後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

「雲奔る」

2007年08月31日 | Weblog
藤沢周平に取り憑かれて1年と3ヶ月ほど
ほとんどを読み終えつつある。
「雲奔る(はしる)」は山形県米沢市が生んだ
明治維新前後の志士・雲井龍雄の伝記的小説で
龍雄は27歳で新政府により斬首された。

雲井龍雄のことや小説については別項に譲って…

1.初めて知る漢字が多くあったがそのうち印象に残ったもの
  「欷く」…本来は(なげく)だが、藤沢は(なく)と読ませている。
  龍雄が新政府に捕縛され、米沢から駕籠で江戸に送られるとき
  親戚・友人などに囲まれた最後の別れを済ませた後
  妻のヨシは義母の目を気にしながら、遠回りをして
  夫が捕らえられて搬送される駕籠の列を追いかける。
  やっと遠くにその群を見つけたもののやがて見えなくなる。
  「もう帰ってくることは無い」と感じたヨシは
  里芋畑の畝に倒れこんで「欷く」。

  …希いを欠くと書いて本来は(なげく)と読むが
  作者は(なく)と読ませている。
  「泣く」ではなく「欷く」という漢字を使われると
  読者も辛い

2.里芋は、日本人が南方文化を脈々と受け継いでいる
  れっきとした証拠を今に伝えている。
  日本中(北海道は札幌市に2日いただけなので判らないが」の
  畑の片隅で里芋は栽培されている。
  里芋を作っていない農家は圧倒的に少数派であると思う。
  もちろん山形でも作っている。
  徳島県でもどの農家も栽培しているように見受ける。
  不思議おじさんが育った滋賀県北西部も同様だ。
  十五夜にかざる団子の原点は里芋である。
  里芋文化の本を探して読みたい欲望が湧いている。




困ったもんだネ

2007年08月25日 | Weblog
本日発売のビッグコミック「名物に旨いものあり」に
記事が掲載されたと思ったら
次は、写真のような騒ぎ

不思議おじさんの通勤路を車が占拠している
来年放映のテレビドラマ「眉山」の撮影隊が
おじさんの会社の前に突然やってきたのだ

常盤貴子さんが農道を歩くシーンらしい
通りかかったバイクおばさんに聞いたら
つい先ほどは、国指定の史跡・田中家で
撮影が終わったところらしい

おーーーい 内の若い衆!
仕事セェヤ!

「後ろ歩き」は人心撹乱の行動か?

2007年08月24日 | Weblog
犬が西向きゃ尾は東
西に向いて歩くときは、西を向くのが当たり前
これを「前進」という。

第2次世界大戦で敗色濃くなった日本軍は
「後退」とは言わずに「転進」と言った

「後ろ歩き」は「後進」ではない
後ろを向いて「前進」するのである

それもオドオドして歩いてはいけない
思い切り両手を振って
普通に前に歩くときと同じスピードで歩く
上り坂や下り坂が良い
何に良いかって?!

後ろ歩きは、普段使わない筋肉を使う
カロリーの燃焼にはもってこい
つまり、糖尿病対策の一環

畑で仕事をしている老農婦は
眼を点にして いつまでもこちらを見ている

後ろ歩きをできる環境はさほど多くない
都会で 安心して後ろ歩きできる道は少ない
車事故対策もそうだが
人目につくと 恥ずかしいと言うよりも
相手を驚かせてしまうことのほうが問題だ

安心して後ろ歩きできる環境を持っていることは
豊かな自然度で暮らしていることのメルクマールだ






失敗は「清掃」のもと

2007年08月23日 | Weblog
異物混入があると、職場はたちまち徹底的な清掃が行われる
なんて話を書くのではない。

高校野球は佐賀北の満塁ホームランで幕を閉じた。

フムフム 「佐賀県の高校」「満塁ホームラン」といえば…

昭和59年の56回センバツ大会
佐賀商×滋賀県の某高校(初出場…今後も不思議おじさん存命中の出場は望み薄)
4-1で佐賀商リードで迎えた5回裏無死満塁
5番中原の放った打球はレフトフェンスの前でワンバウンドしてラッキーゾーンに
ところが審判はホームランと判定した。
満塁本塁打として大会記録にも残っている。

本来ならエンタイトルツーベース。
完全な審判のミスジャッジにもかかわらず、
試合後、某高校のの高田監督は
「審判がホームランと言ったものはホームランです」ときっぱり語った。
甲子園のうそのような本当の話。

