ひとりとかひとつとかいうのとひとという言葉がつながるという程度の脈絡。

2016-08-11 05:41:42 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。


脈絡があるやらないやらつい写した。

そういえば昔、田中康夫の、何だかと何だかとは等価だという、受賞作(私は未読)のコピーだか一節だかも、あるかなしかの脈絡的に思い出される。





街で出会う「無垢な子ども」らは私の隣の「利用者さん」を瞬時にとらえ、まさに遠慮なく凝視する。そこまで直感的異形と映るのだろうかと私は逆に驚くことが多い。忌避ではない。




さとしくんは重度ではない彼らを対象としなかった。
対象とされたひとに自分を重ねようとするなど思いもよらないひとで社会は動いている。

宮古あずさは違っていて少しほっとした。当然のことがカムフラージュされるのが当然にされすぎている。

相模原の事件のとらえ方が曖昧を滲ませながらも一色(ひといろ)じみた前提で語られることが多い。語られる側以上に語る側の思惑が先走りする。







旗を振られるとついそんな気になっちゃう。振る気満々の旗もあり、ときには何の気なしに振った旗が誰だかわからない集合に振られてたってこともあるだろう。




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