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高島町

2018年06月12日 09時00分00秒 | 雷日記
こんにちは。 落雷抑制の松本です。

「みなとみらい線」と「横浜市営地下鉄」では、横浜駅と桜木町駅の間に「高島町」と言う駅があります。 この地名が明治の頃、「横浜の3偉人」と呼ばれた中の高島嘉右衛門(タカシマ カエモン)によるものとは、駅の利用者でさえ知らない人が多いようです。 高島の作った高級旅館「高島屋」は、横浜に来る外国人が多く宿泊し、当時は外国の最先端の情報が得られる場所であったとのことです。 ここで外国の情報を高島は、当時交友のあった伊藤博文/大熊重信に東京、横浜間の鉄道開設を提案したそうです。 デパートの高島屋は、大阪の方がはじめられたもので、この高島屋とは異なります。

高島は、材木を扱う事業で横浜の外国公館の建設を多く手掛け、その中には英国の駐日全権公使のハリー・パークスの家もあったそうで、伊東/大熊コンビとハリー・パークス、そしてその間を取り持つ実業家としての高島が、鉄道工事を引き受けました。 当時の地形は東京湾の入り江があり、この海の縁を周回するのでは距離が長くなってしまうので、山を切り崩して埋め立てを行い、この時の契約では線路の用地については国有とするものの、埋め立てでできたその他の土地は工事業者の所有としてよいというものであったそうですが、完成後、高島はその土地をすべて国に譲渡しているのです。 その立派な行いで、高島の名前が地名に残っているのです。

鉄道を引くには当時、大きな反対があったそうです。 すなわち、外国のものを日本に取り入れることへの拒否感、国内の鉄道よりも軍隊の充実をと言う一派(西郷隆盛/大久保利通)、政府のすることにはとにかく反対と言う何時の時代にもいる反対派、「鉄道」とは「金を失う道」であるとか、外国文化を何の抵抗もなく受け入れる現代と異なり、当時は反対派がに強く、伊藤/大熊コンビは「売国奴」呼ばわりされたとのことです。 今でこそ、利便性の塊で何のマイナス点もない鉄道ですが、いつの世にも、新しいものの導入には反対派がいて、その反対派を打ち破らねばばならない。 これは私自身も現在進行形での体験ですから、大いに励まされます。

高島は、「高島易断」と言う占いまで作り出し、政策判断にも影響力を及ばしたそうで、この高島歴と言う暦は今でもよく見かけます。 明治の頃の政治家、実業家には偉い方々が多数おられ、現在の日本の基礎を作られたのです。高島町駅で乗り降りしたり、通過する人は一日で何万人もおられるでしょうが、彼の偉業に感謝する人は何人いることでしょう? この方々に現在の姿を見ていただくことができたら、さぞ、びっくりすることでしょうね。

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