後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

十五夜

2011年09月12日 | Weblog

うさぎ うさぎ 
なに見てはねる
十五夜お月さん
見てはねる

これは童謡では無い わらべ歌である
作詞者、作曲者も不詳
曲名は………「うさぎ」である
では二番の歌詞は?

考えてみれば不思議な歌詞である
ウサギが跳ねる理由をいきなり聞いている
古人はうさぎが跳ねるのを見るのは日常そのものである
ウサギが跳ねるのは毎日のことであるのに
跳ねる理由が十五夜を見てということなら
ウサギは一年間に十二回しか跳ねないことになる
理不尽である

「ぞう」を題材にした童謡は
「ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね」と
鼻が長いことについて納得しているから問題ない
もしこれが「なぜ長いの?」との歌詞だったら
進化論や棲み分け論などが出てきてややこしくなる

因みに「うさぎ」に二番は無い
また野口雨情作詩の「十五夜」は馴染みがない
文部省唱歌なら何でも歌える不思議おじさんも
この歌を唄った覚えはない
http://www.youtube.com/watch?v=oQVOepp21Ko&feature=related

日本では月のウサギは餅を搗いている
決して跳ねてはいない
従ってこのウサギと月のウサギの結びつきは薄い

月にウサギが居るとの故事はインドに由来するらしい
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月にはうさぎが棲んでいるといいますが、
そのお話の元になったのは、インドのジャータカ神話です。

昔、インドに仲のいい、うさぎと狐と猿がいました。
彼らは自分たちの前世の行いが悪かったので
このような姿になったのだから、
せめて今からでも人のためになることをしようと話し合っていました。
それを帝釈天が聞いて感心し、彼らに善行をさせようと老人に姿を変え、
彼らの前に現れました。
三匹は善行を行う機会とばかりはりきって、
猿は木に登って木の実を集めてきましたし、
狐は川へでかけ魚を取ってきました。
しかし、うさぎは何も出来ないので、
老人に火を焚いてもらい、
「私は何も出来ません。せめて、私の肉を食べてください。」
と火の中に飛び込んでしまいます。
帝釈天は三匹の行いに感心し、
来世は人間にすることを約束します。
そして、特にうさぎの心は立派だとして、
黒焦げの姿を永久に月の中に置くことにしました。
これが月にうさぎの姿が黒く浮かび上がっている理由なのだそうです
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この故事でもウサギは跳ねていない
不思議なわらべ歌である


この酷暑を不思議おじさんの玄関で
毎夜毎夜冷やしてくれているのは
太陽光発電のこのおじさんである
孫には「季節外れやね」と言われたが
へそ曲がりの不思議おじさんの心が孫に響くのは
果たして何年後だろうか?!

さて 餡子の付いた月見団子を頂くこととする
この団子も 五穀豊穣を田の神に御礼するためのものである
何の生産もしていないのに 申し訳ないことである






一文字に鬼門有り

2011年09月06日 | Weblog

珍しい写真である
決してサボテンの花では無い
彼岸花がサボテンの間から頭を出しだけである


全体的にはこのような風景である
まだ夏のノウゼンカツラが咲き誇っている

秋の涼しさが 朝夕に親しい

そて、もう5回目ぐらいだろうか
藤沢周平の小説 新潮文庫の「時雨のあと」に収録されている『鰯雲』
見事と言うしかない手慣れた構成
ふんふん そういうことだったのかと頷かせる布石
最近の天声人語でも触れられたが、小説の名手に違いない

しかし『鰯雲』には?が3つある
①「利穂」が家老⇒父親の命を受けて
 中老のバカ息子の集まりに探索のために出入りしたという設定は
 どう考えても飛躍しすぎである
 読者はついていけない
②「雪江」が、藩を捨てた父を主命で討った武士を敵に
 野沢城に出かけたことまでは何とか作者についていくこととして
 その後どうなったのかの説明が全く無いままに、
 新三郎のもとに帰ってきてハッピーエンドになるのは
 読者をホッタラカシにして作者のみが楽しんでいる
③新三郎の母「理久」は5坪ほどの畑を耕している
 人参や唐辛子を作っているのは分かる
 しかし秋口に白菜につく虫を取っているとの描写は許せない
 白菜は江戸時代に中国からもたらされて作られた記録があるとのことだが
 山形で作られるまでも無く、全く広がらなかった
 作る時期が分からなかったからである
 本格的に日本に白菜が広まったのは日清戦争後である
 兵隊として中国で戦うはめになった農民が
 作り方を中国でしっかり学んだためである。
 「白菜が昔から日本にあった」というのは思い込みである
 食肉関係の専門業界紙で記者をしていた藤沢にしては
 食べ物への造詣は今一つだったのかもしれない
 (なんちゃって、少しいい気分に浸りたいのだ!)

さて一文字は鬼門である
「け」=毛はすでに後退が激しい
「は」=歯は泉州に近畿大学病院を受診した
    インプラントの可能性を再追求したが
    歳相応に入れ歯でどうかとの指導を受けた
「ち」=糖尿病とのお付き合いは20年に及ぶ
「い」=胃潰瘍、十二指腸潰瘍、逆流性食道炎とも親しい
そして今回の「め」=眼
白内障手術後15年 トラブル発生
水晶体に縫い付ける手術が必要
運命を受け入れて覚悟するしかない
「き」=落ち込んで鬱病にでもなっては
家族に迷惑をかけるだけである