後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

メジロが家族だ 近景その2

2019年01月18日 | Weblog

手作りの鳥寄せ棒 
ミカンを置くための棒だが
昨秋の台風21号で臨家の屋根材が畳一畳分降ってきた
幸いなことに海棠桜の枝一本が折れてしまい
この鳥寄せ棒がなぎ倒されただけで済んだ

いくら親しい人でもその心は測りがたい
その人の沸点が何度なのかは測りがたい
トルテ君なら、彼の限度はわきまえているつもりだが
人間というものは難しい
難儀なことである

メジロは極めて用心深い
鳥寄せ棒で蜜柑をつつくときも
もう一羽が近くに枝にとまって周囲を警戒している

この時期の鳥たちの中では多分弱者であろう
都市部においても、カラスはもちろん
ヒヨドリがメジロにとっては最も厄介な鳥だろう
ムクドリが電線に群がっていたり
セグロセキレイが道路で遊んでいたり
ホオジロが高い木にとまって鳴いていたり
モズが虫を木に刺していたとしても
メジロにはさして迷惑であるとは思わないだろう が
ヒヨドリだけは別である
ヒヨドリは横暴にもメジロの食事を邪魔して追い出してしまう


何と愛くるしい鳥であることよ
彼らが恐竜の子孫であるとしたら
ホモサピエンスの感性から見ての話だが
恐竜にも多分可愛い奴がいたことだろう

人との付き合いは難しい
しばらくはメジロを黙って見つめていることにしよう
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近景その1

2019年01月16日 | Weblog
トルテ君は不思議おじさんの自宅を中心にして
半径500mの道を子細に承知している
人が通らないような裏道や田畑の畦道も熟知している
朝夕の各40分の散歩では、同じ道を通ることは無い
進路の選択はトルテ君任せだ

そんな道の一つに想像を掻き立てる路地がある



写真の地図、中央の道路を下辺から上に向かって歩いてみる と…

そこは花が咲き乱れ、樹が生い茂り
動物たちが生き生きと暮らしている
入り江から山に向かって谷が刻まれている
その川には橋が掛けられている
橋のたもとには豊かな杉の木が生い茂っている
その橋は高い所に掛けられている
暫く谷を登っていくと、原っぱに出た
そこには田んぼもあり、稲が作られている
おやっ ヤギが草を食んでいる
原っぱを流れる小川にはカメが遊んでいる
この谷には野草が豊富で花が咲き乱れている
おサルさんも群れて原っぱに出てきた
いや、待てよ、クマまで現れたぞ
空にはトキが茜色の羽を羽ばたかせている
そうか、こんな場所だから、天女伝説も生まれたのだろう
そうこうしているうちに山を越え、
濱に着いた
そこにはハマナスの花が咲いている


土岐(トキ)さんの飼い犬、ビーグルのモモちゃんとは仲良し
和泉の国の小さな小さな路地にも浪漫が秘められている

夢想もまた暇人の特権
誰を傷つけることもない
自らをも傷けない
密かな楽しみである

そんなことが
暮らしのあちこちに散りはめられている
面白いなぁ


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近景・遠景

2019年01月05日 | Weblog
「遠くにある」とは 取り敢えずは問題が発生しないということ
物患いすることもまずは無いということ
「故郷は、遠きにありて想うもの」とは犀星の箴言
日本という国が、遠くアルゼンチン等と戦うことを想像するのは難しい

「近い」ということは、「隣にいる」ということである
人類の歴史をさかのぼっても、150人程度の集団は
常に隣の集団と緊張関係にあり、大半の場合において殺し合ってきた
それがホモ・サピエンスの宿命である

もし人類に英知のいうものがあるなら
「隣にいる」ことについて寛容の心を持つことができるのではないか
そんな話を韓国の生協の若手にしたことがあるが
果たして通じたのだろうか

昨今の日韓、日中の緊張関係は、あえて「作られている」と思わざるを得ない
双方からである
作られた国民感情操作に、易々と乗せられている様子を見るのは
何んとも傷ましく情けなく、諦めにも似た気持ちになる


大阪から見える山に 見上げるような山は無い
標高40メートルほどの道田池3号古墳跡の公園から四方を眺めても
地平に張り付くように山並みが見えるだけ
これは西方面、よく見れば左に淡路島の島影
右に須磨の山が霞んで見える
天気の良い日は明石大橋(300m)も見えるときがある


これは北西方面 泉北臨海工業地帯
かつては、羽衣や浜寺などの高級住宅地が広がっていたが
戦後の産業開発によって工業団地が埋立地に作られ
今は数多くの煙突から湯気や石油の炎が終夜絶えることが無い
遠くには西宮から神戸にかけての六甲の山並みが眺められる


目を東に転ずれば、大阪府最高峰の金剛山が拝める
その左側のクジラ型の山がツツジが紅く燃える葛城山である
その左に二上山があるのだが、巨大マンションが建設されて今は見えない
「見えない」という心の喪失感を誰が補償してくれるのか!!!


