こんにちは。落雷抑制の松本です。
私は、50年に渡る逃亡生活の末、ガンで亡くなった方とホボ同じ青年時代を過ごしましたから、もしかすれば、自分も同じような道を歩んだ可能性は全くゼロではなかったのは、高校3年の頃、大学紛争があり、東大安田講堂占拠事件があり、東大の入試が無くなりました。翌年、大学に入ると部室には中核派の白いヘルメットがたくさん放置されていて、そこは学生運動の活動拠点の一つであったようです。私の入学した後は、学内は沈静化し、大学の構内でのデモは職員によるものを見ただけでしたが、多数による大きなデモが無くなる代わりに、少数が先鋭化してより過激になっていった時代でした。ノンポリとよばれ、政治的な活動には加わりませんでしたか血気盛んな若者が、間違えてその道に入ってしまう可能性はそこかしこあった時代であったのです。
身元を隠しながら、どうして入院できたのかなと思いましたら、動けなくなって救急車での搬送されての入院とのことで、動けなくなるまで日常生活をしていたとは辛かったことでしょう。身分を隠せば、50年間、病気になっても医者にかかる事もできず、さぞや苦しい50年であったことでしょう。 早めに自首して、刑務所で20年過ごしたとしても、まだ30年の自由時間があったのにモッタイナイ50年の過ごし方でした。時代背景もあり一概には言えませんが、自分の人生を楽しく生きるか、辛い人生を送るか、時代に流される事なく、あくまで自分本位で、自分ファーストで決める事なのです。過激な集団に入れば脱会するのも命がけの時代でしたから、現在の大学生の世界からは想像を絶する世界でした。世の中、50年でこんなにも変わるものなのですね。