審判が打球が見にくいということで、
外野ラッキーゾーンに飾られていた歴代優勝校の校名、
校章入りの校名板(白地に黒と赤字)が翌日には撤去された。
その後その校名板は二度と飾られたことは無い。

失敗は「清掃」のもとというおじさんギャグの話

もちろん、某高校とは、おじさんの出身校である。

いやぁ 本当にびっくりしたなぁ

2007年08月22日 | Weblog
昼食は仮住まいの我が家に帰って摂る
この時期の徒歩は、頭がくらくらするような炎熱下

穂を垂れた田んぼの農道を帽子を被って歩いていたら
ギャー! という叫び声が体のすぐ横でおきた!

稲穂に潜んでいたゴイサギが 叫びながら飛び立ったのだ
ゴイサギもうっかりしていたのだろう
体の50センチ横で叫ばれたらタマラナイ!
しかも鶴ほどもある巨体だ

それにしてもゴイサギの鳴き声は奇怪である。
もう少し人心を楽しませるような声だと嬉しいのだが

肝は冷えたが、会社に到着したときは
いつもどおりにサウナに入ったような汗だった。

「こだわる」とは、「あれこれ一杯やってみる」こと

2007年08月22日 | Weblog
同じことを頑固に、あるいは頑迷になってまでやること
たいがいの場合、それはもう「こだわり」を放棄した姿

到達すべき課題・テーマに対して こだわりというものが有り得るのであって、
それに到達するための手段、方法は、不断に変化するものだと思う。

例えば、渓流釣りの目的は、とりあえずは魚を釣ること
(もちろん深山幽谷の景色、雰囲気を楽しむこともあるだろうけど)
釣れなければ、針の大きさ、テグスの太さ、餌、錘の場所…
様々に工夫を重ねるのが釣りの醍醐味であり面白さである。

さて「健康に豚を育てること」「食べて旨い豚であること」を追求しようとすると
品種、豚舎環境、飼料、水、ワクチネーション、投薬…組み合わせは無限にある。

糞尿の処理もそのひとつだが、糞尿を処理せずにそのまま積み上げ
その上で豚を飼う方法が「発酵豚舎」だ。
糞尿にはオガクズや籾殻など副材料を混ぜる。
オガクズは、最近は外国材が多い。
海中に置くときは塩分残留が、さらには防疫のための殺菌消毒剤の残留が
微生物の活躍を弱めてしまうようだ。

写真は、籾殻を混ぜ合わせた豚舎だ。
空気も適度に入るので、発酵にはもってこいだ。

そこでできた堆肥は、最高の有機肥料になる。

その肥料を贅沢に使ったトウモロコシを育てている。
季節外れだが、収穫を首を長くして待っている。
フフフッ

四国巡礼は楢山節考

2007年08月21日 | Weblog
路傍の墓石
徳島の田舎道を散策すれば
どこでもお墓と出会う

この夏にも若者の巡礼姿を多く見かける
なにせ不思議おじさんは一番から7番札所までの
ごく近所に住まいをしている。

求道なのか、自分探しなのか
若者は汗を滴らせて歩いている

元を質せば、巡礼に出る(出す)のは
口減らしであったとのことだ。
四国版の楢山節考
巡礼者を大切にしてお米などを差し出すのも
お互い様 いつかは… という気持ちからだという。

それでも齢を重ねた老人には
ひもじさや寒さに耐える力は少ない。
道端でひっそりと息を引き取る
懇ろに弔い、無縁墓を路傍に置く

食べることもままならない時代の
年老いてからの身の処し方を
わが身に置き換えて考えてみる

占拠

2007年08月20日 | Weblog
「占拠」という言葉の語源を調べる時間が今無いが、
多分、□は家か山か重要な場所を示していて
トは、旗を立てる というようなことかと思う。
拠るべきところを自分のものにしたぞ!ということか
争いの用語だね

先述のホテイアオイで川が占拠された様子を
写真でご覧頂きたく、昼休みに撮ってきました。

「入鶴」とともに立つ秋

2007年08月20日 | Weblog
この春、東京のさるこだわり飲み屋で出された酒。
「徳島の片田舎で爺さんと婆さんが細々と作っている酒」と聞かされて飲んだ。
銘柄を覚え忘れていたが、いつかは手に入れる努力をするのだろうなぁと
自分のことながら、他人の行動のように予測していた。

