後ろ歩きの不思議おじさん

あっちこっちにポケットを一杯もった不思議なおじさんの特技は後ろ向き歩き。その右往左往振りは滑稽で、ちょっぴりもの悲しい。

ぼんやりの時間

2014年11月27日 | Weblog


予定していなかった退職
(もう少し役に立ちたいと思っていた)
突然やってきた空白の時間
(役に立とうと思っていた空間がふっと目の前から消えた)
あれから9か月が経過した


首輪を解かれ
確かに日々は日常に満ちてはいるが、
自分との関わりが希薄な空間に解き放たれた
自分が何をしなくても 世の中は淡々と動いている
無為の寂しさ
さてどうしたものか


【1】したいことをやる だけでは満足できない
①畑を借りだ 腰を痛めながらもいくつかの作物を収穫した
 近所の畑仲間もできた 土を触っているときは無我の心中ではある
 時間を忘れる それでいいのだが 心は落ち着かない
②浪曲をやろうとした 公演も効きに行った
 大阪で2か所と言われる教えてもらえる場所にも行った
 とき悪く、腰痛に襲われ、意欲も薙いでしまった
③日本民謡 講師名取として会を支えているが、じり貧である

【やろうと思っていたことをやる】
①推理小説を書く まだ構想さえしていない
②ぶらっと旅行に行く トルテを飼ったのでできない

【何となく始めたこと 始まったこと】
①犬を連れての朝昼版夜の4回の散歩
 もともと日頃徘徊していた場所だからその点で驚きはなかったが
 何人もの犬を介してのお知り合いや話をする契機を頂いた
②腰痛とそのリハビリで知り合いになったおじちゃんやおばあさんの大群
 道で会っても声をかけてくれる
③住区の老人会に加入させられた 
 近所は435年住んでいてもほとんど知らない人ばかり
 それでもわずかながら知己は居る
 一つは10年も続いた地区のソフトボールクラブ仲間
 もうひとつは生協の大型班(これは奥様方が中心)
 老人会に民謡クラブがあり、誘われてついつい加入
 もちろん圧倒的なヤングの唯一の男性となったので大人気???
 三味線のお師匠さんは先のブログの通り88歳
 尺八の先生は不在で、不思議おじさんの縁で一回参加

●そんな折、88歳の三味線お師匠さんから鳴物を演じるよう示唆を頂いた
 地区での正月の発表会に、三味線だけでは寂しいからとの理由
 1日、三味線のお師匠さんのご自宅で練習したが埒が明かない
 はっきりいって難しい!!!!
●そんなころ、事情を知った尺八の師匠に太鼓の先生を紹介された
 不思議おじさんの自宅から「カブ主」500ccホンダのバイクで15分
 練習は全くの個人レッスン 90分間 
 課題曲を設けて少しづつ習う
 今日で練習はもう4回になる 

 締め太鼓、平太鼓、それぞれの太鼓の組立置台、太鼓全体を置くテーブル
 撥3組、舟漕ぎの手製擬音機2台…
 美鵬駒三郎さんの練習用テープ、練習曲ごとの楽譜
 それらを入れる手作りの布製袋やフィル…
 「何とか習っていきますので よろしくお願いします」
 80歳の老いた師匠が優しく笑いながら厳しい心で言われた
 「こんなけあんたに渡すのは、あんたが尻(ケツ)を割らんと思うたからや」
 「俺が太鼓叩いている間は ずっとついてきてや」


生きる 生きて心が充足する
それは他者との気持ちのやり取りによって生じる

愚者である不思議おじさんにはそう思える
賢者と言われるような人のように 自分一人で満足を得ることは至難の業
もともとそんなことをする必要はない

一番身近な妻 子ども 近所の方々
頼りにされ 頼りにして生きる
人間として何より幸せなことではないかと思う

阪神淡路大震災からまもなく20年だ
最近の長野の地震でも教訓は明らかだ
「近助」
近所の人たちによる「近助」である
これを20年前は「共助」と呼んでいた
「遠い親戚より近くの知り合い」
まずは近所同士で助け合う「近助」である
近所の人たちは助け合う時の仲間である
それは災害に限らない
普段の暮らしのにも通じることだ
不安なものは食べたり使いたくない
美味しい本物が食べたい
それこそが協同組合の原点である

災害支援活動の際、関東大震災・朝鮮人大虐殺を思い出した
国家や民族間の争い、感情の対立は
遠く離れている国や民族間に生じることはほぼ無い
普段の私たちの暮らしも一緒だ
臨家をはじめとする近所の人とはトラブルが起きやすいが
50メートルも離れればトラブルか生じる機会はほとんどなくなる

キーワードは「近さ」である
「近さ」を繋ぐものは何なのか
国 領土 領海 宗教 貿易 金融 文化活動…
情報は世界を一瞬にして一つにするが
人間が生身に住んでいる近さを変えることはできない

