後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

人生の難関

2013年01月22日 | Weblog

春は確実に近づいている
世は醜悪さを増し、奈落に向かっていることは確かだが
そんな認識も持てずに、
自分は正義だと主張する人たちの口臭で息苦しい

PDCAを回せとの大号令があっても
回す人材もいなければ組織性も無い
反省の無い人たちに改革はできようもない
世も末である
なにせ皆さんが無謬のリーダーだと
信じて疑っていないのだから

謙虚さとは無縁の世界
誠実さは具の骨頂とみなされる世界


ヒヨドリがつついた熟し柿も無くなる

病魔と闘う方々が身辺で続く

京都のT氏は肝臓がんを摘出した
大腸がんの転移である

大先輩のYさんも
抗がん剤との闘いからの生還者である

隣家のご亭主はほとんどお会いしていないが
おしっこが出なくなって前立腺肥大で手術

わがK先生は 突然の脳出血
それでも自家用車を運転して病院に駆け付けたとか
みなさま 呂律が回らなくなったら
直ちに119に電話して脳外科に駆け付けてくださいね
48時間以内の治療開始がカギになります

民謡の先生は77歳で尺八が吹けなくなった
歌詞も忘れて眼鏡をかけても読めないので練習に時間がかかる
「いつか行く道」と会員は粘り強く待っている
ただし唱の指導は相変わらずで厳しい

自らの裡にあるがんと共生し
童話を書き続けている元新聞記者も知っている
一昨年のアンデルセン大賞受賞者S先生だ


これは不思議おじさんの歯ではない
ネットから借用したものだ
不思議おじさんも
10年以上前に手術した
インプラントが取れかけている
周囲の歯もなくなり、
荒野の一本杉になってしまっていたが
ついにその歯も無くなりそうだ。
さらには内科の先生から
そろそろがん検診したらどうですかと示唆された。

不思議おじさんの
苛立ちをまといながらの仕事もあと1年だ

明日は病魔との闘いなるかもしれないが
いさぎ良く向き合うか無いのだろう

ところで朝日新聞・ベネッセの
語彙・読解力テスト
ついに今年は1級ができたそうですよ
超難関テスト
どうぞチャレンジして
若返りのホルモンを引き出してください。

今朝の天声人語

2013年01月09日 | Weblog
書こうかな と思うことはあるのだが
なかなか腰が上がらない
そのうち仕事が始まった
なけなしの力だが全力展開になってしまって余力がない

そううちに宵戎になってしまった
いつものように新聞を見たら
天声人語に金芝河さんが取り上げられていた


金芝河さんは詩を書いたために死刑になった
詩「五賊」は1970年に著された
「現代詩手帖」を購読していた不思議おじさんは
当然のことながら読んでいた
1974年に死刑の判決が出た

サルトル、大江健三郎、鶴見俊輔など
文学者・哲学者・思想家たちによって
当時の韓国政府非難と
世界的な救命運動が広がった

文芸誌「海」の編集長や松本清張記念館長を務めた
宮田毬江さんも大きな役割を果たした

それからたくさんの時間が経過し
たくさんの人との交わりがあり
不思議おじさんは縁あって金芝河さんや
宮田さんと知り合うことができた

金芝河さんと宮田さんを自家用車に乗っていただき
京都は平等院に観光に行ったこともある
鶴見俊輔、小田実、中村尚司などと
一緒の時を過ごすこともできた
山形県の若き農民 菊池卓大さんと
金芝河さんの出会いの時も時間を共有でき
不思議おじさんのことも詩に書いていただいた

そんな金芝河さんは
今回の大統領選挙で
自らを迫害した朴正熙の娘
次期大統領の朴槿恵を支持して
世間を驚かした

世の中は何が起こるか分からないが
わがキムピョンジン先生に良いことがあるよう
祈念するのみである
金芝河さんからキム先生に
朗報を待てとの電話があったとのことである


我が家の食卓からほんの1.5メートル
メジロ観鳥施設の光景
昨年は野鳥が全く来なかったが
今年はみかんを刺したら5分以内に顔を見せる



まだこの季節でも薔薇の蕾が膨らんでいる

春はすぐそこまで来ている ように思う






新春 一挙大公開のこころだぁ

2013年01月01日 | Weblog
(写真の上でクリックすると拡大できます)

