後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

自転車

2009年08月20日 | Weblog
地理的にはなんとなく不具合ではないかとは思っていた
案の定、不思議おじさんお得意の思い込みであった
浮舟が最後に隠れ棲んだのは滋賀県の小野ではなかった
その地は、修学院離宮より少し上の高野川沿い
今も地名が残っていて、上高野小野町がその地らしい

まぁ 思い込みを正せたのは何よりであった

分かったのは訳者・瀬戸内寂聴氏の著書「わたしの源氏物語」のお蔭
かなり踏み込んだ内容の著者の解釈が披瀝されている
例えば瀬戸内氏が最も好きなタイプの女性だと言う六条御息所は
生霊・死霊となって源氏を取り巻く女性を苦しめる
氏の解釈では、六条御息所は光源氏の子を2人ぐらい孕み
結局は産むことができなかったのではないかとまで言及している

ところで突然に子供のころを思い出した
それも自転車についてである

どうやら孫が自転車の練習を始めたらしい
不思議おじさんが子供のころは
子供用の自転車など存在しなかった
大人用の、荷物を運ぶための重たいものだった

それでも子供たちは器用に乗りこなしていた
「横乗り」である
前輪と後輪の間の三角部分に片足を入れ
車体をやや斜めにしてペダルを漕ぐ
こんな乗り方をしている光景は
最近はついぞ見たことが無い
皆さんはやったことがおありだろうか???

高校2年のときはその自転車で通学した
さらにY君と二人で
2日間琵琶湖一周まで成し遂げた
それも滋賀県内の高校めぐりをしながらである
宿泊は八日市市のY君の親戚宅であった
相当な強行軍だったはず
北周りだった
帰りは琵琶湖西岸
天井川のアップダウンはきつかった!!
ちょうど今頃の夏だった

そして本日で63歳




金大中元大統領逝去

2009年08月19日 | Weblog
まずO君の実家(佐用町)が大水害に被災されたことを
改めてお見舞いしたい。
ご両親のお命が助かった経緯は
前々回の「コメント」にO君が文章を寄せてくれたので
生々しい報告をぜひご参照願いたい

振り返ってみれば、不思議おじさんの青春時代は被災の連続だった
高校に入学してわずか2週間後に校舎は全焼した
授業は焼け残った体育館を間仕切りした教室や
隣の今津中学校の音楽室などを借用して行われた
校舎が再建されたのは2年生の秋ぐらいだったと思われる

中学三年生の秋には
第二室戸台風が近畿を縦断した
築150年の旧家の葦葺き屋根は
厚さが1メートル近くもあったのに
吹き抜けた暴風の力は凄まじく
畳6畳ほどの穴がぽっかり開いた

貧しさに苦しんでいた両親だったが
1年後に再建を余儀なくされ
不思議おじさんは無人の小さなお寺で暮らした
今ではJR「新旭駅」の駅前だが
当時は人家もほとんど無く、
竹薮と高い木々に囲まれた“恐ろしい”場所だった
葬式(土葬)の諸道具がお寺にはあり
夜寝るときの怖さは今思い出しても身が竦む

金大中元大統領が亡くなった

2000年の2月
駐大阪韓国総領事から郵便を受け取った
それは1500人の署名を集めて
金大中大統領に宛てて嘆願書を提出した返事だった
宛名を墨書したことを覚えている

嘆願が聞き届けられたことは
日本のマスコミ(毎日新聞)や
韓国の主要新聞・テレビで報じられ
韓国のテレビが不思議おじさんのところまで取材に来た
詳細はhttp://www.nurs.or.jp/~kbj/new_page_3.htmで

その後は、想像をはるかに超える目くるめく展開があり
韓国の文化人や市民との交流が続いている

そんなことを思わず思い出した

ノウゼンカズラは
藤野明先生のお庭から
株分けしていただいたもの



体調

2009年08月18日 | Weblog
結局のところ
夏恒例の中国語研究会は流れた

Y氏は50日間の入院生活を終えたばかり
M氏は学生の問題行動による過労
不思議おじさんは謎の腹痛で七転八倒

8日(土)、9日(日)とキャンパス見学会の受け入れ
10日は故郷の墓参りなので早朝三時起きの予定だった
ところが9日の夜に突然の腹痛
居ても立ってもいられない激痛
深夜まで我慢したが、タクシーで救急病院へ
明確な診断は無く、痛み止めの薬のみ処方
翌朝、再び、改めての受診
結局は腸炎が十二指腸炎だろうとのこと
その日のうちに痛みは取れた

そんな慌しい中での中止判断は妥当なところか

お盆は何をするでもなく過ごした
この3日間は「他人の庭ウォッチング」を続けている
別に問題行動をしているわけではない
単に近所を歩いているだけだが
単に様の庭を拝見するのも一つの楽しみ

