書かずもがな半端ぶろぐにさとしくんは3回目。

2018-08-05 00:55:39 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。



いまブログ内検索したところ去年2回なまえを出している。





能くかんがえ善くかんがえるタイプの女性とネットで出遭って
老舗的SNSに招かれてごくごくうわっつら的に長く続いており、

きのう会ったのが3回目で3年ぶり。いずれも新宿で、今回は田無LIVIN一角が追加された。彼女のブログには楽しく盛り上がったと記されているが、ほぼ彼女が能く喋り善く訊き良く受け取ったという以外の何物でもない。


耳コピができる。ギターや三味線。歌でいえば、十代のコたちしか知らないような曲を、例えばまちなかや店その他で耳にしてほぼ瞬時的に自分の好みと思った時点でスマホアプリでタイトルやアーチスト名をチェックし、YouTubeで検索して二、三度歌えば覚えてしまう。カラオケで若いコたちに驚かれる選曲で歌えるのだという。本はいわゆる速読的に文字を画像的に取り込んでそのまま論理的に理解(わからないので表現が間違っているかもしれない)するらしい。

もしかすると“その程度”の能力の人は少なからずいるのかもしれない。
であれば、私のように好きな曲が何度練習しても歌えなかったり文章は一文字一文字追わなければならない(私の姉は声を出して読まないと意味がわからないと嘆いていた)ような者のほうも少なからずいるのかもしれないが、少なくとも私個人からすれば彼女はあまりに独特だ。




ふつうに健康の話を交わすなかで、自分で食べられなくなり自分で歩けなくなり自分で排泄ができなくなったら生きていたくないと彼女は言った。そこにどういう形でだったか相模原のさとしくんの話が絡んで、もしソンナトキに彼のような人と邂逅できたらそれは神だと。

私は、非難以上のものを呼びそうな可能性を、思った。もしかすると亡くなった彼らは邂逅できたことになるのではと。


どこまで広がっているのか、健常者とか定型発達者に対して伝え渡し得ない世界を持つ人たちは、支援する人々にも当然またその世界を伝え渡し得ない。


そう思うことを、私を、それこそさとしくんの恐るべき意志として報道されていることと一緒にするな、全く別だ、などとも、かんがえなしの私には言い切れない。





発達障害を簡略・概論的に説明だか紹介だかをするときに、最近はどうなのか知らないが、ほぼ必ず出されるのがエジソン、アインシュタイン、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブズだ。またかよと蹴とばしたいほど腹が立つ0.5瞬が擦過する。そーゆー意味で希望と対策を生かせるのは、障害者の中にこれらの著名人がいる割合も全人類の中に彼らがいる割合も赤飯の中のささげの数も一緒くたにしたどんぶり勘定な一部ではないか。



彼女の話に戻ると、少なくとも私には特殊と思える能力と、その話の受け答えや展開とが相俟って、突出した能力とは障害に近いエリアに在るのではないかと思えてくる。




すみませんとまっちゃったカンガエナシ(亡母に昔よく言われた呼称)がかんがえもなくかくしりきれとんぼ。







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 情報を断ったリユウ。 | トップ | 声に出してぽんをよびたい。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。」カテゴリの最新記事