徳島県の中央部、阿南市那賀川を中流域まで遡った。
布団を干してきたのに、出迎えたのは夕立だった。

この地域ではすでに稲刈りが始まっている。
黄金色の稲穂が雨に揺れている。

ネットで見た記憶だけを頼りに(プリントは忘れて来た)道沿いを探す。
「入」の文字が倉庫の壁に見えた。
何であれ、「発見」は無邪気な喜びに通じる。

新物カツオの刺身が 少し鄙びた味の酒とはアンマッチだったが
旨い酒には違いなかった。

そして酔い覚めの今朝
この風に潜む冷たさは何だ!
まさに今日、密かに秋は立った。

61年前の今朝、亡き母は
不思議おじさんをこの世に送り出したのだった。

進化ではなく、多様性確保による生き残りではないのか?

2007年08月18日 | Weblog
一人暮らしの2階の建屋の前に幅5メートルの川がある。
吉野川から採水した用水路なので冬は枯れる。
朝一番に洗濯物を干していると、シオカラトンボが
川を低空飛行し、何度も同じ場所を往復して餌をとっている。
今朝は、交尾行動でもつれた2匹がベランダまで飛び込んできた
シオカラは農薬に強い種類のようで、他の種はまず見かけない。

川には小魚の姿は見えない。
ゴイサギが佇んでいるから、何らかの魚はいるのだと思える。
6月には大きな鯉が何匹も上ってきた。
間違いなく産卵のためだと思われる。
鯉は、あの汚い大和川にも無数に棲息している。
鯉もまた、人間が汚染した河川で生き延びる種類だ。

ダーウィンは進化論を唱えた。
そもそも"進化"という言葉自体に、西欧文明の臭いを感じる。
「世の中は発展し右肩上がりするものである」との思想が背景にある。

生物は、地下10キロメートルの岩石の割れ目に潜む微生物も
海底のマグマ噴出孔近くに棲息する海老類も
抗生物質を敵とする菌類も、草も、木も、鳥も、ネズミも…
地球上の全ての生物は、種が生き延びることを最大命題としている。
個体で生き延びるよりも、世代を継いだほうが種として生き残れるから
私たちは子孫を残す。

地球は46億年の歴史の中で、想像を絶する化学的・物理的に変化してきた。
生命は、35億年の歴史のなかで、地球の変化に対応せざるを得なかった。
生命誕生の10億年後には、毒物である酸素と向き合わねばならなくなった。
地球が全凍結(地球全体が氷の塊になること)したときは、ほとんどの種は死に絶えた。わずかに、火山や温泉の存在が、生命の糸を繋いできた。

生命の本質は、多様性の獲得である。
同じ種でも、多様な個体を作り出しておけば、地球環境の変化に対応が可能になる。
オスはもともとメスである。
オスは、多様性をより複雑に産出するための道具として生命が考え出したものだ。

東京の夢の島にいた何億匹のハエを農薬て駆除したとき、
生き残ったハエは"進化"したのでもなく、耐性を獲得したわけでもない。
ハエの中に、撒かれた農薬に強い個体がもともと存在していたからである。

多様性を確保すること
これこそ、生命が生き残るために編み出した戦術に他ならない。

用水路は、すぐに川幅50メートルの飯尾川(いおがわ)に流れ込む。
風に吹き寄せられたホテイアオイが、飯尾川を完全に占拠している。
川が緑の絨毯になり、紫の花があちこちに咲いている。

ダラダラト汗をかきながら、
帽子を被った不思議おじさんは歩きながら考える。

ホテイアオイは、なぜ水中の土に根を下ろさないのか。
そこには彼らなりの戦略が潜んでいるはず。
ムムムッ




5山の送り火

2007年08月17日 | Weblog
京都5山の送り火をテレビが生中継していた。
山折さんは、人生50年のときと比べて人生80年時代になると
(4苦の中の)「生きる」・「死ぬ」苦しみはともかくとして
「老いる」「病気になる」という2つの苦しみの比重が増すことを
覚悟しなければならないと述べられていた。