同好の士は少なくないらしく
玄関先で全くの見ず知らずの人から
「お宅の庭の花を楽しんでいます」とか
「この木はなんという名前ですか」とか
声を掛けられることも少なくない。

ところで日本の大気のCO2濃度が過去最高を記録したとか

因みに日本の場合は3箇所で観測されている。
岩手県大船渡市綾里、東京都小笠原村南鳥島、沖縄県八重山郡与那国島
平均値は388.5ppm、386.6ppm、388.0ppmとこれまでで過去最高となった
1987年の観測開始以来37.3ppm濃度が増加しているとのこと
10%前後の増加はものすごい数字ではなかろうか

では世界の平均値はというと381.2ppm(2006年度)だが
現在の濃度は産業革命以前の平均的な値とされる280ppmに比べて
36%増加していると知ると、これもただならぬ数字だと分かる

不思議おじさんの体調不良の遠因もこの辺りにあるのでは?
と言いつつ、炭酸ガスの入った琥珀色の冷えた液体を今夜も流し込む

花は槿(むくげ)
我家には純白や中心部が暗紫色の白花もある
韓国の国花である

天災

2009年08月12日 | Weblog
予期せぬ台風が突然に来た
兵庫県の佐用町はO君の故郷
電話してみたら案の上の被害
テレビを見ていたら畳が浮き上がり
2メートルまで水に浸かったそうだ

ご両親は2階に避難したそうだが
家の前のブロック塀が水流を堰き止め
何とか家の倒壊は免れたとのこと

不思議おじさんの子供のころ
家の中を濁流が流れる光景を
昨日のことのように覚えている
安曇川の堤防が決壊し
江若(こうじゃく)鉄道の
土盛の線路が道路のために途切れた部分から
堰き止められた水が激流となって集落を襲った
その時の台風では隣の安曇川町で
2人が亡くなっている

甲子園では高校野球がたけなわ
関西学院高校が出場している
関西をクァンセイと読むことを
このチャンスに宣伝したいとの思惑があるそうだ
この大学には45年も前に6万円払った
入学金であるが戻ってこなかった

息子はさる国立大学に合格したが
この大学を選んで学んだ

そしていまや、関関同立の一角とはいえ
少子化にはあがなうことができず
高校の系列化で入学はより容易だ

時代は変わる
変わらないのは
時代は変わるということのみ
とは、K氏の口癖であった






客寄せ

2009年08月09日 | Weblog
マーケットの縮小が
きわめて明快であり
しかもそれはずっと以前から
分かっていた業界
それが大学や高校などの教育産業

客の取り合いに知恵を絞り
金をつぎ込み汗をかく

キャンパス見学会なるものは
あの手この手の客寄せイベントの一つ
しかしどこも似たり寄ったり
やらなければ確実に負ける
やっても大きな効果は見込めない

行き詰った商売の見本のようだ

悲惨なのは
そんな危機的状況を知ってか知らずか
能天気な方々が学内に少なくないこと
因みに「能天気」とは
「呑気で軽薄なことや安直なこと」と解説されているが
まさにその言葉が服を着て歩いているようなもの

やる気が失せないほうがおかしいが
能天気な人を上回るパワーを持った人たちで
何とか舟は蛇行しながらも前に進んでいる

今年は朝顔を数多く植えた
数時間だけの儚い命
この花の見せ場を
見てやらなければ可哀そう






元気の源は?

2009年08月08日 | Weblog
齢63歳の誕生日を前に
何はともあれ、源氏物語を読了した
その記念といっては何だが
渉成園(枳殻邸)を訪ねた

源氏物語の舞台はいわずと知れた京都
それに須磨・明石・大阪の住吉神社
さらには宇治、そして小野の里
浅学にして物語終了の地が
小野であることを知らなかった

小野は馴染みのある土地
不思議おじさんの生家から25kmくらいか
小野妹子、小野道風の生地
今は国道のバイパスが通っているが
以前は小野神社のすぐ側を走っていた

源氏物語を読み進む上で
土地勘があることで面白味がより増したのは事実

渉成園(枳殻邸)は六条院のモデルだと言われてきた
光源氏のモデルといわれる源融が六条に院を構えたのは事実
しかし最近の学説ではどうやら位置的に辻褄が合わないらしい
それでも庭園と建物は物語の雰囲気を漂わせている
読了記念としては充分である
因みに拝観は500円
池には琵琶湖疏水から直接に導水しているので
魚相は琵琶湖に似ているとのこと

ところで
人間の元気はどこから出てくるのか
元気はつまり「元」にある「気」のことだから
根本的な源泉の在り処の問題である

考えてみれば
今までの仕事は自己発見と成長とを
不断に問いかけられるものであった
緊張感と学習意欲を喚起させられ
共感、気付き、驚きと感動があった

仕事を「元」の「気」の在り処と考えるのか
仕事は仕事と割り切るのか

白熱の酷暑に汗をかきかき考えるこの頃