小妻が大晦日というのに
徹夜のボランティア的仕事に行った 敬服あるのみ 
独りの年越し そば100%の蕎麦がきが余った
バターで焼き菓子を作った これが美味いんだなぁ

年が開けた

不思議おじさん家の2階からの写真
写真中央は日本で2番目の山 金剛山
何がって? 登山者数です 一番はやはり富士山
拡大して写真を見ると登山者が…見えません

7、8年前までの不思議おじさんの元旦恒例行事は
朝起きたら梅田(大阪駅)に行き、自宅に向かって歩くこと
今年は一人の元旦だったので再開することにした
今朝は9時50分に大阪駅に到着 さぁ出発だ

マルビルやディアモールのある梅田の地下街は誰もいない

北新地のとあるビル
美空ひばりのお気に入りで現役のクリントン大統領も食べに来た
戸締りを確認!(なんで!????)

朝日新聞大阪本社、フェスティバルホールの新築ビル
まだフルオープンしていない

御堂筋にはほとんど車はいない


心斎橋でさえこの有様だ
感心したのは、ほとんどゴミが落ちていないこと
日本はまだまだ大丈夫だねぇ
そういえば、家までの歩行路で
仕事ではあろうがゴミを拾う人を数人見た


水掛け不動産も行列

何とかお参りすることができた
甕に水が少なくなっていたので
ガチャコンポンプで補充しておいた
これが仕来りである


日本橋を南に下り通天閣へ
ツアー客と思しき団体が列をなしていた

天王寺公園からの光景
左は日本最高のビル 阿倍野ハルカス
一番右は去年 目の手術で入院していた大学付属病院
ノーベル医学賞の山中教授も大学院で学んだところでもある
不思議おじさんの最初の勤務場所 27歳まで5年いた


これが阿倍野ハルカスだ

たしか、春ころに同じ場所で写真をとっているはず
かって賑わった阿倍野べルタはもう廃れていた


北畠親房を祭る史跡
直系のご子孫が不思議おじさんの職場にいらっしゃる


大和川である やや左の硝子のビルとやや右のビル
不思議おじさんの出身大学である
この川は江戸時代に掘られた人工の川
今は堺と大阪を隔てているが昔はこの川は無かった
千利休が豊臣秀吉に呼び出されて大阪城に参ったとき
この川は無かった
今はその堺市側に阪神高速道路大和川線が建設されている


堺市庁舎だ

もうへとへとである 足もジンジン痺れている
小妻はもういい加減に帰れとメールで忠告をくれる
大阪駅を出てすでに5時間 
心もへたれかけている

しかし孫にメールして知らせているので止めにくい
何とかやり遂げたい 
また歩く

仁徳天皇陵の北端(正門の全く反対側)である
足を引きずり、自分の心と身体をダマシテ歩き続ける
心も足も麻痺している


何とか鳳駅近くまで来た
今日の鳳自動車学校は駐車場になっていた
鳳大社の参拝客をさばくためだ
因みにここは教習所ではなく「学校」なので
大学卒業後に免許をとった不思議おじさんは
最終学歴は鳳自動車学校になる


堺市上 だ 自宅まであと少し

今を去ること約48年前
この地区に九州最高峰の名誉教授で
今はゆるきゃら日本一の大学を
今年で退官されるI先生が下宿されていた
さらにこの信号の右には、同級生のA君が住んでいた
A君は昨年にトレーラーに轢かれて亡くなった
奥様も同級生である
みんな 大学の演劇部の仲間である
不思議おじさんの名前で検索すると
YahooでもmGogleでも蘇ることができる

大阪駅を出て7時間25分
阿倍野でラーメンを食べ
あちこちで休んではまた歩く繰り返し

弱い心との葛藤の末 何とか家にたどり着いた
心配した膝も腰も大丈夫だった
事前にテーピングしておいたので
足の裏に水膨れができることも無かった

この歳になってまだまだ歩けることに感謝
弱気な心に少しだけ克てたことに感謝

本年もどうぞよろしくお願いいたします。