南は紀泉山脈である 大阪と和歌山を隔てる
よく見ると右に台形の高鍋山が見える
この山の中腹を「高鍋トンネル」が2年前に貫通した
和歌山、高野山が一段と近くなったが、通る人は少ない


近景の話はまた明日以降にして
取りあえずは友人から頂いた鮒寿し


酒と言えば丹波の山名酒造さんの銘酒
「奥丹波」が高名であるが、今夜は「醪」
うっかりすると炭酸が溢れだすので要注意である

年末年始はわが身体も心も酒浸り
このまま死ねば たちまちミイラとして保存できるくらいである

それでも来週からの民謡講座に向けて
資料の整理と印刷、念のための練習は怠らない
せめてもの緊張感でいのちを保持している
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その2-2018年の初体験

2018年12月29日 | Weblog

大空を飛んだ
ハンググライダー
阿蘇の大地を眼下に
僅か15秒ほどを 2回
孫へのプレゼント企画におじさんも乗ったわけだ
中学生・高校生の孫のようにしなやかには離発着できなかったが
飛行中はまあまあのフォーム
ええ歳しての初体験


台風21号の爪痕は今も深い
住まいの周辺の家々にもまだブルーシートが少なくない
修理を申し込んでも半年以上待たされるという
不思議おじさん宅も丸々2日間停電した
隣の堺市では停電はほんの少しの間だったようだ
まだまだ暑い中の停電だったので洗濯に困った
それで初めてのコインランドリーへ
使い方も分からないので洗剤(合成洗剤ではなく石けん)を持参
堺市のコインランドリーは周辺市の客で一杯
潜在持参と言ったら笑われてしまった
地震等に備えて、電池、ヘッドライトや懐中電灯、
電池発火の石油ストーブなどを追加購入した

ナニワノイバラも倒壊した

なんともスケスケの光景になった


新たな畑地を借りた
なんと 一昨日に銘菓が届いた
地主さんからだった
小作人が地主さんから歳暮を贈られるという珍事
作物が採れるたびに少しばかりお届けしてきたが
それは当たり前のこと
早速また大根や里芋、かって務めていた会社のソーセージなどをお返しした
いやぁ びっくりしたなぁ


この写真は単なる民謡発表会の一風景
昨年11月に立ち上げた民謡サークルは13人になった
チラシをコピーして小雪がちらつく住宅街に2千枚ほど配った
8万部発行のミニコミ紙にも大きく取り上げていただいた
しかし、仲間が増えたのは人から人への口伝だった
民謡衰退傾向の中で、2桁の受講生はオドロキである
公的(市の地域センター)主催の民謡講座講師にも招かれている
こちらも受講生は減少傾向
4年間修業してきた(毎週、10時間前後の現場伴奏を含む)民謡の鳴り物
師匠から卒業してよいとの言葉を頂いた
来年には、近隣の大きな民謡団体発表会から伴奏の依頼も受けている
コンクールにも出て「淡海節」全国大会壽年の部で8位に入賞した
昨年は予選落ちなので、大ジャンプの入賞である
準決勝では昨年度の優秀者19人が予選免除で加わり79名に
その中で11人が決勝に進出できる
大阪では2名が決勝進出したが、
台風接近で、結果確認もほどほどにして帰ったので
大坂で1位なのか2位なのかは不明のまま
来年は予選免除者となった


昼過ぎになるとついつい超安物チリ産赤ワインに手が出る年金生活
歯止めをかけるのは何らかの仕事を作るしかない
民謡や畑仕事は 酒浸り防止の一環である
畑では太陽の塔や仏手柑(ぶっしゅかん)のような大根が採れる
ニタニタ笑いながらの畑仕事
年末年始も玉ねぎの草取りが待っている
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2018年を振り返ってーその1 「正直」

2018年12月26日 | Weblog
「正直であること」は
不思議おじさんが必ずしも本意でなかった人生で
骨の髄まで沁み込んでいる「生き方」である

「正直である」ことを貫くことは
その人の価値観を木っ端みじんに打ち壊す
その人がたどってきた人生や、家族、親兄弟はもちろん
所属する会社等の関係団体を根底から揺るがすことになる可能性が高い

「墓まで持っていく」ことが組織人としてのわきまえだと言われてきた
もし墓まで持っていかなければ、それまでの関係は瓦解する
生きるか死ぬかの決断を迫られる

それでも「正直である」ことを貫く心の強さ
精神心的なタフさ、強靭さが必要である

不思議おじさんは小さい組織とはいえ、責任の重い職を担ってきた
が、経済的には(いわゆる成功した)同級生たちの半分程度だ田
とはいえ、それを失うことは生活の困窮を賭けることになる

そんなもがきを抱えながら組織内人生を過ごしてきた
誰も経験することだろう
葛藤の連続である
そこで学んだことが「正直を貫くことが最良の解決策である」ということだ

2018年
「正直である」ことがこれほど軽んじられた一年があるだろうか
世界の政治は「嘘」で分厚く塗りこめられ
「正直」などは、どこを見渡しても見つけられない
「正直を貫く生き方」が死滅した
そう言っても良いような一年であった

だが
まだ希望はあるのかもしれない
人間は嘘をつくが
自然、野菜、トルテ君は
嘘をつくことは無い

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