後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

「自立」は錯覚だ その1

2014年07月16日 | Weblog
写真をクリックすると拡大し、縦横も修正されます


強者どもが夢の跡 である
13年前、フランスから上陸したカルフール
和泉市の光明池に第1号店を開店した
若い店員がローラースケートで店内を走り回り
パン、チーズ、ワインなどの品揃えで話題になった

数年でカルフールは撤退
イオンが後を継いだ

仕事が無くなった不思議おじさん
この数か月の買物はもっぱらこのお店だった
理由その1 いつ来ても空いている 客が少ない
理由その2 生協のお店に近い
理由その3 駐車場が屋内にある 犬が何とか耐えて待ってくれる条件

人混みが嫌な不思議おじさんには好適な店だった
来る度、小妻に言っていた 「間もなく潰れるよ」
そして時間をおかず その予測は当たり8月末に完全閉店となる
小売店激戦地区で、地の利に最も恵まれないこのお店
スーパーが勝ち抜ける条件を考えるとき参考になる


不思議おじさんの第1号の西瓜はかくのごとく満点だった
甘みも充分だ
これは孫の家で包丁を入れたが なんと孫が喜ばない
「瓜」系統は好みではないとノタマウ
不思議おじさんが今年作ったものは瓜類が主体
「西瓜」「南瓜」「真桑瓜」
折角 神戸までもっていってやったのに(涙)
自己満足もほどほどにとの神のご宣託


都賀川の河口 灘浜
都賀川は何年か前に鉄砲水で子どもが亡くなった悲しい記憶もある
灘浜は江戸以前には御影石や灘の生一本の出港地
ここから江戸にお酒を届けていたということだ
六甲山から流れる川の水車を利用して菜種油も絞っていた
大阪の俳人 与謝蕪村がその光景を有名な俳句にして詠んでいる


カメラを反対に回すと神戸港

左は神戸製鋼 今は鉄ではなく電気を作っている
ここに子供が遊べる無料の施設がある
根強い人気のスポット


朝起きて思い立ち、高野山に行ってきた
近くだが行ったことが無い 行く機会が無かった
不思議おじさんの実家は曹洞宗
全く不熱心な檀家の三男坊なので宗派は関係ないように見えるが
それでも真宗には馴染が持ちにくい気分がある
それも一因かもしれない(かといって永平寺にも行ったことはないが)
お参りされている方々の般若心経の唱え方にも違和感を持った


トルテが一緒なので大伽藍地区を遠慮がちに歩いて終わり

たっぷりの時間を浪費している
そんな中で「自立」について考えている
同義だが「弱者」「敗者」「被害者」について考えていると言って良い

今日は「その1」なので そのサワリだけ…

大学に入ってしばらくして「自助協同」との言葉に出会った
その後、その言葉を冠した産直米を先導して多くの人に食べてもらった
忸怩たる思いである

「自助協同」という言葉には多くの嫌な臭いを感じていた
何かが違うという気がしていた 
それが何かは長い間わからなかった

そこにまず臭うのは「驕り」である
勝組の感性である
社会的に恵まれている人たちの言葉である
その組に入れば心地よいのだろうが
何となくそれを拒む気分を持ち続けていた

「自助」して初めて「協同」が可能である
そのように聞こえる
「自助」できない者は、
協同できる人として失格であると言っているように聞こえる
今は「自助協同」などという言葉はマヤカシであると思っている

不思議おじさんは15年ほど前にある「問い」に出会った
それは龍谷大学経済学部の中村尚司先生から投げかけられた
「赤ちゃんに自立はあるか」
「寝たきりの高齢者に自立はあるか」

この命題を考え抜くと
この世の中がなんとなく見えてくる
混迷の世を解く一つの物差しが手に入る気がする

例えばTPPをどう考えればよいのか
日韓・日中のお付き合いを原則的にはどう考えればよいのか

20世紀から21世紀の日本で いろいろあったにせよ
経済的にも社会的にもほぼ満足して生きてきて
まぁ満足な一生であったと総括して一生を終えたお人について
不思議おじさんは異を唱えるつもりはない
「お疲れ様 ご同胞」と瞑するのみである

かといって
その人たちも不思議おじさんの思考を止めることはできない

あなたの ほどほどのシアワセな人生は
この時代があなたを包み込んだ幻想のたまものだと

あなたの努力、決断、能力、実行力など自信の数々は
そのご仁が受けた果実から見れば何ほどの役にも立っていない
あえて言えば あなたのシアワセは
この世の仕組みがもたらしたものである
そのことを知り尽くしたあなたの勝利であることに間違いはない

この時代(社会構造)がそのご仁をシアワセにした
そのご仁が「他人の厄介にならずに自立して生きてきた」と思っているなら
(大半の人がそうであると思うが)
誠に御目出度く 静かにご冥福をお祈りするだけである
人間は社会的な動物であり、時代(社会)と切り離すことはできない

人は「自分」だけでは自立できない
赤ちゃん然り、高齢の寝たきり老人然り
フクシマの原発によるさまざまな被害者然り
時代を戻して言えば、江戸時代の農民などの社会的弱者に
「自助協同」などの言葉を投げかけられるのか
この言葉の持つ驕りの構造が明らかになってくる

その2 以降に続く

最新の画像もっと見る

コメントを投稿