国とか宗教とか経済という枠組みを脱ぎ捨てれば
一人の人間として言葉や文化は違っても仲良くなれるはず
外から己を縛ってくる枠組みを脱ぎ捨ててみよう
そもそも「自己」とは、そのほとんどが時代によって作られたねのなんだから
自分を取り返して生きてみよう
それが不思議おじさんの一生を貫く信念となった


晴耕雨読とまで聖人・仙人のようには振舞えない
それでも少しずつ自分に必要な本を選んで読むようにしている
今までのような濫読するにはすこし持ち時間が気になる
などと言っているが、結構手当たり次第ではある
岩波新書 辰濃和男著 「ぼんやりの時間」
天声人語を13問間ひとりで執筆された作者が
2010年に80歳で上梓された
数年前にお会いする機会があり、サインされた本を頂いた
人間の文明を考えるいい機会にしている


秋の七草 河原撫子が今になって咲いた

実際に暇な時間の連続
それでも結構日程が詰まってきた

・高校時代同窓生阪神関在住者の忘年会
・韓国は原州の協同組合の旧知の方々との宴会
 (来年は、記念に韓国に来いとのことらしい)
・前職の職場からのお誘い宴会
・老人会の民謡発表会

お呼びがあれば出かける場末の芸者みたいだと
どうぞお笑いください







 

団塊の世代(高齢者)の大群

2014年11月12日 | Weblog

明日香が一望である 大和三山 三輪山
葛城山ロープウェイから撮った

大阪と奈良の間には 北から
生駒山 二上山 葛城山 金剛山…が連なる
大阪府の最高峰は金剛山 登山ルートは余多ある
不思議おじさんのお気に入りは妙見谷
もう一度できるなら登ってみたいものだ

金剛山から北へはダイヤモンドトレイルが続く
金剛山から水越峠に下って北に登れば葛城山だ

金剛山には大阪側からロープウェイがある
葛城山には奈良県側からロープウェイで登れる
ちょっとしたドライブで奈良県側の山すそを走っていて
気紛れにロープウェイに乗ってみた
トルテも葛城山初登山!!!! (ロープウェイは動物有料乗車可能)
登山客もほとんどなく
静かな秋の山の風情を楽しんだ


奈良国立博物館で正倉院展が開催された
11月10日までとのことだったがその前日に訪ねた
孫の男の子が学校行事の代休だったので連れて行った
月曜日なら空いていると思って11時に行ったが
驚くなかれ人・人・人の洪水 
おじんとおばんばっかりだ
何んと60分待ちの大行列
時間を持て余すおじんとおばんのわずかな年金を目当てに
このような展覧会開催するのかと勘繰りたくもなる

池澤夏樹氏が11月4日の記事で触れられた資料を探したが
「人勝残欠雑帳」というものだが
館内の展示場でも5重6重の人垣に阻まれ
何回も探したのだが
ついに現物を見ることができなかった 

それにしても どこでも高齢者の多いことよ
これだけ元気な人たちの存在は
かって日本には無かった現象だ
「主婦」が昭和40年代に出現したことに匹敵するできごとだ

高齢者問題は府の課題として捉えられることが多いが
それだけではないはずだ
多くの高齢者は必ずしも満足した生活を送ってはいない
やりたいこと こうありたいことの共通項はある
年金を貪られるだけではなく 
自らの意思と行動で コトが起こせる
そんなパワーをこの人波から感じた


やっと腰痛が和らいだと思っていたら
先週日曜日に不覚を取った
深酒して、トルテを抱いて玄関に出たとき
よろめいて倒れた
トルテはいち早く危険を察知し
主人を足蹴にして脱出
不思議おじさんは左胸部を丸椅子に強打
寝起きも 着替えも痛みを伴い 呻吟の毎日
改めて漸く痛みから解放されつつある毎日


太鼓を習い始めた
民謡には三味線、尺八がつきものだが
鳴物も欠かせない

NHKなどの民謡番組を聞く機会がある方は
「鳴物ビホウコマサブロウ」との紹介を聞いたことがあるはず
今回、美鵬駒三郎さんの孫弟子になった
不思議おじさんの先生は80歳 
大阪で美鵬駒三郎の弟子は2人のみ
そのうちの一人である先生はご高齢だがきわめてお元気
一回目の練習で締太鼓と平太鼓を家に持って帰れとのこと
もちろん習っている間だけ預かったもの

太鼓を習うには契機があった

地域の老人会が民謡サークルを開催している
人の繋がりで、このサークルのリーダーの女性に誘われた
その方はなんと88歳 矍鑠とされている
三味線を教え、ボランティアで民謡を教えておられる

