁も今ごろせいせいしてると思うよと挿んだ言葉は迎合にんげんのゆえのみではない。

私など身ひとつ養うもおぼつかないのに、ひとりならず子供があって定職も資格もコネクションもなく若さも誇れない身の離婚、その厳しさに気を遠くしながらもまた、そのせいせいは吐息でもあり深呼吸であることもあろうという女同士の近しい思いはある。

幸せで見事な子供を育てられる仮面夫婦があるとしたら双方とも力を惜しむことのない希有な素面の対である筈で、仮面勘違いな似合いの夫婦ではないか。離婚によってもたらされる子供の情操の損傷より、他人を蔑ろにしたり侮ったりすることを日々目の当たりにさせられることによるそれのほうが大きく思われる。

しかし「先立つもの」という言葉は的を射ていますね。「人それぞれ」という言葉が好きです。


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【2008-06-12 07:14】
もともと無意味な話を結べなくてごまかした話に何か補うのも無意味なのはもちの論だ。
子供は、親であれ他人であれ向き合って信頼をはぐくむただ一人がいれば、どうにかなるという一つと、昔、弟の第一子が誕生したときに彼に私が言った、両親が仲よくしようとしていれば子供は絶対大丈夫という一つが、それぞれにそよそよしている。
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