生老病死は、確かに辛い。苦しい。特に「生きる」ことが。
しかし、少なくとも私には不思議な諦観もあって、
生老病死を受け容れざるを得ないと思っている。
むしろ「順調に齢を取って来たな!」と考えることで
比較的簡単にその苦しみを軽減することすらできる。
さらに「死」については、「お疲れ様でした」と本当に思う。
ただしこれは他人の死に対してであって、自分の死とは別物。
「死んで楽になりたい」という願望に
どれほど誘惑されてきたか知れないが、結局は耐えてきた。

凡人には、むしろ生老病死の四苦よりも
八苦のうちの次の四苦のほうが苦しく感じる。
①愛別離苦・愛してしまうこと。愛さざるを得ないこと。これは苦しい。ただし別 離は愛することほどは苦しく感じない。受け容れて消化できてきた。愛が薄いせ いか?
②怨憎会苦・「嫌な人に会わなければいけない苦しみ」と解されているが、むしろ 自己の中の怨む心、憎む心の存在に苦しむというほうかより苦しくはないか?
③求不得苦・「財産、地位、名誉、知識、技能など欲しいものが得られない苦し 
 み」…うーーん、辛いなぁ。
④五陰情苦・「肉体、感情、理性、思考力など有難いものがあって苦しむ。何もな ければ苦しみもない。物質的、精神的に執着心から生じる苦しみ。存在してるこ と自体の苦しみ。」…これぞ「生きる苦しみ」そのもの。空即是色色即是空。




人間の生理を『能力』と呼び換えて

2007年08月16日 | Weblog
人間の生理現象はいろいろある。
精神の分野には詳しくないが、自分の経験はある。
苛立ち、怒り、悩みなど心が囚われて眠れないとき
深呼吸法を活用すればたちまち睡眠を得ることができる。
10秒ゆっくり息を吸い、3秒止めて、20秒でゆっくり吐き出す。
これを繰り返せば、心の囚われことは霧消する。
身体生理を使って、精神をコントロールするやり方だ。

同じようなこととして、『声出し』がある。

人間の仕事にはミスが付き物である。
人間の心の集中力の継続については、保証しかねる部分がある。
余計なことを考えたり、ぼんやりしたり、うっかりしたり…
しかし仕事のミスは重大な結果を伴うこともある。
防止対策としては、複数の人間による点検がもっとも効果が高い。

小企業は 経営がキツイ そんなに贅沢に人件費を使えない。
元になる仕事で ミスを減らすことができないか
「しっかりしろ!」「集中しろ!」「ミスをするな!」は
何の解決にもならない。

自分がミスをしたことのある業務で
『声出し確認』しながら仕事をすることにした。
事務所や作業所のあちこちから、ブツブツと
あるいはハキハキとした声が聞こえてくる
そんな職場ができないものか

声を出して物を言うと、他のことを考えられなくなる
声を出している内容に心が引きずられる
つまり、対象に集中せざるを得ない

運転業務では、電車の運転手の指差し確認が知られている。
自動車でも、コメンタリー運転を実施しているところがある。
「左、自転車」「右 子ども」などといいながら運転する方法だ。

何の業務内容でも良い。
一人で行う作業、いつも行っている仕事について
声出し確認することにした。

しかし新しいことを職場に根付かせるのは大仕事である。
これからが勝負。

ある病院のスローガンを見つけた
「反省を するより簡単 声出し確認」

人間の生理を「能力」と言い換えてチャレンジしている。



「虫の知らせは無視するな」という新しい諺

2007年08月15日 | Weblog
先週の会議で、ふっと思いついて
「火災発生」を想定した質問をしてみた。
フロアのどこにか消火器があるのか
消火器の使い方を知っているのか

ところが、何と本日、火災報知機が鳴り響いた。
灯油を燃料にしてボイラーを焚いたり
スモーク室があったり、電気を使う設備が溢れていたり
火災発生原因には事欠かない。

虫の知らせというものは、ある。
ただし、多分、恐らくは
さまざまな情報から、前頭葉が知らせてくる
一種のメッセージのようにも思える。




はじめまして

2007年08月15日 | Weblog
真夏の真昼間に、徳島の片田舎の農道を
おかしな帽子を被った不思議おじさんが
汗をだらだら出して、携帯のカメラを川に向けながら
そして、おじさんが健康に良いと思っている
後ろ歩きをしている姿は、一幅の「絵」になりますでしょうか。

一人暮らしのアパートのマンションのベランダには
インドネシアで見た風景を思い出すブーゲンビリアと
近くに流れる飯尾川で取ってきたホテイアオイが
夏の暑さを、より熱くしてくれています。