不思議おじさんも加わって 一緒に唄っている
知り合いの尺八の先生にも無償で参加してもらった
新年の発表会に向けて 3曲練習している

大阪で名を知られた太鼓の名手がいた
不思議おじさんのごく近所にお住まいで
この民謡サークルにも関わっておられた
残念なことに今年の夏 お亡くなりになった
不思議おじさんの所属する会の30周年記念大会にも
昨年はゲストとして参加いただいたが 
病魔には勝てなかった
お葬式には参列した

民謡に鳴物はやはり不可欠
88歳のお師匠さんのご示唆もあり
仕事を辞めて時間ができたことも手伝って
一念発起して太鼓を習うしたのである

新しいことにチャレンジするにはエネルギーが要る
打楽器はリズム感が問われる
楽譜を見ないことにはとても叩けない
ましてや 音の強弱や音色など
とても10年程度では学べそうにはない

うーーーーん 難しい!!


灯台下暗し 不明に恥じ入る

2014年11月09日 | Weblog
小さな写真は、画面上をクリックすると拡大します

秋は黄色の花が目につく
我が家の庭にもツワブキが存在を主張している
春に茎をたくさん刈り取って佃煮にしたのに
秋までに茎を増やして咲いている
とても頑健で旺盛な繁殖をする草花である

斑入りのツワブキは、今夏、小妻の故郷でもらったもの
3か所でしっかり根付いて花をつけた


腰痛が小康状態を得たので畑の収穫をした
畑は荒れ放題だった

落花生は土掛けをしなかったので収量は多くは無い
ほったらかしの割に実をしっかりと付けている
有難いこっちゃ

畑で実を取る 家では枝葉の処理に困る
持ち帰って水で洗うが、必ず蟻が巣食っている
水を張ったバケツに入れると慌てて出てくる
手を何か所か噛まれた ピリピリと痛む
穴の開いた実は虫に食われて食べられない
一粒ずつ目で見て、指で押して選別する
塩を入れて茹でること30分 
酒の肴が出来上がり 
不思議おじさんがそれを喰ってお酒を頂いて出来上がる


サツマイモは30株も植えてしまったので
農業用コンテナに4杯も採れてしまった
掘るときにイモ同士が擦れ合っても皮がむける
水洗いするときに水圧が強いとそれだけでも剥ける
ご近所などに配り歩いて何とか処理した


雨に煙る写真で恐縮だが今朝撮った
奥の大きな建物はクリーンセンター(ごみ焼却場)
その右奥が国指定の史跡「黄金塚古墳」
昭和25年に末永博士、森博士などによってが発掘され、
出土した画文帯四神四獣鏡は国立東京博物館平成館にある
昨夜、住民への古墳調査報告と整備の歴史トークがあった
目の前の小学校での開催なので出かけた

「黄金塚古墳」のことはそれなりに知っているつもりだった
しかし参加者から質問のあった「取石池」については全く知らなかった
現在の住所表記では「とりいし」だが
「取石池」は「とろし池」と読む
写真ではクリーンセンターの手前の田んぼ一帯がそれである
昭和16年に戦争に備えた食糧増産のために埋め立てられたとのこと

いわゆる100円道路(堺泉北高速道)の下の道沿いに
「取石池」を詠んだ石碑が立っている
パチンコ店前の歩道の緑地にあり
道路に出ないと文字は読めない
通過する車からは斜め後ろを振り返らないと見えない
なぜこんな向きにしたのか首を傾げるばかりだ

そのパチンコ店からクリーンセンターを望む
緑色の田んぼも「取石池」の跡らしい

この地に住んで35年くらいになるのに、
「取石池」については全く知らなかった
この池は万葉集に詠まれている 
 第10巻 2166番 詠み人知らず
  妹(いも)が手を 取石(とろし)の池の 波の間(ま)ゆ
  鳥が音異(ねけ)に鳴く 秋過ぎぬらし (10・2166)
【原文】
  妹手呼 取石池之 波間従 鳥音異鳴 秋過良之

  妹が手を取るという名の取石池の波間に浮かぶ水鳥の鳴き声が、
  昨日までと違って聞こえるよ。
  ああ、もう秋も過ぎてゆくのだなあ。
  愛する妻を抱きしめることはおろか、
  もう長いこと 彼女の手さえも握っていないのに。
  (…ある人の訳を拝借)
近くには聖武天皇の頓宮(行幸時の休憩所)もあり
景色のよいところとして知られていたとのこと
すぐ近くの高野街道を通った藤原定家や
和泉式部もきっと立ち寄ったであろうと
往時の光景を偲ぶ人もいる

毎日のようにトルテと散歩する場所なのに
知らんかったなぁ

ということで、小雨が降る中 
あちこち身体が痛いのに
地形を考えながらほっつき歩いて
「取石池」の位置を類推して楽しむ日曜の朝だった